第2話 「時間を止める能力を手に入れたら、何をしますか?」

 検査入院を終えて退院したのは二月初旬、マラソン大会三週間前。

 それから数日、「止まれ」と念じてどのくらいの時間、時が止まっているのか時計で計ってみた。分かったのは止まっている時間は五十分ぐらいで、時が止まっている間にもう一度念じても無効だということ。

 止まっている時間を正確に計ろうかとも思ったけど、犯罪に利用・悪用するわけでもない。車に轢かれたときに時計のストップウオッチが壊れたから、正確に計るのが面倒だという理由もある。

 だが一番の理由はプライドが許さなかったからだ。そんな「逃走するのに要する時間を計算して悪事を犯すようなこと」はプライドが許さないし、興味も殆どわかない! 

 ……少しは興味があった。が、時間の止まった世界では物の時間も止まっている。

 あくまで喩えだが、クラスの女性のスカートをバサッと捲ろうと手に力を込めたところで、「スカート自体の時間は止まっている」ので、スカートが上に捲れる時間も存在しない。つまりスカートに幾ら力を込めてもビクとも動かないのだ。

 ついでに……これも喩えで、オレが実際やった――わけではないが、時間の止まった世界で、仮に動きの止まっている女生徒の胸を揉んだとする。その場合も同様で、胸を揉んだところで「ふにふに」するわけではない。胸がふにっと凹む時間が無い(止まっている)ので、銅像とか石像を触っているのと変わりないのだ。

 オレは大いに落胆した。……じゃなくて、やったとしたら落胆していただろう。

 自分に最適な活用法、それはマラソン大会での活用だろうというのが結論だった。

 女性のスカートを捲ったり勝手に胸を揉むのは「痴漢」と呼ばれるれっきとした犯罪だ。小学生でも知っている。だが、マラソン大会で「時間を止めて他のランナーを抜いてはいけない」などというルールは無い。

 車に轢かれ、交通事故でオレが手に入れた「五十分間の時間を止める」能力。

 頭を打ったせいなのか身体を打ったせいなのか、具体的に「どこをどうして」エスパーの能力が芽生えたのか定かではない。しかし心臓の病気が見付かって、同時に時間を止める能力の開花。

 結局、この能力を連続して使えば、十五キロのマラソン大会、全行程「早歩き」ぐらいで優勝可能なのだ。時間を止めて他の全ランナーがピタリと止まっている五十分間ぐらい、ひたすら早歩きで進む。時間が動き出したらまたすぐに止める。それの繰り返し。

 マラソンや水泳は心臓に負担を掛けることではトップクラスの激しい運動だが、オレは心臓に負担を掛けずに優勝出来る。

 人間の歩く速度は時速四~五キロとされる。早歩きなら時速六キロと仮定して、時間を止めている五十分で五キロほど進めることになる。その計算でいくと、十五キロのマラソン大会、三度も時を止めればスタート地点からゴール地点へ行ける。

 オレ……楽勝。この能力は使える! 将来的にオリンピックでも!

 時間を止める能力を使わないまま数日が過ぎた。

 ホームルームで「一部マラソン大会のコースを覚えていない生徒のためにもう一度だけテスト走行をする」旨、担任から説明があった。スポーツ推薦を目指す生徒が多いとはいえ、流石にブーイングが起こった。

 大会本番で何位だったか、みんなその結果だけがほしいのだ。コースも覚えた連中にとっては寒い中もう一度テストで十五キロ走って本番で十五キロ走るなど苦痛に過ぎない。プロのランナーでも本番までの体調を考慮したら走らないかも知れない距離だ。

 担任が皆を制し、言った。

「テスト走行は大会の一週間前の放課後。走るのは希望者のみだ。希望者は挙手しろ」

 この担任に、オレの心臓の事情は伝えていない。伝えたら全てのスポーツ競技に於いて推薦は無くなるだろう。オレの能力を試すのには又とない機会――。

「はい」

 手を挙げた。「快速のためだけだろ~!」この教師側の提案したテスト走行を揶揄する声が一斉に上がる。

 中一の頃はまだこのクラスにも仲間がいた。二年の終わりに近付き、今はクラスの三分の一近くがスポーツ推薦のライバルになった。

 スポーツではなくて、勉強で進学するいわゆる「進学組」と、「就職組」。それら以外は敵。陸上部だけではない。バスケ部だろうとバレーボール部だろうと、「何々大会優勝」や「準優勝」などのめぼしい経歴がなければ、せめて「校内マラソン大会優勝」などと記すしかない。

 が、これはあまり格好いい例ではない。長距離走者なら分かるが、ヘタをすれば、「バスケ部員でマラソン大会優勝? それでバスケの実力は?」と首を傾げられるかも知れない。そしてもし結果が悪かった場合は、はなっからマラソン大会のことなど経歴に書かないだろう。

 周りは全員敵――。いや、敵ではないが、イスの数の少ないイス取りゲームをしてるライバル同士みたいなものだ。オレは負けない。


 大会一週間前の日の放課後がやってきた。オレはコースをしっかり走って覚える。

 オレ以外に走る奴なんて――いた。約一名。スタートラインの前、オレと同じくジャージを着た長身のイケメン黒人が立っていた。

 ヘイトック・キューブリック、略して特急。コースを間違えまくった方向音痴とのことでの参加らしい。コースを覚えている自信がないのか。オレらは二人して念入りに準備体操をする。

 ヘイトック……いや〝特急〟よ、オレが、快足が特急を抜いて走っていったら、笑えるよなぁ。きっと愉快だろうなぁ。電車の駄洒落な意味だけじゃなくて、オレは「お前にだけは勝ちたい」と思っている。なんでだろうな。特急を見上げて、心の中で言った。

 特急はこちらを見て、

「こういう場合『なに見てんだよー』とでも言うべきでっか?」

 そう言ってニヤリと自信ありげに笑った。お前は日本語をちゃんと勉強しろ。

 オレら二人のウォームアップが終わったのを見て、体育教師が言う。

「お前らいいかぁ! 今日は号砲なし! ヘイトックが変な所に走って行かないようにコーン大分置いたからな! 交通規制して貰うの大変なんだからな! はい、スタート!」

 その声でオレたち二人は走り出す。数秒走って特急の背後に回り、オレは時間を止めた。


     ○     ○


 オレ以外の全てが止まった世界。物音ひとつせず、動いているのは自分だけ。

「この世界の支配者はオレだっ!」

 時を止める度に叫んだ言葉。

 前方、走って十秒ほどの場所に女の子が止まっている。「走って十秒ほど」と言ってもオレは走らないが。午後三時過ぎ。ランドセルも背負ってないが、小学校高学年ぐらいか。かなり可愛くてホームドラマの子役でもやってそうな感じ。

「……オレは昔から勉強出来なかったから、女の子に好かれることも無かったよ。初恋はきみぐらいの子だったけど、やっぱ頭いい奴しかモテないモンかね~」

 独り言言い放題なのがこの世界の住人の特権だ。だが癖になって動いてる世界でもここまで独り言喋ったらちょっとヤバイ。オレはそう思って口を閉ざし、早歩きでコースを確かめる。

 女の子が動いた気がした。

「あなた、わたしが見えてるの? あなたがモテなかったのは勉強できなかったからじゃなくて、なんの努力もしなかったからじゃないの?」

 その中学生になりかけぐらいの女の子、ピンク色の服着た青いジーパンの女の子は、そう言って首を傾げた。

 ――なんかヒドイこと言われちゃったよ……

 ――ガキのくせに容赦ないな……

 ――オレ、大分年上のハズが言われたい放題だよ……

「って、え! 時間止まってない?」

 バッと後ろを振り向く。長身の特急が、綺麗なフォームで走っている――そのままの姿勢で止まっていた。世界の時間は止まっている。じゃあ、この女の子は?

「戸惑ってる? わたしはあなたを知ってる。でもあなたはわたしを知らない」

 オレはゴクリと唾を飲み込む。さっきのは訂正。女の子は最初っから止まっていなかったようで、この世界で動いてるのは自分だけではなかった。

「きみは一体……なにもの?」

「う~ん、わたしも、この世界の支配者?」

 言って、ニコッと笑う女の子。ふざけているというより、対等の扱いを要求しているのか?

「オレは翔快速。きみは?」

「わたしは要、百瀬要(ももせ・かなめ)。なんだ、普通に挨拶はできるていどの馬鹿じゃない」

 な、なんだこの子は。止まっている世界で――否、オレが止めた世界で何故動ける? それをそのまま尋ねても教えてくれないぐらい賢そうだ。この子の秘密を知ることは、この子の命を握ることに他ならない。なにせ今この場でこの子を殴り殺すとかしても警察も動けないし殺人罪にならないのだ。

 それら全てを踏まえての言動らしい。肝心のところは茶化している。

「オレはきみの敵にはならない。だから教えてくれ、きみの能力の正体を」

「能力の正体? わたしはあなたと同じことをしてるだけよ。それよりさぁ、真面目に走らないの? マラソンを本気で走る機会なんて、あなたの人生にあと何回あるのよ。いつか学校卒業して会社に勤めてもマラソンすんの? 本気でオリンピック目指してたりするの? それならそれは凄いけどさ、あんたは出場しないじゃん、オリンピックのマラソン」

 オレは面食らう。この子、頭がいい? てゆーか何歳だ。

「えーと、要ちゃん? なんでオレが将来マラソン大会に出場しないの? そんな先のこと分からないでしょ」

 女の子は、要ちゃんは実につまらなそうに答える。

「心臓に爆弾抱えてるんだから、このままだったら将来マラソンしないって分かるじゃん。馬鹿か、やっぱ馬鹿か」

 ば……。その心臓の事情を知ってる人から見れば、確かに言われた通り「馬鹿」なんだが、何故オレのことを知っているんだ。オレは精神的疲労で地面に膝をついた。

 要ちゃんが唐突に言った。

「ボスになったんでしょ、この〝誰も返事もしてくれない世界〟で。それで幸せ?」 

「き、きみがいる。要ちゃんが」

 うろたえて答えたオレ。要ちゃんは酷く不機嫌な顔で吐き捨てた。

「あんたみたいな努力しない奴と一緒にされたくねーよ。馴れ馴れしい」

 オレは泣きそうになりながら、まだ、希望に縋るように懇願した。

「『あんた』、じゃなくて『翔』か『快足』って呼んでくれよ。名乗ったんだし」

 不機嫌な――正確には〝怒っている〟彼女。その怒っている理由が、オレが真面目に走らないから、だから、オレが真面目に走るしか解決策はない。

 しかしそのためには心臓の手術をしなくてはならない。だが手術が失敗すれば、オレはこの世から消える。

「『翔』か『快足』って呼んでくれ――って、かけてないし、走ってないじゃん! あんたに〝翔〟とか〝快足〟って呼ばれる資格ないよ。〝早歩き〟!」

 彼女は走り、表通りの方へと消えて行った。そっちはマラソンコースではなかった。

 オレは呆然と要ちゃんの後ろ姿を見送り……その後、オレは走るわけにもいかず、時間を止めて歩いてコースを確認した。

 特急より先にゴールしていたオレ。息せき切ってゴールしてきた特急は、オレを見て怒りに口元を歪めた。

「大将ッ! 十五キロ走ってきて汗ひとつかかない奴はおらんで! 本番も〝チート〟する気でっか!」

 言われたと同時にぶん殴られていた。確かに今日ので「特急に勝った」とは到底言えない。


     ○     ○


 大会当日、本当に早歩きでやり過ごしていいのか、要ちゃんと特急の言葉が重くのしかかった。

 そして彼女は、百瀬要は一体なにものなのかという謎が残った。オレは時間を止める能力を手にしたが、誰か他の人物が止めた世界に入る能力など無い。彼女はオレが止めた世界に入ってきた。

 時間の止まった世界でやりたいことは見付かった。でもそれが「やっていいこと」なのか分からなくなってきた。


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