虹を渡って

真野絡繰

タキおばあと僕と、伊良部大橋のお話

 僕は毎日、虹を渡ってるんだ。

 毎日、欠かさずにね。


 その虹の名前は『伊良部いらぶ大橋』っていって、宮古島と伊良部島を繋いでる、とても大きな橋だよ。青くて綺麗な海に架かってるこの虹を渡って、僕は伊良部島のタキおばあに毎日会いに行くんだ。


 前まで、宮古島と伊良部島を行き来するには連絡船に乗るしかなかった。ふたつの島はそんなに離れてないから10分で着いちゃうんだけど、僕は船が大の苦手。だから、生まれたときからずっと、「早く橋ができますように」って祈ってた。


「橋の完成がまた延びたってさぁ」


 タキおばあも、よく嘆いてたよ。


 土台になる橋桁はしげたを海のなかに造って、その上に乗っけた道路が両端から伸びていってた。それが真ん中で繋がれば橋になるんだけど、その歩みはカタツムリみたいに遅かったんだ。


 それから長い長い年月をかけて、橋はやっと完成した。そのとき、僕にはそれが虹に見えたんだ。だって、全長3540メートルもある大きな橋だよ? もしかしたら、本物の虹より大きいかもしれないじゃないか。


「橋ができたら、もう船に乗らんでいいね。コロも一緒に宮古へ行こうね」


 僕の名前はコロ。雑種犬なんだ。生まれたときから、ずっとタキおばあと一緒に伊良部島で暮らしてた。でも、今はタキおばあの娘の涼子ママと一緒に、宮古島で暮らしてる。


 僕の大好きなタキおばあは、2年前の台風の日に死んじゃったから。


          *


 タキおばあは、ずっと昔に伊良部島で生まれた。五郎おじいと結婚した後も、そのまま伊良部島に住んだ。漁師だった五郎おじいはカツオを獲る名人だったんだけど、僕が生まれる前に天国に行っちゃった。だから僕は写真でしか会ったことがないんだけど、タキおばあが何度も話してくれたから、よく知ってるんだよ。タキおばあは、五郎おじいが死んじゃった後でも、ずっと大好きだったんだ。


 タキおばあには、3人の子どもがいる。ふたりのおじさんは東京と大阪に住んでて、娘ひとりだけが沖縄に残った。だけど、その娘――涼子ママのことだよ――も就職するときに伊良部島を出て宮古島に行っちゃった。それからしばらくして、僕がタキおばあの「新しい家族」になったんだ。でも、タキおばあが星になっちゃったから、僕は宮古島の涼子ママの家に引っ越したってわけさ。


 涼子ママはとっても優しくて、その家族も僕を歓迎してくれた。今はとても幸せだし、毎日楽しく過ごせてる。でも、生まれたときから一緒にいてくれたのはタキおばあだから、僕はずっとタキおばあと暮らしていたかった。子どもの頃から仕事ばっかりしてた(五郎おじいが獲ったカツオで、カツオブシを作ったりね)から、タキおばあの指は太くてしわくちゃだったけど、僕を撫でてくれる手はとても温かかった。すごく温かかった。僕は、ずっとタキおばあの4番目の子どもでいたかった。


 タキおばあが死んじゃった後、僕はしばらく食べ物が喉を通らなくなって、涼子ママたちをずいぶん心配させちゃった。元気になるまで何ヵ月もの間、ずっと看病してくれたのはうれしかったな。


 今はもう、日課の散歩もできるよ。でも、涼子ママには絶対に内緒だけど、僕はやっぱり宮古島より伊良部島のほうが好きなんだ。伊良部島は小さな島だから、1時間もあれば回りきれるしね。


 すぐ隣にしも島っていう島があって、伊良部島とは短い橋でつながってるんだけど、そっちまで行けばもう少し時間がかかるかな。その下地島には空港があって、昔はパイロットの訓練に使われてたから、大きな飛行機が飛ぶのをよく見に行ったよ。


「あんな鉄の塊が、なんで宙に浮くか?」


 タキおばあは、飛行機に乗ったことがない。「死ぬまでに一度は乗ってみるか」ってよく言ってたけど、その願いはかなわなかった。残念だよ。


          *


 タキおばあが死んじゃったのは、ひどい台風の日だった。


 前が見えなくなるような雨が降って、電柱が倒れるぐらい強い風が吹いてた。タキおばあはとても強い人だけど、その強い人でも台風には勝てなかったんだ。


 あの日、タキおばあはキビ畑の端っこにある木を心配して見に行った。それは五郎おじいが結婚の記念に植えた木で、50年経ってずいぶん大きくなってたけど、潮風に負けて折れそうな枝が1本あった。タキおばあは、その枝を縄で縛りに行ったんだよ。


 でも、その日は本当に恐ろしい風が吹いていて、どこかの小屋からはがれたトタン板が飛んできた。それが、タキおばあの体に当たっちゃったんだ。


 雨に濡れた道路に倒れて動かなくなったタキおばあを見て、僕は慌てて人を呼びに行った。隣の具志ぐしさんちのおじさんがすぐに気づいてくれて、タキおばあは救急車で運んでもらえた。でも診療所の先生は寂しそうな顔をして、「この島じゃ治せない」って言ったんだ。タキおばあの怪我を治すには大きな機械が必要なんだけど、それが伊良部島にはないんだって。


 船で宮古島の大きな病院に連れていくか、ヘリコプターで沖縄本島に運びたいとも言った。でも、その日の天候じゃ船もヘリコプターも出られなかったんだ。


 その日の夜、タキおばあは天に召されたんだよ。


          *


 今、タキおばあは五郎おじいと一緒に、家の裏にある大きな石の下にいる。あの台風の日に橋ができていれば救急車で宮古島の病院に行けて、タキおばあは生きてたかもしれないと思うと悔しいよ。でも、大きな石のところに行けばタキおばあがいるから、僕は毎日会いに行くんだ。


 タキおばあの家には今、本土から来た家族が住んでいる。家族にはルナっていう犬もいて、僕が行くと一緒にご飯を食べさせてくれる。ルナはビーグルの女の子で、僕みたいな雑種犬とは比べものにならないほど可愛いけど、ご主人は分け隔てをしないんだ。ご主人はダイビングのインストラクターで、伊良部島のサンゴの海が大好きだから移住したんだってさ。


 僕は今日も、虹を渡って伊良部島に行くよ。その虹の向こう側にある、タキおばあの優しい笑顔に会うためにね。

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