第1話 荒野の押しかけ用心棒

赤茶けた石とひからびた多肉植物サボテンしか見当たらない乾いた大地。激しく吹きつける風に削られ異様な形態を持つに至った岩山が、わずかに視界にアクセントをつけている。そんな荒野のただ中を一台の幌馬車ほろばしゃが進んでいた。


アメリア大陸東部辺境のありふれた光景である。大陸全土を網羅する大陸横断鉄道コンチネンタル・レイルロードが完成するのはまだ先のこと。大海を漂う小舟のような馬車だけが人を運ぶ唯一の手段だった。


砂煙をあげて走り続ける四頭建て幌馬車の車軸には、板バネの簡易なサスペンションが取り付けられている。車輪の外周は鋼鉄で補強されており、当然乗り心地はひどいものであった。


乗客や荷物が積まれた荷台キャビンは白色のほろで覆われている。幌は過酷な環境に耐えられるよう、蝋引きした帆布はんぷを折り重ねた強靭なものだ。前後の開口部は砂ぼこりを避けるための布が半ば垂らされ、内部を伺うことはできなかった。


突然、垂れ布がめくり上げられた。顔をのぞかせたのは肩まで伸びた金髪を輝かせた15、6歳の少女である。彼女は印象的な菫色の瞳を馭者ぎょしゃに向けて叫んだ。


「停めて! あそこの岩陰に人が倒れてる!」


つば広の帽子カウボーイ・ハットをかぶった馭者は、髭面の口元を覆ったバンダナを引き下ろして叫び返した。


「お嬢さん、行き倒れなんて珍しくもありませんぜ! 明日になりゃコヨーテどもが片付けてくれますって」


「いいえ、たしかに身動きしたわ!」


「いや、ここはマジでヤバいんですって」


「停めなさい!」


少女は有無を言わさぬ口調で命令し、馬車から飛び降りた。馭者は悪態をつきながら手綱を引いた。そして不安げな表情で周囲を見回す。


「ちっ……ここはヤツらの縄張りだってのに……」


               ***


少女は道端の岩陰に近づき、倒れている人物をのぞき込んだ。少女よりすこし年上……17、8歳の赤茶けた髪をした白人の少年である。着ている服はアメリア大陸先住民のインディアン達と同じ、バッファローの皮を使ったものだった。


一瞬、少女は顔をしかめたが、そっと彼の頬に触れた。感触に気づいた少年はまぶたを開き、朦朧とした薄緑色の目で少女を見上げた。


「しっかりして! 水は飲める?」


かすかにうなづくのを見て、彼女は後ろを振り返った。そこには馬車から息を切らせて走ってきたメイドがいた。やはり15、6歳の黒服にエプロンをつけたメイドは、手に持った籐籠バスケットから水筒を取り出し少女に手渡した。


水筒をあてがうと、少年はたちまち水を飲み干した。


「何か食べる?」


メイドから受け取ったビスケットを少女が渡すと、少年はそれも貪るように食べ尽くした。そして大きくため息をつき、彼は身体を起こして少女をまっすぐに見つめた。


ひび割れた唇から絞り出されたのは、 アメリア大陸入植者たちの共通語たるブリタニア語であった。


「助けに……感謝する。自分はフリードリッ……いや、フレッドという。あなたの名前を……教えて欲しい」


(この堅苦しい発音……プロイセナ帝国の出身ね。こんなところで何をしてたのかしら?)


内心で首を傾げつつ少女は微笑み、胸を張ってその細く柔らかな白い手を差し出した。


「私はマーサ・ワシントンよ。よろしく、フレッド」


菫色の瞳を持つ少女を、少年はまぶしそうに見つめた。そして彼女の手を握りかえそうとして……鋭く振り返った。


次の瞬間、跳ね起きた少年は少女たちを肩に担ぎ上げた。そして躊躇なく駅馬車に向かって走り始める。少年の蛮行にマーサとメイドは悲鳴をあげた。


「ちょっと、なにをするの!?  降ろして!!」


「お、おやめください……!」


暴れる二人を取り落とさないよう、少年は腕に力をこめた。


「無礼は謝罪する! ……乗れ!」


少年は駅馬車の幌をめくり、荷台の中に少女を放りこんだ。そのまま前に回り込み、馭者台に飛び乗る。


「なっ、てめぇは……!?」


「馬車を出せ。インディアンが来る。武器は?」


「言わんこっちゃない! 後ろの荷箱だ!」


天を仰いだ馭者が言い終える前に少年は幌をめくり上げ、中に滑り込んだ。同時に鞭の唸る音がして、駅馬車が馬達のいななきとともに急発進する。たちまち荷台の内部は凄まじい揺れと音に包まれた。


荷台には震え上がって肩を寄せ合う商人らしき老夫婦と、腰をさすって立ち上がろうとする先ほどの少女とメイドがいた。突然の闖入者ちんにゅうしゃにおびえる老夫婦の膝をまたぎ、フレッドと名乗った少年は荷台の隅に置かれた木箱を開けた。先ほどの狼藉をまるで忘れたかのような彼の態度に、マーサは口を尖らせた。


「 ちょっと! 私、思い切り腰を打ったんですけど!? ホントにもう……いったい何なの!?」


「無礼は重ねて謝罪するが、今は時間が惜しい。君は弾込めはできるか?」


「もちろん! 射撃もいけるけど?」


フレッドは黙ったまま箱の中を眺めた。木箱の中にあったのは長銃と拳銃が各二丁、弾薬、サーベル。彼は長銃を手に取るとボルトハンドルを引き、薬室を確認する。きちんと手入れされており、動作もスムーズだった。銃身内が空なのを確かめ、銃口を覗きこむ。


(銃身に歪みはない……しかも旋条加工ライフリングされている。命中精度は悪くなさそうだ)


拳銃も同様に内部を確認し、空撃ちする。若干引き金は重かったが、使用に問題はないと思われた。弾薬ケースに詰められた弾薬を目算で数え、彼はマーサを振り返った。


「荷台の中は狭い。君が装填役、私が射撃役に別れた方が効率がいい」


「ずいぶん慣れてるのね。軍隊経験でもあるの?」


「装填のローテーションには拳銃も含めてくれ。長銃だけでは銃身が加熱して歪み、弾道がずれる可能性が高い」


彼女の疑問には答えず、フレッドは銃に初弾を装填した。そして幌の隙間から身を乗り出し周囲を伺う。馬蹄と車輪が巻き上げる土煙のすき間から、馬車の後方300メートルほどの距離に黒い旗が見えた。


駅馬車も車輪が浮くほどの速度を出しているが、インディアンの駆る騎馬との距離はひたひたと詰まってきていた。染料で顔を彩った彼らが持つ手斧や槍の輝きは、駅馬車に乗る者たちの残酷な末路を暗示するかのようだった。


(かなり好戦的な部族だ……交渉は無理だろう)


内心のフレッドの呟きが聞こえたかのように、馬車の幌に矢が突き刺さった。フレッドは躊躇することなく射撃を開始した。激しい馬車の揺れをまるで問題としないかのように、中腰となった膝で巧みにバランスを取り、狙いを定める。


「まず一人」


弾が放たれた一瞬後、インディアンたちの先頭を走る馬が棹立ちになった。舞うように体を一回転させ、地面に倒れ伏す。乗り手のインディアンは押しつぶされそうになるのを間一髪で逃れ、砂煙をあげて赤い砂の大地を転がった。


「次」


撃ち終えた長銃をマーサに渡し、装填済みの長銃を受け取る。フレッドは受け取ると同時に狙いをつけ、次弾を放った。初弾と同様に馬が新たに倒れ、追撃者がまた一人減る。


「次」


フレッドは後ろ手に受け取った拳銃を振り抜くようにインディアンへと向ける。飛んできた手斧が頬をかすめ、血がにじんだ。だが彼は眉ひとつ動かすことなく、左手で右手の銃の反動を押さえつけながら撃ち放つ。放たれた銃弾がまたひとり落馬させた。


その射撃は恐るべき正確さだった。長銃も拳銃も区別なく、銃声が鳴り響くたびにインディアンの数が減っていく。矢と投げ斧、投げ槍が降りそそぐ中を恐怖を感じないかのような無表情でフレッドは撃ち続けた。


マーサはそんな彼を目の端に捕えつつ、迫り来るインディアン達の方に視線を走らせた。彼の放った銃弾はインディアン達ではなく、すべて馬に着弾していた。銃弾の衝撃と痛みに驚いた馬がインディアン達を振り落としている。


「なぜ連中を殺さないの!? いいインディアンは死んだインディアンだけよ!?」


非難するような彼女の口調に対し、フレッドは生真面目に答えた。


「その考えには同意できない」


やがて集団の四分の一が落馬したインディアン達は、駅馬車の追跡を諦めた。危機を脱した駅馬車は歩調を通常の速度に戻した。馬車の荷台には薬莢の残骸が散らばり、硝煙の香りが立ちこめている。


「喉が渇いたでしょ? 水でも飲みなさいよ。これで顔も拭いて」


「……感謝する」


フレッドは差し出されたタオルを受け取り、金属製のカップに注がれた水を飲み干す。その様子を見つめていたマーサが口を開いた。


「あなたの射撃の腕、尋常じゃなかったわ。いったい、何者なの?」


フレッドは困ったような表情を浮かべ、目を伏せた。


「……私の身の上は話すわけにはいかない。君に迷惑がかかる」


「……そう。これからどうするの? この駅馬車はヴァージニア州マウント・ヴァーノンに向かっているのだけど」


「私は……特に行くあてはない」


彼女は微笑むと、指を鳴らした。


「それじゃ、私と一緒に行きましょう。……腕の立つ人は大歓迎だから」


旋条加工ライフリング:銃身内部に刻まれた螺旋状の溝。弾丸を回転させ、弾道を安定させる

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