これからの「愛」の話をしよう

理性の狡知

第一章 原論―『愛』とは何か―

はじめに

 『愛』――それは古来より、幾多の詩人によってその美しさを称えられてきた。しかし、現代においてその美は虚構でしかない。その美は我々を苦しめる鎖となった。辿り着かざる彼岸の彼方にある理想イデア。我々は今日もそれに向かって半ば強制的に邁進させられている。『愛』に至るまでには大河が流れているという事実を無視して、現代社会は個人に他人とのつきあい方も教育せずに、ただ冷たい急流に突き落としている。我々は船頭も、船も与えられることはなく、ただその身一つで泳ぐことを強制されている。『愛』は強制されている。古今東西、あらゆる物語において、ありとあらゆる悪は『愛』によって救われる。そう、救いは強制されているのである。

 『愛』とは暴力的である。あらゆる私的世界にそれは介入し、浸透し、そして我々を苦しめる。原子論的個人主義が社会の大勢を占め、自由主義リベラリズムが社会制度として確固たる輪郭を与えられにつれて、『愛』という言葉が大衆に厳然たる力を持つマジックワードとして受け入れられる事実は『愛』に暴力性が存在するということを証明している。『愛』のまえではあらゆる差異は消え失せ、あらゆる制度は語る言葉を失う。そしてそのことが一種の美徳として語られる。つまり、現代において、『愛』の前では全て(現代、正しく言えば近代以来の産物も含めて)が無力である。そしてそれ故に、我々現代の人間は苦しめられるのである。社会の流れは確実に『愛』を切り捨てる方向に向いているというのに、大衆は『愛』を求めてやまない。『愛』が近代以来、人類が営々と築いてきた制度を破壊するというのにも関わらずである。そのギャップが、否、あえてその間を取り持とうとするが社会の一部の人間を苦しませるのである。振りきれない偽善がギャップを生み出した。そのギャップに埋もれた人間はどうすればよいのだろうか。現代の犠牲者はどうすればよいのだろうか。

 以下、『愛』とは何かを考察し、しかるのちに現代の『愛』がもつ問題点を指摘したい。可能であればこれからの『愛』を予想したい。

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