第4話  再会 ――真実の三十秒

「これはどういうことですか」

 疑問をぶつけるオレ。

 場所は学校の近所の公園。時間は止めたまま。二人でベンチに腰掛けた。

「何が?」

 要ちゃんらしき人は白いブラウスに無地のスーツ。社会人? OL? 化粧もして大人の女性の色気が……って、そうじゃなくて。

「『何が?』も何も、要ちゃん、要さん? は以前会ったとき小学生ぐらいでした! でも今は大人ぐらいの年齢に見えます。そんでオレが時間を止めた世界に入ってきて、謎が多すぎます! 説明してください!」

「呼び方は『要さん』でいいわ。それと少年、私が大人ぐらいの年齢に見えるって言われても、私の中身っつーか心も精神もあの頃と同じものよ? 多少世間に揉まれて、自分の理想が社会に裏切られて、諦めを知って、それでも『大人になれた』なんて自覚は無い。歳は取ったけど、大人って何? って感じよ。きっとあなたも何年も掛けて経験するわ。あー、話が逸れたかしら」

 あっけに取られた。「大人になれた」って実感はずっとないけど、他の人からは「大人に見られる」。そういうものなのだろうか。今の自分が何年も掛けて自覚するのだろうか。少し考えて、軌道修正する。

「大人については興味深い意見をありがとうございました。それでここからが肝心なところです。一番分からないのは! オレが時間を止めた世界に何故、要さんは侵入してこられるのかってことです。その秘密を教えてください!」

 要さんは遠く前方を見て、しばらくしてオレを見て口を開いた。

「だって、はなっから時間は止まってなんかいないからよ」


     ○     ○


「な、なんの冗談ですか」

 思わずベンチから腰を上げる。要さんは再びオレから目を逸らし、遙か遠くを見て言った。

「冗談なんかじゃないわよ。あなたがこの世界に入れるようになったきっかけってなんだっけ。昔のことだから忘れたけど、それを教えてくれたら多分話は繋がる」

 この世界? 昔のこと? 意味が分からないがオレは交通事故のことを話した。

 身体か頭を打って、それがきっかけで時間を五十分間止める能力を手にしたこと。

 それで要さんが小さい頃に出会ったこと。話が終わると、要さんは「うんうん」と小さく数回頷いた。

 数秒の沈黙。要さんは頭の中で考えを整理しているようだった。

「何から話すべきか迷うわね。そう……例えばね、私にも正確な答えが分かってるわけじゃあないんだけど、私が一から百まで数えたら、時計の針は一秒進むの」

「………………はぃ?」

 思いっきり間の抜けた返事をしてしまった。

「更にね、私が一数える間に、道路の車は十六センチか十七センチ進むのよ。定規で測ったんだけど、これがどういうことか分かる? と言うか、あなたこの世界で車が動いてるの確認した?」

「車が動いてる? まさかそんな――」

 言いかけた言葉は止まった。今まで時間を止めた場所は、教室内かマラソンコース。マラソンコースは交通規制が実施されて車は一切走っていなかった。オレは要さんの手を取って表通りに走った。

 信じられないことだった。オレが止めたハズの世界の中で、車道を車が動いている。本当に一秒に十数センチぐらい、牛の歩みほどの速度で。オレが唖然と固まっていると、隣の要さんが悲しげに嘆息した。

「あなたさっき言ったわね、車に轢かれる瞬間に『止まれ』って強く願ったって。それでそのまま車にぶつかって強い衝撃を受けて。そこでエスパーの能力に目覚めたんだろうーって。その考えは同感。でも私の想像だけど、止める能力に目覚めたんじゃなくて速く動ける能力に目覚めたんでしょうね。強く念じると、今度は車に轢かれないように。だから、あり得ないほどの速さで動けるように〝自己暗示をかけられる能力〟に目覚めたんじゃないかしら?」

 よく分からない……。速く動ける?

「どういうことですか」

 ノロノロと走る――進む車の列を見ながら問う。

「簡単なことよ。例えばあなたが十倍の速さで思考して十倍の速さで筋肉が動く生き物なら、相対的にあなたのまわりの世界の進む速度は遅くなるでしょ? 十分の一ぐらいに」

 その理屈は分かる。大まかに。実際に十倍の速さで動けば周りの世界の速さが十分の一の遅さになるか詳しいことは分からないが、理屈としては理解出来る。

「あなたは時間を止めたつもりで、止めてなんかいなかったのよ。超高速で動いていたの。思考の速さが数十倍になって、思い通りに動く手や足の随意筋・自分の意志でなく動く心臓とかの不随意筋、そういうのが動く速さも全部数十倍になっていたら、あなたの動きは数十倍に速くなって、相対的に周りの世界の速度は止まっているか凄く遅くなっていると感じるでしょ? 分かる?」

 オレが考えるのと同じ速度で要さんの言葉が入ってくる。考えている内容までカブっている。

 要さんが続けた。

「分かるかな……人間は速く走ったりゆっくり歩いたりで自分の行動の速度は変えられるけど〝時間を止めること〟なんて不可能なのよね」

 言われてみれば……そうだ。オレは尋ねた。

「全て理解出来た気がします。オレは実際には何倍ぐらいの速さだったんでしょう」

 要さんは悲しげにうつむいた。このときは要さんの悲しみは分からず。

「『全て理解出来た』――ね……。私が百数えてようやく一秒進む。あなたは五十分ぐらい時間を止めていると思ってた。ここから導かれる答は何だと思う? 計算してみて」

 オレは考えた。仮に一秒を百秒に感じるとして、それを「オレが感じている五十分間時間を止めている」に当てはめると。五十分は三千秒。三千を百で割って……

「つまりオレは自己暗示を掛けて〝三十秒間、他の人の百倍ぐらいの速さで動ける〟ようになってたってことですか」

「計算は速いわね。私の想像だとそういうことよ。〝真実の三十秒〟ね」

「なんですかソレ」

 要さんは片手で肩に掛かった髪をかき上げて微笑む。

「〝真実の口〟ってあるでしょ。口に手を入れて、偽りの心があれば手が抜けなくなるという謳い文句の。あれは元は彫刻で、悪いことをしてないか、しないかって脅かしつつ占う占いの機械が有名なんだけどさ、あなたは自分で止められる三十秒で悪いことしてないか・しないかって試されちゃったってこと」

「悪いこと? オレはマラソンでチートしようとしたぐらいで、大会本番では使ってませんよ。真実の三十秒」

「そうよねっ!」

 何故か要さんはことさらに強い調子で言い、続けた。

「女の子のスカートめくりしようとしたり、女の子の胸に手を当てたり! ……真実の口はその人の人間性を全部暴露しちゃうのよ」

 何故知られてるッ?

「いや、私が通りがかったときに見た例だけだけどさ。他にも悪いことしてる?」

「いえ、それで全部です。ワタクシが悪うございました……」

 頭を下げると要さんはオレから視線を逸らした。

「私に謝られてもね~。それにもう済んだことだし」

 そう言ってまた悲しそうな顔をした。要さんの悲しみの理由は、ひょっとして再会の最初の言葉に隠されていたのではないか。「この世界で動いてる人は珍しい」。

 オレが自己暗示によって普通の人の百倍の速さで動いているとしても、要さんはどうなのだ。オレと同じ速度で動いているが。

 まさか要さんって……。

「何その目、私の秘密が分かっちゃった?」

 オレは何も言えず沈黙する。

「そうです、私は物心ついた頃からだんだん生きる速度が速くなって、長いことこの〝百倍の速さで進む世界〟で暮らしているのでーす。以前『私はあなたと同じことしてる』って言ったわよね? そういうこと。ただ、普通の人より百倍速く動いて、生きてるだけ。でも私はここでずっとひとりぼっちのことが多かった。街中を観察して歩いて、あなたが車に轢かれるのも見たしお医者さんを殴るのも超超スローで見てた。まさか私の世界に現れてくれるなんてね」

 あることを想像して、オレは黙ったまま。

 彼女はその「あること」を口にする。

「私はこの世界の住人。私が出入りしてるんじゃなくて、あなたが時々出入りしてるだけね。あなたが『全て理解出来た』という全てに入ってるか知らないけど、私は〝あなたたちの百倍の速さで歳を取る人間〟なのよね……」

 百倍の速さで歳を取る。それは恐ろしいことじゃないのか。ただでさえ孤独な世界で。

「あなた、私に会うのは何日振り?」

 突然言われて驚いた。でも何日振りの再会かはさっき計算したことで。

「え、と……五週間ぶりです」

 要さんが視線を逸らす。流石にオレでも分かる。彼女の目が濡れていた。

「私にとっては〝五百週間〟振りよ。一年は約五十週間。私の時間で十年過ぎたわ。あなたとの初対面が十一か十二歳の頃。私は今は二十代よ」

 洟をすする音が聞こえた。そちらを見ずにオレは思う。歳を取るのがそんなに悲しいことなのか。多分そうじゃない。孤独に重ねる歳が悲しいのだ。

 そして人は、百二十数年も生きられるか? 限界だろう。

「彼女の時間で百年」、「一般人の時間で一年以内」――オレが時間を止めないで一年経てば、彼女はその間に死ぬ。


     ○     ○


「そうだそうだ、あんたさー、マラソン大会どうしたの。結局チートして勝ったの?」

 要さんと二人で公園のベンチに戻っていた。二人でベンチの両端に座る。

「結局チートは出来ませんでしたよ。時間を止めて、じゃなくてオレが百倍の速さで動く自己暗示ですか、それしないで倒れました。記録はリタイアです」

 恥ずかしくて後頭部をガリガリ掻いた。でもあの頃、幼い日の要さんは、真面目に走らないオレに立腹していた。オレは彼女のお陰で卑怯者の烙印を押されずに済んだのだと思う。

「あんたさ、心臓の手術をすればいいって話じゃなかったっけ。なんでしないの?」

 これだけは、答えにくいことだが……。

「死ぬのが怖いんですよ。誰でもそうでしょう? 手術が失敗したら、オレは死ぬんですよ!」

 要さんはカバンからタバコを取り出した。ライターでカチッと火を点けてオレの横で吸い始める。本当に二十代なんだろうけど、その歳の取り方が悲しかった。タバコの煙が微かに臭う。

「あんた、陸上部員じゃなかったっけ。現実から全力疾走で〝逃走〟する奴を、走る奴を陸上部員って言うの? 違うでしょ」

 ……十年経っても厳しいな。要さんは誰に対してもこんなに厳しいのだろうか。いや、この世界で要さんの他に動いてる人は珍しい、と言っていた。珍しい――つまり、少しはいると解釈して良いんだろうか。そこはよく分からないが――

「だったらどうしろって言うんですかっ! 成功の保証もない手術をしろって言うんですか」

 要さんはタバコを吸い、吸いがらを携帯灰皿に捨てる。そして辛辣な言葉を吐く。

「きみ、世の中舐めてんの? こういう手術をしたら必ず成功するとか、こういう仕事をしたら絶対上手くいくとか、みんな保証があってやってるとでも思ってんの? んなわけないでしょ。みんな前例のない初めてのことにトライして結果出してんだよ。心臓の手術はまだ前例もあるし手術の段取りも一応パターンは決まってる。それでも手術されるのが怖いなら! もう何もするな。何もしないで死んでるも同然で生きろ。って日本語変か」

 ――――

 長い静寂が訪れた。オレも要さんも黙ったまま。でもオレがこの世界にいられるのは五十分間だけだ。

「要さん……どうしてオレに厳しく言ってくれるんですか」

「『厳しく言ってくれる』か、ちょっとは大人に――いや、成長した?」

 再び静寂が。自分が成長したかどうかなんて分からない。要さんはベンチに座ったまま「うーん」と伸びをした。

「だってさ、きみがあと一年も生きないうちに、私、死ぬんだよ? 人間は生きていた証に遺伝子を遺したり経験を遺したりしてから死にたがるもんでしょ。私も物心ついた頃おじーちゃんとおばーちゃんがいたけどさ、話を聞いたら、長~いお説教を聞かされるのよね。いつでも。きっと生きていた経験を伝えて遺してから死にたいんだよ」

 オレは要さんを見る。まさか、要さんも死ぬ間際だからオレに経験を伝えて、遺してから死にたいと言いたいのか。

 下を向いて考え込むオレに、彼女は言った。

「死んだも同然で腐ってないでさ、逃走やめて〝勝つために走れば〟? そしたら翔快速くんって呼んであげる」

 笑顔だった。

「要さんは……この止まった世界で何やってるんですか? 世間に揉まれたとか言ってましたが」

「だから止まってないってば!」

 要さんは笑う。

「私はこの世界で私にしか出来ないことをしてる。やりがいのあること。気にしないでいいわ!」

 気にしないでいい。それは「追及しないで」の意味だろう。

「時間ね」

 簡潔に告げる彼女。

「最後にひとつだけ、あなたが気付いてない事実を教えてあげる。あのね……」

「…………」

 ――その事実は、オレにとってまさに青天の霹靂。澄んだ青空に稲妻が走る。そんな衝撃的な事実だった。

「二度とこの世界に来ちゃ駄目よ。約束して。私はお婆さんになってる……か、死んでる。あなたにそんな姿を晒したくないの」

 泣きながら言う彼女。唇に伝う涙を拭うと温かくしょっぱく。要さんは間違いなく人間だった。

「もう会えないの?」

 問うと、要さんはかぶりをふった。

「会わない方がいいのよ」

 オレが元の動いている世界に戻った瞬間、否、オレが元の速さで動き出した瞬間、彼女の姿は忽然と消え去っていた。



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