小樽より、君へ

相良あざみ

小樽より、君へ

 ホームの柱についている硝子のランプに、柔らかな光が灯っている。

 小樽駅で降りる人々は、どこか落ち着かない空気を纏っているように思えた。

 スーツ姿の人は少なくて、旅行客と思われる人の割合が高い。

 大きな荷物を抱えながらホームを降りていく彼らを眺めながら、私もあんな顔をしているのだろうかなんて、ふと考えた。

 子供の頃からよく訪れているから、むしろ、地元民のような顔をしているのかも知れない。

 いや、小樽は私の生活圏ではないから、この街自体がまとうものとは少し違う、浮ついた空気をしているのかも。


 昭和初期に建てられたこの小樽駅舎は、お気に入りのひとつだ――とはいえ、子供の頃は車で小樽を訪れていたし、リニューアルされた部分もあるからそれに含めたのはこの数年の話だ。

 改札を出てエントランスを見上げると、硝子のランプが並んでいる。

 昼前のこの時間、まだ光は灯されていない。


 駅前のバスターミナルを澄ました顔で通り過ぎ、海まで一直線の中央通りを下っていく。

 セントラルタウン都通という名のアーケード商店街に差し掛かったときの、帰りにアイスでも食べて行こうかという思い付きは、顔に出さない。

 そのときの私は完全に、地元民の顔だ。

 用事があるからここを通っているのであって、観光客ではないのだよ、と言外に醸し出す。

 でも、心惹かれる風景が色々あるでしょうそうでしょうと、少し自慢げに考えるのだ。

 きっと本当の小樽市民はわざわざそんなことを考えないし、私は小樽市民でないというのに。


 坂を下って駅と運河の中間辺り、写真を撮る観光客の脇をすり抜けて足を踏み入れるのは、旧手宮てみや線だ。

 存在を知らないのか、それとも写真だけで満足なのか、イベントが行われているとき以外はそれほど人は多くないその廃線。

 先を行くカップルに初々しさと少しの嫉妬を覚えながら、私は決まってひとり、スタンド・バイ・ミーごっこをする。

 映画自体を観たことはない。

 でも頭の中では挿入歌が流れている。

 ダーリンと、スタンド・バイ・ミーさえあればどうにかなるサビをひたすら繰り返して、枕木を踏んで歩いていく。

 スタンド・バイ・ミーと言えるダーリンは、残念ながらいないのだ。


 ベンチに座る人の前を通り過ぎ、あれは何の木だろうと考えながら結局答えは出ないまま、開けたところへ辿り着く。

 右側にある『色内驛いろないえき』と掲げられた小さな建物は、手宮線が使われていた頃の臨時駅を再現したもので、休憩所になっているらしい。

 私はをしているから、そこに入ったことはないし、興味もないのだと澄ましてみる。

 観光客は写真撮影に夢中で私のことなど見ていないけれど、そうやって得意になっている自分を面白がりながら左側の建物へと足を踏み入れるのだ。


 市立小樽文学館。

 それと、市立小樽美術館。


 どのくらい前に建てられた建物なのか、私は知らない。

 きっと、道路を挟んだ隣にある旧三井物産小樽支店だとか、道路の向こうの日銀の資料館の方が歴史的価値でいうなら、あるのだろう。

 それでも私は、昭和後期の、未だ骨董になれないこちらの方が好きだった。

 なんとなく懐かしくて、切なくて、愛おしい気持ちにさせてくれるからだ。


 事務所でチケットを買って、古い階段で二階へ上がる。

 カフェと古本コーナーを通り過ぎ、チケットに判子を押してもらって展示コーナーへと足を踏み入れた。

 左側は、企画展が催されている。

 右側は北海道ゆかりの文人達についての常設展だ。


 企画展を心ゆくまで堪能し右に曲がれば、そこに伊藤せいの部屋を再現したコーナーがある。

 たくさんの本と、封筒らしきもの。

 床にも雑然と積まれ、机の上にはピースの空き缶にペンが刺さっている。

 うんうんと、ひとり頷く。

 これでなくてはいけないと妙に納得して、それから常設展を堪能するのが、私の決まりなのだ。


 展示スペースをすぎると、昭和喫茶「夢」というスペースがある。

 そこの壁際には便箋やポストが置いてあって、メッセージを書いてポストへ投函すると学芸員さんがノートにまとめてくれる。

 私も投函したことがあるけれど、気恥ずかしくて探してはいない。

 でも、そのノートを眺めるのは好きだ。

 まさに悲喜こもごも、ひとりでやって来たという人に勝手にシンパシーを感じて、いつか良いことがあるさと心の中でエールを送った。


 隣のカフェで珈琲を貰い、しばらく休憩してから古本コーナーへ移動する。

 何が好きかといえば、どことなく古ぼけた窓際で、本を物色しながら色内驛を眺めることだ。

 観光客が写真を撮っている。

 はしゃぐ声が、ここまで聞こえてくるようだ。

 私も今度、友達を連れて来よう。

 あわよくば、恋人を。

 そうしたらをして、はしゃぐことだって出来るだろう。


 そんなことを考えていたら不意に人の顔が浮かんで、思わず固まる。

 少しして、うん、どうやら、私は彼が好きらしいと、今更ながらに気付いた。

 古い窓際で夢見る文学少女と化した私は、本を閉じて「夢」へ戻る。


「スタンド・バイ・ミー」


 それだけを書いた便箋を、ポストの中へと落とした。

 いつか、届きますように。

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