第16話 中国人がロシアで見た日本サッカー回顧録と司馬遼太郎もどきの日本人論

【あっぱれ藍武士】


四年に一度の、サッカーワールドカップが終わった。

開幕二ヶ月前、ハリル監督の電撃解任のこともあり、急ごしらえの西野ジャパンに対して、国民の関心は冷ややかなものだった。

しかしグループリーグ初戦、コロンビア相手に下馬評をくつがえす大金星で飾るやいなや、国民のはんぱない手のひら返しの祝福を受ける。

続くセネガル戦。圧倒的にフィジカル有利のセネガル相手に、取られたら取り返す撃ち合いを演じ、あっぱれな勝負根性を見せて引き分けに持ちこむ。

そして物議を醸したポーランド戦。ベスト16に生き残るためとはいえ、

誇りを持てない試合をさせてしまったことを西野監督は選手達に謝った。

またしても世間からは手のひら返しのバッシングを浴びる。

バッシングを受ければ受けるほど、チームの結束が高まる。

“一発かましてやる。”

そんな内圧が高まる。トーナメント一回戦の相手は、世界3位のベルギー。

世界3位の強豪相手に、まさかまさかの2点先制。

しかし、世紀のジャイアントキリングには惜しくもあと一歩届かず、

西野ジャパンは盛大に、国花の桜のように散った。

その劇的な散りざまは、世界中のサッカーファンをナイーブにさせた。

日本代表の大健闘を各国メディアも大々的に伝えた。

中国メディアも例外ではなく、日本サッカーの躍進を好意的に伝えていた。

以前から言われていることだが、中国メディアは政治的なことはともかく、

スポーツに関してだけは日本に対しても好意的な、かなり公平な記事を書く。

今回のワールドカップも、「亚洲之光」(アジアの光)、「虽败犹荣」(名誉ある敗北)といった美辞麗句が中国メディアやSNSを彩り、「藍武士」(サムライブルー)に惜しみない賞賛を送ったのであった。



【国足不満足】


さて、愛国精神と反日教育がニコイチであるはずの中国がなぜここまで、日本サッカーを持ち上げるかと言えば、不甲斐ない中国代表サッカーチームに対する嫌味と当てつけの意味もあるように思う。中国といえばオリンピックの獲得メダル数でもアメリカと並ぶスポーツ大国である。そして意外なことかもしれないが、ズウチウ(サッカー)は、中国にとって国民的スポーツである。中国代表サッカーチームの事を、中国人は敬意を込めてこう呼ぶ。

グオズウ」もしくは「グオジアオ」と。

今回のロシアワールドカップでも、中国チームは参加していないのにかかわらず、

「蒙牛」(乳業)や「万達」(不動産)といった、中国企業の広告がかなり目立っていた。

ワールドカップ開催中、中国の友人達のSNSはサッカー観戦の記事で満たされた。

中国では野球が普及していないぶん、日本人よりサッカー人口の割合が日本より高いのかも知れない。中国のテレビのチャンネル数はアホほどあり、その中のどこかのチャンネルは、絶えずどこかの国のサッカーの試合を放送しているという印象である。

日本人がセリエAだの、ブンデスリーガだのを衛星放送で観戦しはじめたのは、せいぜいここ20年の話だと思うが、中国人はそれ以前(1989年)より、ヨーロッパのサッカーリーグの試合を地上波で観戦していた。目の肥えたサッカー通が多い事は、中国のサッカーファンにとって幸福かもしれないが、中国のサッカー選手にとって不幸そのものであった。

観客のサッカー偏差値が高いぶん、中国サッカーの稚拙さがより明白になってしまうからである。中国人は政治に関して、政府に批判をぶつけられないが、中国サッカーに対しては遠慮なく辛辣な批判をぶつける。

ある意味、国民のガス抜きの側面があるのかも知れない。これはもう文化といっていい。

しかし誤解をしてはならないのは、中国人を悲憤慷慨させてやまない「グオズウ」を、

あくまで愛しているからこそ、彼らは口汚くなじるのだ。

90年代の熱狂的阪神ファンのようなものだ。

あまりの弱さに、皮肉たっぷりのユーモアを交えて茶化し、笑うしかない。

中国の国民的ニュースキャスター、バイイエンソンもそんなサッカーファンの一人だ。

ロシアワールドカップのチケット販売状況を伝えるニュース番組の中での、

彼のコメントはなかなかパンチが効いていた。

「合計32か国が参加する中で、我々(中国人)は試合に出ないのに(チケットの売り上げ総数は)第9位です。スペインやイングランドなど参加国のサッカーファンよりチケットを買った枚数が多いんですよ。中国企業のスポンサーも含めて、ロシアワールドカップで中国人みんなの姿が見られますよ。つまりこう言っていいでしょう。

ロシアワールドカップは、中国代表の選手以外の中国人は大体、現地に行っていると。」



【白岩松の嘆き】


じつにお見事である。

白岩松のシェントゥザオ(ナイス突っ込み)を中国ネチズンも絶賛した。

しかしこの白岩松、ただの皮肉屋ではない。

熱烈なサッカー愛と、ジャーナリスト特有の分析力を持っている。

日本がベルギー戦で壮絶に敗れた後、ワールドカップ特集番組の中で彼はこう述べた。


「私が中国代表サッカーチームの話をすると、みんなが笑ってくれることは分かっている。

でも本当の事を言うと、中国代表チームに私を泣かせてほしい。

悲しくて泣くのではないよ。

感極まって、感激して泣きたいんだよ。(日本代表のように)ベルギーから2点先制して、たとえ最後に逆転されようともね。でも、中国サッカーはそんな機会を私に与えてくれやしない。」

そして白岩松はこう分析する。

「日本の選手11人のスターティングメンバーのうち、10人がヨーロッパのクラブでプレイしている。韓国だって6人が海外でプレイしている。サッカーのトップスター達と切磋琢磨していく中で、鍛えあげていく。中国人選手も国外でプレイしなければ、(ワールドカップのアジア予選)敗退の運命を受け入れるしかなくなる。中国代表はなぜワールドカップに出られないのか?レベルが足りないから。これはひとつの原因でしかない。もっと重要な原因は、中国サッカーのスーパーリーグに金がありすぎるから。日本のサッカー選手は、国外での発展を求める。日本国内に戻ってプレイすることを堕落だと認識している。しかし中国の選手はスーパーリーグのぬるま湯につかって、国外でプレイする意気込みを失っている。」


白岩松はこう述べ、中国サッカーのスーパーリーグの高額な報酬にあぐらをかく中国人サッカー選手達が井の中の蛙であることを嘆いた。




【日本人は海の向こうに夢を見る】


海外へ武者修行にいくことは三浦知良や中田英寿の時代から続く、

日本サッカーの伝統である。

その精神は、本田圭佑、長友佑都、香川真司、乾貴士らにも引き継がれている。

野球で言えば野茂英雄、松井秀喜、イチロー、大谷翔平。本場の海外で腕を磨くことに、日本人はあこがれを抱く。


誰かを負かしたいわけじゃない

ただ自らの高みへ

昇りたい 出逢いたい

まだ見ぬ自分の姿に


ロシアワールドカップのテーマソングを歌ったRADWIMPSの『カタルシスト』の歌詞の一部である。日本男児はちっぽけな島国でお山の大将におさまることを潔しとしない。

まだ見ぬ自分に逢うため、強敵を求めて海を渡る。


「本場の海外で認められてこそ本物。」


日本人の誰もがそう思っているフシがある。

この考え方は、何もスポーツだけに限らない。

ミシュランで三つ星を取ったレストランや、ユネスコに世界遺産だと認定された景勝地、

カンヌ国際映画賞を獲得した日本映画などにはもれなく行列が群がる。

「すごいから海外で認められた」のか「海外で認められたからすごい」のか。



今から165年前。黒船来航。

西洋の巨人がこの島国を揺さぶり、徳川の太平を破る。

黒船の大砲の前では、日本刀も蟷螂の斧。

このままではいつか、西洋列強の植民地にされてしまう。

日本はあまりにもちっぽけだ。

そして日本人は世界を手探りで学ぶ。

鎖国を解いて、日本の近代化が始まった。

危機感をバネにした時の日本人は強い。西洋列強に追いつけ追い越せ。

もともと勤勉な国民性、寺子屋で培った識字率の高さ、デモクラシイもランデブーも、ありとあらゆるハイカラな文物は、たちまちにカタカナに変換されて日本語の血肉になった。

富国強兵まっしぐら。

伊藤博文も福沢諭吉も、秋山好古も秋山真之も、「坂の上の雲」を掴むために海を渡った。

スポーツも政治も軍事も文化も、最先端の異国で学んだフロンティアが帰国後、種を蒔く。遣唐使の弘法大師空海も然り。

日本人はいつだって海の向こうにこそ、文明と権威があると思っている。

古から、海を越える進取果敢の気風は日本人のDNAに刷り込まれている。


「―日本人は、いつも思想はそとからやってくるとおもっている。」


司馬遼太郎のエッセイ集、『この国のかたち』第1巻の第1話、冒頭の言葉である。

まさに至言だったというほかない。

(語尾が~というほかない、~と言っていいの文章は、司馬遼太郎感がアップします)


【部活道】

そして今回のサッカーワールドカップで日本人が世界を驚かしたのは、ピッチ内のパフォーマンスだけではなかった。

日本が勝とうが負けようが試合後、スタジアムを熱心に掃除するサポーターたちや、ベルギー戦敗退後、隅々まで清掃した、ピカピカのロッカールームに残された、ロシア語で「ありがとう」と書いてあるメッセージ。

そういった日本人のディティールがSNSで世界中に拡散され、中国でも話題を呼んだ。


「輸球不輸人」(試合では負けたが人として負けていない)

「不得不佩服」(感服せざるを得ない)


「立つ鳥跡を濁さず」。この精神は、外国から輸入された思想ではなく、日本特有のものであろう。放課後の部活動を通して、日本人は上下関係や、「けじめ」、挨拶や礼儀、勝敗以上に大切な何かを学ぶ。日大アメフト部のような閉鎖的で近視眼的な、負の側面もあるにあるが、日本の部活動は概ね正しい。

結果を求める格闘技と、過程にこだわる武道は、似て非なる物だ。剣道も柔道も「強ければ良い」、「勝てれば良い」という安易な代物ではない。日本人にとって野球は「野球道」であるし、サッカーには「サッカー道」がある。

道場を浄めることは、当たり前の事だ。

日本の部活動はすなわち、「部活道」である。

おおいに学べよ日本男児、おおいに励めよ大和撫子。世界が君たちを待っている。


                 合掌

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