RUN FOR WIN ~快速VS特急~
佳純優希
第1話 ヘイトック・キューブリック
プロローグ
寒風吹きすさぶ一月末日。
今日はマラソン大会本番一ヶ月前のテスト走行。授業は午前中で終わり。後はマラソン本番のコースを走って身体で覚えるだけ。雪こそ降っていないものの、山間のこの町は冷気が溜まって底冷えする。以前降った雪が道ばたで溶けて水溜まりになって、それが凍っている。
スポーツ推薦での高校進学を狙ってる連中は、オレも含めて、学内のこのちっぽけな大会でも「優勝」の二文字を喉から手が出るほどに渇望している。妥協しても「三位以内」。
二年男子のコースは十五キロ。参加選手は我が校の二年男子全百名弱。女子は別コースに先に出発したので周囲には見あたらない。
男子は皆ジャージの上下で、袖を肘まで捲って気合いを入れてる奴もちらほらと見受けられる。スタート地点は学校のグラウンドの白線、校舎の裏山をぐるりと廻って帰ってくるコースだ。
只の十五キロではなく、上り坂も下り坂も入れてそれだけの距離だ。決して楽な道のりではない。
「大将、ひょっとして〝スポーツ推薦狙ってるから悪い結果は出せない人〟でっか?」
隣から妙な関西弁。オレは同級生たちの最前列、スタートラインの白線からギリギリはみ出さない所に立っている。声の主は左側に立つ背の高い……黒人? なにものだ?
オレは答える。
「その通り、スポーツ推薦狙い。オレは勉強するより身体動かす方が性に合ってんだよ。どうしてオレの考えてることが分かった」
黒人は目を細めて笑う。なかなかイケメンなこいつは完全にマラソンランナー向けの体格だ。高身長、長い手足、筋肉のバランス。
「大将の体型がどー見ても〝鍛えてる人〟やさかいな。筋骨隆々、背が低いのが残念や。でもそれだけ筋肉付いてると長距離走には向かへん気ぃがするけどなぁ」
ニカッと笑って答える陽気な黒人。多分、イイ奴なんだろう。だがオレはむかついた。発言の中にオレを否定する言葉が複数入っていたから。
背が低いだの向いていないなど大きなお世話だ。オレだって好きで長距離走の記録を狙ってるわけじゃない。
オレは最初は短距離走者を目指してた。だけど短距離走者としてはトップになれなかった。陸上部内でのこと。短距離では瞬発力がものを言うが、瞬発力は「生まれつき」の才能でほとんど決まる。中一・中二の成長期で頑張っても駄目なら、早めに方向転換した方がいいのだ。
やむなく長距離走者に目標を変えたんだよ。そのオレが否定されたら、短距離も駄目、長距離も駄目。もうどこにも行く所がない。今更勉学に勤しむといっても、オレは掛け算九九で挫折した男だ。その後の算数も数学も頭に無い。
体育教師が号砲の準備を始め、オレら生徒は前を見て口をつぐむ。が、否定されたままでは気が済まないのでチラと黒人を一瞥して言う。
「オレの名は快速。翔快速(かける・かいそく)。まさに走るために生まれてきたような男だ」
右を見ると教師が耳を塞いで右手を掲げようとするのが見えた。もう号砲の引き金を引くだろう。そう思った瞬間、左から長身の黒人の声が聞こえた。
「オレはヘイトック・キューブリック。アメリカ人や。でも名前に注目やで。名前を略すとトッキュー、〝特急〟や。在来線では最速やで!」
特急……だと?
事実ならオレは勝てないのでは――
いや、こんな奴は陸上部にいなかったハズだが――
つか、在来線ってなんだっけ。えぇと確か……「新幹線以外の電車」か。
それ以前に、この日本語能力で日本に来たのか。まず日本語を勉強した方がいいぞ。
パアンと号砲が鳴り響き、オレは困惑したまま走り出した。
二年の男子生徒全員が走り出した。この流れから落ちこぼれることは、そのまま学生生活から落ちこぼれることを意味する。具体的には高校進学が危うくなる。オレは必死で先頭集団に付いていった。
オレの前に出たヘイトックが余裕の声で告げる。
「もしもこれが電車同士の競走やったら、特急と快速、どちらが速いか、勝つか、説明するまでもないんとちゃうか――ッ!」
「特急」ことヘイトックはそのまま先頭集団のトップに。オレは特急の真後ろに付いて同じペースで走った。
二十数分後、二人でトップを走っていたハズが〝二人してコースを外れていること〟に気付いた。遥か彼方の後方に、右折して走っていく人の波が見える。そう簡単にコースから外れないように、分かりにくい分かれ道には先生が立っていてコーンで通行止めにもしていたのだが……。
あまりにも痛いミス。これが本番だったら目も当てられない。一応ヘイトックに声を掛けてやってからコースに復帰することにする。
「ヘイトック! お前、コースから外れてるからなっ。オレは先に戻る!」
踵を返して正しいコースへ。その瞬間、車の急ブレーキの音がし、目の前が真っ暗になった。
地面に転がる自分の身体。車に轢かれた。つっても多分、頭を打っただけだ。
マラソンのコースなら交通規制してるけど、コースじゃない道路を走ってたから、轢かれても仕方ない。道路の真ん中を走ってたんだし。
ヘイトックってなんなんだよ。こいつに付いていったばっかりに。本番に体調が間に合いますように――。
「か、快速の大将――! アーユーオーケ――ッ!?」
特急の声を聞きながら、オレの意識は途絶えた。
結果的に、このテスト走行でオレはリタイア。
特急ことヘイトックはコースを外れては戻り、十位。
後日談になるが、特急は今月から隣のクラスに転校してきたばかりで、まだどこの部活にも入っていなかったという。そのせいで実力も顔も殆ど知られていなかった、競馬で言う〝穴馬〟的存在。そして筋金入りの〝方向音痴〟だったとか。
ともかく、オレは――快速は、特急に勝てなかった。
○ ○
車に轢かれる瞬間。オレは「止まれ!」と強く願った。絶叫していたかも知れない。その結果轢かれているのだから勿論、車も時間も止まっていない。が、一週間後。精密検査を終えて退院したオレは「止まれ」と強く念じることで時間を止められるようになっていた。本来なら様々な欲望が渦巻きそうなところだが……。
精密検査の結果、オレの心臓に疾患が見付かった。肺から巡ってきた酸素がたっぷりの血液と、全身を巡ってきた汚れた血液。心臓の弁でくっきり分けられているハズのその二者が、心臓にある小さな穴を介して微妙に混ざってしまう病気。
心臓の穴は小さく、「命に別状はないです」眼鏡を掛けた若い医者は軽く微笑んで言った。オレも安心した。
「ですが――」
医者は続けた。
「マラソンなどの激しい運動をするなら、心臓の手術が必要です。でなければ命に関わります」
いつの間にか深刻な顔になってこちらを見詰め、オレの安堵と希望を打ち砕いた。
医者も仕事でやっていることだ。病名を告げること。手術を勧めること。職業意識と善意からの発言。それに対して怒りをぶつけるなどお門違いも甚だしいことだ。
――理屈でそう理解したのはその医者の顔面に拳骨をぶち込んで、絶叫した後だ。「オレの人生が終わりってことか!」とか「オレのマラソンを奪うのか」とか、「オレのオレの」とエゴの権化と化して、背後の両親の泣き声で正気に返った。
母が泣いていた。
オレは我に返って反省し、その場で土下座して謝った。尻餅をついた医者は、オレを許してくれたのか分からない。何も言わずに立ち上がったようだった。土下座していたオレには足しか見えなかった。この医者は今までにも患者に病名を告げて八つ当たりされたことがあるのかも、と思った。
手術は、失敗すれば死ぬ可能性もある。手術しなくても死なないが、その代わりマラソンに限らず激しい運動全般が出来ない。正直どうしていいか分からず。ただ、まだ死にたくなかった。手術をするかどうかは決断出来なかった。
オレは問題を先送りにした。「手術をするかどうかはすぐには決断出来ません」と。
ひとつだけ、「止まれ」と強く念じることで時間を止められる能力を活かして、現状を打破することが出来るのではないか。そんな希望を抱いた。
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