第5話

「それが、どういうことなのか分かってるの?」

「はい。分かってますよ」


 レイナの問いかけに、ノーチェは迷いなく答える。

 でもその言葉を僕はにわかに信じることができない。きっと彼女は、無理をしている。もしそうなら、止めなくてはいけない。


「でもそうなる運命が嫌だったからこうして逃げてるんだよね?本当は生きたいんじゃあ…」

「…ずっと前からとっくに覚悟はできてたんです。自分の運命を受け入れる覚悟。

 でもあの時、私の運命が終わるはずだった直前で空白の書の持ち主が現れた時、思ってもいなかった選択肢が突然現れて、動揺、しました。頭が真っ白になって、何も考えられなくて」


 その時の事を思い出しているのか、彼女は目を閉じてゆっくりと開く。


 「でもすぐに結論を出さなきゃいけなくて…ただ、生きられるのなら、まだ生きたいって、そう思ったんです」

 「なら…!」

「でもきっとそれは、もっともっと色んな事が知りたかったから。

 まだ生きられるなら私は、この地下世界以外の、外界の、色んな事をこの目で見たかったから。

 私、全然深く考えてなくて…言われるままにその手を取って逃げてしまったけど、地下世界で過ごすこれからの事を考えたら、何もやりたい事とかなかったんです」

「それは…本来ならそこで運命が終わっちゃうはずだったんだし、その先の事なんてすぐには思い浮かばないのは当然だよ!

 生きていれば、これからどんどんやりたい事だって見つかるはずだ!」

「いいえ。私はやっぱりノーチェなんです。私にあるのは、外の世界への憧れだけ。エクスさんに他の想区の話を聞いて、その思いがハッキリしました」


 レイナから何で話したの?!と非難の視線を向けられる。それに気づいてノーチェが慌てて擁護してくれた。

「エクスさんは悪くないんです!私が無理やり、教えてほしいってお願いして…それに、お話はすごく楽しかったです。私の知らない世界がまだまだこんなにあるんだ!って。

 それで、やっぱり自分の目で見てみたくなったんです。昼の、太陽の光に照らされた世界を」


「その結果、死んでしまうとしても?」

「…はい。私はノーチェだから…ううん。私は私だから、運命とか関係なく、外の世界に行きたいんです」

「…分かったわ」

「レイナ?!」

「あなたの意見を尊重する」

「ちょっと待って!まだ諦めるのは早いよ!!何かもっと良い方法があるって…!!」

 ノーチェは静かに首を横に振った。ごねる僕を諭すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。これは彼女の本心だと、その琥珀色の瞳が告げている。


「ありがとうございます。でも、もう決めたんです。わがままを言ってすみません」

「…そんな…っ」

「…私たちの方こそ、あなたを殺さないって言ったのに…結局何もできなくて本当にごめんなさい」

「殺されるだなんて思っていませんよ。それに、皆さんがいなかったらとっくにヴィランに殺されて、陽の光を見ることなく終わっていたかもしれないんです。私、みなさんに出会えて本当に良かったです」


 そう言ってノーチェはきれいに笑った。

 



「じゃあこれからの流れを説明するわ。外の世界に通じる扉まで、ヴィランから守りながらノーチェを連れていく。以上!」

 レイナが高らかに宣言した。ドヤァっという効果音が聞こえてきそうな勢いだ。

「…そのまんまですね…」

「分かりやすくて良いじゃねぇか」

「その外への扉まではどれくらいかかるの?」

「ここからだと、一時間弱くらいでしょうか…ちょうど天頂へ太陽が昇りきる前には辿り着けると思います」

 懐中時計をチェックして、ノーチェは道のりと時間を試算し、回答を聞いたレイナが場を仕切る。


「道中かなりの数のヴィランに遭遇すると予想されるわ。みんな、気を引き締めていきましょう!」

「…なぁ。お嬢はなんであんなに張り切ってるんだ?」

「今回は姉御の一番の見せ場がないですから。出番がなくなると思って焦ってるんですよ。きっと」

「あはは…」

 高々と拳を上げるレイナを横目に、コソコソとツッコミトークを展開する。

 レイナもタオもシェインも普段と変わりない様子だ。あえて言うなら、テンションは高めではあるが…

 だからと言って3人が薄情なわけではなく、心の中ではノーチェを救えない事を悔しく思っているに違いない。今まで一緒に旅をしてきて、そういう人達であることは充分に理解している。

 でもその感情を表には出さない。僕より旅の経験が長い分、辛い場面にも何度も直面し、その度に強くなったんだろう。僕は、まだまだだ。


 ふと気が付くとノーチェが部屋の中の棚をゴソゴソと漁っている。何か探しているようだ。

「何探してるの?」

「え~と…多分この辺りにあると思うんですよねぇ~…あ、あった!」

 シュッという衣擦れの音と共にノーチェが取り出したのは普通の傘だった。一見何の変哲もないようだが、何か特別な力が秘められているのだろうか?不思議に思ってそう訊ねてみる。


 「?ただの傘ですよ?」

 えっ?と思っていると、ノーチェは傘を素早く振った。

「冒険に危険はつきものですから。私だって自衛くらいはできるんですよ」

 ヒュッヒュッと傘で風を切りながら、彼女はにっこりと笑う。

「いやいやいやいや。傘でヴィランと戦うつもり?それはちょっと!」

「傘とノーチェは切っても切り離せない関係なんです!ノーチェの3種の神器と言っても過言ではありません!」

 呆れて物も言えないでいると、シェインが横から口を挟む。

「ちなみにあとの2つは何なのですか?」

「サングラスと太陽の欠片ですっ!」

「ほほう…それは興味深いです。さんぐらす?とは??」

「色付きのメガネの様なもので…原理はよく分からないんですけど、目に入ってくる光の量を抑えることができて、明るい場所でも眩しくないんです!で、太陽の欠片というのは…」


 聞かれてもいないのに太陽の欠片についてまで熱弁しだす。シェインもノリノリで話に聞き入り、ますますあっちの方向へ話が加速しようとしていた所にレイナが割って入った。


「盛り上がってるところ悪いんだけど…それ、本気なの?」

「今まで皆さんに守ってもらってばかりでしたけど…これからはちゃんと自分の力で道を切り開きたいんです。もう、逃げるのは止めたから…!」

「うん、分かった。それは分かったけど、その事はひとまず置いておいて…ただの傘なのよね?」

 怪訝そうな顔で傘を指さすレイナ。

 そこでようやく、ノーチェは何を心配されているのかに気づいたようだ。

「あぁ!心配はいりませんよ。この世界では資源はとっても大切なので…普通の傘でも長く使えるようにとっても丈夫なんです!ちゃんと鍛冶師の方が鍛えた鋼鉄製なんですよ」


 自慢げに差し出された傘を受け取ってみると、傘にしてはしっかりとした重みがある。少し力を加えてみてもびくともせず、簡単には曲がりそうになかった。

 一通り確かめてから、レイナにも渡してチェックしてもらう。

「ううん…まぁ、自衛くらいならこれで何とかなる…かな…??」

「なります!大丈夫です!」

「…分かった。でも無理はしないで。あくまでも自衛に努めること!」

「はいっ!」



 ノーチェは道中もずっと明るかった。今までずっと自分の正体を隠して思い悩んでいた彼女だ。これが本来の姿なのかもしれないし、やはり空元気のようにも思える。

 あるいは、残り僅かしかない自分の人生を、精一杯楽しもうとしているのかも…

 明るく振る舞う彼女に合わせてなのか、他の皆もテンションが高い。

 ヴィランと遭遇した時でさえも、「うぉぁぁぁぁぁぁ!」「とりゃぁぁぁぁぁ!!」等の気合いの入った掛け声とともにバッサバッサとものすごい勢いで敵をなぎ倒していく。

 ヴィランとの戦闘は避けられないとして、ノーチェが僕たちが戦いやすいようなるべく広い道を選んで案内してくれたおかげで、心置きなく暴れられているのもあるが、それだけではないだろう。


 ノーチェは言われた通り戦いの最中は前には出ずに後方で大人しくしていた。

 たまに討ち漏らしたヴィランが彼女の方へ向かったときのみ、戦いに参加する。

 肝心の傘は、本人が宣言した通り武器としてちゃんと機能していた。

 剣の様にふるっても、槍の様に突き刺しても、骨組みはもちろん生地も破れない。驚きの耐久性だ。



 この勢いに乗って順調に外界まで進めるかと思われたが、肝心の扉がある広間の入り口で僕達は足踏みする。

 広間の奥には太陽と月、2人の女神像に挟まれるようにして大きな扉があり、

その扉の前で門番の如く待ち構えていたのはメガ・ヴィランと呼ばれる巨大なボス級のヴィランだった。

 その姿は大きな岩を組み合わせて造られたまさにゴーレムであり、見るからに頑丈そうである。


「げ。最後の最後でおでましかよ」

「簡単には通してくれないってわけね」

「でも、ここを抜ければもう外なんですよね?」

「はい。二重扉になっているので、通路自体はまだ少しありますが、あとは細い一本道なので、ヴィランは潜伏できないと思います」

「これが多分、最後の戦闘になるわね…みんな、準備は良い?」

 レイナの問いかけに皆無言で頷く。

「よし、じゃあ行くわよ!」


 先制攻撃を仕掛けたのはタオだった。両手で大きな杖を握る魔導士とコネクトしたタオは、メガ・ヴィランがこちらに気づくより先に、巨大な氷の塊をその頭上へと落下させた。

 それが開戦の合図となり、僕たちは一斉に攻撃を仕掛けようと前へ出る。と、そこに地鳴りのような声が響く。


「グルォォォォォォ!!」


 空気がビリビリと震える。洞窟全体に響き渡るかのようなメガ・ヴィランの咆哮。堪らず両手で耳を塞ぎたくなり、動きが止まってしまう。

 その隙に辺りには次々とナイトヴィランが現れ、あっと言う間にメガ・ヴィランを囲む鉄壁の盾となった。


「くっ」

 ナイトヴィランが邪魔でメガ・ヴィランまで攻撃が届かない。もたもたしているとメガ・ヴィランが体制を低く構えるのが見えた。

「みんな、避けて!」

 声を上げるのと同時に後列からの強烈なタックルが飛んでくる。攻撃を紙一重でかわし、すかさず反撃に転じようとするが、メガ・ヴィランはあっという間にナイトヴィランの壁の向こうに隠れてしまう。


 このままではまずい。ナイトヴィランに気を取られているうちに、メガ・ヴィランの突進に巻き込まれていずれ皆やられてしまう。

 何とかして早くメガ・ヴィランを抑えなくては…!


 そう考えていたその時、広間の入り口に待機していたノーチェが動いた。

 彼女の位置からなら、丁度メガ・ヴィランの背後を取れる絶好のタイミングだ。

 彼女は跳躍と共に傘を大きく振りかぶり、頭上に思い切り振り下ろす。

 予想していなかった強襲にメガ・ヴィランは体制を崩し地面に伏し土煙を上げる。


「やったぁ!見てましたか?!私だってやればできるんですっ!」

 嬉しそうにはしゃぎ、こちらへ駆けだそうとするノーチェにタオが声を荒げる。

「まだだ!危ない!!」

 メガ・ヴィランはすぐに体勢を立て直し彼女の方へその大きな岩の両腕を振り上げる。

 えっ?とノーチェが振り返った時にはもう遅かった。


「ノーチェ!!」

 彼女の小さな体は軽々と吹き飛ばされ、入り口付近から太陽の女神像のそばまで一直線に叩きつけられる。

「つっ」

 僕は急いでノーチェの元へ走り、倒れたその体を抱き起す。

「大丈夫?!」

「う…だ、だいじょうぶです。私、こうみえて丈夫なんですよ」


 意識はちゃんとしっかりしている。土埃にまみれてボロボロではあるが、見たところ大きな外傷もなさそうだ。叩きつけられた衝撃で呼吸が荒いが、そんな状態でも彼女はにっこりと笑って見せた。

「無理しないって約束したのに、何で…」

「少しでも皆さんに恩返ししたくて…でも、また迷惑かけちゃいましたね…」


 彼女は悔しそうに奥歯をかみしめ、その琥珀色の瞳に涙をにじませる。

 その時、ノーチェのそばに転がっていた小石が淡く光った。

「これ…太陽の欠片…何でこんなところに?」

 ノーチェは不思議そうに光る石を拾い上げ、そして両手で包み込む。


「あったかい…ここで、私を待っててくれたんだね…ごめんね。もう手放したりしないから。少しだけ私に力を貸して…」

 ギュッと目を閉じて、手の中の欠片に語り掛ける。

 その姿はまるで傍らにそびえる太陽の女神像に祈りを捧げているようにも見えた。

 握った拳から次第に光がこぼれ溢れる。


「みなさん目を閉じて!」


 ノーチェの掛け声に慌てて目を閉じる。その直後、瞼越しでも分かるほどの、まばゆい光が発せられ、辺り一面を包み込んだ。

「今です!」

 言われて目を開けると、閃光を直視したヴィラン達は目をくらませ、動きが鈍っている。

「うぉぉぉぉ!!」

 動けないでいるナイトヴィランを無視して、一直線にメガ・ヴィランの元へ駆ける。そして渾身の一振りを背後からけしかける。

「よし、効いてる!」

 休む間もなく畳みかけるように剣撃を浴びせる。そして――


「グゴォォォォォ……」


 苦し気な叫び声と共にメガ・ヴィランは崩れ落ち、跡形もなく消え去った。


「…やった!」


「でかした坊主!」

「よくやったわ!」

「ぐっじょぶです」

 ちょうど周りのナイトヴィランを片付け終わったらしくみんなが僕の方へ駆け寄ってくる。

 ノーチェは吹き飛ばされた際のダメージがまだ残っているのか、ふらつきながらも立ち上がる。でもその表情はとても晴れ晴れとしていた。

「エクスさん!ありがとうございます」

「勝てたのはノーチェのおかげだよ」


「おぉっ。それが話してた太陽の欠片ですか?!」

「はいっ」

 シェインに聞かれ、ノーチェは少しはにかんだ表情でそっと拳を開く。手の中にすっぽりと納まった太陽の欠片は先ほどまでの輝きを失い、ゆっくりと瞬きをしているように鈍く淡い光を発していた。

「先ほどの発光で、ほとんど力を使い果たしてしまったみたいです…はやく太陽のもとに返してあげなくちゃ…」


 その言葉に勝利の余韻も吹き飛ぶ。

 

「…行くんだね」

「はい…」

 再び欠片を両掌で覆うと、ノーチェは真っ直ぐに僕たちに向きなおす。


「皆さん、ここまで本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、ちゃんと夢を叶えることができます」


 そして彼女は重い扉を開く。ノーチェが言っていたとおり、細い通路の先にもう一枚扉が見える。扉の隙間からはかすかに陽の光がこぼれており、まぎれもなく太陽の光が溢れる外の世界へと続いていることを示していた。


「ノーチェ!僕、君の事を忘れないよ。絶対に!」

「はい!私も皆さんの事忘れません。絶対です」

 出会ってから一番の笑顔で彼女は笑った。


「じゃあ、ちょっと行ってきますね」


 あっさりとしたお別れだった。ちょっとそこまで散歩してきます、みたいな気軽さで彼女は扉の向こうへと姿を消した。

 そうして2人の女神様が見守る広間には、僕たちだけが取り残された。

  



 ***



 洞窟の外に出ると、まばゆいばかりの太陽の光に一瞬目の前が真っ白になった。


 ぎゅっと目をつむり、そうっと開く。真っ先に飛び込んできたのは一面の青空。

 ぽつりぽつりと立っている樹の枝葉は太陽の光を受けてキラキラと輝き、草原には色とりどりの花々が咲き乱れている。


「うわっ。まぶしっ!」

「はぁー。久しぶりの外の空気!気持ちいいですね~」

 タオとシェインが体を伸ばしながら軽やかにそんな景色の中へ駆けていく。


「…綺麗ね」

 のどかで、どこにでもあるような、でも滅多に見られない景色に、レイナからも感嘆の息が漏れる。


 僕はそんなみんなの姿と、この景色を見ながら、琥珀色の瞳の少女の事を考えていた。彼女の瞳は、この太陽の光の下ではどんな色に見えたのだろう。


「本当にこれで良かったのかな…」

「……」

 隣にいるレイナからの返事はない。

 これで良かったのか?本当に他に道はなかったのか?

 すべてが終わってしまった今でもそれを考えずにはいられない。

 生きたい、と言った彼女に生きていてほしかった。光の中ででも、笑って生きていてほしかった。

 でも、それは絶対に叶わない。


 ならせめて、彼女の望みが一つでも多く叶っていたら良いと思う。

 彼女はきっとずっと、この景色が見たかったのだろう。命を賭してでも。

 ずっとあの暗い地下と、夜の外界でしか過ごせなかった彼女。どんなにこの景色に憧憬を抱き、恋い焦がれていたのだろうか。


 ふと視線を横に逸らすと畑が目に入った。畝ごとに数種類の作物が育てられており、その中の一つは大きな黄色い花を咲かせていた。


「…最後にこの景色、見られたかな」


「そうね、そうだと良いわね」


 風が優しく頬を撫で、草花を揺らしていく。

 レイナのプラチナブロンドの長い髪が揺れ、キラキラと景色に溶けて、なんて美しいのだろうと見とれ、慌てて空を仰いだ。


 この世界は今、真っ白な太陽の光で満ち溢れている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グリムノーツ~ノーチェと太陽の欠片~ 小鳥遊 @kotoriasobi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ