第4話 泥棒は幸せな独立の始まり

「すべてはボストン港での事件が奴らを図に乗せてしまったのだ……テロリストどもはまだ見つからんのか!?」

「はい。ボストン市民は連中に同情的です。ほとんど証言が得られません」

「くっ……植民地の下等市民の分際で……。首謀者はわかっておるのだ! ワシントン家のじゃじゃ馬はまだ見つからんのか!?」

「はい。噂によれば、すでにボストンから脱出した模様です」


直立不動で総督付きの副官は返答した。


「ならば……両親を呼び出して締め上げろ! 家族が人質となれば、小娘とて見殺しにはできまい」


(下衆め! それが栄えあるブリタニア帝国軍人の考えることか!?)


副官であるラングリッジ中尉はこみ上げる侮蔑の感情を押し殺し、無表情を保った。


「彼女の家族はすでに他界しており、本人がワシントン家の当主となっております。人質で圧力をかけるのは無駄かと」

「ちっ……。捜索を続行せよ! なんとしても小娘の行方を掴むのだ!」


アーガイル総督は副官が立ち去るのを忌々しげに見送り、椅子に体を投げ出した。


(まったくわしのような名門貴族が、なぜ植民地で苦労せねばならぬ! ああ、ロンドニウムが懐かしい……)


総督はデスク上の葉巻箱ヒュミドールを開け、ダンヒル製の葉巻を口にくわえると、いらだたしくマッチを擦った。ゆっくりと息を吸いながら葉巻の先端を焦がさないように炙る。やがて漂い始めた芳醇な紫煙の香りが、ささくれた総督の心を鎮めてくれた。


(さて……。首謀者のあの小娘さえ本国に差し出せば、わしの地位は安泰。あと1年で夢の退役生活を楽しめるのだ。1日中ガーデニング三昧、釣り三昧……このささやかな夢は誰にも邪魔はさせん!)


               ***


「と、言うわけで。私たちの大天使アーク・エンジェルを動かすためには、ブリタニア軍の高品質な石炭が必要なの。ついでにいろいろ武器弾薬もいただきましょう。作戦の指揮はフレッド、お願い」

「了解した。これを見てくれ」


ケープ・コッドの洞窟内の円卓には10数名の男女が集まっていた。その目の前に、フレッドはここ数日間の偵察で作成した地図を拡げた。地図はもともと独立運動を目指す市民からなるテロリスト集団「自由の子ら」のメンバーが作った物だった。そこに正式な軍事教育をうけたフレッドならではの注釈が大量に追記されている。


「まず、ここを見てくれ」


フレッドは地図の両端、見張り塔を指し示した。


「夜間の警備は4名。この見張り塔に詰めている」


そして胸ポケットから小型の手帳を取り出した。


「歩哨の巡回サイクルは1時間ごと。よって今回の石炭強奪作戦は1時間以内に終わらせる。ベンジャミン、例の物を」

「はーい」


 ベンジャミンは一枚の設計図を取り出した。徹夜したらしく、目の下にくまができている。だが瞳はまるでとっておきの宝物を見せるときのように輝いていた。図面には先日の輸送船の前面を改造し、荷車を直接載せられる上陸用の木板を滑車で降ろす装置が描かれていた。言わば現代で言うところの「強襲揚陸艇」である。まさにベンジャミン・フランクリンの天才的な先見性の発露であった。しかも、その巻き上げにはアーク・エンジェルが使われる。当初そのアイデアを聞いたフレッドは渋い顔をしたが、鎖を引き上げたり伸ばしたりという単純な動作のみであれば低品位の石炭でも駆動は可能であることはわかっていた。


「フレッド達には陸上側から潜入し、港の見張りを担当する当直兵を倒してもらう。それがうまくいったら、僕はこの船を港に入れる。そして高純度石炭を頂いて、みんなで海から脱出という手順だよ」


フレッドはうなずき、地図に指を滑らせた。


「襲撃する見張り塔はここ。そして合流地点はこの……石炭置き場に近い3番埠頭だ。ベンジャミン、装置の完成は?」


 ベンジャミンはちらりとマーサに視線を送る。彼女は菫色の瞳をまっすぐに彼に向けていた。そしてその目は期待に輝いている。ベンジャミンは軽く肩をすくめた。


「3日はかかる……と言いたいところだけど、僕たちのリーダーは許しちゃくれなさそうだ。明日の夜には間に合わせるよ」


               ***


ブリタニア帝国第三王女、プリンセス・オーガスタ・ソフィア・ブリタニアは植民地総督府の一室から中庭を見下ろしていた。その眼下では、きらびやかな赤揃えの騎兵と長銃を掲げて行進する歩兵の一隊が出立しようとしている。彼女は苦笑とも軽蔑とも取れる表情を浮かべていた。


「テロリストどもは蒸気精霊騎を手に入れたのだぞ? 騎兵や戦列歩兵など相手になるはずもない。時代遅れの俗物め」

「植民地総督閣下に警告はされないのですか?」


そう答えたのは白磁のティーカップとティーポットを持ち、影のように彼女のそばに立っていた片眼鏡の男……彼女の副官だった。


「我らを侮辱したあの醜い豚をなぜ助けねばならぬ? 奴が掘った墓穴に土を投げこむことならば喜んでやるが」


彼女は副官が差しだしたティーカップを優雅な手つきで受け取り、一口飲んだ。


「グラム、また腕を上げたな? 蒸気精霊騎の執事バトラーを辞めても本職の執事バトラーが務まりそうだ」

「恐れいります」

「今日の茶葉はアッサムか」

「ブリタニアの茶商、フォートナム&メイソンの献上品です」


グラムと呼ばれた副官は片眼鏡を光らせ、一礼した。ソフィアは目を閉じて、カップから漂う香気をしばし楽しんだ。


「やはり紅茶はブリタニア帝国製にかぎる……アメリア商人の紅茶など飲めたものではない。特にあの『ティーパック』とかいうバカげた品。色がつくだけで味も香りもしないではないか」

「御意」


満足気にソフィアはうなづき、また中庭に視線を戻した。


「植民地の者どもは帝国に一太刀浴びせたことで祝杯をあげているだろうが……私のファブニールが届けばすぐに帝国の真の力を思い知る。連中に束の間、夢を見せてやろうではないか。帝国からの独立という、うたかたの夢をな」


そして彼女は目に見えぬ敵を嘲るように、ティーカップを空へと掲げてみせた。そしてゆっくりと香り高い蜂蜜色の液体を飲み干した。それを見届けた後、執事は静かに声をかけた。


「……殿下。本国より書状が届いております」

「書状? 誰だ?」

「皇帝陛下でございます」


 相変わらずの無表情を崩さず、グラムは豪奢な金箔と獅子の封蝋が施された書状を差し出した。受け取ったソフィアは渋面を作りつつ、ペーパーナイフで封を切った。一読して天を仰ぐ。


「やれやれ……本国への召還状だ。私の口からアメリアの状況を聞きたいらしい」

「御意」

「さすがの父上も戦艦5隻は看過できぬということのようだな。帝国議会で弁明せよとのことだ。まったく、頭の固い老人どもの相手など……」


ソフィアは首を振り、軽くため息をついた。


「まあ、良い。文明の香りが懐かしくなっていたところだ。ただちに帰国の準備をせよ」

「承知しました」



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蒸気騎士物語 夏川 修一 @isoroku17

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