そうですね。きっと。
鋼野タケシ
そうですね。きっと。
「ここは良いところですね」と、若い男性が言った。
わたしは微笑んで、そうですねと答える。
訪れる多くの人が、わたしのふるさとを褒めてくれる。
「良いところですね」と。
「都会とは違う」と。
「自然豊かで癒される」だとか。
「ここでの生活に憧れる」と言われたこともある。
彼らがふるさとを褒めるたび、わたしは微笑んで答える。
そうですね。きっと。
わたしのふるさと。北海道、
有名な横綱、大鵬さんの出身地で、わたしが生まれる前の温泉ブームにはかなりの賑わいを見せたとか。
今はどうだろう。わたしは物心ついてからの十数年しか知らない。ふるさとは落ち着いた温泉街だ。いつも硫黄のにおいがする。
わたしの実家も温泉宿で、毎日は静かだけど週末や観光シーズンになると観光客の姿が多くなる。
今日は団体さんの他に、一人旅をしている青年が泊まりに来た。
「あの大きな硫黄山! 山肌から煙を吹いてるの見て、感動しちゃいましたよ」
その人は、興奮を抑えきれない様子だった。
「いやあ、ホントに素晴らしい場所です。ぼくはですね、東京で生まれ育ったものですからこういう景色に憧れがあるんですよ。今日も弟子屈の方から
よほど景色に感動したのだろう。頬を上気させ、子供のようにはしゃいでいる。
摩周湖は、映画の舞台になったり歌の題材になったりと有名。摩周湖を目当てに来て、川湯温泉に泊まっていくお客さんも大勢いる。
たくさんの人が遠くから、自然を見に訪れる。
彼が感動したと語る景色を、わたしは毎日見ている。
硫黄山には雪も積もらない。茶と黄色の山肌が剥き出しで、毎日もくもくと煙を吐き出している。町まで届く硫黄のにおいを、苦手だというお客さんもいる。わたしは生まれた時から嗅ぎ慣れている。温泉のにおい、ふるさとのにおいだ。
「明日の朝は
どうでしょう。自然現象ですから。
「見られたらいいなぁ」と、彼は楽しそうに言った。
凍結した湖面が割けて、亀裂の部分が持ち上がってまた凍る。氷の湖に走る亀裂が道のように見えるから、御神渡りは神様が渡った跡と言い伝えられている。
有名なのは長野県の諏訪湖だけど、屈斜路湖もかなり長い距離の御神渡りができる。
明日の朝、彼は御神渡りを見られるだろうか。もし見られたなら、その日の夜もきっと頬を赤く染めて熱弁してくれるだろう。素晴らしいところです。感動しました、とか。
「ここは良いところですね」
彼がまた言ったら、わたしはきっと同じように答える。
そうですね。きっと。
街中を鹿が歩いているし、時々キタキツネが庭に迷い込んでくる。ちょっと街を離れればオジロワシが飛んでいるのも見える。
真冬の空から降りしきる雪。透き通った青の湖。野生動物たち。都会からのお客さんが喜んで見る景色のすべて。
わたしにとっては、すべてが変わらない日常の象徴。
人は時々、旅をする。どこか知らない場所、遠いところ。見たことのない景色や知らない何かを求めて。
わたしもたまには、旅をする。だいたい四月か十一月、実家の温泉が閑散期に入る頃を狙って。四月は新年度で誰も彼も忙しい。十一月の北海道は紅葉も終わり、雪が降り始める時期。どちらもちょうどお客さんが減るから、まとめて休みをもらう。
都会に旅行へ出たこともある。飛行機に乗って、東京へ行った。
「何もかも違う」と、東京で育った人は憧れたように言う。
わたしも、ふるさとと東京は何もかも違うと思う。
でも、どちらが優れているとは思わない。東京は活気に満ち溢れている。
自然に囲まれたふるさとにないものが、都会にはある。なんでも手に入る豊かな場所。肩を寄せ合って暮らす人々の声。夜は輝く街の灯り。それに、便利なコンビニがある。
ふるさとには自然がある。都会では得られない静寂、真冬の森に隠された孤独の美しさ。満点の星空。
ふるさとの自然はわたしの一部。都会の人なら、喧騒も人生の一部なのだろう。
騒がしさに疲れた人は静けさを求める。静けさに慣れたわたしは、人ごみが懐かしい。
その夜、御神渡りを見た青年が楽しそうに語ってくれた。湖が凍りついて立てる、ぴしぴしという音も聞こえたようだ。
わたしのふるさとを、彼はとても嬉しそうにほめてくれる。嗅ぎ慣れた硫黄のにおいが鼻をくすぐった。
「ここは良いところですね」
だからわたしも、微笑んで答える。
そうですね。
でも、あなたのふるさとも、きっと良いところでしょう?
そうですね。きっと。 鋼野タケシ @haganenotakeshi
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