第2話 テロリストたちの騒々しい夜

二人が出会ってから三日後、駅馬車がマサチューセッツ州の州都ボストンに到着したのは夕暮れ時だった。二人が街の入り口の駅馬車の溜まり場で降りると、出口ではみごとな四頭建ての馬車と御者が待っていた。馬車の天蓋の四方には、翼を広げたワシの紋章のレリーフが取り付けられている。


マーサにうながされ、フレッドも馬車に乗る。その内装は駅馬車とは比べ物にならない豪奢なものだった。贅沢なクッションがしかれ、調度のそこここに黄金が使われている。一瞬フレッドは目を見張ったが、その後は慣れたものかのように落ち着いた表情で外を眺め始めた。その様子を見たマーサは、少し面白くなさそうに頬を膨らませた。


「初めてうちの馬車に乗ると、たいていの人はうろたえるのだけど……あなたは随分落ち着いているのね。もしかして、こういうのに乗り慣れてる? 旧大陸では貴族だったのかしら?」


フレッドは苦しげに目をそらした。


「……すまないが、答えることができない。答えれば、君に迷惑がかかる」

「ふーん……プロイセナ帝国に追われてるの?」

「やはり私は早々に立ち去るべきだ」


やおら馬車の扉を開け、外に飛び降りようとしたフレッドをマーサは慌てて抱きとめた。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! うちなら大丈夫だから! だいたい、あなたみたいに不器用な人、あっという間に野垂れ死ぬわよ? そうなったら、せっかく助けたのに寝覚めが悪いじゃない」

「しかし……」

「旧大陸列強だろうと、うちには簡単に手は出せないから。とにかく、一晩だけでも落ち着いて考えましょ?」

「……了解した。今夜だけは、お言葉に甘えさせていただこう」


ようやく座り直したフレッドにマーサはやれやれと肩をすくめ、馬車の窓から見える風景へ目を移した。


ボストンはブリタニア帝国の直轄港であり、木造と石造りの家屋がひしめいている。港を見下ろす丘には、巨大なブリタニア帝国植民地総督府が屹立していた。家々から漏れるランプの光が街路を暖かく照らし、夕食どきらしく魚介類を煮込むスープの香りが潮の香りと入り混じっていた。


「着いたわ。部屋ならたくさん空いてるから……好きなところを使って」


マーサの家は街の中心部に位置する大邸宅だった。石と鉄で趣向を凝らした門をくぐり、美しく整えられた芝生の間を抜けると、雨に濡れぬよう巨大な屋根を張り出した玄関の前に着いた。幾台もの馬車が止められるであろう広々とした円形の車止めで馬車を降りると、揃いの制服を着た従者達が待っていた。メイド達に付き添われてマーサが奥へと消えると、残されたフレッドに執事が話しかけてきた。


「お客様、どうぞこちらへ」

「……」


執事に軽くうなづきつつ、フレッドは豪壮な屋敷の内部を見回した。二階へと続く華麗な螺旋階段の踊り場正面の壁には、小型ボートでどこかに上陸する老若男女の一団を描いた巨大な絵画が飾ってあった。


「あれは?」

「当家の先祖の皆様でございます」


近づいてみると、「新天地アメリアに上陸するピルグリム・ファーザーズ」と書かれた銘板が額縁に埋め込まれていた。


(新大陸アメリア屈指の……名門のお嬢様、か)


部屋に案内され、一人になったフレッドはキングサイズのベッドに倒れこむと、すぐに眠りについた。


そして深夜。


音も立てずにフレッドの眠る部屋の扉が開き、小柄な人影が忍び込んできた。その人影がベッドサイドに近づいた瞬間、ぐっすりと眠り込んでいたように見えたフレッドはバネ仕掛けのように人影に襲いかかった。一瞬で相手の背後に回り、枕の下に隠していたペーパーナイフを人影の首元に突きつける。


「何者だ?」

「ちょっ、ちょっと! 私よ! マーサよ!」


押し殺した声で抗議する彼女を解放し、フレッドは首をかしげた。


「……君か。どうした?」

「あなたに手伝って欲しいことがあるの。ついてきて!」


そう囁くと、 彼女は強引にフレッドの手を取り、部屋の外へ向かった。


(……事情は分からないが、彼女には助けられた恩がある。それに……困っている淑女を助けるのは騎士の嗜みだろう)


そんなことを考えていたフレッドは、屋敷の裏手に待っていた馬車に案内された。まだ少年と言っていい御者にマーサが声を掛ける。


「準備は? みんな、集まってる?」

「バッチリ。脱出用の船も用意してあるよ。……あ、君が、マーサがスカウトしたフレッド? 僕はベンジャミン・フランクリン。よろしくね」

「あ、ああ……よろしく頼む」


(私はスカウトされた……のか?)


くったくなく差し出された手を、フレッドは内心戸惑いながら握り返した。その様子を見ていたマーサは、待ちきれないかのように荷台に飛び乗った。


「挨拶はあとよ! さあ、ブリタニアの悪徳商船に向かって全速前進! 連中の紅茶なんか海の藻屑にしてやるんだから!」

「……紅茶?」


あとに続いたフレッドが首をかしげると、ベンジャミンが微笑みつつ馬車に鞭を入れた。ゆっくりと馬車が動き始める。


「ブリタニア帝国の『茶法』は知ってるかい? 紅茶の販売に税金をかける法律なんだけど。ところが新しい法令で、ブリタニア籍の商人は無税になったんだ。つまり……」

「ブリタニア商人たちだけが、安値で紅茶を売れるってわけ。それって、あまりにも不公平でしょ? だから私たちが連中に『天罰』をくだしてやるの!」


話しているベンジャミンに覆いかぶさるかのように、マーサが二人の間に割り込んで胸を張った。やれやれと言うようにベンジャミンは首を振った。


「まあ、そんなわけで僕たちは連中の商船に忍び込んで、積荷の紅茶を海に投げ捨てにいくのさ。水先案内人は買収済みだし、上陸中だからほとんどの乗組員は下船してるはず。たぶん君の銃の腕を見せてもらうことはないと思うよ」

「そうそう! 例の変装グッズは用意してくれた?」

「幌の中にあるよ。マーサが着替え終えたら、君もどうぞ」


マーサが幌の中に入るのを見送り、フレッドはベンジャミンの横に座った。


「変装グッズとは……?」

「ああ、インディアンに化けて忍び込むってマーサが言うからね。フェイスペインディング用の絵の具と頭につける羽飾り、革製のベストなんかを用意しといたんだ」

「……」


フレッドは首を振って座席に沈み込んだ。ここはどうやら、流れに身を任せるしかないらしい……。


やがて闇の向こうに港が見えてきた。港にはすでにインディアンに変装した男女数名が待っていた。そして到着した馬車から、華麗な身のこなしで同じくインディアンに扮したマーサが降り立った。


「みんな、お待たせ! 準備はいい? さあ、ボストン港を巨大な『ティーポット』に変えるわよ!」


彼女の言葉に集まっていた男女は一斉に頷き、次々と目標の商船に乗り込んでいった。


フレッドも渡されたインディアン風のベストと羽根飾りを手に取った。実際に数ヶ月を彼らと過ごした身からすると、その出来はデタラメな代物だった。本来は羽根飾りにも、衣服の文様にも、フェイスペインティングにもすべて意味がある。


「じゃ、僕は脱出用の船をとりにいくから。マーサのこと、よろしくね」


立ち去るベンジャミンに背中を軽く叩かれたフレッドはため息をひとつつき、すばやく渡された衣装を身に付けた。


マーサ達よりも一足遅れて商船へ乗り込んだフレッドは、甲板に降り立ってすぐに怪訝な表情を浮かべた。


(この匂い……火薬? なぜ、商船で……?)


「マーサ、この船は……」


おかしい、そう話しかけようと駆け寄ったとき、彼女は仲間たちと甲板の何かを覆うカーキ色のシートを引き剥がしていた。


「これがきっと紅茶の入った箱ね……あら?」


シートの下から現れたのは長大な鋼鉄の塊の一部だった。その白く塗装された表面には工業製品にあるような銘板が取り付けられており、翼を生やした大天使のレリーフと文字が浮き彫りになっていた。彼女はそれを読み上げる。


「……アーク・エンジェル? 聞いたことがない紅茶の銘柄ね。それに、なんでこんな大きな鉄の箱に……だいたい、蓋はどこ?」


彼女が鋼板を軽く叩くと、鈍い響きがした。同時にレリーフを見たフレッドの顔が夜目にもわかるほど蒼ざめる。


「マーサ、この船は危険だ! すぐに……」


だが、その警告は突然打ち上げられた照明弾の発射音にかき消された。耳を聾する破裂音とともに、船上にいたマーサたちは眩しい光に照らし出される。その煌々と輝く夜空を背景に、船の指揮所から見下ろす人影が浮かび上がった。


「どこのネズミが忍び込んだかと思えば……インディアンか。この船の『積荷』を見られたからには生かしておくわけにはいかない。射撃用意」


片手を上げたその人物の合図とともに、船内からブリタニア帝国海軍の水兵が次々と飛び出してきた。


「どどど、どうしよう……とにかく、みんな逃げて!」


硬直が解けたマーサが叫んだとき、すでにフレッドは鉄の固まりを覆うシートに潜り込んでいた。


「フレッド! そっちじゃなくて、海に飛びこむの!」

「下がっていてくれ」


フレッドの警告とともに、蒸気の噴出音がした。同時に鋼鉄の塊を覆っていた防水布が宙を舞う。そこに現れたのは全長8メートルほどの人型の金属塊……防水布を跳ね上げたのは、その腹部に開いた扉だった。


マーサは一昨年のパリ軍事博覧会の展示で、このような巨人を見たことがあった。旧大陸の戦場を駆ける最新兵器。戦争の有り様を一変させた兵士たちの悪夢。


「こ、これって蒸気精霊騎スチーム・パンツァー!? あなた、一体なにを……!?」

「君たちの撤退を援護する。ここは私に任せて、君も早く海へ」


だがその瞬間にも銃撃が始まった。マーサの周囲に弾痕が刻まれる。とっさにフレッドはマーサの腕を掴んで引き寄せた。


「仕方ない、君も一緒に!」


そして二人は真っ暗な巨人の腹部の穴に滑りこんだ。


「君は上部座席へ! ハッチを閉めるぞ!」


ハッチが閉められる間際にマーサが見たのは、ぎっしりと壁面を埋め尽くすメーターとスイッチ類。一瞬後には真っ暗闇となった空間の中で、彼女は手探りで座席らしき場所を探りあて、身体をねじ込んだ。


外からはくぐもった跳弾の音がした。鋼鉄の巨人……蒸気精霊騎の外部装甲は、ブリタニア帝国海軍の射撃を弾き返しているようだった。


一方、暗闇の中でフレッドは一人、目を閉じていた。


戦乙女ワルキューレなしで、どれだけやれるか……。だが、やむをえん)


ハッチが閉じると同時に、彼の座る操縦席の前に操作盤コンソールがセットされた。その中央に埋め込まれた虹色に煌めく宝石に触れると、ハッチの裏に設置された操作鏡面スクリーンに踊るような緋文字が浮かび上がる。


「〈……血を捧げよ〉」


懐かしくも忌まわしい、そのラテン語の定型文。彼は炎のようにちらつく文字を睨みつけ、左の親指を小さく噛み破る。


「血と魂を持って、我は蒸気精霊と契約する。我が名はフリードリッヒ・フォン・シュトイベン! 目覚めよ、アーク・エンジェル!」


フレッドが親指に滲んだ鮮血を輝石に押し当てた瞬間、巨人の胎内の暗闇は純白の光に満たされた。その輝きに照らし出され、操縦席の詳細が判明する。マーサは目を見開いた。フレッドがまるで慣れ親しんだものかのように、つぎつぎとスイッチ類をONにしていく。いくつもの丸型メーターの針がビクリと動き、巨人の体内のどこかでギアが噛み合う重々しい響きが聞こえた。


「フレッド! あなた、操縦できるの!?」

「……逆だよ。この機体は、操縦できない」


マーサの問いに振り向きもせず、さらにフレッドは迷いなく起動手順を進めていく。突然、目の前の画面に新たな緋文字が浮かび上がった。


〈主操縦士『フリードリッヒ・フォン・シュトイベン』を確認。副操縦士『ジークルーネ・ワット』は確認できず。蒸気精霊は貴下との契約を限定的に承認する〉


フレッドは操作鏡面の表示を横目で忌々しげに見つつ、操作盤上の厳重にロックされたカバーのひとつを指先で跳ね上げた。そしてあらわれた赤いスイッチを力をこめて押し込む。


〈蒸気精霊機関、起動開始。稼働可能出力域まで120秒。戦闘可能出力域まで180秒〉


巨人の体内で石炭が動力炉に投下される音がした。すぐにジワリとした熱が伝わってくる。召喚された蒸気精霊が巨人の全身を巡るシリンダーに充填され、各所に配置された巨大なギアを回転させ始めた。蒸気精霊エンジン特有の律動的な振動が操縦席を震わせる。


(早く……早く……)


唇を噛みしめつつ、2本の操縦杖を握りしめるフレッドの視界の端で、ついに蒸気圧力計が黄色域……稼働可能域に達した。


「アーク・エンジェル、発進する!」


彼のフットペダルと操縦杖を押し込む操作に反応し、鋼鉄の巨人はゆっくりとその身を起こし始めた。その身を船体に縛り付けていた鋼鉄の鎖は、まるでほつれた糸のように無造作に引きちぎられていく。それとともに外部の状況が操縦席を取り巻くスクリーンに映し出された。


                  ***


一方そのころ、船上で銃撃を命じた指揮官は唇を震わせ、指揮杖を握りしめていた。その横には片眼鏡をかけた副官らしき男が冷然と寄り添っている。


「馬鹿な! テロリストに〈精霊騎士〉がいたとでも!? いや、そもそもアレは誰にも起動できなかったはず……!」

「……閣下。水兵のマスケット銃で蒸気精霊騎を制圧することは不可能です。艦砲射撃の使用を具申致します」

「くそっ、また父上に叱られるか……仕方あるまい。総員退艦! 僚艦は照準用意! この船を撃沈させても構わん。蒸気精霊騎を破壊せよ!」

「御意」


副官は指揮所の伝声装置を通じて指示を伝えた。強力なブルズアイランタンを使用した発光信号が送られ、周囲の商船に偽装されていた戦艦群が一斉に照明を灯し、砲列を回頭させはじめる。その眩しい光の中で、ついに鋼鉄の巨人は立ち上がった。急激に上がった重心に船が傾き、退避しようとしていた水兵が何名か甲板から落下する。


照明に照らし出された純白の蒸気精霊騎は、ちょうど中世の全身鎧をまとった騎士に似ていた。腕や脚の関節部には、まるで筋肉のように無数の蒸気精霊を通すシリンダーチューブがのぞいている。背後にはちょうど兵士が背負うバックパックのような箱が取り付けられていた。人の顔に当たる部位に鼻や口はなく、ただ異様な光を放つ双眸が周囲を睥睨している。巨人の周囲にはもうもうたる蒸気が立ち込め、細部を覆い隠していた。


                 ***


アーク・エンジェルの操縦席の前後左右上下に設置された操作鏡面にも、この外部の状況は映し出されていた。


(街中に逃げ込めば住民に被害が出る……ならば、この艦隊を沈めるしかない!)


フレッドはジリジリしながら蒸気圧力計の針が赤のエリア……戦闘行動可能域に達するのを待っていた。外部モニターごしに、周囲の戦艦に据え付けられた艦砲が自分たちの方に向けて回頭を始めているのが見える。歩兵の軽火器ならまだしも、戦艦の主砲に蒸気精霊騎の装甲が耐えられるとは思えない。口の中がヒリヒリと乾き、心臓が猛烈なスピードで脈打つのを感じた。久しぶりの実戦だ。操作杖を握る手が汗で滑る。ワルキューレの支援なしでは複雑な戦闘機動操作は行えない。精霊騎同士の戦いではないことだけが救いだった。


永遠にも思える数秒が過ぎ、ついに蒸気圧がレッドゾーンに到達した。それとほぼ同時にフレッドは蒸気精霊エンジンをブーストアップし、クラッチを踏み込みながら駆動ギアをハイギアードに切り替える。一連の操作を行いながら、武装管制盤を操作し、蒸気精霊騎の背後に格納された蒸気精霊機関砲を取り出した。


「マーサ、戦闘機動に入る。舌を噛まないように気をつけてくれ」


ほぼ同時に艦砲射撃が開始される。その火線を避けるようにフレッドはアーク・エンジェルを大きく跳躍させた。


巨大な鋼鉄の身体が20メートルほど離れた無人の商船らしき甲板に着地する。木製の甲板に足が数センチめり込んだ。その背後で、先ほどまでアーク・エンジェルが乗っていた偽装戦艦は至近距離から戦艦群4隻、合計32門の集中砲火を浴びた。艦橋はなぎ倒され、側面装甲にも無数の穴が開き、ゆっくりと浸水し始める。


息を飲むマーサの眼前でフレッドは操縦杖を操作し、蒸気精霊機関砲の照準を戦艦群に合わせた。6連発の回転式弾倉に込められた徹甲弾が、つぎつぎと圧縮された蒸気精霊の力で発射される。それらはすべて吸い込まれるように戦艦群へと着弾した。


通常の艦隊戦ではありえない射撃精度と破壊力で木造戦艦の装甲を突き破った徹甲弾は、艦艇内部に到達すると同時に内蔵信管により爆発した。その爆発は艦内に備蓄された火薬類を誘爆させる。結果、着弾から数瞬後には、戦艦群は巨大な水柱を立て轟沈していった。


「す、すごい……」

「……おーい、無事かい!?」


マーサが耳にかけていたイヤーマフから、雑音混じりのベンジャミンの声が鳴り響いた。彼の発明品、雷霆精霊を使役した小型通信機だ。通信可能距離は100〜200ヤードほど。


「いま、ボストン港の沖合にいるんだけど、港で白い蒸気精霊騎が派手に暴れてるね! 君たちはどこ?」

「私たちはそれに乗ってるの! 急いで回収して!」


通信機から下手な口笛が聞こえた。


「……そいつはすごい。じゃ、近くまで来たら汽笛を鳴らすから、乗り移るように操縦士に言ってくれる? 」

「わかったわ! フレッド! 汽笛が聞こえたら、その船に乗って!」

「了解した」


フレッドは戦闘用に最低レベルに抑えていた外部集音器の感度を上げた。たちまちコクピット内は凄まじい騒音に満たされ、思わずマーサはイヤーマフ越しに両耳を押さえる。だがフレッドは顔色ひとつ変えない。まるで戦場の音が、彼にとっては子守唄でもあるかのようだった。


やがてその騒音を貫くように鋭い汽笛が鳴った。蒸気精霊騎に搭載された望遠レンズ越しに、甲板上でランプをぐるぐると回すベンジャミンが見えた。フレッドはちらりと蒸気残圧計に目を走らせると、フットペダルとともに操縦杖を押し込んだ。


ベンジャミンは目の前の光景をすぐには信じることができなかった。彼が知る蒸気精霊騎は、高低差の少ない平地を人間並みの速度で移動することがせいぜいだった。それでもその大火力と装甲で戦争のあり方を変えてしまったのだが……いま自分の目の前にあらわれた純白の蒸気精霊騎は20メートル以上を跳躍し、正確に着地して見せた。凄まじい運動性能と内部の蒸気精霊による姿勢制御機能……その膨大な演算量を想像し、彼は一瞬めまいを感じた。


(こいつの能力は時代をはるかに越えている。銘板は新興の軍事帝国プロイセナ……かの帝国は旧大陸列強を超える技術力を、いつ手に入れたんだ?)


そんなことを考えていたベンジャミンの前で、ゆっくりと鋼鉄の巨人は姿勢を崩していった。最後には甲板上で横倒しになり、息をひきとるように最後の蒸気を吹き出した。そして腹部のコクピットハッチが開いて、彼の仲間たちが顔を出した。


「ベンジャミン! ありがとう、助かったわ」

「同じく。蒸気の残圧がギリギリだった……危うく敵中で立ち往生するところだった。礼を言おう」


こいつは僕たちの独立戦争の行方を左右する、とんでもない切り札になる……そんな思いをいっとき振り払い、ベンジャミンは二人に笑顔を向けた。


「お帰り! なかに熱い紅茶を用意してあるよ……もちろんアメリアの商人から買ったものをね!」







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