思い出は深大寺と多磨霊園と大きな古時計とともに……

壇条美智子

思い出

 はじめて深大寺を訪れたのは、まだ祖母が元気だった頃。多磨霊園でお墓参りをしたあとに、「蕎麦を食べに行こう」と祖母が言い出した。


 まだ小学生だったわたしは、「蕎麦なんかよりハンバーグが食べたい」と不満を持ちつつ、仕方なく深大寺にやってきた。


 はじめて足を踏み入れた深大寺は、休日のせいか多くの人で賑わっていたのを覚えている。


 木々が生い茂る道を歩いていくと、時代劇に出てきそうな情緒ある蕎麦屋「青木屋」がある。格子戸を横目で見ながら先へ進むと、ひときわ目を引くものに出くわす。水車だ。


 そこは「一休庵」という蕎麦屋。水車がグルグル回るのをじぃ~っと見つめていたわたしの手を取り、祖母はやさしい笑顔を浮かべた。

「ここにしようか?」

そう言って、店の扉を開けた。


 そこには父や母もいたはずなのに、祖母以外のことはほとんど覚えていない。


 入口横はガラス張りになっていて、蕎麦職人が蕎麦打ちの様子を披露している。深大寺は観光地ということもあって、これも客引き作戦の一つだろう。


 深大寺には蕎麦屋が20軒くらいあるが、その中でも祖母が「一休庵」を選んだのは、水車と蕎麦打ちに惹かれたにちがいないと、今になって思う。まんまと店側の思惑にはまったのだ。


 しかし、わたしはそんな祖母が大好きだった。父や母や姉よりもずっと好きだった。


 その頃は、夕方になると仕事へ行く両親を見送り、夜遊びに出かけた姉の帰りを祖母と二人きりで待つような毎日。両親が家にいない寂しさは、祖母が埋めてくれた。


 土曜の夜は、祖母も大好きだった「まんが日本昔ばなし」を一緒に観るのが毎週の恒例行事。そのあともテレビに釘付けになり、9時になると布団に入る。


 隣で寝る祖母の口癖は「寝るほど楽はなかりけり」。布団に入ると、決まってそう言う。


 毎日そんなに大変な思いをしているのかな? なんて心配になったりもした。




 そんな大好きな祖母が他界してからおよそ20年後、わたしはのちに夫となる男性と出会った。小田急線沿線に住んでいたわたしは、調布市に住む彼と出会ったのだ。


 そして彼の家から自転車で15分の場所に、祖母の眠る多磨霊園があることを知る。そのとき、不思議な縁を感じずにはいられなかった。


 彼が休みの日、彼の家から自転車で多摩霊園までやってきた。多摩霊園の敷地は広大で、まるで迷路のようでいつも迷ってしまう。まるでここだけ別世界のようで、ここで迷ったらもう現実世界には戻れないような気持ちになる。


 それは怖いという感覚ではなく、どちらかというと穏やかな感覚。自然が多く静かなので、わたしのお気に入りの場所の一つだ。霊園が好きな場所なんて変に思うだろうが、人生に迷うとわたしはいつも祖母と話すためにここに来る。


 ここに来ると心が落ち着いて、自然の英気を養うことができる。それと同じような感覚になれるのが深大寺なのだ。深大寺と多磨霊園は、リンクしている。


 そして、彼と結婚したわたしは、調布市内で引っ越しをした。そこからなんと徒歩15分のところに深大寺はあった。まるで小説の世界のような偶然に、鳥肌がたつ。


 毎朝深大寺まで散歩するようになったわたしは、祖母のオーラに包まれているような気分になって幸せだった。夏でも涼しく、豊かな自然とともにある深大寺は、神聖な気を感じるパワースポット。


 春には本堂の目の前にある一本のしだれ桜が満開になり、参拝客を楽しませてくれる。そしてどこからともなく沈丁花じんちょうげの香りが漂ってくるのだ。


 その香りで思い出が蘇る。

「そうだ、祖母と訪れたときも沈丁花の香りがしていた」


 意図したわけでもないのに、なぜか祖母との思い出がある場所の近くにいつも住んでいるわたし。それは、きっと祖母に守られているからにちがいない。


 そう確信したのは、わたしの結婚が決まったとき。もうかれこれ20年以上も止まっていたボンボン時計が突然動き出した。


 それは昔、祖母が買った時計。壊れても捨てられずに、ずっと壁に飾ったままになっていた。


 買った当初は、物語の中でしか見たことのないような大きな時計に、小学生のわたしは魅了された。そんな時計は、今ではどこでも見かけることはない。日本の職人技を感じさせる立派な時計だった。


 まさに「大きなのっぽの古時計 の時計♪」である。


 その時計は、祖母が亡くなった後に動かなくなった。何度ネジを巻きなおしても、すぐに止まってしまう。もう動くことはないのだとあきらめていた。


 そのボンボン時計が、突然ネジも回していないのに動き出したのだという。まるで、孫の結婚を喜んでいるかのように。


 それを聞いて、わたしは久しぶりに泣いた。



 それから3年。わたしはまた多磨霊園にいた。「霊園中央二十号地」のバス停を降りて、祖母が眠っている墓石の前に立つ。


 もう肌寒いくらいの季節だというのに、足元に蚊がまとわりついてくる。夏に来ると、必ず10ヶ所以上虫刺され痕が残り、悲惨な運命になるほど蚊が多い。


 多磨霊園は、東八道路と甲州街道に挟まれた場所にあるのに、ここだけまるで森のようになっているからだ。


 お彼岸でもない平日の多磨霊園は、人の姿もまばら。しかも今日は雨模様なので、余計に墓参りなんてしている人はいなかった。


 わたしは、夫が買ってきた花といなり寿司を墓前に飾る。線香に火をつけると、わたしは静寂の中で祖母と向き合ってしゃがんだ。


 そして手を合わせる。


 そのとき不自然なほど生暖かい風がふわりと通りすぎた。目を開けると、祖母が大好きだったいなり寿司の上に、カラスアゲハチョウがとまっている。


 そしてわたしたちのまわりを幾度となく飛びまわっては、またいなり寿司の上に戻るのだ。その不思議な光景にしばらく目を奪われていたが、「そろそろ行こうか」と夫が言うので、祖母の墓石を後にしようとしたとき、カラスアゲハチョウが夫の腕にとまった。


 いつまでも夫の腕から離れないカラスアゲハチョウをつかまえようと手を伸ばしたとき、静かにふわりと宙に浮かぶと、そのまま空高く舞い上がって行った。


 まるで、祖母が「いつも見守っているよ」と言っているかのように……。


 春も夏も秋も冬も、ゆるやかな風に乗って、祖母との思い出は永遠にわたしのまわりで漂っている。

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思い出は深大寺と多磨霊園と大きな古時計とともに…… 壇条美智子 @tuki03020302

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