第5話 森の中

 おれは、遺跡から見て西側の廃墟群のはずれ、森が見える位置まで移動して、瓦礫の隅に隠れていた。

 そこから、眼鏡の装飾を触って、鑑定アプリを起動。こっそりと森を鑑定してみた。


 【カルラ大森林】

 東の辺境に存在する。広大な森林地帯。

 多種多様な生物・植物・魔物が住み、日々、生存競争に明け暮れている。

 人の開発の手が届かない秘境。文明とは切り離された、野生の楽園である。

 尚、奥地には規格外にレベルの高い動物や魔物もいるため、非常に危険。


 ……。――奥地は非常に危険って。この場所、【最果ての遺跡】鑑定結果からして確実に奥地なんですけど。

 ――レベル1のおれには、荷が重すぎやしませんか? 神様。初っぱなから、ハードモード確定かよ。ふざけんな!


 おれは遠い目をしつつ、現実逃避して逃げ出したくなった。

 でも、ここで森に入らなくても、あとで絶対森を調べなきゃ行けなくなるのは目に見えている。だったら、今調べても、後で調べても一緒だ。――むしろ、体力が残っているうちに調べた方がいいはずだ。

 おれはそう自分に言い聞かせて、隠れていた場所からそっと立ち上がり、歩き出す。


「!」

 廃墟と森の境目あたりまで来たときにそれは起こった。おれは思わず立ち止まる。

 軽く耳鳴りのような音が鳴り、なんだか、鳥肌がたつような感覚がした。――もしかして、結界の境目かもしれない。そう思い、おれはもう一歩、森へと近づく。


 すると、息苦しいほどの湿気に唐突に襲われた。耳鳴りが止み、森の木々が風にひしめき合う音がする。なにより、いままで感じなかった生命が息づく気配がした。

 なるほど、これが結界の外か。……まったく空気が違う。

 結界の中は、さわやかな清浄したような空気がひろがっていて、ほとんど無音の世界。人工めいた空間だった。けど、この結界の外は、結界の中とは真逆の生々しい気配と濃厚な息吹に満ちている。


 ここからは魔物や動物も出てくるだろう。――油断したら死ぬと思っても良いかもしれない。


 武器も無く、戦うための技術も無い。無い無い尽くしの身の上で、おれはどこまでこの世界であがけるだろう。それに未だ未知数な魅了能力のこともある。

「おれ、今日死んじゃうかもな」

 口からこぼれた言葉に苦笑する。

 ……この世界で死んだら、世界は違うけど、おれの家族に会えるだろうか? と馬鹿なことを考えつつ、おれは草が覆い茂る地帯を突っ切った。

 死にたくないけど、生きているのも億劫な気持ちは、相も変わらず、おれの体の中でくすぶっている。けれども。こんな、訳のわからない状況で、神様に振り回されて理不尽に惨めに死ぬのはごめんだ。

 木々の間を周囲に注意を払いながら歩く、眼鏡を触ってマップアプリを常駐させた。

 ――死んでたまるか。いまは、まだ。

 おれはそう思うと、地面を踏みしめつつ、森の中を目指した。




 森の中は、不規則に木々がひしめいている。空は枝と葉で蓋をされて、非常に薄暗い。

 踏みしめる地面は柔らかな朽ちた葉っぱで覆われていて、すこし歩きにくかった。草は木陰が多く日光不足なのか、あまり生えてはいないのが唯一の救いといった感じだ。これで草が生え放題だったら、視界が悪くて仕方なかっただろう。

 右目のレンズに投影された半透明のマップを見つつ進む。どうやら初期状態のマップに示されるのは、おれを中心に百メートルといったところのようだ。まあ少しいじれば、もっと遠くまで見れるようにもできるようだが、いまのところ距離感がつかめていないので、使用しないことにした。

 地図が確かならば、おれは遺跡から西方向に直線で、十五分ぐらいゆっくりと移動したことになる。周囲を確認しつつ、移動しているが、今のところ目当ての食料になりそうなものはみつかっていない。


 ん? なんだか、巨木が多くなってきたなと、おれは、周囲を見渡した。

 先ほどまで、まだ若く幹が細い木が密集していたが、こんどは木々同士のの感覚が広く、一本一本の木が大きい、巨木地帯に出たようだ。開けた空間にこぼれる木漏れ日がとても幻想的だ。


 ふと、マップの一部に変化があり、その場に立ち止まる。

 赤い点二つが、およそ百メートル先、進行方向に向かってまっすぐに現れた。どちらもこちらに向かってくるようだ。近いので目で見えそうなものだが、木々と暗さでまだ目視では確認できないようだ。おれは息を飲む。慌てて忍び足で近くにある巨木に近づくと、木の幹の影に隠れた。影に隠れるだけでは不安だったので、頭から地面に朽ちた葉を静かにかぶってカモフラージュする。

 ――そして、十秒も経たないうちに、獣の足音と激しい息づかいが聞こえて、だんだんこちらへ向かってくるのがわかった。ぎりぎり隠れられて良かった。もう少し隠れるのが遅かったらとおもうとぞっとした。

 息を殺して、出来るだけ気配を消そうと、体を伏せる。

 そして、三秒ほどしたあと、それらは完全に目視出来る距離に居た。

 片方はひょっとして怪獣かと思うぐらい巨大な、馬三頭分ぐらいの大きさの牡鹿らしき生き物。もう片方はこれまた鹿と変わらないぐらいデカいオオカミだ。鹿とオオカミは互いに争っているらしい。

 おれはそっと気づかれないように腕を動かすと、眼鏡の装飾に触れて、鑑定アプリを起動した。


【ヘイズディア】

 カルラ大森林の奥地のみに生息する、巨大な鹿の姿をした魔物。

 草食であり、知能が高く、温和な性格。昔は霞を食べていると考えられていた。

 他の生き物を襲うことはまれだが、魔力が強く、戦闘力が高い。

 尚、雄には角があり、雌には角が無い。

 レベル:150

 性別:雄

 ギフト:なし

 スキル:雷属性魔法:レベル7

     水属性魔法:レベル4

     突進 俊敏

     治療魔法:レベル2

 状態:軽傷 火傷


【ヘルバウンド】

 主にグラスランド全域の森の奥深くに生息する、巨大な狼の魔物。

 肉食であり、凶暴な性格。ひとたび、獲物と判断されれば執拗なまでに追いかける性質を持つ。

 雌と幼体は群れをなして行動するが、雄は繁殖期以外は単独行動する。

 レベル:148

 性別:雄

 ギフト:なし

 スキル:炎属性魔法:レベル4

     噛みつき 剛力

     決死の一撃

 状態:中傷


 ……片方が草食で、片方が肉食。ということは、ヘルバウンドがヘイズディアを襲って食べようとしたんだな。

 それにしてもレベル150とか……ほんと、勘弁して。おれレベル1だから死んじゃうよ。

 これは、見つからないように退散するか、隠れている方が良いな。


 そんなことを思っているうちに、二匹は本格的に争い始めた。

 ヘルバウンドがヘイズディアに噛みつこうとすると、ヘイズディアはその攻撃を避ける。避ける動作のあと、ヘイズディアが一瞬貯めるような動きをして、その角から白い雷光を直線上に放つ。

 まぶしさに目を閉じると、轟音と葉の焦げるにおいがした。まぶしさにまぶたを瞬かせながら、遠くから様子をうかがう。

 ヘルバウンドは雷光を上手く避けることが出来たらしい。反撃に炎のブレスでヘイズディアを焼き殺そうとするが、ヘイズディアが炎に巻かれたのは一瞬で、気がつくと水魔法を使ったのだろう。炎を沈下させていた。

 ヘイズディアは周りに炎が残ってもかまわないのか、そのままヘルバウンドに突進する。ヘルバウンドが吹き飛ばされる。


 ……って、え!?


 轟音がすぐ傍で鳴った。ヘルバウンドがおれの隠れている巨木の幹に叩きつけられたのだ。

 そのまま、ヘルバウンドが地面へと落ちてくる。つまり……おれの頭上に。

 おれは落ちてくるヘルバウンドに押しつぶされるかと、とっさに頭をかばった。この場を動くという選択肢は無かった。もし、ここにおれが居ると気づかれたら、確実に死ぬ。ここでじっとしていた方が生存率は高い……はずだ。悲鳴をあげそうになったが、なんとかこらえた。

 だが、ヘルバウンドは無様に地面に叩きつけられるという愚行は侵さなかった。

 ヘルバウンドは上手く地面に四つ足をつけて着地する。巨体が着地すると地面が微かに揺れた。

 狼の巨体に押しつぶされて死亡することは回避されたが、事態はまだ好転してない。なぜなら、おれの頭上にヘルバウンドが居て、ヘイズディアを睨んでいるからだ。

 今、どういう状況下と詳しく話せば、ヘルバウンドの四つ足に囲まれるようにして、おれがヘルバウンドの足下に伏せて隠れているということだ。

 気づかれなかったことはラッキーだったが、この状態は非常にまずい。ヘイズディアが再び今にもこちらに突進してきそうな様子でヘルバウンドを見ている。

 ――おいおい。こっちにヘイズディアが突っ込んできたら、さすがに無事ではすまないんじゃないだろうか。

 そんなことを考えていると頭上からなにかが落ちてくる。大粒の赤いどろりとした液体……ヘルバウンドの血だ。ヘルバウンドは瀕死のようだ。

 ヘイズディアは助走をつけるように走り出すと、猛スピードでこちらに突っ込んでくる。

 対するヘルバウンドもヘイズディアに立ち向かうように威嚇した。

 二匹の獣がおれの目の前で、ぶつかり合う。おれは見ていられなくて思わず目を閉じた。

 ――目を閉じた瞬間、断末魔の叫びが聞こえた。


 おれは恐る恐る目を開く、むせかえるような血のにおいがする。

 血のにおいに顔をしかめつつ、顔だけ上げる。そこには、ヘイズディアの顔があった。

「!?」

 今にも叫び出しそうな声を押し殺して、ヘイズディアを凝視する。ヘイズディアの顔はなぜか逆さまだった。おれはゆっくりと目だけを動かし、ヘイズディアの体の線をたどっていく。するとそこには、ヘイズディアの喉元にかじりつき、ヘイズディアの首元をぽっきりと折ったのだろう、ヘルバウンドが居た。

 きっと、突進したヘイズディアの隙をついて、のど元に噛みついたのだろう。


 ヘルバウンドは興奮しているのか、ヘイズディアの喉元から未だに口を離そうとしてない。

 じわじわと垂れて落ちる大量の血がヘイズディアの顔を赤く染めて、おれの頭の中を空っぽにした。唸るようなヘルバウンドの声が、息づかいが、血のにおいが、おれの正気を奪っていく。

 絶対に動くものかと思っていた体が震えを帯び、木の葉が擦れ大きな音をたてた。

 その音につられるように、ヘルバウンドがこちらを見た。真っ赤な目とおれの目が合った。

(ヤバい!! 気づかれた!!)

 おれは瞬時に立ち上がり、遺跡の方向へ走り出した。

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宵闇のサクリファイス 連理 @renri

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