タイトル
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」
ヒューゴー賞受賞作。
昔読んだ筒井康隆のSSで、展開は忘れましたが……主人公が脳髄だけ取り出されて培養槽の中で生き延びて「延髄の辺りで脳を切り取ったので絶叫するほど痛くて苦しい。だがおれは最早脳だけの存在なので、叫ぶことも苦痛を表現することも一切できない。このまま何百年も苦痛が続く――」
という絶望的な破滅エンドの物語がありました。
ハーラン・エリスンの作品も似たような感じのオチでした。
と言っても、人間はパターン学習する生き物なので、あれとあれはパターンとして同じ・似ているなど、自然とカテゴライズするモノなのですよ(とフォロー。
何十万文字の超長編作品を書く人が、他の人から「あの人は自分の世界に閉じこもりがち」と自閉的傾向を指摘されることがままあります。職業作家なら「仕事で書いてる」で通りますが、アマチュアは言われます。普通本人にはあまり言いませんが。
sf作品の評で、描写がパラノイア的、という評も時々見かけます。
そういう視点でこのハーラン・エリスンの作品の感想を書くならば、これは言葉を選ぶ必要がありますが……「作者は〝あっち側の世界〟に行っちゃったから、こういう作品を書けてるんですね」そんな感想が。序盤から意味不明な主語が出てきて病んだ描写が続き、謎の主語について説明があるのは大分あとです。誰が何をしてるのか、中盤まで謎です(SS(ショートの短い作品)なのに)。
しかし、多少異常性が感じられると言っても、全ての人が多かれ少なかれ異常です。ブッダ曰く「マーラー(悪魔)が見えて私はそれと戦ったが、そんな体験を私がしたと言ったら、お前は私が異常だと思うだろう? 誰でもみんなそんなものだよ」
上記の台詞はうろ覚えですが、そんなものです。表層に異常性が見えることはよくあります。そこで引かずに、奥にある本質を見るのが大切なのだと思います。
奥に何も無く、異常性だけで目立とう――気を惹こうなどと浅はかなことを考えてたら、それはやっぱり読んだ人には伝わるだろうと思いました。それはネット世界ではよくあることなんですが。