この作品が眼前にある意味。

 この作品の発想を得て、文字にし、同人誌に掲載。それぞれのステップで相当の勇気が必要だと思うのです。
そして今、多くの若い読者に提示する行為は、ある種の蛮勇です。
多大な実績があるからこそ可能といえるでしょう。

SFにおいて「時を超える愛」は普遍的なテーマであり、作品も汗牛充棟ですが、スケールの大きさではこの作品を超えるものはそうないでしょう。中短編への敷衍も可能なはず。ですが、短歌・俳句の国ですから短く鋭いほうが心に届きます。
短いながらもSFスピリットの根幹、究極の「思い」を描いた作品です。


さて、ここからは邪推ですが。

今話題のアニメ映画への彗星問題の指摘でおびただしい先生へのアンチが一時ネットに湧きましたけれども、もしかすると

「指摘は決して作品を毀損するものではないし、その証拠に、自分もかつてはこんな小説を書いていたんだよ」

と、赤面しつつも提示してくださったのだとしたら……?

先生もかわいいところあるなぁ、と言うのが私の感想であり、これは懐が深い大人の対応ですね。
アンチの幾人かは考えを変えるかもしれません。
個人的には作品の深さとしてはあのアニメより数段上ですし。


最後に一つ。

……永遠に拡張し続ける宇宙でもこの詩は書けるはず。
最後の陽子が崩壊し、永遠の夜の帳がおりるまで。
多分もっと切ないものになるような気がします。