生物として違うということ。
それは、決して文化や暮らしが違うというだけに留まらず、そもそもの「存在」が異なるということに他なりません。
「存在」の違いという悲劇、それでも、もう少しだけ、時間が尽きるまでは、という一途で純粋な想いを、時計の針というモチーフで儚くも美しく描き出したその筆致は、間違いなく文学作品として恐ろしく優れた傑作です。
リザードマンというファンタジーな存在を主題にしていますが、その生態の描写や上記のような存在そのものを見る視点はSF的であるとも言えます。
のみならず、周辺を固めるキャラクターも魅力的。
美しい文章で語られる、美しい愛の物語に、心洗われるというのはこういうことでしょうか。
こういう「家族愛」を拗らせたような作品が私はたいそう好物です。
近親相姦モノ的な、あぁ、いけないことをしているという背徳的な感覚とは真逆。
家族を自分の手足といった体の一部のように愛することの美しさ尊さ。
大手を振ってそれを肯定できる潔く清らかなその生き様。
兄妹という関係性に、種族の壁というどう足掻いても越えられない要素が加わり、だからこそ健気にお互いを強く想い合う。
精神的な結びつきを強めていくストーリー。
どうしようもなく破滅的なのではない。
息が詰まるほどに美しい至上の愛。
話数をあえて年数に喩え、時計の時刻に符合させた演出の妙。
湿地でのリザードマンの生活、その生態を見事に描ききるだけの構成力。
緻密な戦闘描写。引き込まれる心情描写。
胸を打つセリフに嘘っぽくない恋の結末。
そして重要な、切り出して絵になる(漫画になる)シーンの数々。
どれ一つとして付け入る隙の見えない完成度。
短編小説として、読み切り漫画として、必要な物が全て詰まっている。
こんなもん見せられたら黙るしかね。
めっちゃ語ってるけど。
漫画で例えるならアフタ○ーンの四季賞で入賞してそうな感じ。
市川○子先生の初期短編作品的な、喪失の寂寥感と日常の幸福感に打ち震えたいなら、コレ。
上位作品読んだだけですが、現時点で私の中ではこの作品が暫定一位です。
この作品が大賞とるならもうなんの文句もねえ。
異種婚というだけでもなぜか胸がざわめく。種族を超えた愛なんてロマンチックと思ったりもする。
しかし種族が違うというのは、姿形が異なるだけではないのだ。それは生きる時間そのものが違ってしまうということ。
昔、「ゾウの時間、ネズミの時間」という本を読んだことを思い出す。命の時間の違いは、生の本質そのものの違いでもあるのだろう。
にもかかわらず。本質の違う種族の間で愛が生まれる。癒され、葛藤し、受容し、そして…。
この物語はとても美しい。異なる時、異なる本質のままに生きたリザードマンと娘の二人は、幸せだったと、心から信じたい、信じられる物語だった。