札幌・地下鉄妖精譚

伊東デイズ

第1話 地下鉄妖精

 高校の頃。

 もう四年も前だからかなり細部はぼやけている。

 当時、突発的に遠くまで歩くことがよくあった。成長過程の体が自然と要求するのかも知れない。

 感覚的には真駒内の手前と思しき場所にいた気がする。携帯は持ってきていなかったし、七月の日差しが判断力を濁らせていた。

 バス停のベンチに座っていたようだ。バスがやってきたが、住んでいた場所へは向かわない路線だった。

 僕はバスのドア越しに道を尋ねると、親切なバスの運転手は近くの地下鉄駅への道筋を教えてくれた。

 次の記憶では地下鉄真駒内駅の高架ホームにいたから、道順は正しかったのだろう。礼も言わなかったことに気がついて、恥ずかしくなった。

 当時の僕は思春期特有の自分しか見えない状態で、親切にされた経験も少なかった。

 無表情で喜怒哀楽の欠けた、どちらかと言えば怒っていると思われがちな顔をしていたに違いない。


 地下鉄車両の走行音が遠くに聞こえた。

 と、人の気配を感じた。軽い足音が僕めがけて接近してくる。

 僕が振り返ったとたん、その人物――同年齢の女の子――は髪を翻して僕に背を向けた。白ワンピに麦わら帽子。長いスカートをたおやかに揺らして去っていく。

 誰かと間違ったのか、顔を見て話しかける気を失ったのか。

 そのころは僕と話している最中に相手が急に態度を変えることがよくあった。

 振り返りもせず彼女は階段に消えていく。

 僕は声もかけられないでいた。



 そして昨日。

 大学の正門から出て札幌駅西口階段を降り、ATMを横目に見ながら地下街をぬけ、地下鉄南北線札幌駅におりる。大学へは毎日この道筋を往復するだけだった。

 僕は疲れ切っていた。

 夏なら自転車必須の広大なキャンパスを、冬は細い除雪道を重いスノーシューで移動しなければならない。

 音叉を耳元で振ったような音が次第に接近する車両の到来を告げている。

 職に就いてからずっと地下鉄通勤していた父によれば、この金属音は札幌の地下鉄特有で、昔はもっと音が大きかった……そんな話を思い出していた。

 そのときだった。

 確かに僕は背後に気配を感じ、重い靴のせいで僅かに振り返る動作が遅れた。

 ……あの子だった。冬なのに全く同じ服装のまま背を向け、階段に向かっていく。

 懐疑が僕の歩みを妨げた一瞬、彼女は階段の上に消えていった。



「それで? 謎の少女はどうなったの」

 と、歌織が僕をのぞき込むように言った。

 今日は札幌駅から乗りたくなかった。一駅向こうの大通りまで地下通路を歩いている。途中で歌織の要望により、途中のハンバーガー店にいる。

 彼女とは入学以来のつきあいだった。向こうから勝手にやってきたと言ってもいい。突然僕の人生とコリジョンコースをとった彼女が未だによく解らない。

 頭の回転が速くて、目鼻立ちが整っている上、綺麗に手足が伸びて背も僕と同じくらいある。いわゆる札幌美人だが、少々口が悪くて酒が強い。

 実家暮らしのくせに、僕がしばしば食事を奢る羽目になる。負の側面は第三者には見えないから、僕の連れはかなり目を引くと言っていいかもしれない。

 彼女は南北線の終点まで行くから帰りは一緒だった。


「僕と誰かを見間違ったんじゃないかな。二度も同じ勘違いをしたとか」

「あり得ない」

 言下に歌織は否定した。

「一回目はよくあるけど、何年もしてからまた間違うなんてね。それにキミだって老けてるわけだし」

「たった四年前の話だよ」

「ひょっとして地下鉄の妖精とか?」

「都市伝説かよ」

 市営地下鉄ももうすぐ五十周年というから、伝説の一つや二つあるだろう。

 店員が隣のテーブルに放置されていたトレイを下げながら、チラリと視線を投げた。歌織は話を続ける。

「そういえば、小学校に入学したばかりの頃、」

「何の昔話?」

「いいから聞きなさいよ。あたし、大通駅で迷ったことがあるの。どっちがすすきの方面の出口かわからなくなって」

「で?」

 僕はバンズを少しかじって彼女に顔を向けた。

 歌織は耳だけで聞くことを許さない。必ず彼女の瞳を見て傾聴しないといけないのだ。

「半泣きになってたら優しいお兄さんに助けてもらったわ」

「実はそれが僕だったとか」

「あのさぁ。ラノベじゃないんだから」

 とは言ったものの、僕が話に乗ってきたのが嬉しそうだ。

「キミは誰かに声をかけられやすい性質なんじゃない? だから、あ、この人なら助けてくれそうだって最初は思うわけよ。謎の妖精さんたちは。振り返るとキミの不機嫌がわかって思わず背を向けてしまう」

 そんなに僕は不機嫌そうなんだろうか。

「こんど気配を感じたら笑顔の一つでも見せてやれば?」

「媚びを売ってどうする」

「だから、笑みの一つで円滑に進む事って結構あるから」

「微笑みの魔法、とか」

「あんたは魔法少女か」

 呆れた口調で歌織は言って、食べ終えたハンバーガーの包み紙を丁寧に折った。



「ほら、ここよ」

「なにが?」

 大通駅の地下鉄南北線ホームに入ったときだった。

「いちばん間違いやすいのがこのあたりなの」

 確かに背後の通路と全く同一形状の向かいの通路が見える。

「で、その優しいお兄さんはどこから現れたんだ?」

「覚えてない。気がつくと改札機に切符を入れてたわ」

「ちなみになんで真駒内から大通駅まで一人で来たの」

「ほんとはすすきので降りるつもりだったの。母がそこで働いてたから」

「悪いこときいたかな」

 歌織は何も答えなかった。

 やがてアナウンスがあって金属音が響き始めた。地下鉄が僕たちに風を運んできて香織の髪を乱していった。


 地下鉄が高架を登り切ると車窓の外はもう薄暗かった。

 歌織は僕の肩に頭を乗せて眠りこけている。揺らして起こしてやり、僕は南平岸駅でドア越しに手を振って彼女と別れた。



 ホームで僕は携帯を取りだした。確認したいことがある。

「あ、親父? 突然なんだけどさ。昔、地下鉄で女の子を助けた話をしてなかったっけ? こんど家に連れていっていいかな」


 僕はきのう現れた地下鉄妖精にちょっぴり感謝した。

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