スタちゃん
中野徒歩
スタちゃん
ごがががが、と足元から響いてくる音を聞いて、「ああ、これは電車と呼ぶべき車両じゃないんだな。ディーゼル車ってやつだ」と俺は思った。東京から新幹線と在来線を乗り継いで小さなターミナル駅に着き、ようやく最後の乗り換えを済ませたところだった。春、連休の少し前の昼過ぎだった。
俺が乗った二両編成の列車は先ほどの駅と隣県のやはり小さなターミナル駅を結ぶローカル線で、その途中に俺が今向かっている県境に面した集落の最寄駅があった。当然ながら単線で、これを逃せば数時間後の下校時間帯(といっても、何人の学生が利用するのだろう)まで待たなければならなかった。
無人駅では後ろの車両のドアが開かない、というアナウンスがあったから前の車両に乗ったが、俺の他には地元のおばちゃん三人しか乗っていなかった。彼女達はきつい
ホームセンターで塩を売っているのか、と思っていたら、おばちゃんの一人が俺と目を合わせ、「お兄ちゃん、飴玉食べる?」と声をかけてきた。俺は彼女にお礼を言い、たった今抱いた疑問をぶつけてみた。三人は爆笑し、地方のホームセンターでは地元の人間が季節ごとに何をやるのかよく分かっていて、その都度それに応じた売り出しをやる。農機具でも食料品でもお構いなしだ。漬物石だって桶だってある、と説明してくれた。
「あんた、東京から来たの」
「はい。ちょっと、リフレッシュ休暇で」
「リフレッシュだって。
また爆笑した。どの辺に笑いのツボがあるのか、さっぱり分からない。三人は俺から職業だの年齢だのを根掘り葉掘り聞き出し、「そういう仕事をやってるんなら、田舎の店がどういう商売をやってるのか気になる訳だね」と勝手に納得した。
「マーケティング、いうやつだね」
「あははは。あんた、先進的な言葉知ってるねえ」
リサーチという言葉のほうが近い気がするけど、と思いながら俺は訊ねてみた。「あの。この辺って、名物料理とか名所とか」
「え」
「なんていうんでしょう。ご当地グルメとかお勧めスポット的な、そういう感じのものって」
「さあ。なんだろうねえ」彼女達には、その二つの言葉あるいはそういう概念がピンとこないようだった。
「えーとですね。例えば、ここに来たら絶対食べるべき料理とか、土産話になるような観光名所とか」
「ああ。そんなもん、何もないよ。お蕎麦とか漬物とか、都会の人は喜ばないでしょう。お寺なんか見たってつまんないしさ。うちの菩提寺が、なんだか戦国武将の奥方が落ちのびて住んでたお寺だとかいうけど、そんなの東京の人が見たって」
いや充分じゃないですか、と言いかけた時、ようやく三人は俺というよそ者を
俺は、元同僚がこの地で亡くなったこと、彼が過ごしたのはどういう場所でどんな日々を過ごしていたのか知りたくて訪れたこと、を説明した。
「もしかして、あんた。あの外国人の」
「ご存知なんですか」
「ご存知もなにも。ねえ」
ちょうど山あいの地域を抜けてその街がある盆地にさしかかったようで、窓の外が急に明るくなった。少し先に看板の群れが見えたが全国展開する家電量販店以外は初めて見る名前ばかりだった、あの中に塩を売っているというホームセンターもあるようだ。
「あの子、東京で何してたの」
「俺が勤めてる会社で、契約社員みたいな感じで。同世代だし入社時期もほぼ同じだったんですけど」
俺が外資系のネット通販会社に入社し他の同期と共に研修を受け始めた頃、アメリカ人の男が中途で雇われた。彼は前年に来日し、放浪まではいかないものの自由な感じで生きてきた、らしい。若いし学歴も申し分なし、日本語でのコミュニケーションも問題ない、ということで、例えば通訳やら翻訳やらが必要になった時に登場願う、その他の業務も兼任で、みたいな感じで雇われることになった。そんな募集はなかったはずだが、いわば飛び込みで職を得てしまったところはさすがアメリカ人、だった。
初めて出社し自己紹介した時、スタンリーという名前の彼は「スタちゃん、と呼んでください」と言った。ださい呼び方だなあ、と俺の同期の宇田などは思ったそうだが、本人はとても気に入っているようだった。高校時代に日本で半年ほど過ごしたが、当時の部活仲間にそう呼ばれていたのだという。
どんな切れ者が来るのかと戦々恐々としていたがそうでもなかった、むしろ若干残念なキャラだった。留学経験があるというふれ込みだったが実はホームステイだったし、柔道をやっていたそうだがそんな面影はなく、体型だけ見れば俺と同世代とはとても思えなかった。それでも能力面は問題なく、仕事中は持論を振りかざしたりせず協調性があるあたりが日本人的だな、なんて思わせてくれることもあった。
しかし、職場を離れればそんな評価とは真逆の顔を見せた。相当な寂しがり屋らしく休日も職場の仲間と絡みたがったし、俺達同期(だけでなく今時の日本の若造)に言わせればかなりうざいし面倒くさい奴、ということが分かってきた。高校時代よほど仲間に恵まれたのか当時の再現を俺達に求めているような節があり、宇田は「お前の理想を俺らに語るな、チラシの裏にでも書いとけ、って言ってやりたい」と陰口をたたいた。
そのうち、同期の紅一点で美人だが性格の悪い斎藤あっちゃんにスタちゃんが片思いしているらしい、とみんなが噂し始めた。好意をほのめかすようなことを繰り返してますますうざがられ、とうとう宇田とあっちゃんがお互い好きでもないのにつき合い始めた。あっちゃんはスタちゃんに諦めてもらうため、宇田は傷心のスタちゃんを見たいという好奇心から、ただそれだけの理由だった。
入社二年目の梅雨の頃、スタちゃんにとって一番辛いことがあからさまにされ、少し前から孤立無援の状態になっていた彼は会社を去った。それで勢い余って、ネットで見つけたとかいうかつてのホームステイ先と同じ県にある街、まさに俺が今乗っているローカル線の駅から車で三十分ほどかかる限界集落、に移住してしまったのだ。斎藤あっちゃんと宇田は「すごい。衝撃の結末」と大笑いし、すぐに別れた。
移住後の彼の様子はネットでの呟き(毎日欠かさず、しかも一日数回という頻度で呟き依存の様相を呈していた)で知ることができたが十月半ば過ぎに突然途絶え、翌朝「スタンリー君が亡くなった、実家の連絡先を知っていたら教えてほしい」と移住先の人から会社に連絡が入った。
アメリカ人の元社員が移住先で熊に襲われ同行者ともども亡くなってしまった、というニュースで社内が大騒ぎになったのはほんの半日ほど、だった。斎藤あっちゃんは「ほんと馬鹿」「最期まで迷惑な奴」などと軽すぎる中傷の言葉を並べ立て、彼を面罵したこともあった、と悪びれもせずに打ち明けた。
それでも俺はスタちゃんの訃報に接して以来、彼のことを思い出すたびにどうも落ち着かないような気分になり、いつかその街に行ってみたいと思うようになった。「行ってどうする」とツッコミを入れる心の声もあったし正直なぜ行きたいのか分からず、俺自身が彼にどんな感情を持っていたのかも判然としなかった。さっきのおばちゃん三人への説明も、自分の中ではしっくりこないものだ。
そして半年経った今日、大型連休にかぶらない日程で有休を使い、二泊三日の予定でひとりこの地を訪れた、という訳だ。
「間もなく、
彼女達もこの変な名前の無人駅で降りたがそそくさと駐車場へ向かった、誰かの車に乗り合わせて帰るようだ。駅前の広場には、俺が待ち合わせた人、スタちゃんがお世話になった地域おこしグループのリーダーである益田さんの車が停まっていた。
「土間亀、って変な地名だろう。旧土田村と平間村、それから亀井村が合併して明治時代にできた村なんだ、それぞれの村から一字ずつとったからこんな変な名前になっちゃったんだね。昔はこういうネーミングって多かったらしいよ」
田舎の人だから「車で迎えに来る」といえば軽トラなのかな、などと勝手な想像をしていたが、益田さんの車はハイブリッド車だった。俺を見つけて運転席から顔を出し、助手席に乗るよう促した彼の第一印象はいかにもそういう車に乗りそうな人、だったが、聞けば彼自身首都圏からUターンしたのだという。生まれてから高校卒業まで過ごした土間亀に四十代前半の頃に戻り、当地で採れた農作物や工芸品をネットで販売するという仕事を始めてから十年近く経つという。俺と同業者、という訳だ。
「えーと。お仕事と並行して地域おこしとか、そんな感じのことを」
「そうだね。生まれ育った場所だからここがド田舎だっていうのは分かり切ってるんだけど、あまりにも地元の人が、地元のことを何も知らないというかなんとも思ってないというか。
それで若い世代に声をかけて地域おこしグループを立ち上げたんだ、今は土間亀地区全体の各集落に会員が少しずついるぐらいの規模になったけど。まあ若い世代っていっても最年少は三十代後半で、平均年齢は五十超えてるんだな」
列車の中で言葉を交わしたおばちゃん達を否応なく思い出した、益田さんの活動はああいう空気との戦いでもあるのだろう。同時に、彼女達の笑いのツボは「先進的」なこと、つまり益田さん達が頑張っていることや、自分にとって馴染みがあるものに違和感を持つ人やその感情を
そんな中で、彼はどんな感じで暮らしていたのだろう。彼女達がスタちゃんを知っていたことやそのリアクションも思い出し無性に訊きたくなったが、まだ早いという認識もあった。
「まずは、亀井のお寺に行くから」交差点で、益田さんは右にハンドルを切った。そこは平成の大合併で某市の一部となった土間亀地区の中心部で、益田さんが暮らし、またスタちゃんが最後の日々を過ごしたのは
「お寺ですか」
「彼は、まだそこにいるから。
事故があった時、君の勤務先から連絡先を教えてもらってアメリカの実家に電話したんだ、中学の英語の先生に通訳をお願いして。でも親御さんは今に至るまでここには来ていない。先に火葬を済ませたことだけ報告したら『そうですか』って、それっきりでね。
当然キリスト教徒だっただろうし、そういうのも含めてかなり戸惑ったけど、俺ひとりで片をつけちゃったんだ」
そんな話を聞いているうちに、立派な山門を構えるお寺に着いた。ここは列車に乗り合わせたおばちゃんの菩提寺、なんとかいう戦国武将の奥方が庵を結んだお寺、らしい。そう思ったら、建物に威圧されているような気分になった。つっ立っている俺に、益田さんが「その辺の花でも摘んでいくかい。君も若いし都会の人だから、供養なんて言ってもピンとこないだろう」と声をかけた。そうですね、と俺は腰をかがめて野辺の花を摘んだ。いい天気で暖かかったから、それらを摘むだけで汗ばんでしまった。
お寺の向かいには田んぼが広がっていた。うんと先は山になっていたが、その手前はやたらきらきら光っている。あの辺には、棚田というのがあるそうだ。傾斜地を有効活用するために考えられたやり方なんだ、先人の知恵ってやつだね。益田さんが教えてくれた。スタちゃんも、こんな風に棚田というものを教わった瞬間があっただろう。その時、何を感じたのか。
益田さんも手伝ってくれて花束は完成したが、やはり花屋で調達したもののようにはいかなかった。「こういうのは気持ちだから」と言った益田さんの後ろについて俺は住職に挨拶し、本堂に通してもらった。その一角に、白木の骨箱がいくつか並んでいた。
「まだ納骨が済んでいない方のお骨を、こうやってまとめて置いているんですけどね。こちらに、ほら、スタンリーさんの」
ああ、と思った。やはり白木で作られた簡素な位牌に、彼のフルネームが書かれていた。戒名はつけていないそうだ。
「彼が亡くなったのは去年の秋ですから、今年が新盆。それまで実家の方が来なかったら、無縁の方達のところに一緒に入れてあげよう、と益田さんとお話を」
どういうことなんだろう、という言葉しか浮かんでこなかった。売り込みをかけて職を得たものの疎んじられ、傷つけられてそこを去り、新しい生活が始まった矢先に熊にかじられて死んでしまう。その後親に迎えに来てもらうこともなく、異国で土になろうとしている。俺も親との絆なんてものには自信がないが、うちの親なら俺が国外で死んだとしてもとりあえず迎えに来てくれると思う。どうせ世間体を気にしてのことだろうが、風習もなにも違う国の宗教施設に俺を放置、なんてことは多分しないはずだ。
俺は、自分でいうのもなんだが勉強はできない方ではなかった。親はそれを褒めてくれたが、そのたびに俺は「あさっての方向を向いて喜んでいる誰か」を見ているような気がしていた。彼らは彼らで、俺を自慢のタネにし大威張り、的な展望を描いていたようだ。親を喜ばすために頑張るのは癪だ、みたいなことを中学に入った頃から考えるようになった俺は親のイメージとは真逆の職に就くことを目標に就活をし、今の会社から内定をもらった。ネット業界なんて、彼らに言わせれば「煙みたいな仕事」なんだそうだ。
スタちゃんが入っている白い箱を眺めているうちに、そんなことを思い出した。そしてまた、ここに来るまでしょっちゅう感じていた落ち着かない気分が、ぶり返してきた。
車はさっきの交差点まで戻ってひたすら直進し、二十分以上かけてようやく茨沢集落に着いた。ここは旧土田村の外れの外れ、うんと昔は冬季分校さえあったのだという。益田さんの家に上がらせてもらい、奥さんが淹れてくれたコーヒーで一息ついた。
「あれが、さっきお寺の前で見た棚田だよ」益田さんが、縁側から見える山を指した。田植えを終えたばかりの棚田の段々がくっきりと見えた。まだ稲が小さいから、水面に光が当たれば反射するのだ。棚田と山を借景として手入れされた庭が広がっていたが、日陰には砂埃をかぶってよごれた雪がほんの少し残っていた。
「ああ。ほんと、車なしだときついでしょうねえ」
「そうだね、でも高齢者が多いからコミュニティバスの運行もあるよ。彼もそのバスの常連だったけど、俺や他の人が車に乗せてやるのもしょっちゅうだったな。そういう点も含めて手のかかる子だった、はは」
「そうそう、ここに来たばかりの頃に『ホームステイ中に通っていた高校に行ってみたい』って」奥さんが話し始めた。
「この人は忙しかったから、私が連れて行ってあげたんだけど。車で二時間近くかかるの、こっちは県境に近いでしょう。
それで、車の中でずーっと思い出話を。やっぱり、当時のことがあったからここに移住したのね。例えば東京の仕事が辛かった時にネットでこの県の情報なんかを見ていて、それで私達のサイトを見つけたのかしらね」
「結局、高校の友達とは」
「それがね、もう当時の先生もいなかったし、事前に部活仲間に連絡をとっていたけど誰からも返事がなくて。『それでも行ってみたい、誰かにばったり会うかもしれないし連れて行ってくれ』って。
いきなり行ってみたって誰がいる訳でもなくて、校舎を見てから駅前の通りなんかを散策して帰ってきたんだけど。『校舎も周りの景色も懐かしかった、ありがとう』って、口では言ってたけど」
「二、三日は沈んでたね」
「ほんと、しょうがないですね。でも寂しがり屋だったし、そういう我がまま、っていうか周りの人を振り回すところがあったし」
「あ、やっぱり」
三人で少し笑ったが、苦笑いにしかならなかった。
「君、ここでの彼のことを知りたい、と思って来たんだろう。暮らしぶりというか、ここでの様子というか」
「はい」
なぜか一度息を吐いてから、益田さんは言った。
「茨沢にも、お寺がない訳じゃないんだ」
いくら土地勘がないといっても、まずはそこに気づかなければいけないだろう、と彼は言いたげだった。
「もう一人、犠牲になっただろう」
その人はじめ集落内のほとんどの人にとっての菩提寺がすぐ近くにあるが、喪主となった息子もお寺の住職もスタちゃんがそこで弔われることを嫌がり、益田さんに「あんたが連れてきたようなものなんだから、あんたが何とかしてくれ」と告げた。益田さんは土間亀地区全てのお寺に交渉するため駆けずり回る羽目になり、ようやく先ほどのお寺に受け入れてもらった。しかも最悪の場合は無縁仏にするしかない、というおまけつきだ。
「みんなに『あんたも大変だけど、親が迎えに来ないのも分かるような気がする。そういう子だったんだろう』って言われちゃってさ」
「そうね。可哀想だけど、はっきり言うと悼むような声は、全然。島崎のお母さんが『彼が駄々をこねたから山に入る羽目になったんだ、それがなかったら』って。彼女が一番大変だったんだもの」
「島崎さんっていって、還暦過ぎたばかりでほんとに面倒見のいい、元気なお父さんだったんだけどさ。俺が立ち上げたグループも茨沢に賛同してくれる人がほとんどいなかったから土間亀全体に広めていったようなものなんだけど、島崎さんはこの集落で最初に賛同してくれた人だった。俺も頼りにしていたし、彼もね」
「あの。彼は、地域おこしっていう概念、理解してました?」俺は訊いてみた。
「ああ。そこなんだよねえ」
益田さんのサイトでは、はっきりと「地域おこし」のためのグループだ、とうたっている。移住を誘うような無責任なものではないし、サイトを見て移住を決めた人がスタちゃん以外にいたとしたら、暮らしていくうちに当地での自分のあり方ぐらい考えるだろう。そういうことを、彼はどの辺まで理解していたのか。
「サイトの方に問い合わせをもらったのが去年の春先で、初めて会ったのは五月の連休中、東京でだったんだ。俺がそっちに遊びに行ったついでだったんだけど。はじめは『いきなり移住したいなんて言われても困る』と告げるつもりだったんだ。
移住して何をやりたいか、って訊ねてみたら『分からない。でもみんなの役に立ちたいし、仲よくしたい』って。東京から逃げたいだけ、ととれるようなことも言ってたね。これはますます危険だ、と思ったけど、帰りに追っかけてきちゃったんだよ」
島崎のお父さんに相談したら「邪険にせずに一旦受け入れてみてはどうか。集落に新しい風が入ってくるのは喜ばしいことだ、こっちでの暮らしぐらいなんとでもなる」という答えが返ってきた。そう言われたら、グループの責任者としては突っぱねることもできない。それであっという間に話が進み、スタちゃんは茨沢に移り住んだのだ。彼は茨沢に来た二人目の移住者で、実に五年ぶりのこと、だった。外国人という物珍しさもあって最初はあたたかく迎えられたが、疎んじられるようになるのに時間はかからなかった。
島崎さんはじめ地域おこしグループのメンバーは「土間亀を一緒に盛り上げていこう、頼むよ」とスタちゃんに言い、次第にそれは「口を
ある時、グループの一人がスタちゃんに「土間亀に何をしに来たのか」と訊ねた。「正直なところよく分からない、何をしたらみんなに好かれるのか」という答えが返ってきて驚いていたら「でもみんな優しくて感謝している、ここにずっといたい」と続けた。スタちゃんに疑問をぶつけた人は「滅茶苦茶だな」と怒っていたそうだ。
そして秋、スタちゃんは「茸採りに連れて行ってほしい。みんなを驚かせるぐらい沢山採るんだ」と言い出した。熊のことを説明し諦めさせようとした島崎さんに「みんなに喜んでほしいんだ。一緒に行こう」と懇願して二人で山に入り、とうとう最悪のことが起きてしまった。
お父さんが地域おこしに入れこみ過ぎることがたまの夫婦喧嘩の原因になって、と話したことがあるという島崎のお母さんは「甘えられて頼られて、挙句に命まで持っていかれた」と通夜の席で号泣し益田さんの焼香を拒んだし、冬には地域おこしグループは存続の危機にまで追い込まれた。それでも他のメンバーの頑張りもあってようやく挽回し始めた、というところなんだそうだ。
「グループの方はこういう失敗があって今後ちょっと臆病になりそうな気配もあるけど、なんとかなりそうなところまできてはいる。でも島崎のお母さんとはそれっきり、だ」
スタちゃんの訃報が会社にもたらされた時、斎藤あっちゃんが遠く東京から「最期まで迷惑な奴」などと吠えていたのはあながち間違いではなかった、どころかそのまんま、だった。大きな犠牲が出たものの、益田さん達が移住者の受け入れに関して今後ちょっと慎重になればいいだけの話、と考えることもできた、活動自体はとても意義深いことなのだからなおさらだ。
「私ね、あの子は寂しかったんじゃないか、って思うの」
益田さんの奥さんが唐突に言った。「高校時代の幸せな状況を再現できれば、という思いで、ここに来た訳でしょう。きっとね、ホームステイした時に初めて『幸せだ』って感じたのよ。でももう昔には戻れない、みたいなことを悟って、どうすればいいのか分からなくなったのかもね。
高校に連れて行ってあげた時に『親御さんは日本に遊びに来たりしないの』って訊いてみたの。あの子、『一度も来たことない』って言ってた。それから『別にいいみたい』って。その言葉の意味、亡くなった時にやっと分かったんだけど。
あんな大きな子供みたいで、甘えん坊でね」
「あの。なんかちょっと、可哀想な奴、っていうか」
「うん。多分そうよ」
ここまで知りたくはなかった、と思った。そのために心を擦り減らして、という人生だったのか。そんな事情などすっ飛ばして「迷惑かけっぱなしの馬鹿」と思い続けている方がよほど気が楽だ、誰かを巻き添えにして亡くなったという事実は変わらないのだから。
それでも、スタちゃんはまるっきり馬鹿で理解不能な奴だった訳でもなければ危険人物だった訳でもない、理解の範疇にある何かに突き動かされてああいう奴になってしまっていただけだった。しかし俺達は「うざい」だの「面倒くさい」だの、最近流行りの、といってもいいような薄っぺらい感情で彼をジャッジし疎んじ、安住の地になったかもしれない場所からいびり出してしまった。
たしかに、特に俺達世代には受け入れがたいものを平気でぶら
一方で、彼に全く非がなかったという訳でもない。彼もまた、日本での生活の中で受け入れるべきものと捨てるべきものをはっきりさせなければいけなかった、というのはある。きっと、彼自身とんでもなく居場所づくりが下手な奴で、彼が出会った人間全員ひとり残らず居場所を与える(あるいは人を理解する)のが下手な奴ばかり、だったのだろう。いろんな出会いがあった中で最高に馬鹿げた化学反応が起きてしまった、それがスタちゃんの人生であり死だった、のかもしれない。
彼だってもう少し賢く生きてみれば、パズルのピースがはまるように居場所を見つけることができたかもしれないのだ。それは東京でも茨沢でもなかった可能性だってある。でも、もう遅い。後々までの語り草になるようなアクシデントとともに、スタちゃんの短くも不毛過ぎる旅は終わってしまった。
落ち着かない気分が、お寺で骨箱を見た時よりもさらに強くなっていた。そうなっている本当の理由が、次の瞬間に分かった。
俺だって、似たようなもんじゃないか。
そこだった。俺自身、彼にどんな感情を持っていたのか。馬鹿だの面倒くさいだのと言われていた元同僚が亡くなった場所、俺にはなんの関係もないはずの場所を訪れたいと半年も思い続け、金と時間を使って今それを実行しているのはなぜなのか。
俺はスタちゃんを見て、心のどこかで自分に似ていると思っていたし(寂しさとか寄る辺なさとか、をむき出しにするかしないか。その程度の違いだ)、自分によく似た彼という人を半ば見殺しにしたことを恥じ、詫びるために当地を訪れなければ、と思っていたのだ。
そんなことを今さっき出会ったばかりの人にいきなり語り出す度胸など、俺にはなかった。異国で命を落とした哀れな元同僚を偲ぶつもりで来たのに真逆の気分になるような話を聞かされたこと、スタちゃんの人生って何だったんだろう、と思ってしまったこと。ちょっと辛いというか、味気ない気分になりました。ということにしておこう、と思った。それはそれで嘘ではなかったし、ここで本音を打ち明けたら俺まで面倒くさい奴になってしまう。
益田さんも俺がもう懲りたような気分になっているのを、横顔から読み取ったようだ。もう少し長居させてもらっていろんな話を聞くつもりでいたが、もう聞きたいことなどなかった。
彼は「駅まで送ろうか」と言ってくれたが、俺はタクシー会社の電話番号を教えてもらい、ちょうど下校時間帯に来る列車に間に合うようにすぐ茨沢を後にした。駅前のコンビニで缶ビールとつまみを買いこんで俺が乗ったのは、昼間来たところを引き返すやつではなく逆方向に向かう列車だった。来る時に見た景色をもう一度見るのが、なぜか怖かった。
ビールを飲んだらちょっと寝よう、これ以上余計なことを考えてしまわないように。そんな気分だった。
スタちゃん 中野徒歩 @yabu_neko
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