第5話  翔快速の力の考察

 オレの高校進学問題が事の起こりなのだ。

 仮にスポーツ推薦で高校進学したと仮定する。進学はめでたいが、その瞬間から事態は次の着地点へ向かって動いている。つまり、普通に勉強して大学に進学するのか、大学へもスポーツで進学するのか、進学せずにスポーツで食っていくのか。

 スポーツで食っていくなら、オレの場合走ることが武器だから、どこかの会社に就職してその会社によって整えられた環境でトレーニングするのが望ましい。

 簡単に言えば、短距離走者だろうと長距離走者だろうと、ベンチプレスやレッグカールなどのマシントレーニングは欠かせない。それらのマシンを自分の家に全て集めるのは不可能ということだ。金額的な問題だけでなく、重量的問題など様々な問題がある。

 置いたことはないが、オレの部屋にベンチプレスのマシン一式・バタフライのマシン一式・レッグカール・レッグエクステンションのマシン一式、ウェイト(重りの鉄製のプレート)を全部置いたら……床がバキバキと凹んで割れるだろう。雨が降れば水が流れ込んでくるだろう。

 ベンチプレスのウェイトだけでも百キロは用意するので、無理もないのだ。

 やるとすればまず、家の床の補強工事。それをしてから全てのマシンを買うことになるが、マシンといい家の工事といい、スポーツ選手としてデビューする前から何千万円も出費するのは如何なものか。それに更に、引っ越す必要が出てきた場合どうするんだというハナシだ。

 つまり、大学か会社には進まなければ――入らなければならないのだ。

 思うに、ひとつのことを成すには、全て何らかの「力」が必要なのだ。

 例えばオレが今後、会社に入るにしても大学に進学するにしても必要な力といえば。

 どの道に進むとしても、掛け算九九が出来ない男が一人前と認められて「入れて貰える」とは考えにくい。最低限の「学力」という力は必要だろう。

 そしてスポーツで生きるのだから、「運動能力」を磨く必要がある。この力が自分にとっては第一。一番重要だ。

 そのためには運動するだけでなくジムに通うことも必要になってくる。親にこれ以上負担はかけられない。バイトして「経済力」という力を身に付けなければならない。将来稼ぐのはいいが、取り敢えずは目の前のバイトだ。

 何を始めるにも、決断力。その「力」が必要だ。まだまだ他に必要な「力」があるかも知れない。

 正直、自分にはどの力も不足している気がする。

 勉強は駄目だし、スポーツもまだ二流。現在バイトをしてなくて経済力も無し、手術を決める決断力も無かった。

 でも、それらの力が足りなくても、誰もが持っているたったひとつの力を使って頑張ればいいのだ。世の中の全ての人が持っていて、それを「する」か「しない」かで人生が変わる力がある。


 ――それを「努力」という。


     ○     ○


 全て何らかの力が必要なのだ。

 勝つためには。

 逃走をやめて、勝つために走るには。


     ○     ○


 ……気になっていた要さんの仕事が明らかになった。

 オレのように突然、生きる速度が百倍とかになってしまう人は時々いるらしい。彼女の家系には比較的多かったとも聞いた。そういう人は、悪事を企めば――やろうと思えば、の話だが、どこまでもあくどいことができるそうなのだ。なので、説得して元の世界に返すのが彼女の仕事なんだとか。彼女はそういう速さの世界の職場でお給料も貰って、生活していたらしい。世界に数十人の仕事場で。

 彼女の人生は幸せなものだったのか。そう考えることがあった。

 でもオレがそう考えるのもおかしな話なのだ。同じ人などいない。

 オレの物差しで彼女の――百瀬要の幸せを計るのは、間違っているというか、「正しく計れるわけがない」のだ。


     ○     ○


 要さんが教えてくれた事実。

 オレは短距離走者としては二流だった。

 長距離走者としても失格だった。

短距離では瞬発力がものを言う。瞬発力は「生まれつき」の才能でほとんど決まる。

 それで自分が駄目だったのが、一流になれなかったのが、もしも心臓の疾患のせいだったとすれば――。

 心臓の手術をして疾患を治せば、もともとやっていた短距離走者に、前以上の力で「一流として」返り咲く可能性があるのだ。手術が成功した上で短距離走者として激しいトレーニングに耐えることが前提だが、そうなったとすれば話は全てひっくり返り――。

 オレは無理して長距離走に移行せずとも、元々やっていた短距離走でうまくやっていけるのだ。

 手術をすれば、「時間を止められる」と錯覚していた能力、超高速で動く能力は消えるだろうが、もう未練もない。


 ――彼女に、最後「翔快速くん」と呼んで貰えたことが、オレの心に勇気の光を灯した。



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