合気の双子

@ikezuki11

第1話

                     

光をもとめて


 会津平野の小池村に、めずらしい双子の兄妹が生まれた。

 七歳の春、妹おはるは目の病気にかかった。一キロはなれた目ぐすり沼は、昔から目の病気がなおるといわれる。兄勇平は朝早くおきて、小さな桶に沼の水をくみ、おはるに飲ませた。さらに、お湯をわかして、あたたかい手ぬぐいで顔をふいてやった。

「おはる、目がよくなったら菜の花畑であそぼう」

「兄ちゃん、白いチョウチョをとってくれる?」

「いっぱいとってやるよ」

「青い空に、チョウチョをはなしてみたい」

 勇平はおはるをはげましつづけた。それでも、おはるの目はだんだんわるくなる。まもなく、相撲取りの父が戦争にでかけて家を留守にした。

 冬がきて、風邪をひいた母は五日間も寝こんだ。

「勇平、もしも母ちゃんが死んだら、おいせの世話をするんだよ」

 何度もくるしい咳をしながら、勇平の手を強くつかんだ。

「母ちゃん、おれがごはんをつくる。だから、ゆっくり休んで……」

「おはるは目が見えない、勇平だけがたよりだ……」

「どんなことがあっても、おはるはおれが守る」

 頬につたわる母の涙を、勇平は手ぬぐいでやさしくふいた。母は安心したかのように、眠ったまま死んだ。

 おはるは悲しくて泣いてばかり、ごはんもあまり食べない。目が見えない、母がいないさびしさもあって、村の子どもたちともあそばなくなった。どうしたら元気になるのか、勇平は眠ったおはるの手をにぎりながら考えた。

 外はしんしんと雪がふっている。朝ごはんを食べおわると、勇平はおはるの手をつかんだ。

「おはる、泣いても母ちゃんはもどってこない。唄を教えるから、でっかい声をだすんだ」

 おはるの手を囲炉裏の火であたためると、てまり唄をうたった。

  

  カラス カラス どこさいく 東山の湯さいく 手に持ったのなんだ

  アワ米 こ米 おれにちょっとくれよ くれればへるよ へったらつく  

  れ……。


「兄ちゃん、おもしろい唄だね。もう一度うたって」

 おはるは笑って、勇平といっしょにうたった。

「唄をうたいながら、まりつきをやるんだ。うまくなれば友だちができる」

「友だちができたらうれしいな」

 勇平とおはるは立つと、手のひらをかさね、うたいながらまりつきであそんだ。

 勇平はおはるの着替え、食事、洗たく、お風呂の世話、あそび相手になって笑わせた。夜になって寝るときは、ふたりで手をつないだ。

 自宅の北は御堂の跡地で、子どものあそび場になっている。勇平とおはるがまりつきをはじめると、近所の子どもが三人あつまって、いっしょにあそんだ。

しばらくして、子どもの母親がやってきた。

「おはるとあそんじゃだめよ」

 子どもの手を引いてかえろうとした。

「どうしてかえるの?」

 勇平には理解できない。

「おはるは目の病気だ、うちの子どもにうつったらこまるの」

「おれは、いっしょにいてもうつらない」

「勇平にうつらなくても、うちの子どもにはうつるかもしれない」

「いままで、だれもうつっていない」

「とにかく、うちの子どもはあそばせない」

 母親は勇平のいうことに、まったく耳をかさない。ふたりの子どもをつれてかえった。

「バカにするな――」

 くやしさにがまんできず、勇平は大声でさけんだ。

 でも、近所のおようは残った。

「おはる、あまり気にしちゃだめよ」

 一つ年上のおようは、涙ぐむおはるの手をにぎった。

「おようちゃん、ありがとう」

「勇平とおはるのことは、死んだ母ちゃんにたのまれた。これからは何でも相談するのよ」

「おはる、よかったな」

 勇平もおはるの手をにぎった。

 夏になって、隣りの山ノ内家に、侍の美しい姉妹がきた。剣術と薙刀を稽古して、村人に棒術を教えた。勇平は大人といっしょに稽古をして、得意のトンボがえりを見せ、姉のおたけに剣術を教えてもらうことになった。

 次の日、勇平とおはるは庭で魚を焼きながら姉妹を待っていた。

「勇平、おはよう。こっちが妹ね……」

「あらっ……」

 姉妹は、眉が太い兄とそっくりな妹の顔をみておどろいた。

「双子なんだ。妹は目が見えないけど元気だよ。母ちゃんは死んじゃってふたりで暮らしている」

 勇平は笑いながら、おはるを紹介した。

「おはようございます。おはるです」

 笑顔で頭をさげた。

「ふたりは仲のいい兄妹なのね」

 妹おゆうが腰をおろしておはるの手をにぎった。

 おたけはひろい庭を見た。

「立派な五葉松ね、それに相撲取りの大関だから土俵がある。勇平も相撲を取るの?」

「毎日、友だちと稽古しているよ。それに木刀もあるんだ」

 手に持って軽くふり、おたけに稽古をうながした。

「どこからでも打ってきなさい」

 おたけは持ってきた木刀をかまえた。勇平は頭をさげると、上段から打ちかかったものの、おたけに軽くはらわれた。さらに、勇平はメン、ドー、コテと大声ではげしく打ちこんだ。おたけに勝てるはずはなく、木刀を打ち落とされた。

「勇平は剣術をやったことがあるの?」

「友だちの爺ちゃんから習ったよ」

 友だちの軍治は半士半農の郷士の家柄で、剣術ができる。

「そうなの、これから稽古の方法を教える」

 おたけは短い棒のまんなかを細い縄でしばり、柿の枝にさげた。

「木の棒をまっすぐ打てば続けられる。姿勢がわるいと棒が右と左にゆれて続かない」

 おたけは見本をみせて、勇平に打たせた。

「棒も体も右と左にゆれる。ほんとにむずかしいな」

 ゆれている棒を、勇平は手でつかんだ。

「勇平は体が軽い。一日千回稽古できればうまくなる」

「千回もやるの?」

「勘もいいね、剣術の素質があるからやってみなさい。今日はこれでおわり」

「ありがとうございました。おたけ姉ちゃん、おゆう姉ちゃん、アユときゅうりの漬物があるから食べてください」

 勇平はむしろを敷いて、鉄串で焼いたアユをすすめた。

「うまいアユだね、こんなこともできるんだ」

「このきゅうりはわたしが漬けたの」

 おはるは皿を持ってすすめた。

「漬物もおいしい、ふたりとも器用なのね」

 食べた後、勇平は家の中にはいって、居間、座敷、風呂場を案内した。

「勇平、このお風呂は大きいわね」

 おゆうがおどろいて、風呂桶をなでまわした。

「父ちゃんがはいるからでかい。お姉ちゃんとおれたち四人がはいれるよ」

 勇平の話に、おたけもおどろいて風呂桶にふれた。

「今の町場じゃ、男と女がいっしょの銭湯しかない。だからこの村にきたの。このお風呂だとゆっくりできる」

 おたけは庭で行水をしてのぞかれ、若い男を追いかけまわしたことがある。

夜になって、みんないっしょに風呂にはいった。

「おゆう姉ちゃんは体があったかい、母ちゃんみたい」

 おゆうに抱かれ、おはるは死んだ母を思いだした。

「勇平、どこをさわっているの?」

「母ちゃんとくらべて、どっちがでかいのかな……」

 勇平はおたけの胸をなでた。勇平とおはるは小柄なために、姉妹からは六歳ぐらいにしか見えない。

「まだ、子どもなのね」

 おたけは苦笑いして勇平の手をはらい、体を抱き上げて風呂の外におろした。勇平とおはるは布団にはいっても、母と姉妹のことを話しながら、興奮して眠れなかった。

 おたけとおゆう姉妹は、兄妹と近所のおようとあそび、村に一か月いた。戦争がはげしくなって、姉妹はのんびりしていられない。

「勇平、剣術の稽古はしばらくできないの」

「どうして?」

「お城を守るために若松へ行くことになった。さあ、木刀でかかってきなさい」

「おねがいします」

 勇平はいつものように打ちかかったが、木刀を打ち返され、かわされてしまう。左右にはげしくうごきまわっても、おたけに隙はない。そこで打ちかかるとみせて体を低くして、おたけの足をはらった。おたけはあわてたものの、とびあがって勇平の木刀を打ち落とした。

「やっぱり、おたけ姉ちゃんは強い」

「勇平はいろんな手をかんがえるから、きっと強くなる」

「ありがとうございました」

 稽古がおわって、ふたりは桶にくんだ水で手を洗った。

 やさしいおゆうは、兄妹と別れることがつらい。

「勇平とおはる、まりつきと河原の魚捕りはたのしかった……」

 おはるの手をにぎりしめた。

「またきてね」

 おはるが涙をうかべると、勇平が手ぬぐいでふいた。

「お姉ちゃん、おれたちの齢は六つじゃなくて八つなんだ。ウソついてごめんね」

 幼く見られたことがたのしくて、勇平とおはるは本当の年齢を言えなかった。

「ちいさいから六つに見えたけど、ちょっと変だと思っていたの」

 びっくりしたおゆうは、おはるの肩をたたいた。

「勇平、いっしょに風呂にはいったことはだまっていてね」

 おたけは笑って勇平の頭をなでた。

「おっぱいさわったことも?」

「そんなこといっちゃだめよ、またくるから元気でね」

 姉妹は手をふって、庭をでていった。


 官軍は賊軍の会津藩に攻めてきた。まもなく食料が不足して、村々からむりやり食べものをうばった。官軍に文句をいえば、殺されるという噂がひろまっている。

 おはるは村の親戚といっしょに、近くの山へにげた。年寄りが村に残り、子どもで留守番になったのは勇平だけだ。

 ある日、官軍の兵士三人が勇平の家にやってきた。子どもの勇平を無視して、母屋、土蔵、納屋の中をさがしたが、食べものは見つからない。

「小僧、食べものはどこにかくした」

「おれは子どもだからわからない」

 食べものは畑に穴を掘ってかくしたが、勇平は手をひろげてとぼけた。

「ウソをつくんじゃねえ」

 兵士は刀を抜いて、勇平の胸につきつけた。

「ほんとだよ、近所からごはんをもらっている」

 こわがるどころか、勇平は笑って答えた。

「おーい、かくしていたアヒルがいたぞ」

 納屋からでてきた兵士は、首をしめて殺したアヒルを持ちあげた

「あのアヒルはおれのものだ」

 あわてた勇平は、兵士にくってかかった。

「うまそうなアヒルだ、おれたちがもらっていく」

「それじゃドロボーだ、返せ」

「官軍をドロボーだと、子どもでもゆるせねえ」

 おこった兵士が刀をふりあげると、勇平はすばやくにげた。

「官軍ドロボー、官軍ドロボー」

 勇平の大きな声は、村中にきこえる。

「小僧、まてぇ――」

 兵士が勇平を追いかける。足のはやい勇平は村内の小路を右、左に曲がってにげまわり、なかなかつかまらない。呼子が鳴って、仲間の兵士も追いかけた。このままではつかまると思った勇平は、あそび場にある五輪塔のかげにかくれた。

「すばしっこい小僧だ、もうにがさねえ」

 ニヤリと笑った兵士は、また呼子を鳴らした。

 二十名の兵士が広場にあつまり、ふわふわの赤毛兜の隊長も到着した。

「子どもがさわいでいたな、どうなった」

「隊長、小僧はこのあたりににげこみました」

「そうか、鉄砲でおどかせばでてくるだろう」

 兵士四人が隊長の命令で鉄砲をかまえ、長くなった萱の草むらにいっせい射撃をはじめた。

「小僧、でてこい」

 兵士が射撃をやめて大声でさけんでも、勇平はでてこない。隊長は兵士に別な方法を教えた。

「小僧、家に火をつけるぞ。はやくでてこい」

――家が火事になったらたいへんだ……。

 しかたなく、勇平は広場にでた。すぐ、兵士に見つかって首根っこをつかまれ、隊長の前にすわらされた。

「隊長、みせしめに鉄砲で殺しましょう」

 兵士は勇平の胸に鉄砲をつきつけた。

「まあまて、まだ子どもではないか。話をきいてみよう」

 隊長の命令に、しかたなく兵士は鉄砲を引っこめた。

「われわれは天皇の命をうけた官軍で、会津は天皇にさからう賊軍だ。だから、アヒルを取ってもドロボーではない」

 隊長は官軍と賊軍のちがいを、勇平にわかるよう話した。

「目が見えない妹のアヒルを取った。だから、官軍でもドロボーだ」

 大事な妹のためなら、官軍だろうとこわくない。勇平は陣羽織の偉そうな隊長をにらみつけた。

「目が見えぬ妹のものを、むりやり取りあげたというのか」

「そうだよ、アヒルを生かしてかえせ」

 こまった隊長は空を見あげて、ため息をついた。まもなく、小さな袋からお金を取りだした。

「アヒルは死んだから生きかえらない。このお金でアヒルを買ったことにしてれ」

 勇平は見たことがない二朱銀をもらった。

「これでアヒルが買えるの?」

「アヒルは十羽ぐらい買える、妹も文句はいわないだろう。しかし、これだけの大人をひっかきまわすとは、敵ながらたいしたもんだ。大人になったら強い男になれる。小僧、さらばだ」

 隊長は笑顔で勇平の頭をなでると、兵士をつれて広場をでていった。官軍は村から多くの食料をうばったが、官軍からお金をもらったのは勇平だけだった。

 三日後の夕方、勇平はひとりでごはんを食べていた。とつせん、玄関の戸があいて男がずんずんはいってきた。

「おい小僧、おれはこわい鬼だぞ。金を持っているだろう。ださないと痛い目にあうぞ」

 般若の面をかぶり、包丁を手に持って大きな声でおどかした。男は官軍から金をもらったことを知っていると、勇平はピンときた。

「おれは鬼の面なんかこわくねえ、金は近所にあずけた。村の人なの?」

 勇平は囲炉裏の火ばしをつかんで、おもいっきり二本つづけて投げつけた。面に当たりまっぷたつに割れ、男はあわてて顔をかくした。

「これをくらえ」

勇平は茶碗で灰をすくって投げ、そばに置いた木刀で男の腕を打った。

「くそ、おぼえていろ」

 男はうろたえて、何もできないままにげかえった。

「またドロボーがきたら、手裏剣がいいかも……」

 勇平は囲炉裏に刺した鉄串を、手にとって柱に投げた。

 

 戦争は会津藩が負けておわった。父は越後(新潟県)の寺に送られ、まだ家にかえってこない。村の西光寺では、和尚が子どものために寺子屋をはじめた。

 勇平とおはるは友だちのおようにさそわれ、和尚から読み書きをまなんだ。おはるは目が見えないために、字がうまく書けない。

「おはるは字がへたでもいいよ」

「勇平も字がへただ、おはるの世話でいそがしいだろう」

 友だちの言葉に、おはるはくやしくて涙をうかべた。

「おはるをバカにするな」

 勇平は泣く妹にがまんできない。友だちの書いた字に墨をぬった。そのうち、喧嘩をするようになった。寺子屋がさわがしくなって、和尚も注意したが、勇平は喧嘩をやめなかった。そのうち、友だちを投げ飛ばして怪我をさせ、和尚もがまんできない。

「勇平、寺は喧嘩するところじゃない。何度いったらわかるんだ」

「おはるを泣かせるやつはゆるせねえ」

 左の拳をつきだした。

「気持ちはわかるが、怪我した相手にあやまるんだ」

「おれは何もわるくない」

 勇平はおはるのことになると、和尚でもいうことをきかない。

「そんなことをいうなら、寺子屋にはこなくていい」

 和尚は勇平の頑固さにあきれかえった。

「和尚さま、もうきません」

 立ちあがった勇平は外にでて、境内の観音堂に手をあわせてかえった。

 友だちのおようは、勇平とおはるが寺子屋にいかなくなり心配した。

「勇平、友だちと喧嘩をすれば、おはるが泣くよ」

「そうだよな、おようちゃん、もう喧嘩はしないよ」

「これからは、わたしに何でも相談するんだ」

 勇平の肩を軽くたたいた。

「わかった、おはるとあそんでね」

 気の強い勇平も、おようにだけは素直になった。

「三人で、まりつきをしよう」

 年上のおいせは、勇平とおはるの世話をしながらあそんだ。

 春になると、近くの畑は一面に菜の花が咲く。勇平はとびまわる白いチョウを追いかけて、やっと一羽つかまえた。

「おはる、チョウチョだ」

「ありがとう」

 おはるはチョウと菜の花をくっつけて、大空にはなしてやった。

「兄ちゃんがいるからさみしくない」

「おれはおはるの笑う顔がすきだ。おようちゃんはやさしい。目薬沼の水を飲めば、いつか、おはるの目はなおる」

「目がなおったら、いっぱいあそびたい」

 母といっしょに拝んだ西光寺の観音堂、目薬沼の広瀬神社に手をあわせた。

 かえり道、おはるは急に立ちどまった。

「おはる、どうしたんだ」

「子犬の鳴き声がする」

「おれには、何もきこえない。ほんとに犬がいるのか」

 おはるは、ちいさな音でもよくきこえ、わずかな匂いも敏感になった。

「兄ちゃん、あっちのほうだよ」

 菜の花畑を指さした。

「わかった、あのあたりだな」

 勇平が菜の花をかきわけてさがすと、まもなく一匹の子犬を見つけた。

「おはる、子犬がいた。色がまっ黒だから捨てられたかも」

「かわいそう、アヒルのかわりにそだてよう」

「犬がいれば、おはるはどこでも歩くことができる」

「名前はクロがいいかも」

 ふたりは子犬を抱きながら家にかえった。


 剣・杖・手裏剣


 父がかえってきて新しい妻をもらった。侍の若い娘で親子ぐらい齢がはなれている。勇平とおはるには姉のように思えて、すぐに仲良くなった。

 さらに、新しい母親の妹の佐藤家が、となりの貸家に引っ越してきた。佐藤家には勇平の四つ年上の忠孝がいた。

 忠孝は父が戦死しても、祖父に剣術を教えられている。父と祖父は藩主を守る役目の御供番だった。御供番は武術にすぐれた者が選ばれ、多くの武術を身につけていた。

 朝おきると、忠孝と祖父金右衛門の剣術稽古がはじまる。勇平はふたりの稽古をみて、剣術を教えてもらうようになった。

「勇平はおはるの世話をしたから、うごきも勘もいい。町道場で稽古すればもっと強くなる」

「爺ちゃん、おれは剣術が強くなりたい」

「わかった、竹刀をまっすぐにふる稽古が大事だ」

 夢中になって稽古する勇平を、金右衛門と忠孝はほめた。

 坂下村の小野派一刀流養気館道場に、勇平は忠孝、友だちの軍治と三人で通った。道場主は医者の渋谷東馬で、学問を教えている。剣術の師範代は商家の武田善十郎で、勇平はたちまちうまくなった。

「勇平は強いな、ほかにも剣術を教わっているのか?」

 師範代は勇平に興味を持った。

「隣りの爺ちゃんと忠孝さんに教えられています」

「きびしい稽古をしても、音をあげないのはめずらしい」

「うまくなれば妹がよろこぶんです。師範代、もう一本お願いします」

 師範代とはげしい稽古をした。

 一年後、同じ年代では勇平に勝てる者はいなくなった。

 坂下村諏訪神社の秋祭り、少年相撲大会がひらかれた。勇平はおはるとおようをつれて出場した。小柄な勇平は土俵をうごきまわり、上手なげ、出しなげ、外がけ、肩すかしなどの多くの技をつかった。

「あの小僧がまた勝ったぞ。大きな相手をたおした」

 見物客はおおよろこびで、勇平に拍手をおくった。

「おはる、また兄ちゃんが勝った。一番強い」

「ほんと、うれしい」

 おようとおはるは、大きな声で応援した。勇平はとうとう十人勝ちつづけ、はじめて賞金をもらった。

「おはる、おようちゃん、好きなものを買ってやるよ」

「兄ちゃん、わたしはあめ玉、おようちゃんはかんざしがいい」

「もっと買ってやるよ」

 勇平はおはるのよろこぶ顔を見ることが、何よりもうれしい。

 家にかえると、父は機嫌がわるいようだ。

「相撲取りの息子が勝てば、わしの立場がわるくなる。もう二度と相撲大会にでてはならぬ」

 父は相撲をやめても親方になって、自宅の土俵で弟子をそだてていた。

「おはるをよろこばせたかった」

「勇平の気持ちはよくわかる。これから、わしが得意の棒術を教えてやる」

 父は太い棒をつかって、敵と戦ったことがある。

「おれはちっちゃいから、長い棒は苦手だなぁ……」

「これをやれば剣術も強くなるぞ、おはるもよろこぶ」

「それならやってみる」

 父は長い棒を使い、勇平は短い棒を与えられ、打ち、突き、払いの稽古をした。

 さらに金右衛門は、棒より短い杖術を、勇平とおはるに教えることにした。

「爺ちゃんはな、おはるが双子だから、勇平と同じことをしたいと思った」

「兄ちゃん、おようちゃんと稽古できるね」

 おはるも杖術に強い関心を持った。

「爺ちゃん、おはるは杖を使うから役に立つよ」

 勇平もおはると稽古できるのがうれしい。

「わしはお城でお殿さまを守る仕事だった。だから、剣術、槍、弓、手裏剣もやる」

「爺ちゃんは何でもできる達人なんだ」

 勇平、おはる、おようは稽古がおわると、金右衛門から武術の話をきいた。時には本物の刀の手入れ、すばやく斬る居合の技を見せてもらった。

「枝を上に放り投げて、すばやく斬った。おはる、爺ちゃんはすごいぞ」

「刀で斬る音も大きいよ」

 おはるは耳に手をあてた。

「勇平とおはるに教えることがたのしみじゃ」

 金右衛門は真剣な顔で、何度も刀をふった。


 十三歳の春、勇平は隣り村でおこなわれた曲馬団の芸を見物した。馬に乗ってさか立ち、きれいな着物や鎧兜を身につけ、「宇治川先陣争い」の場面など、数頭ならんで走る姿に感動した。体のちいさな勇平は父のような相撲取りにはなれない。身が軽く冒険心の旺盛な勇平は、曲馬の芸人になれるだろうと思った。

 近くの村に馬の放牧場がある。友だちの軍治といっしょに仕事を手伝いながら、馬に乗せてもらうことになった。 

「軍治、馬に乗ると気分がいい」

「勇平、こわくねえか、おっこちたら怪我するよ」

 軍治は心配でならない。

「おれは何でもうまくできる」

「まだ子どもだよ」

「馬に乗って曲芸師になれるかも」

 勇平は馬にまたがり得意げに笑った。平らな草原は危ない所がなく、子どもでも安心して乗れる。勇平は作業員と同乗体験をして、一人乗りは二度目だ。ひろい草原を一周して、馬になれた二周目は速度をあげた。

 ところが、急に馬が小石につまずき、あっという間に勇平は空に飛ばされた。どうすることもできないまま、小川の杭にわき腹を打って気を失った。あわてた軍治は作業員に知らせ、勇平を医者の家にはこんだ。勇平は右わき腹のろっ骨を折る重傷を負った。戸板に乗せられて家にはこばれた勇平を、おはるとおようが看病した。

「兄ちゃん、痛くない、だいじょうぶ?」

 おはるは涙をながしながら、勇平の手をやさしくつかんだ。

「勇平が怪我をして泣くのはおはるだ。これから無茶はだめよ」

 あきれたおようは、勇平に水をのませた。

「おはる、おようちゃん、心配かけてわるかった。痛くてあまり食べたくない」

「これを食べて元気だすのよ」

「おれの好きなニシンだ」

 おようは、勇平がよろこぶニシン漬けをつくって食べさせた。

 怪我が回復して起きあがれるようになると、勇平はおようの肩を貸してもらいながら庭を歩いた。そのうち、杖をついて広瀬神社にお詣りした。帰り道で勇平はおように話しかけた。はおはるは犬のクロをつれて、うしろを歩いている。

「おようちゃん、だいぶよくなったよ」

 勇平は地面の手をついて、得意の側転を見せた。

「痛い」

 三回目、足をくじいて転んだ。

「勇平、まだ無理なのよ」

「兄ちゃん、だいじょうぶ?」

 おはるもおどろいた。

「ちょっと、足が痛くて立てない」

 勇平は足首をさすった。

「しょうがないね、わたしの背中にのって」

 体の大きなおようは、腰をおろして勇平を背負った。

「おようちゃん、ありがとう。おれは重くない?」

「わたしは米一俵かつぐから平気だよ。勇平はおはるにやさしいけど、むちゃばっかりするから、めんどうみきれない」

 あきれながらも、勇平を弟のように思っている。

「背中があったかいな」

 勇平はおようの背中にしがみつき、肩に顔をあてた。。

「くすぐったい、おとなしくしなさい」

「死んだ母ちゃんを思いだした」

 耳元でささやきながら、勇平はおように甘えた。 

 隣りの金右衛門も、庭を歩く勇平の体を気づかった。

「勇平は剣術がうまいと思っていい気になった。だから思わぬ怪我をしたのだ」

「爺ちゃん、どうしたらいいの?」

「体のために柔術をやってみるか」

 さっそく、庭にむしろを敷いて稽古をはじめた。金右衛門は勇平の手首をつかみ、まわりながら左右になげた。

「爺ちゃん、手首と腕が痛いよ」

 逆手の関節技がきまれば、痛くて反撃できない。

「なれれば痛くない。とつぜんおそわれたときに身を守る技だ」

「おはるもできるの?」

「お城の若い小姓と女中に教えた護身術・柔術というものだ。勇平とおはるは器用だから柔術もできる」

 金右衛門は兄妹にいろんな技を教えた。勇平とおはるは寝る前に、柔術の技をかけあった。さらに金右衛門は棒手裏剣の投げ方も教えた。

「親戚に黒河内伝五郎という達人がいた。目が見えなくても手裏剣は小銭の穴に命中した。ふたりともいろんな技を稽古すれば、かならず達人になれる」

「爺ちゃん、一生懸命稽古して達人になりたい」

 おはるは手裏剣に興味をもった。柿の木に立てかけた板の目印に向かって、手裏剣を投げた。目は見えなくても勘がいい。

「爺ちゃん、おれよりもおはるはうまいよ」

「おはるは手裏剣がうまい、意外だな」

 目印に当たると、金右衛門と勇平は手をたたいた。

「爺ちゃん、おはるは手裏剣投げの達人になりたい」

「おはる、兄ちゃんもいっしょにやるぞ」

 勇平とおはるは柔術と手裏剣の稽古に夢中になった。


 梅雨があけ、十五歳の勇平は、おはるの手を引いて散歩にでかけた。おはるが遠くまで行きたいというので、川幅がひろい阿賀川の土手にあがった。

「兄ちゃん、川の流れる音がする」

「おたけ姉ちゃん、おゆう姉ちゃんと遊びにきた川だ。渡し舟に乗るぞ」

「舟ははじめてよ、こわくないの」

「おれの手をつかんでいればいい」

 青木村の渡し場で、船頭の舟に乗り、舟をおりた勇平はおはるを背負った。河原の砂利道を歩いていくと土手の下に小さな茶店があった。お婆さんがひとりだけで、お客はだれもいない。お婆さんは焼いたアユの鉄串をぬいて、そのまま肩越しに投げると、後ろの二間はなれた柱に命中した。丸い柱にはワラが巻かれている。鉄串が三センチ間隔で、縦にまっすぐ七本刺さっていた。

「おはる、びっくりするほどの手裏剣の達人だ」

 勇平には鉄串が手裏剣と同じにみえた。おはるを背中からおろして手をにぎった。

「ほんとにいるの?」

 おはるはどういうことかわからない。

「後ろ向きのままで、柱に鉄串を命中させた。隣りの爺ちゃんもできない技だ」

 ふたりはおどろいて、茶店の縁台にすわった。

「婆ちゃん、ダンゴ二皿ください」

「あいよ、このへんじゃ見かけない、双子か」

「そうだよ、妹は目が見えないから、気ばらしに名物ダンゴを食べにきた」

「仲が良さそうだな」

 お婆さんは笑って、お茶とダンゴを縁台においた。

「婆ちゃん、さっきの串投げは見たことがない。どうしたら後ろ向きで投げられるの?」

 勇平はダンゴをおはるに手渡しながら、お婆さんにきいた。

「若いころは歩いて串を柱に刺した。そのうちめんどうになって後ろ向きに投げた。うまく刺さるようになって十年ぐらいになる」

 お婆さんはうれしそうに、鉄串を投げるふりをした。

「婆ちゃん、おれたちは手裏剣投げをやる。後ろ向きで鉄串を投げてみたい」

「いいよ、婆ちゃんも見たい」

 三本の鉄串を渡された勇平は、お婆さんのように投げても柱に刺さらない。おはるが投げても同じだった。それでも、おはるは前向きに投げて柱に命中した。

「おれもおはるも、婆ちゃんの真似はできない」

 勇平は柱の下に落ちた鉄串をひろった。

「すぐには刺さらない。でも、おはるはうまい。目が見えなくても稽古をすれば、心の目で見えるようになる」

 お婆さんは串一本をおはるに手渡して、腕をつかんだ。

「いいか、体の力をぬいて手首をうまく使うの」

 おはるは言われたとおりに、投げるふりをする。

「これでいいの?」

「それでいい、思いっきり投げてみなさい」

 お婆さんの言うとおりに、おはるは後ろに投げてみた。

「おはる、柱に刺さったぞ」

 おどろいた勇平は、思わず手をたたいた。

「おはる、みごとだ」

 お婆さんもおはるの肩をたたいた。

「婆ちゃん、ありがとう」

 おはるは、お婆さんの手をやさしくにぎった。それから、ふたりはおみやげのダンゴを買って茶店をでた。勇平はおはるを背負って土手をくだった。

「おはる、手裏剣の名人は近くにいた」

「爺ちゃんがきいたらよろこぶよ。あの婆ちゃんに、また逢いたい」

「そうだな、もっと稽古しなくちゃ」

 涼しい川風がふいて、勇平は何気なくふりかえった。

「おはる、あの婆ちゃんが手をふっているよ」

「ほんと、わたしもふる」

 土手で見ているお婆さんに、おはるは笑顔で大きく手をふった。


 秋になって、勇平とおはるは十二キロはなれた柳津村へ向かった。柳津には亡くなった母の実家と、母と風呂にはいった旅館がある。途中、気多宮宿で茶店にはいった。

「姉ちゃん、ダンゴください」

 縁台にすわった兄妹に、娘がお茶をだした。

「どこまでいくの?」

「七折峠をこえて柳津まで」

「追いはぎがでるから、鐘撞堂峠をいきなさい」

 娘は真剣な顔で勇平に教えた。

「追いはぎは何人いるの?」

「喧嘩の強い三人組よ、宿場でもこまっているの」

「追いはぎを退治してみたい」

 勇平は杖をかまえて笑った。そこへ、店の奥にすわっていた若い女が立ちあがり、勇平に話しかけた。

「まだ子どもじゃないの、無茶するんじゃないよ」

「この方は、男も黙る賭博師のおまさ姉さんよ」

 娘は笑いながら紹介した。

「おまさ姉さん、おれと妹は剣術と杖、それに手裏剣もできる」

「妹は目がわるそうだ。相手は木刀を持った乱暴者だぞ、やめたほうがいい」

 おまさは手をふりながら笑った。

「それじゃ、おれたちの技を見てください」

 立ちあがった勇平とおはるは、杖をかまえた。

「兄ちゃん、いくよ」

 おはるが上段と横から杖を打ちこみ、勇平がはらう。勇平が打ちこんでも、目が見えないおはるは見事にはらいのけた。

「はやくてうまい、追いはぎに勝てるかも。ちょっとこい」

 おまさはふたりを呼ぶと、サイコロを入れたツボをふって縁台においた。

「いいか、サイコロの目を当てたら、追いはぎ退治を許してやる」

 兄妹の技に感心したおまさは、得意のサイコロ博打をためした。

「兄ちゃん、サイコロの目は三だよ」

「おれも三だ」

 博打の経験がなくても、兄妹はなぜか同じだ。

「お前たちは双子か」

 おまさがツボをあけると、サイコロの目は三だ。

「やっぱり、当たった。妹は目が見えないけど勘がいい。おれも似てきたのかも」

 勇平は笑っておはるの手をにぎった。

「おもしろい兄妹だ。わたしも峠の上までついていくから、ちょっと待って」

 おまさは足に脚絆をまき、菅笠をかぶった。

 三人は七折峠の曲がりくねった道をのぼった。ときどき、鳥の鳴き声がする。街道は大きな樹木がうっそうとして暗く、さびしい感じがする。

「今の時間は追いはぎがでるから、だれもとおらない。だから朝一番に十人ぐらいあつまってとおるの」

「宿場では、追いはぎを退治しなかったの?」

 街道にくわしいおまさに、勇平は疑問をなげつけた。

「山狩りをやって逃げられた。頭のいい男たちで、二、三人の弱い者しかおそわない」

 おまさは、追いはぎのしたたかな手口を語った。

「もうすぐ頂上だ、追いはぎはどこかで見ている。一番強そうな男はわたしが退治するからな」

「おまさ姉さんは、剣術をやるんですか?」

「博打場の用心棒から教えてもらった。それよりも、油断するなよ」

 おまさは兄妹をはげました。

 峠の頂上でひと休みして、三人は昼食のにぎり飯をたべた。まもなく、おはるはまわりの様子がおかしいことに気づいた。

「兄ちゃん、きらいな酒とタバコのにおいがする」

「おはるの耳はよくきこえる。それから、においも犬のようにかぐ」

 目の見えないおはるは、いつしかまわりの気配に敏感になっていた。

「兄ちゃんだって、勘はいいよ」

「おはるのおかげだよ。爺ちゃんから習った技をためしてみよう。おれは柔術をつかう。おはるは杖と手裏剣だ」

「相手を杖でたおせるかしら」

「おれが教えたとおりにやればいい」

 ふたりは、追いはぎと闘う気持ちをたしかめあった。

「おまさ姉さん、まもなく追いはぎがでます」

「ついにきたか」

 おまさは、勇平が渡した杖をつよくにぎった。

 とつぜん、大きな木のかげから三人の若い男があらわれた。

「ここはおれたちの縄張りだ、金をおいていけばとおしてやる」

 強そうな男は、おまさの胸元に木刀をつきだした。

「追いはぎは、お前たちのことか」

 菅笠をかぶったまま、おまさは男に言いかえした。

「おれたちを知っているとは、ただじゃすまねえ。これをくらえ」

 男が打ちこんだ木刀を、おまさは杖ではらった。おまさは杖をかまえ、男とにらみあった。

 勇平は短刀を持っている男の前に立った。

「小僧、これがこわくねえのか」

 男は短刀をふりあげておどかした。

「おれは柔術をやります」

 素手でかまえた勇平は、短刀を見てもこわがらない。間合いをつめると、男はさそわれるように短刀で突いてきた。勇平は体でかわすと同時に、男の手首を素早くつかんでひねり、左手で男の右肩を押しながら地面にたおした。

「これをくらえ」

 立ちあがろうとした男の額に、勇平は懐から鉄扇をぬいて強く打ちこんだ。

「あうっ」

 痛みにたえられなった男は、地面にころがった。

 木刀を持った三人目の男は、弱そうなおはるに近づいた。すると、おはるは左手の杖を男にむけた。

「女の杖なんかで、おれに勝てるかよ」

 男はおはるの杖をはらうと、体当たりした。思いがけない攻撃に、おはるはたおれてしりもちをついた。とっさに帯にはさんだ手裏剣をぬいて投げた。手裏剣は男の体をわずかに外れ、男は小石を拾っておはるの体に投げつけた。あせったおはるは二本目の手裏剣を投げた。

「あぶねえ」

 手裏剣は男の腕をかすった。

「どうだ、まいったか」

 すわったおはるの肩に、男は木刀を強く押しつけた。もはや、おはるに勝ち目はない。

「この手があります」

 おはるは右足の脚絆にはさんだ手裏剣をぬいて、男の右腕を刺した。

「痛いっ」

 男はたまらず木刀を落とした。立ちあがったおはるは、男の頭を杖で強くたたき、胸を突いてたおした。

「手裏剣は三本あったのよ」

 おはるは男の胸に杖を当てて、ほほえんだ。

 一方、おまさは、木刀の男とはげしく打ち合った。男の隙を見ぬいて、木刀かわしながら小手を強く打った。腕の痛みに男の木刀は地面におちた。すかさず、おまさは男の肩を打った。

「大沢の寅だな」

 おまさは菅笠をはずし、素顔をみせた。

「その顔は、ツボふりのおまさ姉さんか」

 おどろいた男は、手を押さえながらすわりこんだ。

「追いはぎをやっていたとは、かんべんできねえ」

 大きな声で、おまさは木刀を男の顔にちかづけた。

「おれの村は米もとれねえ貧乏だ。、あそぶ金ほしさにやりました。みんなこっちにこい」

 たおれたふたりの男はあわてて立ちあがり、寅の隣りにすわった。

「もう、追いはぎはやりません」

 男三人はいっしょに地面に手をついた。

「いいか、もう追いはぎはやるな」

 おまさは男たちの頭を木刀でたたいた。

「おまさ姉さんにばれては、宿場であそべないと覚悟しました」

「まともな仕事で稼いだら、遊んでもいいよ」

「かんべんしてくれるとは、ありがてえ」

 すっかりおとなしくなった男たちは、頭をさげて立ち去った。

「おまさ姉さんは、宿場の親分みたい」

 男たちを降参させたおまさを、勇平は好きになった。

「いずれは宿場の親分になるつもり。お前たちもたいしたもんだ。わたしはここで別れるけど、けっして油断するんじゃないよ」

 おまさは兄妹の肩をたたいた。

 勇平とおはるはおまさに手をふり、山道をくだっていった。

「兄ちゃん、思ったよりうまくいった。追いはぎがいなくなればいいね」

「隣りの爺ちゃんが、追いはぎは刃物を持っているかもしれない。先手必勝でたおせと鉄扇を貸してくれた。手加減して頭をなぐった。おはるの杖も役にたったな」

「でも、手裏剣は当たらなかった」

 おはるは不満そうに、手裏剣をにぎりしめた。

「相手はおれたちのことを何も知らない、勝ってあたりまえだ」

「おまさ姉さんがいなかったら、どうなっていたか」

「そうだな、まだまだ稽古がたりないのかも」

 正義感、冒険好きのふたりにとって、はじめての武勇伝であった。

 翌日、柳津円蔵寺の境内で、恒例の素人相撲大会がおこなわれた。母の実家の叔父は相撲が強く、勇平は叔父と稽古して大人の部に出場した。相撲のうまい勇平は上手投げ、出し投げ、内掛けの速攻で十人抜きの大活躍、たくさんの賞品をもらった。

「おはる、優勝したぞ」

 勇平は賞品をおはるの手にもたせた。

「ちいさい男が強いって、さわいでいたよ」

「おようちゃんにも、もらった賞品をあげよう」

「兄ちゃんはおようちゃんが好きでしょ。だからどうしても勝ちたかったのね」

「大人になったら、お嫁にもらうかな…」

 勇平にとっておようは初恋の人だ。

「おようちゃんが、兄ちゃんのお嫁さんになったらいいな」

「おれより年上だから、先にお嫁にいっちゃうかも」

「そうか、わたしは兄ちゃんがいればいい」

「おはる、だれよりも強い双子になるぞ」

 ふたりは賞品をつつんだ風呂敷を背負い、笑いながら家にかえった。


 勇平は十八歳になった。坂下村諏訪神社の秋祭り、勇平の養気館道場は剣術と柔術の演武をおこなった。勇平は武田師範代の相手役になり、柔術の形をみせた。

 その後、客寄せの芸がはじまり、勇平はむずかしい白紙切りの技にいどんだ。友だちの軍治は半紙を額にあてた。勇平は真剣の刀を抜いて上段にかまえた。

「軍治、うごくなよ」

 やさしく声をかけても、軍治はこわくなって思わず目をつむった。「えいっ」とするどい気合いで斬ると、額にあてた白紙はまっ二つに切れた。軍治が頭と額をなでまわしてみると、かすり傷もついていない。

「すごい芸だ」

 息を呑んで見ていた観客は、大きな歓声をあげた。

 次に、丸い目印をつけた戸板が立てられた。そこに、ひょっとこ、おかめの面をかぶった男女が手をつないででてきた。観客は笑いながら、何がおこるのかと期待した。

 戸板から七メートルはなれ、ふたりならんで立った。同時に手裏剣をかまえて五回投げ、すべて的に命中した。

 さらに、おかめが戸板の前に手をひろげて立った。ひょっとこが観客に手裏剣をみせると、おかめに向かって投げた。手裏剣は女の頭上、顔の左右、両腕の上下、胸の両脇のすれすれに刺さった。おかめは戸板を背負って正面を向き、軽く頭をさげた。ひょっとこは戸板をもどして、おかめと手をふった。

「おかめ、ひょっとこ、うまいぞ」

 見事な技に観客は感心しながら、あまりのおかしさに拍手をおくった。ひょっとこ、おかめの男女は勇平とおはるだった。

 最後の芸は、大きな木の間に太い綱が張られた。登場したのはハチマキにハッピ姿の勇平で、めずらしい一輪車を持っている。当時、軽業師による一輪車の綱渡りが世間の話題になり、勇平は仙台の武者修行で見物した。鍛冶屋の友人にたのんで、荷車の輪にペダルをつけてもらい、勇平はひそかに一輪車の稽古をしていた。

「みなさま、会津ではじめて一輪車の綱渡りをやります。うまくできたら拍手をお願いいたします」

 軍治が声高に説明すると、観客はざわめいた。勇平は大きな銀杏の枝にはしごでのぼった。友人も見物人も心配そうに見あげた。勇平は不安なようすもなく、落ち着いて一輪車に乗った。すこしでもずれたら地面に落ちる。怪我をするから失敗はできない。

 勇平はしずかにペダルをふんだ。体がたおれないように両手をひろげた。勇平は一輪車と一体になり綱の上を二十メートル走って、杉の木までたどりついた。勇平は一輪車をおりて、笑顔で観客に手をふった。

「軽業師になれるぞ――」

 軍治がさけぶと、観客から大きな歓声と拍手がおこり、しばらく鳴りやまなかった。


 消えかけた夢

 

 二十歳の春、朝から青空がひろがって、見渡すかぎり菜の花が咲いている。勇平は金右衛門とおはるに見送られ、仙台の武者修行へ旅立った。

 二日目は奥州街道の二本松宿で昼食をとり、二本柳村の茶店で休んだ。店の主人はお茶をだしながら、心配そうに勇平をみた。

「この先で道路工事をやっている。人夫たちは全国を股にかける荒くれ者だ。追いはぎをやるからまわり道をしなさい」

「追いはぎでこまっているなら、警察にいえばいいでしょう」

「国の工事で雇われているから、警察はあてにならない。まともに勝てる相手じゃないよ」

 と忠告されても、正義感の強い勇平は追いはぎを許せない。剣術防具を背負い街道を北へ向かった。

 多くの工事人夫がツルハシや金鋤で土を掘っている。鹿の鳴き石という大きな岩の前を勇平が通ると、三人の男が立ちふさがった。

「若僧、ここはおれたちの縄張りだ。その袋をおいていけばとおしてやる」

「ここは天下の街道です。お役所にやとわれた人夫の縄張りというのはおかしい」

 勇平はひるまず堂々と反論した。

「若僧のくせに生意気な、おれたちをだれだと思っているんだ」

 おこった男は、勇平の胸ぐらをつかもうとした。勇平は男の手をはらいのけて、手首をつかんでひねり、つきとばした。もうひとりの男は天びん棒を持ち、勇平も袋から木刀をだしてかまえた。男の打ち込みをかわすと、太い腕を強く打った。

「剣術をやるのか、仲間を呼んでくる」

 男たちは一旦にげたが、十人の集団になってもどってきた。杉林の街道はせまく、勇平は防具を肩に担いで北へ走った。

「若僧をとおすな、やっちまえ」

 大声をだしながら、男たちが追いかけてくる。前方にも男の仲間がいて、勇平におそいかかった。勇平は新緑の桑畑の中を走り、男たちの攻撃を木刀で反撃した。一時間ほどはげしい闘いが続き、疲れた男たちは追いかけてこない。気がついてみると、担いでいた防具袋はどこにおいたか忘れてしまった。 

――引き返すわけにはいかない。

 街道わきの木陰でひと休みした勇平は、さらに北へ歩きはじめた。しばらくすると、十人の男たちが腕を組んで待ち伏せしていた。

「もうにげたと思った。まだやる気か」

 男たちのしつこさに、勇平はおどろいた。

「なかなかやるじゃねえか、おれたちの喧嘩を教えてやる」

 大きな男が手をあげて合図した。ほかの男たちは笑いながら勇平を取りかこみ、三方から次々と拳大の石を投げた。剣術の強い勇平でも防ぎようがない。

――投げ石か、にげるしかねえ。

 勇平は手で顔をかばいながら北へ走った。まもなく永井川の土手につきあたり、行く手をさえぎられた。すると、男たちが投げた石が勇平の頭に命中した。

「ううっ」

 たまらず、勇平は声をあげて膝をついた。ふたりの男が土手の上で待ち伏せして、土のついた重いモッコを勇平にかぶせた。勇平は必死にもがいて外そうとしたが、天びん棒で全身をたたかれ、ついに気を失った。

 モッコが外され、大きな男がうつ伏せの勇平の体にまたがった。

「若僧、これをくらえ」

 ツルハシをふりあげて勇平の背中に打ちこむと、骨を砕くにぶい音がした。勇平はまったく動かなくなった。

「おれたちに勝てるか、バカ野郎」

 男たちは笑いながら引きあげていった。

 喧嘩を見ていた工事関係者は、勇平を戸板に乗せて福島の病院にはこんだ。三日後、勇平は目がさめた。背中のろっ骨が折れ、傷は肺にまで達したが、心臓をわずかに外れた。医者は体をきたえていたので奇跡的に助かったとおどろいたが、入院三か月を要する重傷であった。

 勇平は起きあがれる状態になっても、全身の痛みにくるしんだ。

――目の見えないおはるのことを思えば、こんなことで負けられない。

 痛みをこらえながら、杖をついて必死に歩く訓練をした。警察の巡査が様子を見にきたが、勇平はぼうぜんとして何も話さなかった。

 退院後、勇平は足を引きずりながら警察の取調べをうけた。

「天下の街道を血で汚した重い罪だ。喧嘩相手の人夫はお前が先に手をだしたという。それに八人も怪我をして、道路工事も大幅におくれた」

「相手は追いはぎの荒くれ者ですよ、おれは正当防衛になって無罪でしょう。よく調べてください」

 思いがけない刑事の話に、勇平は納得できない。

「すでに、人夫たちの取調べはおわった」

「荒くれ者たちの無法ぶりに、地元はひどい目にあっている」

 勇平は茶店の主人の話を説明した。

「住民から追いはぎの訴えはない」

「そんな……」

 当時の警察は、住民を監視することが重要な任務だ。道路は国の重要工事のため、住民が人夫の追いはぎを訴えても、警察は取りあげなかった。刑事は勇平の主張を、まったく認めようとしない。

「お前の名前、生まれた家、まだ思いだせないのか」

「人夫たちに頭を強く打たれたせいか、まったくわからない」

「喧嘩のことはおぼえているのに、そんな話はきいたことがない、」

「医者も不思議だといっていました。ほんとに名前も家もわからない……」

 名前や実家を話したら、重傷を負ったことが妹に知られてしまう。妹を悲しませたくない勇平は、記憶がなくなったと主張した。

 しかし、刑事は勇平の話を疑った。重傷の勇平に拷問することは無理で、かわりに食事を与えない方法を考えた。勇平は留置場の中で何も食べられない。

「名前と生まれた家を話せば、うまい飯がくえるぞ」

 刑事はやさしく笑った。

「それが、さっぱり思いだせない」

 四日目に水を与えられたが、体の水分不足から心臓がドックン、ドックンと鳴った。食欲がなくなり、体から変な臭いもでてきた。

――もうすこしの辛抱だ、おはる、おれはさすけね……。

 勇平はおはるを想いながら、七日間必死にたえた。刑事はこれ以上無理と判断し、勇平は食事を与えられて体の具合もよくなった。

 再び取調べがおこなわれ、刑事は勇平の罪を決定しようとした。

「お前のような我慢強い男ははじめてだ。記憶がないのはほんとうかもしれない。だが、医者は杖を使わないと歩けない。足腰がなおる見込みはないという。警察はお前にばかりかまっていられない」

 勇平の罪を証明できないくやしさに机をたたいた。

「おれは無罪になるんですか?」

「おはるという女の寝言をいった。それに、さすけねは心配ないという意味だから会津生まれだ。警察署に問い合わせたが該当者はいない。お前の名前、おはる、生まれた家は、どうしても思いだせないのか」

 何としても勇平の素性を知りたい。

「はい、まったくわかりません」

「そうか、お前を無罪放免にする。でも、その足はなおらないから、つらい暮らしが待っている。会津にいけば自分の家を思いだすかもな」

「無罪を認めてもらい、ありがとうございます」

 勇平は刑事に頭をさげた。

 十一月二十日、勇平は無罪釈放された。外にでると冷たい風が吹いて、全身にはげしい痛みがはしった。

――武者修行は無理だ、おはるのところへかえるか……。

 二年間の剣術修行がおわれば、師範代への道が開けるはずだった。勇平は思わぬ大怪我をして、剣術家の夢ははかなく消えてしまった。


 福島から会津まで、勇平は荷物運送の馬車に乗せてもらった。馬車がゆれるたびに体のあちこちが痛む。体をむしろでかこみながら、痛みと風の寒さにひたすらたえた。実家に無事たどりつくと、父は杖をつく勇平の姿におどろいた。

「これだけの怪我をして、よく命が助かった。風呂にゆっくりはいり、相撲の四股を踏んで、怪我の痛みをなおすしかない」

「相撲の四股で体が良くなるの?」

「毎日四股を千回踏めるようになれば、体の芯ができる。怪我も良くなるのだ」

 さらに、父は勇平の背中にお灸の治療をした。

 隣の金右衛門はだれよりも勇平を心配した。

「養気館道場には訳を話したから、破門にならないだろう。痛みをなおすには竹刀の素振り、居合、柔術の稽古をするんだ」

「爺ちゃんに心配かけてすみません。じっとしていると体が痛い。体を動かしたほうが楽です」

「わしの夢は勇平を師範代にすることだ。こんなことであきらめるな。腕立て伏せや、棒ふりもやれ」

 金右衛門のはげましに、気の強い勇平も涙をうかべた。

 とうぜんながら、妹おはるの心も痛んだ。勇平は体の痛みで朝おきるのが一番つらい。おはるは勇平の手をつかんで布団からおこした。

「兄ちゃん、体をもむから横になって」

「おはるにも心配かけてすまない」

「相撲の弟子の体をもんだから、按摩もできる」

 朝と晩、おはるは勇平の体を時間かけてもんだ。

「それにしてもうまい、おはるのおかげで夜はぐっすり眠れる」

「兄ちゃんからもらった笛を吹くから」

 家を留守にして、さみしい想いをさせたくないと、勇平は笛を与えた。おはるは近所の子どもといっしょに稽古して、音がでるようになった。

「おはるは器用だな、気分が楽になる」

「器用なのは兄ちゃんのおかげよ」

 目の見えないおはるを守ってきた勇平も、今はおはるに助けられている。布団の中で感謝の涙をながした。

 あたたかい春になった。勇平は金右衛門の指導で、剣術と柔術の稽古にはげんだ。忠孝は小学校の先生で、休み日は勇平の稽古相手になってくれた。庭の土俵で相撲の弟子たちと四股を踏んだ。おはるは杖をふり、手裏剣を投げあって勇平を笑わせた。

 夏になって、勇平のケガは順調に回復したかにみえた。ところが、十一月にはいると寒くなり、勇平は体の痛みがもどってきた。勇平とおはるは広瀬神社に手をあわせ、怪我の回復を祈願した。ふだんは人のいない神社で、たまたま心清水八幡神社の戸内宮司に出会った。

「勇平、杖をついて怪我したのか」

 宮司は勇平の目薬沼の水くみと、仲の良い兄妹のことを知っていた。

「怪我は治りましたが、寒くなると体が痛みます。おはるの目のように、医者もなおすのがむずかしいようです」

「そうだ、医者でもなおせない病気をなおす名人がおる。塩川村の先にいる万之丞という易者の先生だ」

「その先生は、わたしの目を診てなおらないと言った」

 おはるは五歳で目の病気にかかり、万之丞に診てもらったことがある。

「おはるの目はなおりにくいが、勇平の体の痛みはなおせるだろう」

「それじゃ、行ってみます」

 勇平とおはるは頭をさげて、神社の鳥居をくぐった。

 翌日、勇平は金右衛門、おはるといっしょにでかけた。途中、塩川村の大きな橋を渡り、商家ののれんが下がる街中で休み、二時間かかって万之丞の家についた。

 農家のはなれが万之丞の仕事場になっている。部屋の戸をあけると、大きな不動明王の掛け軸が目にはいり、白い着物の中年の易者がすわっていた。

「先生、十三年前に母ときたおはるです。兄ちゃんの体をなおしてください」

 おはるは思いつめた表情で手をついた。

「あの時はまだ子どもだったな、わしがかならず兄の体をなおしてやる」

 万之丞は幼かったおはるをおぼえていた。

「竹山勇平です。怪我の痛みがなおりません。先生おれを助けてください」

 畳に頭をこすりつけた。

「怪我の後遺症か、喧嘩でもしたか」

 勇平の体を診なくても、怪我の理由を見ぬいた。

「わしは勇平に武術を教えている佐藤です。患者をひと目見ただけで、病気を見ぬけるのですか?」

 万之丞は無欲で澄んだ目をしている。金右衛門は不思議な能力を感じた。

「わたしは農民ですが、成田山で易学・修験道・医術を修行し、会津藩から万之丞の名前をいただきました」

 会津一の天才易者、無料奉仕の聖人として評判が高く、会津一円のほか、阿賀川下流、隣県の米沢まで信者がいる。

「明治政府になって修験は禁止、西洋医学に切り替わりました。このような商売はめずらしい。ほんとに無料なんですか?」

「世の中が変わっても、信者がたくさんきます。無欲にならないと修行は上達しません。それで占いと病気治療は無料なんです。さっそく、体を診ましょう」

 金右衛門は勇平の着物を脱がせ、うすい布団に寝かせた。万之丞は呪文を唱えると、勇平の背中、腹部、手足のツボを押しながら診察した。

「勇平、時間はかかるが体の痛みはなおしてやる。それから、目の不自由な妹には按摩を教えよう」

「先生、ありがとうございます」

 おはるはよろこんで、畳に手をついた。

「目が不自由でも仲の良い兄妹はめずらしい。佐藤殿、この兄妹は双子、気配やにおいに敏感で、手先が器用ではありませんか」

 万之丞は、目の不自由な者が持つ特長を確かめたい。

「そのとおりです。勇平は妹の世話をしたから、天才的な素質が生まれました」

「やはりそうですか、怪我した勇平はわたしと同じ霊感の強さがあります。治療しながらいろんなことを教えられるでしょう」

「勇平の欠点は、慢心、油断したことで大怪我をしました。先生、よろしくご指導をお願いします」

「しばらくは、七日ごとにかよってください」

 万之丞と金右衛門は、兄妹に対する見方が一致した。

 その後、勇平とおはるは杖をつきながら万之丞の家にかよった。勇平の体の痛みはすこしずつ良くなり、自宅から六キロメートル歩いてもつらくない。

 ある日、帰り道で二匹の大きな野良犬がほえて、勇平とおはるに襲いかかろうとした。

「兄ちゃん、こわいよ」

 おはるは勇平の手を強くつかんだ。

「心配するな、爺ちゃんから習った技がある」

 犬はほえながら、おはるにかみつこうとした。勇平は犬のうごきを予想して杖で頭を強くたたくと、犬は地面にころがった。勇平はもう一匹の犬をにらんで、わざと手をひろげた。犬はすきだらけの勇平にかかってきた。すばやく背中に差した杖を左手で抜き、犬の口の中に突き刺した。二匹の犬はしばらくうごけなかったが、小声で鳴きながらにげていった。

「おはる、もうだいじょうぶだ」

「兄ちゃん、いつの間にそんな技をおぼえたの」

「毎日同じ稽古だとあきてくる。たまには犬をためしてみたんだ」

「もう、あの犬はおそってこないわね。でも、犬がかわいそうな気もする……」

「今度、おれたちの顔を見たら、すぐにげるよ」

 勇平は居合と杖術の技をつかって、野良犬を撃退した。

 昔の武術家は気合をかけて、相手の気力を吞みこんでしまう。勇平は修験道の気合術を万之丞に教えられた。気合術は大声で「えいっ」と気合をかける。水の入った茶碗に気合をかければ、水が外にこぼれるようになるという。声の大きい勇平が挑戦して、半年たっても水はこぼれない。万之丞にコツをきいてみた。

「勇平は剣術と相撲の四股で、気合術の基礎ができている。ヘソの下三寸に気をしずめ、無心になって気合をかけるのじゃ」

「無心になれとは、どうすればいいのですか?」

「仏教の教えで禅という修行だ。それには酒を飲んだり、あぐらをかいてはならぬ」

「酒は体にわるいからやめます。禅は寺の和尚さまからきいたことがあります。気合術は武術のほかに、何の役に立つのでしょうか?」

 体のために良いのでないかと、勇平は思いはじめていた。

「虫歯に気合をかけると、痛まずに歯をぬける。勇平に気合をかけたから体の痛みがなくなった。体の治療にも役に立つのだ」

「なるほど、そういうわけですか」

「うまくなれば、枝にとまっている鳥を落とせる。それに相手を金縛りにすることもできる。使い方によって良くも悪くも利用できる」

「とんでいる鳥も落とせるのですか?」

「そのとおりじゃ」

 不思議な力におどろき、勇平はますます意欲がわいた。万之丞は勇平に目を閉じる正座の禅を教えた。

 ある日、畑で土を耕していると、近くの柿の枝にスズメがとまった。勇平は好奇心から気合術をためしてみたい。まわりを見渡してだれもいない。スズメは二十羽ぐらいいる。万之丞は何度も生き物にかければ、神仏のバチがあたるかもしれないと教えた。

 ――一度ぐらいならいいだろう。

 鍬をおいて、柿の枝に向かって斜めにかまえた。静かに両手を頭の上にあげ、下っ腹に息をためて「えいっ」と左手をふりおろし、するどい気合をかけた。おどろいたスズメはいっせいにとび立った。

「やっぱり、だめだったかな」

 と思った時、枝からスズメが三羽落下した。勇平が近づいてみると、地面に落ちたスズメは、まもなくとんでいった。

「やった――」

 おもわず、左手をつきあげた。


 柔術の修行


 万之丞の家にかよう途中の塩川村は、阿賀川船運で栄えている。船着場近くの土蔵を借りて、御清水剣術道場が開かれた。金右衛門と忠孝は、惣角に良い知らせがあるという。

「道場師範の長尾清吾は、勇平と同じ坂下の養気館道場にいた。それに忠孝とは、九州の西南戦争に行った戦友なのだ。勇平は助手として、門人に教えてほしい」

「塩川で、おれが剣術を教えるのですか?」

「勇平はまだ若いから師範代は無理だ。はじめて剣術をやる若者に教えることはできる」

 怪我から回復した勇平を、金右衛門は長尾清吾にはたらきかけていた。

「爺ちゃんはおれのために……」

「勇平、いずれは師範代になれるだろう。おはるもよろこぶ」

「忠孝さんまで……」

 忠孝は涙ぐむ勇平の手をにぎった。

 剣術道場の隣りに清水があることから、御清水道場の名前をつけた。

まもなく、勇平は商家や農家の若者に竹刀の素振り、足さばきなど、剣術の初歩を教えた。得意のトンボがえり、手裏剣投げを見せると、若者たちはよろこんだ。

稽古がおわって、勇平は道場の長尾先生とお茶を飲んだ。

「教師をやめて、剣術を教えながら暮らすつもりだ。門人があつまるのか心配だったが、勇平のおかげで門人がふえた」

 頭の白髪が目立つ長尾先生は笑みをうかべた。

「おれが大怪我しても、金右衛門先生は剣術と柔術を教えてくれました。これで恩返しができると思います」

「勇平は剣術の天才だ。若者に教えるだけではもの足りないだろう。わしは太子流剣術のほかに、渋川流柔術も教えられる。これからは柔術が役に立つだろう」

「先生、ぜひ柔術を教えてください」

「わしの技はすべて勇平に伝える」

 長尾先生は立ちあがり、道場のまんなかでかまえた。腕をつかんで投げる関節技は金右衛門と同じである。勇平は長尾先生の柔術、突き、当て身を会得した。さらに創意工夫して新しい技を研究しようと思った。

 船着場の荷物担ぎの人夫は、ひまになると勇平の剣術道場を見にきた。稽古がおわった勇平に声をかけた。

「若先生、おれたちは相撲をやる。どっちが強いか勝負しねえか」

 人夫は一度に米俵二つを担ぐ力自慢で、小柄な勇平よりも強いと思っている。隣りの清水がわく場所は広場になっていて、五人の人夫が腰をおろして休んでいた。

「相撲と柔術の勝負はおもしろいかも」

 勇平は人夫の勝負をうけた。腰をおろして手をついて立ちあがった。勇平は大きな人夫の腕をかいくぐり、すばやく横から人夫を担ぎあげて二回転した。

「どうだ、まいったか」

「おれの負けだ。おろしてくれ」

 後ろ向きに担がれ、身動きのできない人夫はおどろいた。

「油断したが、今度は負けねえ」

 人夫はくやしくて、もう一度かかってきた。脇をしめて勇平にもぐらせない、得意の突っ張りで勇平を押した。勇平はさがりながら横にまわり、人夫の手首をつかんでひねり肩を押すと、人夫は地面にうつ伏せにたおれた。

「若先生、痛いよ」

「この技は一本捕りという」

 背中で腕をきめられた人夫はうごけない。見ていた人夫たちも勇平に勝負をいどんだが、うごきのはやい勇平についていけない。勇平は得意の出し投げ、とったり、内掛けの相撲技で勝った。

「若先生、柔術も相撲も強いのはどうしてなんですか?」

「おれの親父は相撲の大関だ、三つのころから稽古した」

 両手で突っ張りをしながら笑った。

「それじゃ強いのはあたりまえだ。これからも稽古してください」

「肩に担ぎあげる技はおれが考えた。どこからでも相手を担げる技にしたい、いっしょに稽古しよう」

 勇平の技におどろいた人夫たちは、毎日のように勇平と稽古した。人夫は船着場に到着したニシン、タラ、コンブの干物、ウナギなどを勇平の道場に持ってきた。

 おはるは万之丞から按摩を教えられ、うまくなってきた。勇平は柔術の技を研究していると、万之丞に報告した。

「柔術か、惣角の腕を見せてくれ」

 惣角は着物の左袖をたくしあげた。

「これは太い、普通の人の倍ぐらいある」

「毎日、四股千回のほかに、棒ふり、腕立て伏せを千回ずつやりました」

 身ぶり、手ぶりで説明した。

「よくやったな、この技が役に立つかもな。わしの腕を強くつかめ」

 万之丞と勇平は向かい合ってすわった。万之丞が右腕をつきだして、勇平が万之丞の手首を上から強くつかんだ。

「力を使わずに、勇平の手を外してみる」

「おれは先生よりも力が強い。そんなことができるのですか?」

 勇平には信じられない。万之丞が体の力をぬいて腕をあげると、力の強い勇平の腕があがり手首がはずれた。

「あまり知られていないが、これは気の力だ」

「はじめて見ました。まだ信じられません」

 万之丞は何度も勇平の腕をあげてみせた。勇平が万之丞の腕を力であげようとしても、まったくあがらない。

「今度は伸ばした腕を、内側に曲げてみろ」

「それなら、おれにもできるでしょう」

 万之丞と勇平は立ちあがった。勇平は万之丞の伸ばした右腕を、両手で内側に曲げようとした。

「おかしい、こんなはずはない」

 渾身の力を入れても万之丞の腕は曲がらない。

「勇平、腕にぶらさがってみろ」

 万之丞は笑いながら教えた。

「先生、やっぱり曲がりません。不思議な技です」

 勇平がぶらさがっても、力の弱い万之丞の腕はびくともしない。

「この技も気の力だ。下っ腹に気をしずめて体の力をぬくんだ。指先から気がほとばしり出ていると思う。しぜんに指がひらいて、アサガオの花のような手になる」

 万之丞は腕をあげる方法、伸ばした腕が曲がらない方法を教えた。

「アサガオの手、おれにもできますか?」

「そんなにむずかしい技ではない。おはると稽古すればできるようになる。だが、この技はだれにも話してはならぬ」

「どうしてですか?」

「わしは修験道の呪いと体の治療法を会得した。修験は口伝の掟があって、書いたものを残さない。関係者以外に教えてはならないのだ」

 万之丞は呪文(臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前)、手印を結ぶ九字護身法を修行して、不思議な技を自由自在につかった。

「でも、先生はおれに技を教えました」

「明治の世になって、千年続いた修験の仕事は禁止になった。このままではわしが会得した技は消えてしまう。掟を守りながら、新しい世の中に技を活かすことは、普通の人にはむずかしい。だが、勇平にはそれができる才能がある」

 万之丞には子どもがいない。霊感の強い特別な能力を持った者しか、高度な技はできない。勇平なら自分の技を柔術に活かせると思った。

「先生に見込まれたからには、掟を守って修行します」

 勇平は手をついて、修験道の掟を誓った。

 家に帰った勇平は、おはると腕あげの稽古をした。

「兄ちゃん、力を入れなくてもできた」

「不思議な技だ。万之丞先生の技はまだほかにもある。だれにも話すなよ」

「腕の力を使わない技って、おもしろいね」

 おはるは勇平と稽古するのがたのしい。三か月稽古して、腕あげの技をおぼえた。


 午前中の道場稽古がおわった勇平は、船着場の土手にあがり、シダレヤナギの下に腰をおろして、弁当を食べはじめた。五、六十メートル先で、荷物担ぎの人夫がさわいでいる。とつぜん、若い女の悲鳴がして、勇平は立ちあがってかけつけた。四人の若い人夫が酒を飲んでいる。

「芸者なら酒をついでくれよ」

「おれたちは夜になれば客だよ。いいだろ」

 酔った人夫が芸者にからんだ。

「こんなところで酒はつげません。手をはなしてください」

 人夫はいやがる芸者の手をつかんでいる。

「手をはなせ」

 勇平は手刀で人夫の手首を打った。

「痛い、何をしやがる。おれたちの邪魔をするな」

 おこった人夫は勇平をにらみつけた。

「おれは御清水道場の竹山だ、女に手をだすなんてみっともない」

 正義感の強い勇平は、乱暴な人夫たちを許せない。

「若先生の噂はきいている。一度相撲を取ってみたいと思っていた」

 このままでは、人夫たちの引っこみがつかない。小柄な勇平になら勝てると思った。

「いいだろう、おれが勝ったら女をかえしてもらう」

 勇平は腰をおろした。人夫も腰をおろすと、すぐに立ちあがった。酔っていても、勇平の出方をみてかかってこない。勇平は左手をだして誘いをかけた。人夫は勇平の手首を強くつかんではなさない。勇平は腕あげの技で手を外し、逆に人夫の手首をつかんでひねり、体をつきとばした。

「うわっ」

 人夫は前のめりたおれて、地面に頭を打った。

「おれが本気なら腕は折れていた。怪我しないうちにかえれ」

「……」

 勇平の気迫におされ、人夫たちはたおれた男をかかえて去っていった。

「ほんとうにありがとうございました」

 若い芸者は深く頭をさげた。

「これから昼飯なんだ。いっしょに食べよう」

 勇平は何もなかったように笑うと、ヤナギの下まで歩いて腰をおろした。若い芸者ははずかしそうに勇平のそばにすわった。

「芸者がどうしてここにいたの?」

「わたしは笛の稽古をしていたんです」

「飯を食ったら、おれにきかせてくれ」

 勇平はにぎり飯を芸者に渡すと、自分のにぎり飯を食べた。芸者もつられて食べはじめた。やさしい目をして、勇平よりも年下にみえる。

「それでは、長唄の越後獅子をふきます」

 芸者は横笛を手に持って、軽く頭をさげた。勇平は目をつぶって曲をきいていると、おはるよりもうまい。女の色気も感じて胸がときめいた。

「お粗末さまでした」

 芸者は顔を赤らめてほほえんだ。

「うまい、おれの妹も笛を吹くんだ。そんなにうまくないけど、教えてくれるかな」

「いいですよ、今の時間ならひまですから」

「おれの名前は竹山勇平、妹はおはる、生まれたのはここから一里はなれた小池村なんだ。芸者の名前は?」

「料亭瀬川楼の志保です。生まれは、この川をずっとくだった海の近くなの」

 たがいに自己紹介したが、急に志保の顔色がかわった。

「どうしたの、わるいことをきいたのかな」

「芸者は華やかにみえるけど、親の借金のためにはたらいています。つらいことばかりでも、笑って生きるしかない。わたしはお嫁さんになりたかった」

 はかない身の上だからと、苦笑いした。

「でも、目が見えない人にくらべたら、まだいいよ。おれはチビでも身が軽い、勘もいいから剣術がうまくなった」

「わたしは手先が器用だから笛を習っています」

「それに、志保さんは笑った顔がいいよ」

 勇平は志保をはげました。

「ほんと……」 

「ほら、その笑った顔が何ともいえない。お客に嫁にほしいという人がいるかも」

「芸者のほとんどはお妾さんになるの」

「いや、志保さんならお嫁さんになるよ」

 ふたりは話がはずんで、たのしいひとときをすごした。

 次の日、さっそく勇平はおはるにつれてきて、志保から笛を習わせた。

 それから、芸者志保と親しくなったことが縁で、勇平は護身術を教えることになった。道場に粋なゆかた姿の芸者十人がやってきた。

「若先生、荷物担ぎの人夫たちは酒を飲むと、乱暴者なんです。しょっちゅう怪我してこまっています」

「荷物担ぎの手間賃は稼ぎがいい。だから座敷をことわるわけにもいかない。そんなわけで、なんとか体を守りたいのです」

 先輩の芸者たちが、苦しい心情を告白した。

「だいたいの話は、志保さんからききました。これから手本を見せます」

 立ちあがった勇平は、隣りのちいさな部屋の戸をあけた。おはるの手を引いて、道場のまんなかで向かい合った。ふたりは白い稽古着と紺の袴をはいている。

「これはおれの妹です。按摩になったとき、乱暴な客がいるかもしれない。身を守るために護身術を教えました」

 おはるは笑顔で頭をさげた。

「最初の技は手をつかまれたとき、手首をひねって、肘を使いながら引くと手がはずれる。それから、相手の手首を返して指を内側に曲げれば、相手は痛くなる」

 勇平がおはるの腕をつかみ、おはるが手首をひねり、勇平の指を曲げると、勇平は痛くなって膝をついた。

「もう一つは、相手の右手をはらうと同時に、相手の手首をつかんでひねり、左手で相手の肩を押すとうつ伏せにたおせる。相手の右手を背中できめればうごけない」

 勇平が右手を出すと、その手をおはるが右手で払い、勇平の右手首をひねり、右手で勇平の肩を押したおして背中で腕を曲げてきめた。

「それでは、最初は志保さんにやってもらいます」

 志保は前もって教えられたとおり、勇平をたおした。

「志保さんは踊りのようにうまい」

 勇平はおだてて拍手した。

「これは、おもしろそうだ」

 芸者たちもつられて手を打った。

 勇平は一人ひとりに教え、芸者は男役を女役にわかれて稽古した。芸者はすぐに技をおぼえ、時間も忘れて夢中になった。稽古がおわって、芸者たちは正座した。

「若先生、これは役に立ちます。これからも稽古にきますよ」

「みなさまは、踊りをやっているからうまい。気の荒い人夫たちも乱暴しなくなります。せっかくですから、柔術の技をみせましょう」

 勇平は立ちあがり、おはると向かいあった。おはるの手をつかむと、おはるは勇平の手を取り、その下をくぐりぬけ、体を入れ替えて投げた。おはるは勇平の手をつかんで自由自在、あざやかに投げてみせた。

「こんな技ははじめてみた、目が見えないとは思えない」

 芸者たちはおどろいて、いっせいに拍手した。

「最後にお願いがあります。武術家は相手の実力をひと目で見抜くそうです。それで占いを修行しました。芸者さんの齢はわかりませんが、これから十人を齢の順にならべます。いいですか?」

 万之丞から人相を学び、実際にためしてみたい。

「先生、これまたおもしろい。いいでしょう」

 先輩芸者がいうと、ほかの芸者たちも顔を見合わせて笑った。

 さっそく、勇平は芸者の手をつかみ、齢の若い順から横にならべた。

「一番若い志保さんからお願いします」

 勇平の合図で、志保は十八、次は二十、二十二、二十四、二十五、二十七、二十八、三十、三十三、三十五、十人の芸者は答えた。

「みなさま、全員齢の順になりました。」

 勇平はおどけて両手をひろげた。

「みんな当たったわ、若先生は易者の名人になれます。私たちの守り神になってください」

 先輩芸者に声をかけられ、ひとりずつ握手をもとめられた。まもなく芸者たちはかえり支度をはじめた。

「勇平さんはすごい人なんですね」

「志保さん、ありがとう」

 やわらかな志保の手を強くにぎった。

「わたしのほうこそ、ありがとうございました」

 志保も手をにぎり返し、ふたりはしばらく手をはなさなかった。

 勇平は万之丞と同じことができた。志保の手のぬくもりを感じながら、密かによろこびをかみしめた。


 二人の旅立ち


 勇平とおはるは、万之丞のもとで修行して二年たった。師匠万之丞はふたりの修行について感想を語った。

「おはるは按摩の仕事ができるようになった。これからどうするかだな」

「柳津村に亡くなった母の実家があります。叔父が旅館に按摩の世話をするといってくれました。先生のように、人のために役に立ちたいです」

 おはるは二十三歳の大人として自立したい。

「先生、そうなればおはると別々に暮らします。父もおれもこのままいっしょにいたい。暮らしにはこまりません」

 勇平はおはるの考えに反対した。

「兄ちゃんは嫁をもらう齢になります。これ以上、兄ちゃんに迷惑かけたくない」

「そんなふうに思ったことはない。おれたちは双子の兄妹だぞ」

 ふたりの気持ちがそれぞれ分かれ、万之丞に決めてほしい。

「塩川の旅館もあるが、芸者が多いから女の按摩はむずかしい。虚空蔵さまの寺が有名な柳津のほうがいい。冬になれば客がすくなくなるから実家にかえれるだろう。まったく別々に暮らすわけではない」

「おれは先生のいうとおりにします」

 これ以上反対しても無理だと、勇平はあきらめた。

「おはるは柔術を教えられ、酔っぱらいの男を撃退できる。わしからも技を一つ伝えよう」

 すわって向かいあい、万之丞はおはるの右手首を上からつかんだ。

「手首にはツボがあって、ここをにぎると痛くなってしびれる。どうかな」

 軽くにぎって、やさしく笑った。

「先生、痛い」

 おはるは大声でさけんだ。万之丞が手をはなすと痛みは消えた。勇平も同じ技をかけてもらった。

「先生、この技はおはると稽古して柔術に使えます」」

「手首には痛点というツボがある。技の名前はつかみ手がいいだろう」

 万之丞には高度な医学の知識と技がある。勇平はその技を柔術に活かす才能を持っている。天才同士が力を合わせれば、新しい技が生まれる。

「先生、力をつかわないで投げる柔術の技は 何というのですか?」

「気合術には、声をだす気合と、無心で声をださない合気がある。合気は念力のようなものだ。合気という名前がいいだろう」

「合気ですか、いい名前ですね」

「気合術というのは、活かすのも殺すのも自在の技なのだ」

 万之丞は修験道の医術「活殺自在気合術」から、技の名前を合気とつけた。 

 柳津村の円蔵寺は日本三大虚空蔵菩薩で知られ、真下を只見川が流れている。旅館のみなと屋は筏流しの定宿で、毎日のように宴会をひらいた。

 おはるは若い按摩として仕事についた。

「筏の仕事は、気がぬけねえからくたびれる。風呂にはいって酒を飲んで、按摩してもらうのが最高の気分だ。それにしても、若いのにうまいな」

 筏師の親方の体を、おはるはていねいにもんだ。

「親方、ついでに唄でもうたいますか?」

「それはいい、やってくれ」

 肩をもみながら会津磐梯山をきかせると、親方はおはるが気にいり宴会で紹介した。たちまち、おはるはうたう按摩として筏師の人気者になった。

 若い筏師がこぞって、おはるの按摩をもとめた。

「姉ちゃん、いいだろ」

 予想していたことで、筏師が酒に酔っておはるに抱きついてきた。

「それはいけません」

 筏師の手首をひねって肩を押し、布団にねじふせた。それでもかかってくる筏師は、腕を取って投げとばした。

「兄から柔術を習ったの、痛かった?」

「こんなに強いとは思わなかった」

 おはるに手をだした筏師は親方にしかられ、乱暴する筏師はいなくなった。おはるは按摩の暮らしになれ、笛をふきながらたのしい日々をすごした。

 年の暮れ、勇平がソリを引いておはるを迎えにきた。おはるは按摩の仕事ぶりをくわしく話して勇平を笑わせた。

 次の朝、勇平とおはるは雪除けの蓑を着た。松林に雪が積もり、只見川のよどんだ景色は墨絵のように美しい。川岸の松の陰に腰をおろして待っていると、カモがまいたエサを食べはじめた。おはるはカモの食べる音をききながら、糸のついた棒手裏剣を投げるとカモに命中した。勇平はすばやく糸をたぐり寄せた。

「おはる、カモを捕まえたぞ」

 まだ生きているカモの足を、紐でしばりあげた。

「家にかえったらカモ鍋だね」

「何といっても母ちゃんの味を思いだす。手裏剣投げは筏師の宴会で見せるのか」

「いや、乱暴しそうな男をおどかすときだけよ」

「おどろく男の顔が目にうかぶ」

 ふたりは手裏剣の話に盛りあがった。

 帰り支度をして、おはるをソリに乗せて出発した。只見川特有のしめった雪がふっている。勇平はソリをとめて、おはるの菅笠の雪をはらい、冷たいおはるの手をこすってあたためた。難所の七折峠はおはるが唄をうたって、ソリを引っぱる勇平をはげました。


 長尾先生は、御清水道場に警察の師範が視察にくるという。巡査は犯人逮捕の剣術と柔術が必要とされ、若い巡査に教える師範がいた。勇平は自分の腕をためす絶好の機会と思って、金右衛門に相談した。

「勇平が警察の師範に勝てば、巡査に教えることもできる。そうなれば、東京の警視庁武術大会に出場して、優勝することも夢ではない」

 金右衛門は、全国大会で勇平を優勝させたい。

「以前、坂下警察署の巡査には、百姓と稽古はやらないってことわられた。今度も同じことになるかもしれない」

 巡査は元藩士の士族がほとんどで、農民に負けたくない。明治の新しい時代になっても、勇平は身分制度の厚い壁になやんでいた。

「勇平をわしの養子にすれば士族になれる」

「でも、おれは農家の跡継ぎです。父ちゃんは反対します」

「今の母親の息子に、家を継がせればいい」

 父と義母の間にできた次郎は十歳になっていた。

「なるほど、そんな方法があったのか」

「養子になって、わしの親戚の娘と結婚するんだ。父は反対しないだろう」

「おれが嫁をもらうなんて、おはるはどう思うかな」

 勇平はどうしても、おはるのことが気になる。

「おはるは按摩になった。兄妹の仲がいいからって、嫁をもらわないわけにはいかぬ。ふたりとも大人だろう。それよりも警察の師範に勝つ方法だ、いい手がある」

 金右衛門は試合の作戦を教えた。

 秋晴れの午後、喜多方警察署から師範が道場見学にきた。剣術師範は弟子に教える勇平の稽古をみて、指導するつもりで試合を申しこんだ。

「おれは福島大会で優勝した木村幸三だ。遠慮はいらぬ、思いっきり打ってこい」

「木村師範と稽古できるなんて、たいへん光栄です」

 面をつけて立ちあがった勇平と木村は、竹刀をかまえた。師範だけあって構えに隙がない。長身の木村は得意の面を打ってきた。勇平はうごきがはやく左右にとんで、木村の攻撃はきまらない。勇平は竹刀を両手から左片手に持ち替えた。変わった攻撃に木村はとまどい、勇平はコテを続けて打った。

「見事、コテを取られた。片手打ちが得意なのか」

 あまり見たことがない攻撃におどろいた。

「おれは背が低いですから、片手打ちを考えました」

 両手で打つよりも、相手の体に竹刀がはやくとどく。

「なるほど、それに身が軽いな」

「軽業師になろうと思ったことがあります」

「なんと、軽業師か」

 木村はおもわず笑った。

「竹山君、もう一本だ。いくぞ」

 木村は負けたままでおわりたくない。竹刀をかまえてはげしく打ってきた。勇平のうごきになれ、しだいに道場の壁に追いつめて、メンをきめた。

「さすがは木村師範です。もう一本お願いします」

「いいだろう」

 三本目、ふたりははげしく打ちあい、勝負はなかなかきまらない。長尾先生はもうひとりの師範と緊張しながら見ている。

「長尾先生、これほど強い男はあまりいませんよ」

「勇平は天才だ、つぎつぎと技をくりだしてくる」

「小柄なせいか、うごきがはやいですね」

 ふたりは顔を見合わせてうなづいた。

 勇平は何度も竹刀を左右に持ち替えて、木村をまどわせた。するどく踏み込み木村の籠手、面、胴を打ち試合を優勢にすすめた。木村は防戦一方になり攻撃できない。勇平は最後の一手、左片手打ちで木村のメンをねらった。

しかし、わずかに木村のメンがはやかった。

「木村師範、まいりました」

「何とか勝てたな、それにしても強い」

 木村はすわって面を外し、はげしく息を切らした。勇平はまったく息がみだれない。金右衛門は最初の一本は必ず取れ、二本目、三本目は負けてやれと教え、勇平はそのとおりやってみせた。

 すこし休んで、柔術の試合になった。

「おれは福島の柔術師範三上寅雄だ。県内ではおれより強い男はいない」

 三上は百キロもある大男で、小柄な勇平をみて、まったく勝負にならないだろうと思っている。

「おれはこのとおり、ちっちゃな体です。おてやわらかに」

 勇平の体重は五十二キロしかない。大きな師範に緊張しながら頭をさげた。

 とうぜん、長尾先生は心配した。

「花見さん、勇平は怪我するんじゃないかと……」

「稽古で怪我させた相手はたくさんいます。だれが見ても竹山君が勝てるとは思いませんから、すこしは手加減するでしょう」

 花見師範は、勇平が負けるだろうと予想した。

 試合がはじまった。勇平は力をぬいて自然にかまえた。三上は笑みを見せて右手をあげながら、勇平の襟をつもうとした。勇平はすばやく三上の手首をつかんでひねり、まわすようにふると、三上は床に転んで背中を打った。

「何だこの技は」

 三上はどうして投げられたのかわからない。立ちあがって勇平の袖をつかんだ。勇平は肘をまげてまわり、軽くふると三上は床に転んだ。三上は勇平のどこをつかんでも、手首や腕を逆にきめられ、投げられてしまう。

「こんなはずはない」

 三上はあせればあせるほど、小さな勇平に四方、八方へ投げられた。気持ちが動揺した三上は冷や汗をかいて、どうして良いのかわからない。

「まいった」

 床に強く投げられて、三上は負けをみとめた。

「どこでこんな技を教わった」

「おれの爺ちゃんは、お城で小姓や奥女中に護身術を教えていました。ちっちゃくても大きな男を投げられる技です」

「会津藩の護身術か、はじめて見た」

 三上はやっと理解した。実際は金右衛門の柔術技に、万之丞に教えられた心身統一、気の力を取りいれて、勇平独自の技をつくっていた。

 試合後、木村師範は勇平に告げた。

「来年の春、県内の剣術大会がある。竹山君を推薦するから出場できるな」

「出場させていただければ、たいへんありがたいです」

 直立不動の姿勢で頭をさげた。

「ところで竹山君は士族だろうな、農民は試合にでられない」

 予想どおり身分をきかれた。

「家は農民ですが、年があければ会津士族の養子になります」

「それはよかったな。一つきくが、剣術の技はほかにあるのか?」

 木村は、勇平がまだ見せていない技があるような気がした。

「居合もできますが、めずらしい技があります」

 勇平は用意していた脇差の真剣を持ってきた。今では短い脇差を使うこともなく、技を見ることもない。

「脇差か、どんな技か見せてくれ」

 勇平は半身にかまえると、ヘソの下に気をしずめながら、ゆっくり左手で腰の脇差を抜いた。頭の上まであげて、するどくふりおろし、続けて三回みせた。

 びゅっ、びゅっ、びゅっ、と空気を斬る大きな音がした。

「まさか、これが刃鳴りというのか」

 長い刀でできる者はいても、短い脇差の刃鳴りはひじょうにむずかしい。

「会津日新館黒河内伝五郎師範は、この刃鳴りの技ができたそうです」

「竹山君、すごい技を見せてくれた」

「福島に行ったときに、またお見せしましょう」

「ぜひ、おれだけに教えてくれ」

 おもわず、木村は勇平の手をにぎった。

 ふたりの師範は勇平に強い印象をうけ、道場を後にした。

「勇平、剣術師範にわざと負けたな。ふたりの師範に勝った、見事だったぞ」

 長尾先生は勇平の試合に満足して、肩をたたいた。

 勇平は家にかえり、待っていた金右衛門に試合の勝利を報告した。

 その年の暮れ、勇平はおはるを迎えにみなと屋へ向かった。旅館の主人と女将は相談があるという。

「おはるに縁談がある。若松で商売をしている息子で、その妹も目が見えない。おはるを嫁にして、妹に按摩を教えてほしいそうだ。おはるは唄もうまいし、何でも器用だ。親と息子が何度もきて、嫁にほしいとたのまれた」

 主人も女将も縁談に賛成しているようだ。

「あまりにもうまい話で、どう返事したらいいか。おはるはどうなんだ」

 とつぜんのことで、勇平はすぐに答えられない。

「何度もことわったの、目が見えないから嫁になるなんて、夢にも思わなかった」

 おはるもどうしたらいいのか迷った。

「勇平、これは柳津虚空蔵さまのご利益だと思う。目が見えなくても強く生きるおはるに、ほんとうの春がきたんだ。勇平の長年のねがいも叶ったのではないか」

「そうよ、こんないい話はないと思う」

 主人と女将は思いもかけない縁談に感動している。

「旦那さん、女将さんのいうとおりかもしれない。おはるはそれでいいか」

「わたしはどっちでもいい。兄ちゃんにまかせる……」

 勇平は腕を組んでしばらく考え、思い切って決断した。

「わかりました。相手に一度会ってみたい。それにおれも縁談がきまった。隣りの爺ちゃんの親戚の娘で、おれは養子になって剣術家になる」

 勇平は自分の縁談も打ちあけて、おはるの縁談をよろこんだ。

 翌朝、勇平はおはるを背負って、円蔵寺の長い階段をのぼった。名物の赤牛の石をなでて、お堂の虚空蔵菩薩に手をあわせた。回廊から見ると、只見川の雪景色がきれいだ。

「おはる、母ちゃんの実家が見える」

「母ちゃんは、わたしの目のことを心配した。縁談をよろこぶかな」

 母が病気になったのは、目が見えない自分のせいではないかと思っていた。

「母ちゃんはわるい風邪で死んだ。おはるの縁談をだれよりもよろこぶ。ここから母ちゃんの実家に向かって拝むぞ」

 ふたりは涙をこらえて手をあわせた。そして、勇平はおはるの手をにぎった。

「おれとおはるが結婚できるのは、隣りの爺ちゃんと万之丞先生のおかげだ。万之丞先生にふたりの縁談を話したら、びっくりするだろう」

「万之丞先生に按摩を教わったから、嫁にいけるようになった」

 おはるは勇平の手をにぎり返した。

「おれの体の怪我をなおして、それに合気という技も教えてくれた」

「念力のような合気ね」

「合気は力を使わないで、無言で相手の力を奪ってしまう不思議な技だ」

 動的な有心気合と、静的な無心気合の合気技を、ふたりは会得した。

「先生はわたしたちの神さま、仏さまだね」

「立身出世の欲よりも、無欲になれば技がうまくなる。そして愛と和の精神で人を助けて生きる。万之丞先生に出会ったおれたちは幸せだ」

「先生のようになりたい」

 ふたりは改めて天才易者万之丞に感謝した。清らかな心になって寺を後にした。風がやんで、まっ青な空がひろがり、白い雪がまぶしい。勇平はおはるをソリに乗せて出発した。

「めでた―― めでたの―― この酒盛りは……」

 おはるは祝い唄「会津めでた」をうたい、ふたりは七折峠をのぼった。

                                                                       (了)

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合気の双子 @ikezuki11

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