第6話 エピローグ 快速が特急に勝つ方法
頭の下で手を組んで白い天井を見ていた。オレはベッドの上。都内の大病院。三学期が終わった春休み、心臓の手術の日だ。
手術前に時間に余裕を持ってトイレに行った。廊下の窓は広く、天井は高い。窓の外では桜が咲いている。
決して裕福ではないうちの両親が、無理をして超一流の病院で手術を受けさせてくれるのだ。人生を賭して報いなければならない。
トイレで用を足し、その帰り道。あの遠い日、オレが殴った眼鏡の医者に廊下で再会した。そいつは驚いた顔で言った。
「なんだ、ただの弱虫だと思ったのに……勇気を振り絞ったか」
オレは笑う。
「はい、まだ人生を諦めたくないので」
眼鏡の医者は指で眼鏡のブリッジを押し上げ、
「生きろよ。長く」
オレの肩を叩いて、コツコツと足音を響かせて通り過ぎていった。オレの目からボロボロと涙がこぼれる。なんなんだこの涙は……。オレは泣きながら振り返った。
「あの日、殴ってすみませんでした! オレ、怖かったんです! 手術も、何もかもが! 生きることがっ!」
眼鏡の医者は振り返らなかった。白衣をたなびかせ、告げる。
「世の中、強い人ばかりじゃない。たとえ強くても迷うことはある。恥ではないよ」
天井の高い廊下にその声はよく響き、医者の姿は曲がり角を曲がって消えて行った。
オレはその場に泣き崩れた。
○ ○
手術前に病室のベッドで緊張していると、心配してくれたんだかなんだか、客が来た。
「お久し振りでんな、負け犬の大将」
学生服姿の陽気な黒人はそう言って笑った。
「お前何しに来た」
突き放してやったが、黒人の――特急の顔は笑顔のまま。
「結局、大将は速いのか遅いのか分からないままやったんで、最後に訊きにきた次第ですわ」
「全然『最後』じゃねーっつーの。オレは死なない」
言って、身体を起こす。丁度良い。緊張してるのにじっと寝てろなんて言われたら、それはほとんど拷問に近い。
「オレの速さが訊きたいって?」
つまり、こいつは納得できる答えを訊きたいのだ。オレが尋ねると、ヘイトック・キューブリックは真顔になった。
「そうでんな、ぶっちゃけ〝快速〟ごときが〝特急〟に……〝お前がオレに〟勝てるて思てたんかいなーて訊きたかったんですわ」
これがこいつの本音か。男が二人いて、どちらの方が優れているかの競争。
今現在、入院中のオレが速さでこいつに勝つことはできない。だから、別の方法でこいつを負かせば、オレは現在のこいつに――ヘイトック・キューブリックに勝つことのできる人間だと示すことが可能だ。
人間は、足の速さが全てではない。
オレは「すーっ」と深呼吸して答える。
「勝てるさ。快速が止まらずに走り続ければ、特急も追い越す。そうだろ?」
言って、固唾を呑む。緊張を悟らせず、特急の目を睨む。
実に約五秒間。
特急はニヤリと笑って、オレは初めて気が付いた。こいつの今までの笑顔、全部作り笑いだ。今、初めて本心から笑ったんだ。
「HAーHA.グレイト!」
そう言って親指を立てる特急。納得したらしいし、通じたらしい。オレのロジックが。だが今はこんなことをしてる場合でもなく大して嬉しくもない。
看護師さんが数人やって来た。「時間です」と告げる。母は先ほど特急が来てから席を外している。
オレの寝ているベッドが移動するベッドに移され、このままゴロゴロと運ばれていくようだ。寝た姿勢のまま、オレは喋る。
「特急はアメリカ人だったか……。I WILL RUN FOR WIN! 以上」
特急は目を丸くする。
「EXCELLENT!! もっと馬鹿かと思ってました。最低限の勉強はしてまんねんな!」
オレは寝たまま「呆れる」のジェスチャーをする。
「オレが少し得意なのは英語だけだし、お前は日本語を勉強しろっ!!」
二人で爆笑して、少し悟った。今、オレは特急と通じ合った。同じ速さで走っていると言って良い。そして共に笑ってる。
いつかこいつを追い抜く日が来るのか?
それはオレ次第――。
こいつは、やっぱイイ奴だった。それで、今から……なんだっけ。ああそうだ、オレの心臓の手術か。そういうこともある。人生には色々な障害が付き物だ。
――乗り越えてみせるさ。
オレを乗せたベッドがゴロゴロと車輪の音を立てて手術室へ向かう。
「真実の三十秒」の世界で、そこにいた百瀬要も本音で喋ってくれただろう。最後はオレを――「翔快速くん」と呼んでくれた。
オレは勝つために走る、翔快速だ。
ばたん、と手術室の扉を開けて、オレを乗せたベッドがいよいよ手術台へ向かう。
走り出すために、オレは手術を受ける。そこがスタートラインだ。
(了)
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RUN FOR WIN ~快速VS特急~ 佳純優希 @yuuki_yoshizumi
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