第3話 帝国の高慢と偏見
『昨夜未明、マサチューセッツ植民州ボストン港でテロリストによる破壊活動が発生し、ブリタニア帝国の戦艦5隻が壊滅させられた模様。複数の目撃者の証言によると、その被害は旧大陸の最新型兵器<
マーサ達のテロ活動は、ブリタニア帝国植民地総督府の激烈な反応を引き起こした。ボストン全域に戒厳令が敷かれ、すべての市民は夜間の外出を禁止されたのである。またブリタニア帝国側によるテロリスト捜査も同時に始まった。
だがボストン市民の大部分は捜査に非協力的だった。取り調べに対して、皆が口を揃えて次のような冗談を口にした。
「ボストン港に茶箱が捨てられて、ブリタニアの船が沈んだ? そいつは最高の
その結果、この事件はいつしか「ボストン茶会事件」と呼ばれるようになった一方、事件から一週間がたったいまも犯人の行方は知れなかった……。
***
ボストン港を見下ろすブリタニア帝国植民地総督府。コロニアル形式の巨大な尖塔が屹立し、広大な中庭を持つその建物の一室で、中年の男性と少女が対面に配置された応接用ソファに向かい合うように座っていた。着席する少女のかたわらには片眼鏡をかけた青年が直立して控えている。少女は先のボストン港で指揮をとっていた軍人であり、また青年はその際の副官であった。
やがて、イライラとした表情で葉巻をかみしめていた中年の男は、乱暴に葉巻を灰皿に押しつけ揉み潰した。そして血走った目で少女を睨みつける。
「……ソフィア皇女殿下。皇帝陛下より賜った戦艦5隻を失い、あまつさえ貴重な戦利品までテロリストどもに奪われるとは殿下とは思えぬ失態ですな」
内心の怒りを抑えるため、少女は大きく息を吸って視線を窓の外へ送った。
(……犯人を捕まえられぬ自らの失態を私に押しつけようと言うのか。武装させただけの商船を『戦艦』と呼び、誰も動かせなかった
沈黙を保つ彼女を見て、植民地総督サー・アビゲイルはさらに非難の言葉を浴びせようとした。
だが、総督は顔をこちらに向けた少女の表情が憤怒に燃えているのをみて、己の失敗を悟る。自分は踏んではならぬ虎の尾を踏みつけてしまったのかもしれない。ゴクリと唾を飲み込む音が室内に響いた。
少女が口を開こうとした瞬間、室温を氷点下と化す冷徹な声がそれを遮った。
「帝国直轄港たるボストン港で暴徒が野放しになっていた責任について、総督閣下のお考えをお聞かせ願いたい」
その明確な意志を持った非難に、総督は反射的に怒鳴った。論理的かつ道理をともなったその非難に対して、弁明の余地はなかったからだ。
「っ!? ……ぶ、無礼者め! 副官風情が口を挟むな!」
「……失礼。とにかく、植民地自治政府への対応と暴徒の鎮圧に忙しい総督閣下のお時間をこれ以上いただくわけには参りません。殿下も本国への報告書作成がありますので、これにて失礼致します」
「は、話は終わっておらぬ……!」
だが少女の副官は意に介さず、総督室の扉をうやうやしく開け放った。少女は軽く頷き、部屋を出ていく。皇族に触れるわけにもいかず、それをアビゲイル総督は歯噛みしながら見送るしかなかった。
***
総督府内に与えられた豪奢な客室のデスクの革張りの椅子に、少女は身を投げ出した。そして天を仰ぎ、大きくため息をつく。タイミングよく、副官は湯気の立つ紅茶を注いだ白磁のティーカップを差し出した。少女は表情を緩め、その香りに目を細める。そして意地の悪い笑顔を浮かべ、青年に毒づいた。
「植民地の総督など現地の土民相手に威張ることしか知らぬ豚だな。おまえが口を出さなければ、あの気色悪い顔を叩き潰してやるところだったぞ?」
「殿下の名声に傷がつきます。捨て置くのが最上かと」
「まあ良い。それよりも……あの
「……わが軍の制式蒸気精霊騎ワイヴァーン・シリーズを基準とした場合、およそ6対1はあろうかと」
「プロイセナがこれほどの技術力を持っていたとは……情報局の怠慢だな。報告書は?」
「すでに。あとは殿下のサインをいただくのみです」
差し出された報告書を一瞥し、少女はなにごとかを書き加え、最後に自らの署名を記した。片眉を上げた副官に唇の端を吊り上げてみせる。
「蒸気精霊騎6騎と精霊騎士5人を送れと書き添えたのだ。
「総督を手助けする……と?」
無表情に問い返した副官に少女は怒りの顔を見せた。
「バカな! 名誉にかけて、我が艦隊を壊滅させた敵を倒すのだ! 私とて精霊騎士……『ファブニール』さえあれば不覚を取ることはなかった! そうではないか、わが副官にして
「御意」
一礼する副官に少女は満足そうに微笑むと、書類に蜜蝋を施した。
***
「そろそろこの場所も嗅ぎつかれるかしらね」
ボストン近郊のケープ・コッド岬の洞窟。ボストン茶会事件から一週間、マーサ達はこの南北の潮流が衝突し、航行の難所として船乗り達に忌避されるエリアに潜んでいた。
「どうだろう? ウォーレン博士からの連絡はないけど」
片膝をつく形で洞窟の中にたたずむ鋼鉄の巨人……
「……よし、接続完了。フレッド、バルブを開けてくれる?」
ボイラーのそばにいたフレッドは軽くうなずき、分厚い耐熱グラブをはめた手で巨大な回転バルブを回し始めた。鼓膜を震わす鋭い噴出音とともにボイラーで製造された蒸気が巨人の体内に供給され、各パーツがゆっくりと回転を始める。その様子を満足げに見下ろし、ベンジャミンは梯子を降りてきた。
「手持ちの部品でなおせる程度の故障で良かったよ。錬金術系のパーツは新大陸じゃ手に入らないからね」
「いや、蒸気精霊騎を修理できるとは……たいした腕だ」
フレッドは感心した様子でベンジャミンを見た。赤毛の少年は軽く肩をすくめる。
「以前、ブリタニアに留学していたからね。その時の専攻は化学だったけど、実験装置を組むのに基礎的な機械工学系の知識は身につけておいたんだ」
「……基礎的?」
フレッドは首を傾げた。蒸気精霊騎は機械工学をかじった程度で手に負える代物ではない。各国における最高の軍事機密であり、超一流の蒸気技師かつ錬金術の素養を持つ者だけが取り扱えるはずだった。
「……貴公にはいろいろと秘密があるようだ」
「それは君も同じだよね?」
一瞬、二人の視線が鋭く交錯する。だが、会話を続ける二人の間にマーサが身体ごと割り込んできた。
「それで、この子はもう戦えるの?」
「こ、この子……!?」
フレッドはマーサの発言に意表をつかれたが、まったく違和感を感じていないらしい彼女の表情に沈黙を守った。ベンジャミンが赤毛の先端をいじりながら巨人を見上げた。
「補修は終わったけど燃料がなくてね。蒸気精霊騎を動かすには駆動用だけでなく、精霊を召喚するための触媒となる高純度な石炭が必要なんだ。民間用には出回ってないから……」
「なるほど。ブリタニア軍から奪え、ってことね」
「……まあ、そうなるんだけど」
妙に嬉しそうな顔をするマーサにベンジャミンは頭をかいた。さすがに見過ごすことができず、フレッドは口を開いた。
「蒸気精霊騎は国家正規軍規模の運用・補給体制を必要とする。……失礼だが、一テロリスト集団の君達では扱いきれないだろう」
「あら、言ってくれるじゃない。じゃ、私達がただのテロリストではない、と言ったら?」
「……」
沈黙したフレッドを満足げに見上げたマーサは、腰のベルトに留めた皮鞄から一枚の書類を取り出した。
「これは……植民地自治政府の任命書? 宛先は……」
「そう! 私は大陸政府軍ボストン方面遊撃部隊司令官、マーサ・ワシントン将軍ってわけ。今回の作戦も私の家の商売を邪魔された腹いせ……も多少あるけど、ブリタニアを戦争に踏み切らせる挑発行為の一環よ。大陸政府には根回し済みなの」
「まあ、独立には硬軟織り混ぜた交渉が必要だからね。これまでは非公式に政府要人に接触したり、帝国議会への請願などの穏便な手段をとってきたけれど……そろそろ実力行使も必要という点で、僕も賛成したんだ」
蒸気精霊騎のコクピットにあったマニュアル類を拡げ始めたベンジャミンが顔を上げて補足する。フレッドは軽くため息をついた。
「ブリタニア帝国を相手に戦争する……途方もない話だな。相手は世界の覇権を握る巨大帝国だ。勝算はあるのか?」
「勝算なんて関係無いわ。ただ私たちは、奴隷のように支配され続けるのを望まないだけ。私たちは自由に生き、自由に死ぬ。帝国の連中を肥え太らせるために存在するのはまっぴらよ」
マーサは燃えるような瞳を、まっすぐにフレッドに向けた。
「勝算がまるでゼロ、ってわけじゃないよ。ブリタニアはここ10年続いた植民地獲得戦争で国力が一時的に低下している。この機を逃せば、当分かの帝国につけいる隙は無くなってしまうだろうね。帝国内に広がる厭戦気分と大西洋という物理的な距離……これはアレクサンドロス、ハンニバル、孫子の時代から変わらぬ弱者の味方だけど……をうまく使えば、戦争をこちらに有利な形で終わらせられる可能性はある。そして今、君と
フレッドは眩しいものでも見たかのようにマーサとベンジャミンから視線を外し、倉庫に佇む鋼鉄の騎士を見上げた。
(まさか、ふたたびお前と戦う日が来るとはな……。だが、『彼女』はもういない……)
脳裏に浮かんだ美しい女性の面影を振り払い、フレッドは二人に向き直った。
「わかった。君たちの戦いに参加しよう。私の本名はフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン。プロイセナ帝国の元軍人だ。そしてこの機体は私がかつて乗っていた試作型第4世代蒸気精霊騎『アーク・エンジェル』。あらためて、よろしく頼む」
「ふ、フリードリッヒ・ヴィルヘル……長すぎるわよ! 私はこれまで通り、フレッドって呼ぶわ。いいわね?」
「同じく。よろしく頼むよ、フレッド」
マーサとベンジャミンが差し出した手を、一瞬躊躇してフレッドは握った。内心こんなことを考えながら。
(正式にはフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ルドルフ・ゲアハルト・アウグスティン・フォン・シュトイベンだ……というのは黙っておこう)
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