酒まつり

秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ

酒まつり

 広島駅から約三十五分、東京駅からで言うなら約二百四十分。

 四時間以上かけて帰ってきた故郷の駅は果物のような酒の甘い香りと、大勢の人のざわめきで満たされていた。

「こんなに盛大だったかな」

 僕は必要最低限の荷物が詰まったボストンバックを抱え直しながら、人の海を眺める。


『酒まつり』


 酒蔵の白壁をイメージした白いのぼりに書いてある文字を僕は一瞥して、荷物をロッカーに押し入れた。


 僕の故郷、広島県東広島市で行われる『西条酒まつり』は、毎年十月の半ばに催される、この地域一番の祭りだ。路地を一本入ると酒蔵がいくつも立ち並ぶこの西条という街は、有名な日本酒を沢山生み出している。

 就職で東京に出た僕も、毎年この酒まつりを楽しみにして帰省……しているわけではなく、今年はこの祭りで同級生との再会を約束していたのだった。

「あのー……」

 先に来ているはずの同級生と合流しようと、携帯電話を探していたところで、僕はある女性に声をかけられた。

 年齢は僕と同じが年下ぐらいだろう。目尻が下がったおっとりとした雰囲気の彼女は栗色の髪の毛を肩で跳ねさせながら、もじもじと下を向いて恥ずかしそうにしていた。

 ナンパというやつだろうか。僕は鞄から取り出した携帯電話をひとまずポケットに滑べらせ、彼女をまじまじと観察した。

「僕に何か?」

「えっと……」

「……ナンパでしたらお断りなんですが……」

 これがもしナンパと言われるやつなら、僕は人生で初めてのナンパを今断ろうとしているのだ。そう考えると惜しい気がしてならないが、今は早く同級生に会いたい気持ちの方が勝っていた。十年以上会ってない奴もいるのだ。どんな風に成長しているのか楽しみでならない。僕は彼女と会話をしながら、焦れたように携帯電話を覗いた。そして、届いていたメールに愕然とする。

「あの、ナンパではなくて……。私と一緒に酒まつり見てまわりませんか?」

 それがナンパと何が違うのだろう。そんな風に思う傍らで、僕は彼女の声を聞きながら思わず頷いていた。


『悪い! 今日行けなくなった! また皆で遊ぼうな!』


 似たり寄ったりのメールが五通。僕の手のひらに届いていた。


◆◇◆


「で、どこから行こうか?」

 僕は暗い面もちで隣の彼女に話しかけた。彼女がしきりに「大丈夫ですか?」と声をかけてくれるが、僕の暗い気分はまったく晴れない。今日会う予定だった同級生は六人。その中の五人が同じようなメールで断ってきたのだ。残りの一人からもメールは来ない。恐らく会う気はないのだろう。

「これ」

 溜息を付くばかりの僕を見かねて、彼女が紙コップに入った水を差し出してきた。僕はそれを一気に煽り、そして、盛大に吹き出した。喉がカッカと燃えるように熱い。

「これ、に、日本酒?」

「ごめんなさい! さっきそこで試飲配ってて……。大丈夫ですか?」

「あー……うん、大丈夫。ありがと。心配かけたね」

 咽せながら彼女を見ると、おろおろと心配そうにこちらを覗き込んでくる。僕は涙目になりながら顔を上げた。不思議とさっきまでの鬱々とした気分はなくなっていて、少し胸はすっとしてた。地元に帰るために使ったお金も時間も、さっきまでは無駄になったかのような気分になっていたが、よくよく考えれば、こんなに可愛い子にナンパして貰えたのだ。それだけでも地元に帰ってきた甲斐があるというものだ。

「俺は……『賀茂鶴』って呼んで貰おうかな」

 少しだけ晴れやかになった気分でそう言えば、彼女も少し笑って「じゃぁ、私は『白牡丹』にしましょうか」と今日だけの偽名を口にした。


「牡丹さんって何歳なの? 僕は二十四歳なんだけど、まさか未成年じゃないよね?」

 メインステージのある酒ひろばに向かいながら、僕は彼女にそう聞いた。彼女は確かに若く見えるが、とても未成年には見えない。なのに、僕がそう聞いたのには理由があった。僕は彼女をどこかで見た気がしたのだ。それも一度や二度、どこかで会ったような懐かしさではない。それこそ、同級生に久々に会ったときのような懐かしさを彼女に覚えたのだ。しかし、彼女が誰かまでは思い出せない。だから、僕は彼女に年齢を聞いたのだ。彼女が僕と同じ歳なら、『同級生』と言う僕の予想を彼女に問うてみても良いかなと思ったからだ。

「二十三歳です」

「そうなんだ。若く見えるね」

 少しがっかりした気持ちでそう言ったあたりで、僕らはメイン会場にたどり着いた。ステージでは有名な歌手がトークショーをしていて、その周りには人だかりができている。僕らは人の隙間を手を繋いで抜け、たどり着いた屋台で小腹を満たした。美酒鍋は二人で分け合い、頭がうまく回らなくなるぐらいまで酒を飲んだ。

「鶴さんー鶴さんー」

 彼女はそう言いながら僕の袖を引く。浮かれた頭の僕はそれが妙におかしくて、「何かな牡丹さん」と笑いながら返した。

「わたし、鶴さんのこと大好きですー」

「そうか、そうか」

「ずっと、ずぅーと前から好きでしたー」

「そうか、そうか……?」

「好きです。付き合ってください、ヒデ君!」

 ヒデというのは昔からの僕の渾名で、当然今日初めて出会ったはずの彼女が知る筈もない名だ。なのに、彼女はそれを口にした。僕は酔いで熱かった頭がだんだんと覚醒していくのを感じる。

「佐々木 結、二十三歳彼氏ナシ! よろしくお願いします!」

 会う約束だった同級生の中で、ただ一人メールが届いていないその人の名を彼女が口にする。言われてみれば、彼女はあのドジでおっちょこちょいな『結チャン』にそっくりではないか。そっくりと言うより、間違いなく本人だ。今思い出した。

 そして、会うはずだった同級生が、彼女以外全員断りを入れてきた事実を、僕は今更ながらに思い出す。振り返りながら辺りを見渡せば、物陰に隠れるようにこちらを見守る集団がいた。

「あいつら……」

 唸るようにそう言えば、酔いの回った結チャンが僕に垂れかかって来た。

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酒まつり 秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ @hiroro1213

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