アーバンダッシュ!
長岡清十
駆け抜けて性春
法華大学附属本庄学院、略して法本院は山の上にある。誇張でも何でもなく、文字通り山の上に位置する。高崎線本庄駅から自転車で15分ほど、住宅街を抜けて田園を抜けると、新幹線の高架が見えてくる。そのすぐ裏手にそびえる大久保山のすべてが、法本院の敷地なのである。
ちなみに法本院は「ほっほーいん」と読む。なんとも間抜けな響きであるが、なんとなく校風をあらわしているような気がしなくもない。本庄あたりの方言で「そうなの?」を「そーなん?」と言うが、どこかそれに通じるのどかさがある。
さらに説明すると、法華大学は「ほけ」でも「ほっけ」でも「ほうか」でもなく「ほっか」と読む。紛らわしいことこの上ない。もともとは法華経の学寮からはじまった大学だが、戦後になると法律の大学と勘違いする者が多く、そこは懐の深い大学であったから、結果として今では法科大学としては名の知れた存在になっている。仏教系のカリキュラムもあるにはあるが、ほとんどの学生が仏ではなく法の道を志す。
法本院は、その附属高校である。私が通っていたのは20年近くも前、まだ携帯電話すら存在しなかった時代で、当時は地元民から「ほっけ」呼ばわりされていた。飲み屋で出てくる魚のあれである。しかしこれはまだ可愛いほうで、「包茎」扱いされることも多かった。そして今のご時世ともなるとかわいそうなもので、私の後輩たちはどうやら「ほほほい」と陰口叩かれているらしい。大学に入って法本院出身と知られると、決まって飲みの席でブリーフ一枚で踊らされるという。生きにくい世の中である。
今も昔も、法本院はむさくるしい男子校である。山の上に男子が集う様は、まるで少林寺のようだ。登下校時には男子学生たちが雪崩のように、自転車で本庄の町を駆け抜ける。特に下校時は壮観であった。授業が終わるのは15時半。部活動に属さない、いわゆる帰宅部の生徒たちは、皆一様に15時49分本庄発の高崎線快速アーバンを目指すのである。彼らが走り去ったあとにはぺんぺん草も生えていない。
与えられた時間はわずか19分。そのリミット内に、荷物をまとめて教室を飛び出し、山を駆け下り、自転車にまたがって駅まで全力疾走する。すべての条件がうまくかみ合えば、15時45分には駅のホームにたどり着くことができる。しかしちょっとでも不運が重なって快速アーバンを見送ることともなれば、次の電車がやってくるまで20分以上を待たねばならない。しかもやってくるのは鈍行である。大宮経由で高崎線を使っていた自分などは、快速アーバンに乗れるかどうかで家に帰り着く時間が大きく違ってくる。
法本院の生徒たちは、快速アーバンに乗ることを愛情込めてアーバンダッシュと呼んでいた。それは先輩たちから代々受け継がれてきた伝統であり、生徒たちの誇りでもあった。雨が降ろうが雪が降ろうが槍が降ろうが、彼らは快速アーバンを目指す。夏には大量の羽虫が顔面にぶつかり、冬ともなれば赤城おろしがピューピュー吹き付けて走行を妨げる。それでも彼らは、ペダルを漕ぐのをやめないのである。
アーバンダッシュに情熱を燃やすのは、ほとんどがイケてない学生であった。イケてる学生は必死の思いをして家に帰る必要などなく、それこそ本庄周辺の学校に通う女子高生と合コンしたりなんだりで青春を謳歌している。してみれば、アーバンダッシュとはうらぶれた学生たちの現実逃避の一手であったかもしれない。
数年前からスクールカーストという言葉が取りざたされているが、ヒエラルキーなどというものはいつの時代の学校にもあるもので、我が法本院も例外ではなかった。そのピラミッド構成はきわめて分かりやすく、頂点に集う5%ほどがイケてる生徒で、残りはみなイケてない生徒である。中間はいない。なお、ピラミッドから大きく外にはずれた学生も一定数いて、それはみな僧侶志望の生徒である。田舎の僧侶志望は達観しているようで、浮世のいざこざなどに興味がないらしい。
そして私はといえば、当然のことながらイケてない中の一人であった。そりゃあ山の上でアホな男子に囲まれていれば、服装なんて気を使わなくなるし常識も欠落していく。まわりに女子がいないから、言動も痛くなっていく。普通に学校に通っていれば、ほぼ確実にイケてない男子になってしまうのだ。
なお母校の名誉のために言っておくが、法本院は埼玉県でも有数の進学校である。わざわざ県外から受験してくる者も多く、それなりの努力をしなければその門をくぐることはできない。一部の生徒は本気で法の道を志しており、大学を主席で卒業するケースも少なくないという。
だがしかし、100%エスカレーターで大学に進学できるという特殊条件がまずいのか、「大学受験をしたくないから」というそれだけの理由で受験する者も多い。高校受験の段階でそんな安易な人生を選ぶのは、どんなに頭が良かろうとどこか屈折しているのである。根性がひん曲がっているのである。ちなみに私も大学受験が嫌で法本院に入学したくちである。法律などに興味はないが、仏教よりは法律のほうがいい、というくらいのレベルであった。
話がそれた。アーバンダッシュの話に戻そう。時には孤独に、時には数少ない仲間とともに、私は毎日本庄駅までの道のりを走破した。遅れてはならぬ。快速アーバンを逃そうものなら、電車待ちのホームでイケてる生徒たちと鉢合わせしかねないのである。彼らはいつも余裕たっぷりで、鈍行に乗ることを厭わない。快速アーバン乗りたさで汗水垂らして自転車を飛ばす私たちを嘲笑っている(と思うのは被害者妄想か)。弱者の妬み僻みに過ぎぬかもしれないが、私は彼らと学校以外の場所で一緒になるのが嫌だった。だからこそ、意地でも快速アーバンなのである。
そんなアーバンライフに激震が走ったのは、高校2年の夏であった。
「本庄に新しくできたビデオ屋で、アダルトビデオを借りられるらしい」
そんな噂がまことしやかに校内を駆け巡ったのである。18歳以上である必要はない。ビデオ屋の会員であれば、誰もがアダルトビデオを借りられるというのである。
私の胸は高鳴った。イケてないとはいえ健全な男子高校生であるからして、アダルトビデオを見たことがないなんてわけもなく、親には内緒だが複数本を所有していたりもする。だが、ビデオ屋で借りるというこの背徳の行為。おお青年よ、あえて茨の道を突き進もうというのか。私の胸は激しく高鳴ったのである。この気持、きっと女子には分かるまい。
しかし事はそう簡単ではない。学校近くのビデオ屋であるからには、同級生と鉢合わせする可能性も高い。運よく誰にも出くわさずビデオを借りられたとしても、快速アーバンに間に合わせるのは難しいだろう。そうなれば、今度はイケてる生徒たちと遭遇する可能性が一気に高まるのである。彼らは快速アーバンに乗っていない私をいぶかしむであろう。鞄の中を見せてみろと言ってくるかもしれない。そうなれば私の高校生活はピリオドだ。
一人では無理だ。しかし二人ならあるいは。阿吽の呼吸で連携すれば、ビデオを借りたその足で快速アーバンに乗るのも可能なのではないか。早速私は、級友の高村に声をかけた。こいつは実家がお寺で僧侶志望のくせに、無類のむっつりすけべなのである。山頂に捨てられたエロ本をあさっている後ろ姿を私は何度か目撃している。ビデオ屋の話を私に教えてくれたのもこいつだ。そしてこいつはロードバイクの持ち主なのである。お寺の息子というのは、やはり金を持っているものらしい。
ロードバイクなら、素人が漕いでも最高時速40キロは出るはずだ。高村を風よけに使えば、AVアーバンダッシュは俄然現実味を増してくる。
「いや間に合うわけないでしょ、そんなん」
高村は口を尖らせたが、私は既に脳内シュミレーションを終えている。ぬかりはないのである。決行は水曜日、その日の6限は英語の授業だ。法本院は大学と同じで教室移動制をとっており、英語の教室は最も駐輪場に近いのである。
「いいか、お前が先頭だ。お前が行け! お前が行くから道になるんだ」
長渕っぽく熱をこめて高村を説得する。5人兄弟(全て男子)の末っ子という特異な環境で育ったためか、高村はどうも押しに弱い所があり、頼まれると嫌とは言えないらしい。日頃から兄貴たちに虐げられていることがよくわかる。このときも高村は、「そんなら俺のコルナゴで……」と見事にだまされていた。風よけだとは口が裂けても言わない。
そして本番当日。15時半ちょうどに教室を飛び出した私と高村は、全速力で駐輪場へ向かった。そこからは高村を先頭に、ロードレースのトレインの要領で風の抵抗をなくしてビデオ屋へ直行する。ビデオ屋の場所は、駅と学校をつなぐルートから少しはずれている。念のため後ろを振り返ったが、自分たち以外に学生の姿は見当たらない。
ビデオ屋のリサーチは既に済ませてある。会員証も作成済みだ。このときのために、私は禁断の「風邪で1限休みます」を行使していた。会員証をつくるだけなら、何も恐れる必要はない。問いただされたら「休講なんで」と言えば良い(実際、1限が休講になることは意外と多い)。私はこの日のために、一人着々と準備を進めていたのだった。
高村は自転車の見張りだ。鍵をかける時間も惜しいから、すぐにまたがって漕ぎ出せるように準備しておく。そして万一別の生徒が来たときのための見張りでもある。
追いつめられているからなのか、アダルトコーナーに入るのにも一切ためらわなかった。恥も外聞もないとはこのことで、迷うことなくピンクののれんをくぐる。じっくり選ぶ暇などない。「ピンピンガール」、これに決めた。高村のためにも2本借りるのが筋なのだが、そこまで頭がまわらない。私はこの一本をしっかと握りしめて、カウンターへと向かった。
ここで懸命な読者なら、ひとつの疑問が浮かぶはずである。学生服でばれるんじゃないの、と。しかしその心配はない。法本院は私服通学なのだ。会員証をつくるときに学生証を見せたのが少し気に掛かってはいたが、堂々としていればいいのだ。胸を張っていれば大学生に見えないこともないはずだ。
激走したせいなのか、それとも緊張が限度にまで達したのか、私の心臓は破裂寸前である。レジの前に立つ。店員は……おばちゃんだ! 田舎のおばちゃんはまずい! やつらは無駄口を叩く。若い男子をつかまえては、したり顔で説教をする。18歳未満の男子高校生がAVを持ち込むなど、彼女たちにとって願ってもない展開ではないか。
しかし運命は私に味方した。どうやらアルバイトと交代の時間帯だったらしく、おばちゃん店員は早く上がりたくてそわそわしていたのである。
「ちょっとあんた、レジ入ってよ。え、まだタイムカード押してない? いいのよそんなの、形式的なもんなんだから。私今日はお芝居見に行くから、早く上がらないといけないのに。もう仕方ないわねぇ、あらお客さん、すみませんねー」
これはこれでタイムロスなのだが、最悪の事態は免れたのだからよしとしよう。私は無事に手にしたピンピンガールをカバンに突っ込んで、大慌てで店から出た。ちなみにこの時代、DVDではなくビデオテープ、VHSが主流である。自宅のリビングで夜中にこっそりアダルトビデオを見ていたら、テープが絡まって取り出せなくなったことがある。恥を忍んでそのまま修理に出した。余談である。
さて、外では高村が今か今かと待ち構えている。
「ジャスト5分!」
高村が爽やかな笑顔で手のひらを掲げる。ハイタッチのつもりかと思ったが、5本指で5分をあらわしたらしい。私の右手は空を切る。恥ずかしい思いをしたが、ここまでは予定通りだ。学校からビデオ屋まで5分、ビデオを借りて出てくるまでに5分。合わせて10分が経過している。残された時間はあと9分だ。
ここからはひたすら体力勝負だ。再び高村を先頭に、全力でペダルを漕ぐ。
「行ける! 間に合うぞ!」
心臓が破れそうなのに、思わず歓喜の言葉がこぼれ出る。あと少し。あと少しで本庄駅だ。
「やばい! どうしよう!」
突然高村が、情けない顔でこちらを見た。
「俺興奮しちゃって、あーやばい!」
そこから先は言わずもがなだ。若い男子なら当然の生理的反応が、このタイミングで高村を襲ったのである。ロードバイクのサドルは普通の自転車よりも股間を強く圧迫するので、漕いでる最中に大きくなってしまうなんて考えにくいのだが、そこはエネルギーのありあまった男子高校生だから仕方がない。いくら僧侶志望とはいえ、煩悩には勝てないのだ。
「これじゃ自転車下りられねーよ……」
「大丈夫だよ、鞄で隠せばいい」
「俺リュックサックだもん、股間隠してたらおかしいだろうが」
誰もお前なんか見ていない、と言いたいところだが友情が壊れそうなので口ごもる。
「だったらズボンのポケットに両手突っ込んでごまかせよ。少し猫背になって腰引いて歩けばばれないって」
「ばれるよ、そんなの」
「ばれないって!」
「だってお前、毎朝そんな格好で歩いてるじゃん。あいつ朝立ち隠してるぞって、みんな噂してるよ」
よりによって今この瞬間に言うことじゃないだろう。私の心は折れそうだ。しかしあきらめるわけにはいかない。高村の股間がどうにかなったくらいのことで、このプロジェクトを棒に振る訳にはいかないのだ。
「そら、鞄交換してやるからこれで隠せ」
私のトートバッグなら、股間を隠しながら歩いてもさほど不自然ではないはずだ。駅近くの駐輪場に自転車を置くと、私は内股で妙な足運びをする高村を従えて駅までの道を急いだ。
まわりには数多の法本院生たちが同じように快速アーバンを目指している。もう無駄口は許されない。口は災のもとなのだ。
改札で高村が「定期が見つからない」などと騒いでいたが、もう案じることはない。ここまで来てしまえば、ミッションクリアは目前だ。無事に高村も改札を通り抜けて、ホームへ続く階段を下りる。見知った顔がそこかしこにあるが、あえて今は目を合わさない。
「なぁ、ところでお前どんなの借りたんだよ」
鞄を交換したままだったのがまずかった。高村は勝手に私の鞄をあさり、あろうことかビデオ屋の袋を開けようとしている。マジックテープがバリバリとはがれる音がする。
「ばか、お前こんなところで」
「大丈夫だよ、誰も見ちゃいないって」
さすがにここは力ずくでも止めなければならない。もみ合いしているうちに快速アーバンがホームに停車し、ドアが開いた。
「そら、乗るからおとなしくしろよ」
無念そうな顔で高村は鞄から手を離した。そう、こいつは突然手を離したのだ。私が力強く引っ張ったトートバッグは華麗に宙を舞い、電車の中へ吸い込まれていった。反対側のドアにぶつかり、中身が散乱する。あぁ、むき出しのビデオテープが滑り落ちる。大丈夫、ラベルを見られなければいいだけの話なのだから。慌てて拾い上げようとしたそのとき、遮るように別の手がビデオテープを持ち上げた。
「大丈夫ですか?」
にっこり笑ったその相手は、見るも可憐な女子高生であった。好奇心のかたまりのような、笑顔のまぶしい女子高生であった。迷うことなく彼女はラベルに目をやった。
ピンピンガール。ご丁寧に女優の名前までその横に記載されている。しかしこれだけなら、音楽ビデオということで切り抜けられる。まだ大丈夫だ。
だがしかし、彼女は途端に不愉快そうな表情で、汚らわしいものでも見るような目でビデオテープを私に押し付けた。親指と人差し指で引っ掛けるような持ち方だ。汚いものをつまみ上げるような仕草だ。そんな腐った瞳で見るんじゃないと、私の中の長渕が声をからして叫ぶ。
ピンピンガール。その横にサブタイトルが印字されていることを私はそのとき初めて知った。それが何だったかは、言わぬが花というものだろう。私は散らばった荷物を拾い集めて、高村に押し付けた。このビデオはこいつが借りたのだと言わんばかりに。
ちなみにこのときの女子高生が、現在の私の妻である。
……そんなはずがあるわけもなく、高村に押し付けようとしたビデオはたまたま同じ車両に居合わせた同級生に奪われ、以降卒業するまで私のあだ名はピンピンとなった。そして結局私はピンピンガールを再生することなく、二度とそのビデオ屋でアダルトビデオを借りることもなかったのである。
アーバンダッシュ! 長岡清十 @nagaesu
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