このような赤裸々トークを開陳してくれるお坊様がどこにあろう。しかもこの方はほんとのところ、とても偉いお坊様。この方の「入唐見聞録」を読めばわかる。あっちも読んだ方がいい。そんで、抱き合わせで書籍化してほしい。赤盤青盤みたいにして。
わたしはこの第一話を読んでからというもの「ヘアレス」ということばを非力ながら草の根活動的に広めようとしている一人であるが、本筋と無関係にぼやん思い出されるのは、世界の名著『じゃりン子チエ』で、電車で乗り合わせた有髪の僧侶に、テツが「商売やったら髪の毛くらい剃らんかい」とからむシーンのことである。宗派別の教義的な見解について何も知らない一般市民の自分としては、実際本気で同感だ。過少申告の粉飾決済スキンヘッドハゲでもほんとに捨ててるリアル・ボーズでもどっちでもいい、とりあえず坊さんに髪はいらない。宗教者の気がまえというところを、アタマでも見せてほしいのである。個人的な所感だが、ユダヤ教のラビにしたって正教の僧侶にしたって、聖職者たるものヒゲ・チャリ毛以外の毛がない方がアリガタ感が上がるのは、やっぱてっぺんがぴかっと光ってるからじゃない?
物事には順序と言うものが有ります。
これを読もうとしているアナタ!
悪い事は言わないので、まずは「入唐見聞録」を読みましょう。アッチの方が作者の個性が能く現れています。
龍範さんは偉いかもしれない僧侶なのです。アッチは行間から僧侶らしい博愛の精神が漂ってきます。宇宙戦艦ヤマト2202に登場するテレサの祈る"愛"の如き優しいオーラに包まれるはず。
本作品も草葉の陰から覗いていますし、私なんか「ここにもっ!」と、雪間に春の草花を見付たような小さい感動を覚えるのですが、それは龍範さんの個性を既に知っているから。本作品から読み始める方には無理です。
私自身は龍範さんにお会いした事は無いし、実際のところ、アッチより本作品の方が人格を表しているのでしょう。
でもね。唯一とは言わないけど、無二の個性は僧侶の一面が色濃く出たアッチです。
本作品ならば、龍範さんでなくとも、誰かが似た作品を書けます。ある程度、年老いて懐古主義に染まった者ならば。
だから、「入唐見聞録」から読みなさい。そうしないと、アッチを読もうとしないかも。それは勿体無い。
目次を拝見してから、最初に「台湾で抜きました。」に興味を引かれました。不徳の致すところ飛びついてしまいました!!読ませて頂くと、冷汗・脂汗もので激しい行為がなされていました。生々しい恐れ多い激しい痛々しくもある光景を覗きみてしまいました。快感どころではなく、そこには地獄のようすがありました。
人は、長所短所が先天的器質的に誰にでも百人百様あると思います。ほぼみんな大なり小なりアスペルガー症候群などでもあります。魚を小骨に気づかず上手にきれいに大骨のみ残しで食べきる人(鈍感)、夏など悪くなって匂う食物が、食べられない判断が匂いを感じられなくて分からず(鈍感)、気づく人もいなくて、たびたびお腹を身体を壊し続ける人もいたりします。一晩夜通し絶倫ということは、鈍感!!の可能性も秘めているかもしれません。
身をもってわかりますが、器質から来るものはほぼ直せないと思います。
僧装のしばしば早期着崩れやすさなども、大人げなく場合によりあると思います。崩れない違いがあると思います。
先天的器質(ネットワーク脳機能・積み重ね脳機能など脳機能)の差、違いと思います。ADHDやPDSDしやすいなども同様であると思います。人それぞれ短所でも魅力的にもなるという個性があることに気づきます。
問題・課題は、いかに長所短所を生かしマイペースで不安の少ない幸福感をもちつつ平凡に正直に生きられるか!!という教訓を覗けたような気がしてきます。
龍範様のすべてのコラムが面白く、正直に頗るよかったと感じます。