注意欠陥多動性菩薩

第17話 侮辱の呪文

御存知の方もいらっしゃるでしょうが、つい先日、高野山にある某宿坊寺院が、いわゆる「炎上」騒ぎになりました。ニューズウィークで記事になり、めざましテレビでもチラッと紹介されていたらしいです。

某宿坊寺院には、アメリカ出身の見習い僧侶がいるのですが、ホテルの予約サイトに寄せられた外国人からのネガティブなレビューに対して、彼が非文化的な言葉遣いで辛辣な返答をしてしまったとのこと。アルファベット「Ｆ」から始まる世界共通の侮辱の呪文まで飛び出す始末。あまりの対応のひどさに、カナダのフリージャーナリストは、そのやりとりの様子をスクリーンショットした画像をツイッターにアップロードしたところ、大きな反響があり、英紙ガーディアンが報じて炎上に至った。とまあ、こういう経緯であります。宿坊側にもちろん落ち度はあったでしょう。宿坊はホテルではないとはいえ、料金が発生する宿泊施設である以上は、参拝客の御意見を謙虚に聞き入れるべきです。拙僧が個人的に思いますに、予約サイトのレビューに対して、アルファベット「Ｆ」から始まる世界共通の侮辱の呪文さえなければ、ここまで大きな騒ぎにならなかったのではないかと思っている次第です。この呪文を言った途端、殴り合いの喧嘩が始まるシーンを、ハリウッド映画などでよく目にしますが、日本人の言語感覚では、アルファベット「Ｆ」から始まる世界共通の侮辱の呪文は、どれくらい失礼なものなのか、どれほど腹が立つのか、正直あまりピンときません。というのも、このアルファベット「Ｆ」から始まる世界共通の侮辱の呪文と同義語の日本語が見当たらないからです。

このことは、日本が世界に胸を張っていいことのひとつだと思います。

福建省で高校生くらいの学生に日本語を教えていたころ、ちょっとヤンチャな生徒はよく、「日本語で一番悪い言葉は何？」と質問してきたものでした。彼らは反日ドラマで覚えた、「バカヤロー」だけは知っていました。

しかし彼らは「バカヤロー」は中国語で言うと「笨（ベン）蛋（ダン）」程度の破壊力しかないと知ると、もっと刺激的な言葉を教えてほしいらしく、「Ｆ」から始まる侮辱の意味を持つ日本語を教えてくれとせがむのです。

そこで私は、「日本語にはその意味の言葉はないんだよ。」というと、

生徒は一瞬、残念そうな顔をしますが、べつのヤンチャな生徒が「死（ス）啦（ラ）死（ス）啦（ラ）地（ディ）！」などと、わけのわからない言葉を叫んで、クラスがどっと沸きました。

この言葉は、反日ドラマから生まれた架空の日本語です。なんだかとてもおそろしい、非文化的な言葉のようです。

おそらく反日映画を作っていた監督は、日本兵にできるだけ悪い印象を持たせるために、

実際の日本兵がめちゃくちゃ品のない言葉をしゃべっていてほしかったわけですが、どっこい日本語には、「Ｆ」から始まる侮辱の呪文もない、お上品な言語だったがために、無理やり「死（ス）啦（ラ）死（ス）啦（ラ）地（ディ）！」という、おそろしげな日本語をでっちあげるしかなかったのでしょう。

逆もあります。８０年代前半、まだ反日政策を始める前の中国では、高倉健さん主演の映画が、国民的に大ヒットしておりました。

「どうぞよろしくお願いします」と健さんが言うシーンがたくさん出てきますが、「どうぞよろしくお願いします」と言う習慣がそもそも中国人になく、同義語の中国語が存在しなかったために、「請（チン）多（ドゥオ）関（グアン）照（ジャオ）」という、新しい中国語を作るしかなかったのです。

「Ｆ」から始まる侮辱の呪文と同義語の言葉は、中国語でも存在します。その歴史は、おそらく英語のそれより遥かに長いはずです。紀元前からあるのかもしれません。

この言葉について大体、どこの国の言葉でも共通するのは、「あなたのご母堂に性的暴行を加えなさい」的な、卑猥で乱暴なニュアンスを含みます。

べつに英語の原典を中国語に訳したわけでも、中国語の原典を英語に訳したわけではなく、

アジアもヨーロッパも各々、共通の意味を持つ侮辱の呪文を創り出したのでしょう。

この言葉が生まれる背景には、他民族を侵略し、また他民族から侵略されてきた歴史や、大陸特有の地理的条件があるのではないでしょうか。余談ですが「夢」という言葉が英語でも中国語でも、睡眠中の夢と将来の夢の意味を兼ねている偶然はすごいと思います。深層意識のなせる業でしょう。

この侮辱の呪文を唱える時には、往々にして男性器に見立てた中指を突き立て威嚇します。

日本人でもたまに英語で侮辱の呪文を唱え、中指を立てることを好む集団がいます。

その人たちはヘルメットをかぶっていたり、プラカードを持っていたりします。中指を立てて好戦的な挑発をしながら、なぜか反戦平和を訴えています。思いっきり道路交通法違反しながら、「憲法守れ」とわめき、「暴力反対」を暴力的な作法で叫んでいます。日本には珍妙な「市民」がいるもんです。

仏教の十善戒と呼ばれる、十種類の戒めの中に、「悪口を言ってはいけない」という戒めがあるのですが、その戒めの名前が、よりによって「不（ふ）悪（あっ）口（く）」というのです。

「悪口を言ってはいけない」という仏教の戒めの名前が、皮肉にも世界で一番有名な悪口とよく似た発音。これもまた因縁か。

　　　　　　　　　　　　　合掌