【短編】君はゴジラの聲。

壱原優一

君はゴジラの聲。

『たすけて。今からいく』


 そう書いたメールを送りつけてきたのは、幼馴染の咲子さきこだ。

 それで目が覚めた。朝の七時。


 まぁ、こっちに来れるんなら、大して深刻じゃないだろう。

 宿題の手伝いかな。


 俺はあくびをしながら手を頭にやった。

 寝癖はついてないようだ。

 とにかく着替えを……と、またスマホが鳴った。


『ついた。開けて』


 はえーよ。

 歩いて五分もかからないからって。


 しかたない。パジャマのまま、俺は玄関に向かう。

 両親はまだ寝てる。折角の休みなんだ。

 起こさないよう静かにドアを開ける。


 口をへの字に曲げた女が立っていた。

 いつも通りの強気そうな目。


 小岩こいわ咲子さきこ

 小学校二年の頃、うちの隣に引っ越してきた。


 それからの付き合いだから、もうかれこれ十年近くになる。

 中学も高校も一緒。仲はまぁ悪くない。

 つーか、こんな近所で険悪なんてストレス溜まるだけだしな。

 ストレスは万病の素だ。


「よお。こんな朝になんだ?」


 咲子は答えず、人差し指を立てる。

 俺の部屋に行こうってことらしい。


 挨拶くらいしろよ。

 と思ったけど、まぁ、こいつなりに気を使ってんだろう。

 チャイムも鳴らさなかったし。


 咲子は既に靴を脱いで階段をあがっている。

 勝手知ったる人の家というやつだ。

 俺は静かに玄関を閉めてから、後に続いた。


「──まぁ適当に座れよ。それで?」


 部屋に戻ってから、もう一度訊く。


「なんの用だ? 宿題か? お前、英語は苦手だもんな」


 咲子は相変わらずだんまりで、首を横に振った。

 じゃあ、なんだよ。

 頭を捻る俺に、咲子はスマホを取り出し、何かを入力して画面を見せてきた。


『驚かないでね、紘一』

 と、そこには表示されていた。


 喉でも痛めているのだろうか。

 筆談というわけだ。


「わかった、わかった。早く言えよ」


 咲子はなおも躊躇う様子を見せていたが、やがて意を決したように口を開いた。



「──ンギャアアアァァァグオォォォッ!!」



 その声はまるで怪獣のようだった。

 世界的に有名な、あの怪獣王だ。

 しかも上手い。瓜二つと言っていい。

 モノマネ選手権に出たら優勝できるだろう。


 休みの日、幼馴染の女の子に、朝からゴジラの鳴き真似を聞かされる。


「ふざけてんのか?」

 って言いたくなるシチュだし、実際に言った。


 途端に咲子は堰を切ったように、両目から大粒の涙を溢れさせ

「ンギャッオ……ンギャッオ……」

 と、しゃくりあげ始める。


 嘘だろ……。

 ……ゴジラが、泣いている。


 映画の台詞にありそうだな。


 ……って違う違う。

 俺も少しパニクッてるな。落ち着け。整理しよう。


 まず咲子はモノマネなんてするタイプじゃない。笑われるのが嫌いだから。

 人前で泣くなんてことも普段ならあり得ない。


 あり得ないことが二つ。

 そりゃパニクる。


 んでもって、もう一つ。


 泣きながらゴジラの鳴き真似をする奴なんて、いないだろ。

 いるとしても咲子はない。


 そして『たすけて』というメール。


「……まさかだけどさ、咲子」

「ンギャォ……」

「めちゃくちゃ信じられない話ではあるけどさ」


 でもこいつは、くだらない嘘をつかないタイプだから、そうなら信じるけど。


「ンギャァグォ……」

「その声しか出せないのか?」

「! ンギャアアアグオォォッ!!」


 咲子が大きく何度も頷く。

 ……まじか。

 咲子じゃなかったら絶対に嘘だと思って追い返してるところだ。


「なんでそんなことに……」


 咲子はスマホをタッチして答える。


『わかんない。朝起きたら喉がなんか変だなって思って、それで少し声出してみたらこんなんなってて、もうどうしたら良いかわからなくなって、とりあえず紘一のところに来てみたの』


「いや、まずは医者に行けよ」

『こんなの恥ずかしくて行けない!』

「だからって俺んとこ来られてもなぁ」


 話は信じるけど、それとこれとは別だ。

 どうしろってんだ、まじで。

 治し方もなにも見当つかねえぞ。


『助けてよぉ』


 末尾に涙目のイラストが付いていた。

 いつも簡素なメールしか寄越してこないのに。

 本人もまだべそかいてる。


「……しかたねえな。少し考えてやるよ」


 そう言ってやると咲子は鼻を啜ってスマホを見せてきた。


『ありがとう』末尾にハートマーク。


 こいつが絵文字を使ってるとこなんて初めて見たわ。

 よっほど参ってるんだな……。


 こんなにも参ってる咲子を見るのは、いつ以来だろう。

 引っ越して来てすぐの頃は、泣き虫だった覚えがある。

 その次に思い出す咲子は、委員長になって男子にも物怖じせず注意できる咲子だ。だいたい中学くらい。


「ンギャァグゥ」

 スマホには『どうかした?』とある。


「なんでもない。考えてただけだ。どうやったら治るかなって。で、だ」


 とりあえず思いついたことが一つ。


「咲子、後ろ向いてみ」


 理由も聞かないで咲子は無防備な背中を晒す。

 つか、こいつ、なんで制服なんだろ。


 まぁいいや。今はゴジラの鳴き声だ。

 俺はスゥーッと息を吸うと、咲子の耳元に、


「わっ!!」


 と叫んだ。

 しゃっくりと同じで、ビックリしたら治るんじゃねえか説。


「ンギャアアアグオォォ!!」


 残念、失敗。


『いきなりなによ!』

「しゃっくりと同じ方法で治るかなって」

『治るか! もっと真剣に考えてよ!』


 真剣だったんだが、そう言うと余計に火に油を注ぎそうだ。

 怒った咲子はゴジラ並に怖い。


「じゃあ次は……あ。案外、ゴジラとは言えたりしてな」


 いや、ないか。


「ゴジラ」

「言えるのかよ!」


「ガッディーラ!」

「マグロ版!」


「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラゴジラ」

「ゴジラ、モスラ、キングギドラ! つか、ふざけてるわけじゃねえよな?」


 咲子がこくこくと必死の形相で頷く。


「それなら良いんだけどよ。ああ、信じるって。咲子の言うことだからな」

 なにより、その不安そうな顔を見たら、信じずにはいられないっての。


 その後も色々と試してはみたものの、成果はなく、時間ばかりが過ぎていく。

 腹が減ってきた。

 それにつれて咲子の表情も曇っていった。


ンギャアァァずっと、このままなのかな……」


 遂には、そんならしくないことまで言いだした。

 いや正確には、書きだした、か。


「諦めるには早いだろ。もっとちゃんとした……研究機関とか? そういうとこ行けばさ」

ンギャァグゥそうかもだけど……グォォでも……」


 瞳から静かに涙が流れ落ちる。

 それはきっと、今朝とは種類の違う涙だった。

 戸惑いや不安、そういうものからの涙ではなく、諦め。

 どうしようもない運命に敗北した者の涙だった。


ンギャアオ紘一ンギャアグオォ今までありがとうね……」

「そんな……死ぬわけじゃねえんだから」

「ンギャアアアグオォォッ」


 スマホを見る。


『似たようなものよ。社会的には死んだも同然よ。遠巻きに笑われたりして、いじめられるかも……。そうなったら友達だっていなくなる。パパとママだって最初は頑張ってくれても、そのうち喧嘩するようになって、互いに責任を押し付けるようになって最後には離婚するんだわ。そして保護者のいなくなったわたしは、研究の名目で様々な人体実験をされるのよ』


「一声に詰めすぎ! あと想像力!」


『でも、少なくとも、今までと同じ生活は無理でしょう?』

「それは、そうかもしんねえけどさ」


『きっと忙しくなるから、今のうちに言っておく。今までありがとう。さようなら。お元気で』

「……いや、ありがとう以下は余計だっつーの」


「ンギャ?」

「見舞いにくらい行くわ、俺だって。二年三年の付き合いでもないんだし」


「……ンギャオそっか

「そうだよ。そこまで薄情じゃないつもりだ」


ンギャオそうねンギャアオ紘一はンギャアアアグオォォわたしが泣いてるときは、いつも横にいてくれた


 そう言って咲子がスマホを床に伏せる。


「ンギャアオ」

「ん?」

「大好き」


 ──は? 今こいつ、なんて言った?


「咲子、お前……」


 当の本人も、自分の言葉に心底驚いたらしく、目を見開いて、口をぱくぱくさせる。

 顔もゆでだこみたいに真っ赤になった。


「……良かったなぁ! 喋れてるぞ! 普通に!」

「え? あ?」

「ほら! あいうえお! 言ってみ!」

「あ、あいうえお? ……ほんとだ! 喋れる、わたし!」

「だろ? 良かった良かった。さあ、これで家に帰れるな! ちょうど昼だもんな!」

「え、あ、でも、さっきの……」


 俺はなにか言いたげな咲子を立ち上がらせると、背中を押して部屋の外に追い出す。


「ちょ、ちょっとぉ! 話はまだ……」

「いやー、良かったな、ほんと! じゃ、また学校で!」


 そう早口で言ってバタンとドアを閉めた。

 咲子はしばらく部屋の前にいたようだが、そのうち階段を下りて行く音が聞こえてきた。


 ほっと一安心して俺はベッドに倒れ込む。


「……つ、疲れたぁ」


 ゴジラ声もそうだが、本当、いきなりあんな告白まがいのこと……。


「……まがい、じゃねえよなぁ、たぶん」


 でもこれで良かったはず。

 あんな形でなんて、咲子だって望んでない。

 だからスマホも伏せたんだ。

 そう、間違ったことは何一つ、しちゃいない。


 そんな俺の耳に、どこからか、あの鳴き声が聞こえてきた。




 ──ンギャアアアグオォ!!

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