第6話 前夜祭にて
最後に雪祭りに行ったのは小四だった。
子供連れでは真駒内と大通会場を一度に回るのは大変だ。父親がどちらに行きたいか妹に聞くと、
「すべり台」
ポツリと一言。
大通会場のほうが近かったのだけれど、真駒内会場に行くことになった。どのみち私の気持ちなんかきいてくれない。私のひねくれた性格に比べ、梨花は機転が利いて父親受けがものすごく良かった。双子なのに性格は真逆、厄介事はいつも私が引き受けていたような気がする。
記憶はそこで真駒内に飛ぶ。
すでにデジカメが全盛だったのに、頑固にフイルム写真にこだわる父親が撮った写真が残っている。着ぶくれした二人の女の子が雪像すべり台の前に立っていて、妹はしっかりカメラ目線、私はつまらなそうに空を見ていた。
家族写真はそれが最後になった。私の中学入学と同時に父母は別れ、父の写真もアルバムから消えた。全ての写真をステンレスのボウルに入れて火を付けたのは母ならぬ私だ。
父には隠し子がいて相手は会社の部下だった。クソみたいなありきたりな話。それ以来一度も会っていない。
父の姿は煙を吐きながら炎によじれていった。写真が焼けるきつい臭気で涙がとまらない。半分くらいは悪臭が原因ではなかったような気もする。
父母が別れてからは、私と妹は家族づれの密度が高い場所は避けていた。公園、動物園、日曜日のショッピングモールなどなど。離婚を機に反目していた姉妹が急に仲良くなったのは、世間の荒波に向かいつつある女の子のはかない団結だったのだろう。
*
「おじいちゃんの食事切らしてるからサツドラで買ってきて」
「わかった」
「拓斗さんによろしく」
「うるさいよ」
いつものやり取りを交わして、梨花は大通駅で降りた。彼女は駅直結のビルにある専門学校へ通っている。
離婚してから母はずっと働き通しで、祖父の世話は私と妹が交代でやっている。我流で柔らかい食事をつくっても続かなかった。とどのつまり介護用のパック品に頼ることになって、今日は私が買い物当番だった。
妹と別れて一駅、地下鉄さっぽろ駅はいつにもまして混んでいる。
半分くらいは明日から始まる雪まつり目当ての外国人観光客だろう。しばらく立っているだけで英語、広東語(たぶん)、耳覚えのない未知の言語がこだまする。
一月から二月末はどこの会社でも決算めがけて走り出す頃だし、受験生にとっては言わずもがな。雪まつりは学生や社会人にとって最悪の時期にほかならない。まあ時期が早まったところで見に行くつもりはないのだけれど。
*
「雪祭りに行こうよ」
「正気か」
「至っていつもの俺だけど」
「じゃ、やっぱりおかしいんじゃない」
「子供の頃からずっと行ってないんだよね」
「今になって子供と一緒に滑り台をころげおちるわけ? 怪しいおっさんじゃん」
拓斗は実に心外といった表情で何か言いかけたが自制した。年下なのにおっさん呼ばわりされたことが気に食わないらしい。
拓斗とは私は北図書館の四階でノートパソコンを広げていた。レポートの進捗は雪庇の成長速度のほうが余裕で勝っている。つまり全然進んでいない。おまけに今日はハズレの席だった。新しい建物なのに空調に妙にムラがある。
拓斗がノートパソコンを閉じた。
「あきらめるの?」
「同類相憐れむってことにはならないんですかね」
だからって互いの傷を舐めるようなことはしたくない。
ノートパソコンをカバンに入れ、拓斗は頭を机上にのせてぼそりとつぶやく。
「ぼく、雪まつりに行きたいです」
ガキかお前は。
といいつつも私も完全に煮詰まっている。レポート提出日は来週末だ。
結局……気分転換と自分に言い訳して私もパソコンを閉じた。
図書館を出てすぐに拓斗がきいてきた。
「どっちの会場に行くの」
「大通りにしようよ」
「だったら札駅でおりてチカホ経由でいくわ」
「なんで」
「燃料供給と準備運動。今朝からずっと座りっぱなしだったから」
「姐さんは言葉に潤いがないなぁ」
拓斗は私に年上を意識させたい時は、いつも姐さん呼ばわりする。札幌生まれの女は言いたいことをはっきり言うのだ。婉曲表現が美徳とかあり得ない。
携帯を取り出し、妹に帰宅が遅れるのを連絡しておく。わたしたちはいつも片割れがどこにいるのかを把握していないと落ち着かない。雪像を眺めてさっと引き上げよう。
「雪まつりは前夜祭に行くのが通なんだよ」
「雪まつりに通とか」
頭一つ以上高い位置からふふん、と拓斗は笑った。全身ユニクロ装備は大いに問題ありだが気にする様子もなく、今日も黒のダウンにニット帽だった。上体がしっかりしていて足が長いせいか、遠目からでも目立つ。距離を詰めるに従って拓斗の少々子供っぽい表情に気がついて大抵の子は距離を置きたがるのだが。
中二病。精神の麻疹。年齢がいってから罹患すると症状が重くなると言うが、そんな感じ。
薄ら寒い地下鉄北十八条駅の階段をおりてホームに立った。
冬になると地下鉄ホームの風が勢いを増す、ような気がする。たぶん地下鉄の排熱と関係があるのだろう。
地下鉄がホームにやってきて転落防止ガードが開く。乗り込んだわたしたちを載せて車内は加速音に満ちていく。
拓人が吊り革に手を伸ばすと肘はほぼ直角に曲がる。私が伸ばすとそうも行かない。拓人は肉体的優位性を隠そうともしない。この壁男め。
車両は南北線特有の音を立てながら疾走している。やがて一分もしないうちに緩やかに減速していく。
相変わらずチカホは混んでいた。ころころに着ぶくれした子供が私たちの横を走り抜けていく。近くの小学校の下校時間と重なったのだろう。
「チカホができるまで冬はどうしてたのかな」
「子供の頃はあまり来なかったし、大通駅は地下鉄で通り過ぎるから」
私は大通りから札駅までの地上ルートはただの一度も歩いたことがない。
チカホに入ってすぐ、右手にファストフードの店舗が並んでいる。このクソ寒いのにサブウェイは選択圏外だ。
「ハンバーガー、たこ焼き。どっち」
「たこやきでないほうがいいです」
「なにゆえに」
「やけどするんで」
「急いで食べるからでしょ」
こういうところも子供っぽい。
「支払いはあんたね。そっちが誘ったんだし」
「しかたないなぁ」
そういいつつ何一つ困った様子一つ見せないのが困ったところだ。たまには反抗しろよ。こっちだって糠に釘じゃあ張り合いがないだろ。
注文を終えると狭い店内には私達のほか一組の男女がいるだけだ。さほど待たずにトレイが運ばれてきた。
「いただきます!」
「声がでかい」
「むむむ」
「喋らなくていいから」
この店特有の汁気の多いソースと格闘した数分が過ぎ、とりあえず補給終了。
店を出ると拓人がすぐに話しかけてきた。
「ね、聞こえてた?」
「なにが」
「となりにいた二人の話」
「妖精がどうとか。いいんじゃない本人たちが幸せなら」
拓人と私は再び地下通路を流動する雑踏の一分子と化した。大通りまではしばらくかかる。
「妖精とか信じる?」
「次にバカなことを口走ったら腹パンな」
「もちろんいない」
「なら、何故訊く」
「妖精のように見えるものはいるかも知れない。見た瞬間は妖精そのものなんだよ。あとになってそうではないことが解る」
「じゃ、妖精じゃない」
「その瞬間は紛れもなく妖精だったと言えるんじゃないかな」
また始まった。詭弁だ。
拓人の足は長い。回転も早い。普通に歩いただけで私は小走りになる。拓人は気遣ってゆっくり歩く。とたんに足の速度と反比例するかのように饒舌になる。
黙って歩く拓人の横を小走りで走り続けるか、一方的おしゃべりに抗戦するかはその時の気分による。
……私は食べたばかりで走りたくはなかった。
「今はいなくても過去にいたならそれは存在したことになる。妖精も同じ。ある一瞬でも妖精にみえていたら妖精だったんだよ。その時だけね」
思わずため息が出る。地下鉄大通駅の北口改札とチカホの境にある扉は人々の背に隠れて見えない。……受けて立ってやる。
「拓人の理屈だと、過去に存在しなかったものは今でも存在しないってことになるよね」
「わからない」
「テメーは自分の理屈だけわかんのかよ」
「恐れ入りますが、説明していただけませんかね」
言い方は丁寧だが、私が話に乗ったのが嬉しくてならないらしい。
「過去に存在ない状態が現在までずっと続いていたら、今も存在しない。これからもね。あんたの好きな妖精さんは過去に一度たりとも実在していない。以上」
拓人は意識高い系の手振りをやや広めにご披露しつつ、
「棒高跳びの選手が世界記録を出したとする。次の瞬間には地面に降りている。次に登るのは表彰台くらいだよね。でもある一瞬を切り取ってみると人類未踏の高さに跳躍していたわけだ。人間でも妖精のようになれる高貴な一瞬というものがある。その一瞬の前後はただの人間に過ぎないけど」
「妖精の定義、
「人間の目に見えたり見えなかったりするが、知的能力はあるらしい。人間よりはるかに長命で、独自の言葉を持っている。人間に干渉するのはたいてい悪戯か好奇心というね」
「どこが高貴なんだよ」
「俺の持論なんだけど、天使も妖精も妖怪も幽霊も、信じるものにしか見えない。ということは彼らは我々の信仰に依存しているわけだ。信じれば見える」
「バカバカしい」
「アメリカ人の四割は守護天使を信じてるって。妖精も同じくらいかも」
初っ端から論理が破綻している。見えたいから見える、そんだけかよ。
「姐さん、だから棲み分けしようよ。見える人には見えるし、見えない人には見えない。それでいいんじゃない……」
拓人の声が途中から遠くなった。
前を歩いていた人々の流れが見えない障害物を避けるかのように割れた。
流れを分かつ中心で、白いニット帽をかぶった女の子が私を見つめている。動物愛護協会が目撃したらテロに走りそうな本革のコートだ。絶滅危惧種の白テンかもしれない。どこのバカ親が子供にこんな格好させるのか……。
女の子は私に目を合わせると薄い笑みを見せて優雅に通り過ぎていった。
――どこかで会ったことがあるような気がした。誰だろう。
眼の前に一瞬生まれた間隙は、人々の流れに飲み込まれ消えていった。振り返るともうあの子はいない。
「どうしたの」
「今の子、見た?」
「子供なんかそこら中にいるだろ」
拓人は大げさな動作で腕をゆっくり振った。たしかにそうだ。大通駅に近づくに連れて、下校中の小学生に加えて幼児を連れた親子も目立ってきていた。
拓人は自説の展開で夢中になっていて気が付かなかったらしい。
「誰かが姐さんの墓石を踏んだような顔をしてますけど」
これはぞっとした、という意味の英語の慣用表現だが言い得て妙だ。私はちょっとのあいだ不安に取り込まれていた。
「ひょっとして俺を担ごうとして迫真の演技を見せつけた、とか?」
「もういいから」
私はここ数ヶ月のレポート疲れということにする。私は多分疲れている。拓斗の与太話に載せられるくらいは。
いつの間にか私達は大通駅五番出口にきていた。階段を上がれば大通公園のど真ん中だ。
階段を登っていると携帯がなった。梨花からだ。
『お
『…………』
「さっき授業が終わったら、学校の入口で小学生くらいの子供が待っててさ。あたし、お姉に内緒でオヤジには連絡先伝えてたんだよね。その子が教えてくれたの。あんたにも会いたいって』
私の中では父親はとっくに死んでいる。正直どうでもいい。だが隠し子が会いに来るとは……。
『でね、悪いとは思ったんだけど。今日、拓斗さんと前夜祭にいくんでしょ。拓斗さんの容姿を伝えたら会えるかなって。あの人目立つし背高いし』
私はすでにその子に出会っていた。妹に先に会いに来たのなら私の顔もわかるだろう。どこか出会ったような気がするのは、同じ血を引いているからだ。
それを妖精とか。私は階段の壁に寄りかかっている拓斗を横目で眺める。こいつの与太話につきあったせいで騙されたらしい。拓斗の前でうろたえた私が恥ずかししい。ここはきっちり拓斗に反撃しないと……。
「でね、付属小学校の制服着てたし、オヤジとよく似た男の子だからすぐに分かると思う。少し話くらい聞いてやってね。じゃ……」
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