第3話  マラソン大会と「やってはいけないこと」

 天気は残念ながら快晴だった。考える時間が欲しくて「雨天順延」を願ったが、当日、大勢のライバルたちとスタートラインに立って気付く。考える時間が欲しかったんじゃなくて、オレはもっともっと「逃げて」いたかっただけなんじゃないかと。

「よ――い!」

 冷たい空気の中、体育教師の声がよく響く。皆が構え、オレの呼吸が速くなる。大丈夫か、オレの心臓。

 パ――ン!

 一斉に走り出す。オレも走り、時間を止めるか迷う。

 グラウンドを一周して校外のコースへ。先頭集団には特急がいる。あいつを本気で負かさなければと思っているのだが、それは何故でいつから思っていたのか? 名前が特急と快速だからか? 初対面でオレがあいつに否定されたからそのときからか。

 恐らく……「これが理由だ」というものはないのだと思う。それは多分存在しないか、或いは男同士に当たり前に存在するライバル意識なのか。「何故」かそれは分からない。だけど「オレはあいつに勝たねばならない」。その結論、答えだけはハッキリしているのだ。

「待てや特急――――ッ!!」

 オレは短距離のペースで走って特急に並んだ。

 並走して、特急につられてコースを間違わないように慎重に周囲を見る。特急は目を細めて笑う。

「オレのペースに付いてくる気でっか! 笑止や。付いてこられないやろうし、どうせチートする気やろ? オレの真横におったらどんなチートでも丸わかりでっせ!」

「お前は日本語をちゃんと勉強しろ」

 オレの言葉をスルーして弾丸特急の速さで走り出す特急。

 必死で付いていくが、心臓が破裂しそうに脈打つ。この心臓で走ったら命に関わるって医者に言われてるのに、オレは先頭集団のトップのスピードで走っているのだ。これは、ヤバイかも知れない。

 胸も苦しいが頭もガンガンする。オレの症状から察して酸欠か。脳に酸素が充分行き届いてないのだ。くっそ!

「苦しそうやなぁ。〝快速〟は〝特急〟に勝てへん。分相応の所に落ち着いたらどうでっか。五位とか十位とか」

 特急の声に答えるには酸素の余裕が必要だ。だが、オレにそんな余裕は無い。心臓は本気で苦しい。でもコースを間違えないように、何よりもこのペースで走り続けて抜かれないように。朦朧としながら思った。

 ――とっとと時間を止めればいいのに。

 ――オレの能力があれば、こんな苦労は背負い込まなくて済むんじゃないか?

 ――……

 いよいよ時間を止めようとして、要ちゃんの顔が頭に浮かんだ。

 どこかでオレを見ているかも知れない。彼女が怒ったり嘆いたりしていたのはただ、おれが真面目に走っていなかったからだ。

 時間を止めて楽々と勝利。

 それは……彼女を悲しませることになる。オレは十四歳で、女の子と付き合ったことはない。オレのチートに両親並みに「腹を立ててくれた」彼女を、そう簡単に裏切っていいのか。それこそ「やってはいけないこと」じゃないのか。

「ヘッ、今日は……真面目に、走って、やんよ……」

 そう呟いた後のことはよく覚えていない。

 オレは倒れて後続の走者に踏まれまくったらしい。記録はリタイア。特急は方向音痴といえど二度教えて貰えば流石に覚えるらしく、予想はしていたが優勝したとか。オレは踏まれての怪我はなし。

 全て母から聞いた話だった。平日にオレは家のベッドで。オレの心臓でマラソン大会などあり得ないと、母は静かに怒った。学校側に事情は全て伝えたと母が言った。心臓の事情が伝えられていた。

 一週間後、オレは学校に戻った。授業中は居眠り、体育の時間は見学させられ、参加は強く拒まれた。放課後の陸上部、行ってみるとオレのロッカーのネームプレートが外されていた。

 学校にオレの居場所はなくなっていた。

 もう何をしに学校に行っているか分からず、それから数週間家に引き籠もった。

「生きている」ということは「心臓が動いていれば誰でも生きている」という意味だとは思えない。何か勉強して知識を蓄えたり仕事をしたり、行動して何かを成し遂げている人が「生きている」のだとオレは思う。

 引き籠もって食べて寝ているだけのオレ、翔快速は、生きているか死んでいるかも分からない。

 オレはひとつの決断をした。あれだけ厳しいことを言った要ちゃんは、オレの手術に賛成なのか、会って意見を訊いてみたいと。彼女に会おうという決断。

 学校をサボって昼間から要ちゃんを探し始めた。近所の小学校か中学校のどちらかにはいる。

 随分と探した。

 要ちゃんをどうしても見付けられなかったオレは考えた。時間を止めよう、と。

 止めた世界で必死で探し、「要ちゃんらしき人」に再会したのはマラソン大会本番から一ヶ月後だった。最初に会ったのはそのマラソン大会の一週間前。つまり五週間ぶりの再会だった。

 向こうから見付けてくれた。「この世界で動いてる人は珍しい」と。微笑んだのは二十代前半ぐらいの女性。キャリアウーマン風の無地のスーツ。

 二十代前半? 十四歳のオレより歳下のハズだし。

「随分久し振りね! えぇと……〝早歩きくん〟!」

 どうやら本人のようだった。ピシリとオレを指さし――よく見れば顔も面影はあった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る