縁結び神の独り言

弦巻耀

縁結び神の独り言


 武蔵野国むさしののくに河越かわごえという街に、氷川ひかわ神社というやしろがあるんじゃが、ワシは、そこに祭られる五はしらの神の一柱、大己貴命おおなむちのみことじゃ。大国主おおくにぬしと呼ばれることも多いのう。


 「かの有名な大己貴命おおなむちのみことを祭る神社は多々あるが、どこにおわすのが本物か」じゃと? 良い質問じゃ。神は、「分霊わけみたま」といって、平たく言えば小分けできるんじゃ。だから、ワシもちゃんと本物じゃよ。


 もう千五百年くらいここで暮らしとるが、河越の街は気に入っとる。小ぶりな割に賑わっとるし、近くの菓子屋横丁を覗くのは楽しいでな。


 「何のご利益の神サマか」じゃと? ワシは大己貴命おおなむちのみことだと言っとろうが。主に縁結びを司っておる。

 ほら、また一人、恋の願いごとをしに来よったぞ。




 本殿前の縁台に座っとったのは、十四、五歳の乙女じゃった。衣から察するに、この近くの中学校の子じゃ。一月半ばの真冬日の午後、日も傾き始めて寒かろうに一人で泣いておる。


 どれ、声をかけてみるか。霊験あらたかなワシは、実体をとれるんじゃ。これ、そこな乙女子おとめご……。


 振り向いた乙女はなかなか愛らしい顔をしとる、と思ったとたん、二段しかない階段を踏み外して転げてしもうた。


「大丈夫ですかっ」


 こりゃ失敬。ワシは大己貴命おおなむちのみことじゃ。其方そなた、なんぞ願いがあるのか。


 睫毛に涙を残す乙女は、そっとワシの手を取った。


「おじいさん、名前と住所分かる?」


 大己貴命おおなむちのみことじゃ。このやしろに祭られておる。


「交番に連れてってあげるね」


 ボケじじいと勘違いしとるな。翁の姿をとったのは失敗じゃった。そうじゃ、乙女の想い人の姿に変じてみせよう。


「え、嘘っ、萩野君? でも……」


 乙女は、驚いて目を見開き、頬を染めた。想い人は「ハギノクン」という名か。上背はあるが、なんとも冴えぬ顔立ちじゃ。


「そんなことないよっ」


 乙女は一瞬口を尖らせ、「ホントに神様?」と不安げになった。そのおのこと恋仲になりたいのか、と尋ねると、乙女はかしらを横に振る。


「萩野君とは時々話すくらいだし、私、見てるだけでいいんだ」


 乙女は鞄に付けた紅白のお守りをワシに見せた。我がやしろが扱う「よりそい守り」か。意中の相手と長く一緒にいられるようにと願いを込めた、奥ゆかしい物じゃ。

 しかし、想いを伝えなくてよいのか。


「だって私、可愛くないし」


 悪くはないと思うがのう。確かにかなり地味なほうじゃが。


「はっきり言うね」


 すまぬ。ワシはどうも余計な一言が多くてな。この癖には長年悩んどる。


「私、萩野君と同じ高校に行きたくて」


 今三年生か。もうすぐ受験じゃの。


「萩野君は頭が良くて、第一希望は私立の理数コースだって言うから……」


 おのこと同じ学校に入れてくれと言うのは無理じゃ。イカサマはご法度だからの。


「私も一生懸命勉強したんだよ。こないだの模試の結果だと、同じ高校の普通科を単願で受ければ何とかなりそう」


 そりゃエラい。頑張る子は大好きじゃ。決めた。其方そなたの願い、叶えてやろうぞ。


「ありがとう!」


 乙女に飛びつかれたワシは、たまげて翁の姿に戻ってしもうた。


「でも、今日、萩野君が志望校を変えるって聞いて」


 その学校は難しいのか。


「県立の進学校で、……男子校」


 ううむ。其方そなたを男に変えるわけにはいかぬし。


「それで、お願いなんだけど」


 妙案があるのか。


「県立の入試の時、萩野君が風邪かなんかで受験できないようにしてくれる?」


 なに?


「萩野君、最初狙ってた私立のほうも一応受けるって言ってたから、萩野君が県立を受けなければ、二人で同じ高校に行ける可能性が高くなるよね?」


 し、しかし……。


「さっき、お願い聞いてくれるって言ったでしょ! 神様は嘘つかないよね! お守りも買ってるし!」


 その時、ワシは見たんじゃ。乙女の顔が般若のそれに豹変するのを……。




 二月の初め、乙女は意気揚々とやって来た。ワシは怖くて、本殿の裏に隠れとった。


「神様! 萩野君も私も私立の学校に合格したよ! だから、この前の話よろしくね。今日は私の全財産持ってきたっ」


 賽銭箱に大量の小銭を入れる音がする。仕方ない。疫病神に応援を頼むか。しかし、ホントに良いのかこれで。


 この時期、やしろには「彼がチョコを受け取ってくれますように」という願い事が殺到するんじゃが、もうワシ、ほとんど上の空じゃった。




 二週間ほどして、乙女が血相を変えてやってきた。


「神様! この間の話、やっぱ無しにして!」


 今さらなんじゃ。もう疫病神がハギノクンの所に行っておるわ。


「萩野君のお父さん、お仕事がうまくいかなくなってて、だから萩野君、志望先を県立に変えたんだって。授業料免除の特待生を狙って私立も受けたけど、やっぱり県立のほうが安心だって言ってて……」


 それは気の毒じゃが、疫病神との契約は取り消せん。そう言うと、乙女は泣きながら翁姿のワシに掴みかかってきた。


「じゃあ、代わりに私に憑りついてもらってよ! 私はもう受験終わったから、しばらく寝込んでも平気だからっ」




 三月に入って何日か経った頃、乙女はやつれた顔でやってきた。声がひどく掠れとる。疫病神め、容赦ないのう。


「私、萩野君にひどいことしようとしてたんだね」


 そういうことじゃ。で、そのハギノクンはどうした?


「ちゃんと県立に受かったよ。明後日……お別れなんだ」




 乙女が卒業を迎える日、ワシは春風に乗って、乙女が通う中学校を覗きに行った。すでに式は終わったようで、大勢の人間が外に出ておった。

 あの乙女もおる。少し離れた所に立っているのがハギノクンじゃな。


 旅立つ二人へ、ワシからささやかな祝いをやろう。


 早すぎる桜の花びらが、男の目の前を舞う。ふわりふわりと風に吹かれ、それは乙女の足元へ……。


「あ、篠崎さん。風邪の具合どう? 今日、式に出られて良かったな」


 言いながら、男は乙女に駆け寄っていく。


「俺、篠崎さんと同じ高校に行きたかった。でも、父さんのことがあって……」


 まだ声が掠れる乙女は、静かに男の胸に顔を寄せた。




 二人がどんな話をしたのか、ワシは知らん。縁結びの神は、野暮では務まらんのでな。





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