第31話 理香8 真実のかけら

『第一棟 田辺 孝太 (旧名 山田 雄二)』


 そう表題の付いたリストの下には今日までの多くの日付が、一日飛ばしでずらっと並んでいる。理香にはそれが自分も同じく隔日で受けている、医師が行う検診の履歴だとすぐにわかった。それはそのリストの中、今日の日付の欄に、『1、昨夜夢を見たか』と書かれていたからだった。解答の欄には、『いいえ』と書かれていた。

 理香はこのファイルを見ても意味が無いと思い、色々迷ったあげく、どうにかウィンドウを閉じる為のボタンを押し、そのファイルを閉じた。時間は20分しかない。既に時間は10時5分を廻っていた。メイン画面に戻ると、他に何か理解できそうなプログラムは無いのかと、画面をスライドさせた。そのやり方も、いつも高谷がやっている動作の真似だ。

 理香はその中に、『収容者検索』というものを発見した。これだ。これなら自分の情報が何かしら見られるかもしれない。理香はそのプログラムを起動させた。画面には空欄のウィンドウが立ち上がり、その上には『検索キーワード』と表示されていた。理香は、画面下の文字リストからそこに自分の名前を打ち込んだ。

『長谷川 理香』

そして検索開始ボタンを押す。しかし、次に立ち上がったウィンドウは、理香の期待を裏切るものだった。

『パスワード』

その表示の下にまた空欄のボックスがあった。その下には数字を打ち込む為のテンキーが表示されている。理香は頭を抱えた。ここまで来てパスワードなんて……。理香は、机の上に何かパスワードのヒントになるものは無いか、メモ帳やら、壁に貼られたポストイットなど、慌てて探したが、それらしきものは無い。ここまで来て何も見れないで帰ることにはなりたくない。このパスワードさえ分かれば……。時間は10時10分を廻っている。このコンピューターにアクセスできるのは、このチャンスを逃したら、今度はいつになるか分からない。ここまで来られたのも、カードキーの事も含め、かなり幸運だった……。何かヒントになる数字……。そう思った時、理香の頭に四桁の数字が浮かんだ。

『7・1・9・2』

ここの入り口ドアに入る時見た、カードの裏に手書きで書かれた番号だった。

理香は思い出すと同時にその番号を打っていた。自信をもって開始ボタンを押した。しかし、また結果は理香の期待を裏切るものだった。

『パスワードが間違っています』

そう表示された下には、また空欄のボックスがある。さすがにそんなにうまく行くわけないか……。理香はやはりこの検索システムには入れないと思い、ウィンドウを閉じようとした。しかし空欄のボックスの下にまだ続いている表示が気になった。

『もしくは検索キーワードを変更しますか?』

これは、キーワードを変えれば違うパスワードで検索できると言う事だろうか。理香は思い立った様に違うキーワードを打った。

『多田 新』

そして、パスワードを7,1,9,2と入れた。そして検索開始ボタンを押す。するとコンピューターはすぐさま多くの文字の書かれたリストを映し出した。やはり、担当医によってパスワードが違っていた様だ。

 この番号は、新の担当医であり、今、彼の部屋で眠っている彼女の担当する住人用のパスワードだった。


『多田 新 (旧名 奥田 新   第一名 江田 新)』


 一番上の欄にはそう書かれていた。新は以前は「奥田」という名前だったのか。しかし理香には第一名の意味がわからなかった。しかし色々な文字の羅列がその下にも並んでおり、ここで一つの事を考える時間を使っている暇はなかった。

『現住居 第二棟 21205号室 身長 180cm 体重 71kg 血液型 B+ 年齢25歳』

 新の基本的な情報が書かれた後は、施した脳の手術の内容などが記述され、理香には理解出来なかった。理解出来ないものの、何か大きな問題がある様には感じられず、理香は画面をスクロールし続けた。時計を見ると、時計は10時20分を指していた。そろそろこの席の医師が帰ってきてもおかしくはない。画面に触れる手が再び汗ばむのを感じる。その時、理香の目に予期しない文字が飛び込んだ。


『犯罪歴』


 そしてその項目の下には多くの文字が並んでいる。

『罪状 強盗致傷罪 求刑 懲役11年』


 理香は驚きで、内容をスムーズに理解する事が出来なかった。しかし時間は無い。理解すると言うよりは、内容を暗記する様な心積もりで先を読み進める。

『犯行に至る経緯及び犯罪事実  被告人Aは、パチンコ店従業員として、現金輸送車の運転等の業務を担当していた友人Bから、Bが運転する現金輸送車を襲って輸送中の現金等を奪う事を持ちかけられ、これを承諾した上、友人Cにこの強盗への参加を持ちかけ、Cもこれを承諾した。被告人はB,Cと共に実行現場などの下見を繰り返し、入念に強盗を計画した。そして事件当日、Bと共に現金輸送車に同乗していた被害者Dに対し、殴る等暴行を働き、全治二ヶ月の傷害を負わせた。本件は……』

ここまで理香が読み進めたところで、先程まで消えていた奥の壁一面の大きなモニターに、時刻を表す大きなデジタル数字が現れた。そこには22時30分と表されている。

「時刻は10時半です。当直の方以外は業務を終了し、退社して下さい。本日もお疲れ様でした」


 部屋中にこだまするその機械的なアナウンスが、混乱する理香の頭を少し冷静にさせた。先程出て行ったこの席の主であろう彼のバッグが足元にあるのが目に入った。彼は帰った訳では無い事を考えると、当直で無い限り、この場所にそろそろ帰ってくるだろう。これ以上ここにいるのは危険だと理香は感じた。目の前に開かれた理解しがたいファイルを急いで閉じ、自分がいた痕跡が残っていないか確認すると、机に置いた眼鏡を掛け、背を低くし、そのブースから出た。

 ブースから離れて背筋を伸ばすと、先程来た時にはパーテーションで隠れて見えなかったが、かなり多くの人間がブースの中で立ち上がり、帰り支度をしているのが確認できた。そして何人かが、先程、理香が入って来た入り口とは反対側にある扉の方へ向かって歩いている。あちらが出口という事だろう。理香はそんな中一人重苦しい顔で入って来た側の扉へと向いながら、先程目にした書類の内容を反芻していた。刑期11年という事は、刑期満了してここに入所したとしたら、14歳の頃に犯罪を犯したという事になる。恐らくそれはあり得ないだろう。理香は知りたくない事実を知ってしまったと感じていた。ここへ来た時とは違う理由で足取りは重かった。


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覚えている様で眠っている エリカ @Ering

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