キス&クライ【終】

 モミの木の天井に、大きなスクリーンがかかる。

 本来氷のある場所には仮設の床が張られ、スクリーンに向かって椅子が何百も並べられた。椅子はすでに大勢の人で埋まっている。もうじき始まるパブリックビューイングの準備にスタッフは駆け回り、空いている席を求めて観客は辺りを見回している。


「放送、何時からでしたっけ?」

「あと十分で練習滑走だよ」

「音響入れますね」


 スクリーンに映し出された「MUENCHEN 20XX」と書かれた氷の張るリンク。スピーカーから中継の声が入る。

『……日本から三組のアイスダンス出場というのは、オリンピックでは初ということですね』

『そうなんです。日本もこれほどの枠を確保できるまで力をつけてきました。今回出場する三組についてはどの組も実力が高く、かつ魅力的で、世界からもたいへん注目されています』

『それは見るのが楽しみです。さあ、間もなくスタートです』


 中学生くらいの少年少女が十数人、通路できょろきょろしている。

「ああ、やっと来た! あなたたちにはよく見える席取ってあるから、そこに座って!」

 遠くからスタッフに大声で叫ばれ、少年少女たちは急いで指を指された席へと向かう。

「早く早く!」


 開幕に向かい準備が整えられていく会場を、拡声器を手に理子さんが見守っている。

「いよいよね。ところで、あなたは現地に観に行かなくてよかったの?」

「あはっ。ミュンヘンなんて、遠いじゃないですか」

 スタッフの帽子をかぶりイヤホンを耳にそう答えたのは、果歩だった。忙しそうにPCとスクリーンとを見比べている。

「そっか。果歩んち、厳しいもんね」

 理子さんの言葉に果歩がくすりと笑う。

「やだ、理子さん。いつの話してるんですか」


 観客たちの顔が上気し、スクリーンに向かって手にした国旗を振りだした。果歩は満足げに会場を見回した。

「私はずいぶん前から、自由ですよ」


 そんな果歩の姿を、僕は見ることはなかった。

 なぜかって――



"Our next skaters represent Japan. Hinata Otogawa and Seiha Amamiya!"


 会場にアナウンスが響く。差し出した僕の手に、陽向さんの手が重なる。緊張と高揚とで鼓動が速くなる。


 観客席には、僕たちの名前の並んだバナーが揺れている。その向こうに、はるか遠くに浮かぶいくつもの笑顔が見える気がした。

 どんなに離れていても、あの場所に夢はきっと届く。僕らは繋がっているんだ。


 僕たちは顔を見合わせると大きく息を吸い、舞台へと滑り出した。



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僕とあいつと氷ときせき 宮 都 @MiyaMiyako

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