第7話 詐欺被害者の鬱憤

 世知辛い世の中を生きていくならば、大なり小なり、ストレスは溜って来る。

 人間社会から隔絶された山奥なんかで、仙人のような暮らしをしていれば別だが、人間社会にどっぷりと浸かって生活していくならば、対人関係にも疲れてくるというのは避けがたい現実だ。

 そういう人生を過ごしていくと、「殺してやりたい」とは決して思わないけれど、「こんちくしょう」と思う相手が幾人かは出現するものである。

 そんなプチな怨みを抱いて日々を過ごす人間は、思っている以上に多いらしく、そのプチな怨みを晴らしてくれる篤志家が現れたのだ。

 人呼んで、筆殺仕事人。

 普段は、世間のありふれた人々と同じ生活を送りながら、しかし、それは世間を憚る表の顔であって、裏稼業は依頼人に変わって成敗してくれるのだ。

 ただ、成敗してくれるのは、現実世界ではなく、小説という仮想空間の中での話ではあったが・・・・・・。

 その筆殺仕事人。本人は歴としたペンネームを騙っていたが、噂が噂を呼び、いつしか、投稿サイトにおいて、『鐘木(べるぎ)もんど』と呼ばれるようになった。


 私は、最近、結婚詐欺に引っ掛かったばかりの女だ。

 結婚資金にと溜めこんでいた貯金を、詐欺師に渡してしまった。

 あの貯金があれば、今頃は、中古車なら外車を購入することができた。

 派手に遊んだことが一度も無い私自身にとって、外車を乗り回すなんて事、これからの人生でも絶対に有り得ないことではあったけれど・・・・・・。

 疾うに三十路を超え、四捨五入すれば40歳という年齢に至っている。

 若い時から結婚願望が強い割には、結婚相手に縁が無く、到頭この年齢になってしまった。

 歳を重ねるに従い、異性と出会うチャンスもめっきり減ってしまう。だから、結婚相談所にプロフィールを送り続けていたのだ。

 そんな女の気持ちに付け入るなんて、絶対に許せない!

 詐欺師が姿を消してからというもの、悔しさの余り、夜も眠れない。少しノイローゼ気味にもなって、今は心療内科で処方された薬を飲んでいる。

 だから、ネット上で、『鐘木もんど』を探し回った。

 現実社会で詐欺師を見付けるなんて不可能だってことは、私だって承知している。

 ならば、少なくとも仮想の世界でだけでも、是非、この恨みを晴らしてもらいたいと思ったからだ。


 そして、依頼に応えて執筆してもらった作品が、『想い人』という作品である。


『デートの際には女よりも先に来て待っていること。それは若い頃に身に着けた習慣だった。

 黒のスーツに白いシャツ。礼服と間違われないように、ネクタイだけは鮮やかな色合いの凝ったデザインにしている。高級紳士服ではないが、清潔感を与えるように身嗜みには気を付けている。

 靴は磨き上げ、髪の毛にも乱れは無い。

 それは、今の仕事には必要なことだったから。


 結婚相談所の指定するホテルの喫茶スペースで待っていると、紹介された女が遣って来た。

 中間色の生地に地味な模様の浮かんだワンピース。

 肩まで伸ばした髪の毛は丁寧に梳かし付けていたが、ウェーブを掛けてもいないし、染めてもいない。

 ファウンデーションだけを塗ったように、化粧も薄い。

 反対に濃過ぎる口紅が、外遊びを滅多にしない女だと物語っている。

 プロフィールでは37歳とあったが、御洒落とは無縁な雰囲気が逆に、世間摺れしていない少女のように女を見せていた。

 ほっそりとした体型。胸の膨らみも小さい代わりに、贅肉で四肢が弛んでもいない。

 人知れずに道端で可憐に咲いている一輪の草花のようだ。

 自分の生きてきた世界とは縁遠い女だというのが、俺の第一印象だった。

 そして、格好の獲物に違いないという感触も、同時に抱いた。


 俺は、席から立ち上がると、笑顔を見せた。

 対面の席に手招きする。

 その手招きに軽く会釈し、女が着座した。

「お待たせしたみたいですね」

「とんでもない。私が早く来過ぎただけですよ。

 どうも、遅刻には臆病な性質でしてね。・・・・・・貧乏性なんです」

 最後のセリフで、フっと笑みを浮かべる。

 女も愛想笑いを浮かべる。だが、緊張が少し緩んだようだった。

 俺は「何を注文します?」と女に問い、「同じものを」という返事をウェイトレスに伝えた。

「三枝誠です。初めまして」

「手塚明美です。初めまして」

「私、相談所で紹介された女性とは何人も会ったことがないのですが、まずは戸籍謄本を改めますか?」

 闇の社会で購入した別人の戸籍謄本を準備している。

「いいえ。そんなイキナリには・・・・・・。

 だって、結婚相談所には提出しているでしょ。

 だから、私は準備していませんが・・・・・・、ひょっとして、必要だったのでしょうか?」

「いえいえ。

 私は関心無いのですが、前に会った女性の方が、相手の戸籍謄本は結婚相談所が秘密にしているので、私は見ていない。長男じゃないことを、ますは確認したいって。

 そう言われてビックリしたものですから」

「そうなんですか。それは驚かれたでしょうね。でも、三枝さんは次男だって、伺っています」

「はい、次男です。

 だから、自分の好きなように生きてきて、この年齢まで身を固めずに来てしまいました」

「これまで御結婚なさったことは無いのですか?」

「ありません。

 でも、やっぱり、こういう話になるから、私の戸籍謄本をお見せしますよ。

 60分という制限時間を守るなら、情報交換も効率的にしないといけませんからね」

「少しくらい時間を延長しても、相談所には分からないでしょう。移動の時間だって有るし・・・・・・」

「いえ。こういう事はキチンとしておかないとね。私の性分なんです」

 こう言えば、几帳面な男だと、女は信じるだろう。

 それに、俺は本当に几帳面だ。

「でも、一々実家に戻って戸籍謄本を発行するのも面倒なので、コピーで勘弁してくださいね」

 俺は戸籍謄本のコピーを女に差し出す。

 女は慌てて手を振り、受け取りを辞退するが、「まぁまぁ。貴女の方で準備していないのは承知していますから」と、コピーを押し付けた。

 受け取った女は、目の遣り場に困った挙句、そのコピーに目を落す。

 こういうのは、最初に情報を与えた方が良い。話題が余計なところに逸れず、こちらも馬脚を現すリスクを抑えられる。

「三枝さんは、栃木県の御出身なんですね」

 闇の社会で戸籍謄本を購入する際、自分の出身地である茨城県の隣接県の出身者を選んだ。

 土地勘の有る地域にしておかないと、化けの皮が剥がれかねない。

 年齢も微妙に違う。本当は38歳だったが、三枝何某は42歳だった。

 冒頭にこっちの情報を渡しておけば、後は俺が女から情報を引き出すだけだ。

 それに、女は男に話を聞いてもらいたがる傾向にある。これまでの人生経験で学んだ事だった。

 実際、手塚明美という女も同じだった。


 手塚明美と別れてから、俺は職場に直行した。新宿歌舞伎町のキャバクラ。

 そこのボーイとして働いている。黒いスーツと白いシャツはそのままに、ネクタイが黒の蝶ネクタイに変わっていた。

 フロアの絨毯に掃除機を掛け、テーブルを拭く。カウンターや鏡張りの壁も拭き上げる。グラスも磨き上げる。

 クーラーの空いたスペースに、酒屋が搬入したワインやシャンパンを詰めて行く。

 花屋の搬入した花束を玄関脇の大きな花瓶に差し込んだところで、1人目のホステスが出勤してきた。

 俺は、お辞儀をして、彼女を出迎えた。

 あと2時間もすれば、1回目の回転客で店内は一杯になる。

 若い頃にホストクラブで働いていた俺は、この店で重宝されていた。

 ホストとしての定年を迎えた俺は、男と女が立場を入れ替えたキャバクラに移った。だから、客の動きを先読みして、ホステスに仕える事が出来た。

 ホストとして女達には相当に貢がせたが、酒やSEXと引き換えに手にした金は瞬く間に消えた。日々の食い扶持を稼ぐためには、安月給のボーイに甘んじるしかない。

 かつての俺の雄姿を知る者はおらず、誰も俺には注目しない。その日を生きることに必死なことは、俺に限らず、皆同じだった。


 手塚明美との2回目の交際日。

 中間色のワンピースではったが、前回よりは少し鮮やかな色合いだった。

 小さなネックレスを着けている。

 薄化粧はそのままだったが、少し色気の香る出で立ちだった。

 今回も俺は、約束の時間よりも随分早くから、明美を待っていた。

 明美も早めに遣って来たが、既に俺が待っていると気付き、小走りに店内を進んでくる。

「ごめんなさい。また、お待たせしてしまって」

「私が早く来ただけですから。気にしないでください」

 遅ればせながら、初回は自分の話ばかりをしたことに気付いた明美は、俺の職業について聞いてくる。

 お見合いなのだから、当然の成り行きだった。

「若い時にフラフラとしていましてね。

 それで今は、中東からペルシャ絨毯を輸入し、替わりに日本の雑貨を輸出する貿易商みたいな真似事をしています」

「それでは、中東には、頻繁に?」

「いいえ。現地にパートナーがいるんですよ。

 私が一々訪問していては飛行機代も馬鹿になりませんし、それに売り先の開拓だって外国人には酷ですからね。

 これが、パートナーですよ。」

 俺はスマホを弄り、現地人の写った写真を何枚か、明美に見せた。

「でも、貿易商って素敵ですね」

「手塚さんは何か勘違いをなさっていると思いますよ。

 会社登記はしていますが、所詮は私のアパートですからね。社員も私1人です。

 もし良かったら、来週末にでも私のアパートに来ませんか?

 ちょっと不躾かなあ・・・・・・」

 少し緊張した感じの明美は俯き、膝の上で握り締めている両手を見ている。

 必死に考え込んでいる。

「あっ。でも、勘違いしないでください。昼間ですよ」

「あっ、いえ。そんなつもりじゃ。・・・・・・ないんですけど」

「自分のアパートに誘う前に、まずはレストランのディナーにでも誘うべきなんでしょうけど・・・・・・。

 夜は仕事なんです」

「夜に仕事?」

「ええ。中東とは時差が有りますから。

 この時間の中東は早朝。日本の夜が中東の日昼です。

 だから、パートナーと色々打合せをしないといけないんです」

「へえ。外国人と仕事をすると、そうなるんですね」

「だから、私は平日でも昼間に手塚さんと会えるんですけど、手塚さんは仕事ですからね。

 こうして週末にしか会えない。

 その替わり、週末であれば夜までお付き合いできます。

 あっ、でも、疾しい意味じゃありませんよ」

 明美は小さく微笑んだ。


 翌週末、明美は俺のアパートに遣って来た。

 部屋の片づけはしておいたが、そうすると殺風景にしかならない独身男の部屋を、明美は目を丸くして眺め回した。

 所々に中東の土産物が置いてある。

 冷蔵庫を開け、大量の羊の冷凍肉や中東の調味料の瓶の数々を明美に見せる。

 逆に日本の調味料の種類は少ない。味噌も無い。米の買い置きも無い。

 初めて男の部屋を訪れる女は手料理を作りたがるが、俺としてはそんな展開を避けたかった。

 俺自身は中東を旅行したこともなく、現地の調味料を全く知らない。

 明美に「料理を一緒に作りましょう」などと提案されると、俺の嘘が露呈してしまうからだ。

 思惑通り、明美は「晩飯の食材を買いに行こう」とは言わなかった。

 一方で、明美は俺のことを中東料理が好きな男だと思い込んだようだ。

「三枝さんは、中東の料理が好きなんですか?」

「勿論、和食の方が好きですよ。

 でも、殆ど自炊しないから。スーパーで弁当を買って来た方が早いしね。

 自炊するのは、気分転換で中東料理を作る時だけです。

 手塚さんが想像するより、中東料理って手軽なんです。

 それでも、偶にしか自炊しないから、冷蔵庫の中は冷凍物と調味料だけなんですけどね」

 俺は小さな机に座ると、明美にはベッドの上に座るように言った。

「この部屋はパートナーとの打合せ用です。商品は、借りている倉庫で保管しています」

 俺は、ビジネス鞄の中を手探り、当座預金の通帳を明美に見せた。

「これは会社の出納帳なんですけど、これを見ると、貿易商の社長っていう感じでしょう?」

 通帳の預かり金額と支払い金額の双方の列には1千万円を超す金額が並んでおり、いかにも売上代金を遣り取りしているように見える。

 この預金通帳も闇の社会に発注した。

 俺の手を札束が通過することはなく、闇の社会のダミー会社の間を行ったり来たりするだけだ。

 本物の銀行を介して作成するので、金銭授受の日付を誤魔化すことはできない。だから、この通帳を作成するのに日数だけは掛かっている。

「まあ、こんな部屋で仕事の話をしていても詰らないから、食事に行きましょう。

 中東料理じゃないけど、上手いエスニック料理の店を知っているんです」

 そう言って、俺は明美を外に連れ出した。

 食事の後で、カウンターバーに誘う。明美は素直に付いて来る。

 バーを出た時、俺は明美の肩に手を掛けた。ゆっくりと引き寄せる。明美の頭が俺の肩に凭れ掛る。

 俺はタクシーを拾うと、アパートに戻った。

 部屋に入ると同時に、明美の唇を強く奪う。彼女は抗わない。

 明美のパンプスが脱げ、玄関口に転がる。

 明美は両腕を俺の首に回し、豊満とは言えない胸を押し付けてくる。

 唇を吸ったまま明美の身体を抱き抱え、ベッドまでの短い距離を移動する。

 ベッドの上に押し倒すと、俺は若い頃に身に着けたベッドテクニックを行使した。

 シャワーを浴びたいとも言わず、為すが儘にされる明美。

 俺達は1度の行為を終え、シャワーを浴びた後、夜明けまで何度も行為に及んだ。


 その後の展開は、読者が想像する通りだ。

 日本から輸出した雑貨の代金回収が遅れている。

 ペルシャ絨毯を積んだコンテナ船は既に中東を発っているのだが、日本への到着は未だだ。だから、ペルシャ絨毯を売って、つなぎ資金を工面することもできない。

 どうやら運も尽きたようだから、君との交際も止めざるを得ない。

 そう伝えると、明美は自分の預金通帳を俺に差し出してくれた。

 その金を引き落とした俺は、コロンビアに飛んだ。

 彼女から奪った金を元手に、自分の店を開くつもりだ。

 俺は、コロンビア人の母親と日本人の父親の間に生まれたハーフだ。

 父親に妻子を養育する意思は無く、母親との婚姻届を出さずに姿をくらませた。俺が成人した時に母親は母国に帰ったが、俺は混血の顔立ちが水商売に向いていると気付き、そのまま日本に居残った。

 生活のため、日本国籍に帰化もした。

 だが、真っ当な生活を送ったことは無く、将来に希望を持てないでいた。

 父親と同じように女を捨てる男だから、真っ当な生活なんて神様が与えてはくれないだろう。


 でも、今までの人生で俺の出会った女性とは違うものを、明美には感じていた。

 ホストクラブに来る女客と、キャバクラで男を虜にするホステスしか知らない俺にとって、女は唾棄すべき対象でしかなかった。

 もし、若い頃に明美と出会っていたならば、女を見る目が違っていたかもしれない。

 もう少し真っ当な人生を歩んでいたかもしれない。

 だが、若い頃は、女なんて金の成る木としか考えていなかったのだから、その頃に明美と出会っていても、俺の眼中に無かっただろう』


 この『想い人』という作品は、私の体験談が元になっている。

 その体験談に、鐘木もんど先生が背景を想像して、肉付けしていた。読んでみると、実際にそうだったのかもしれないと、思えてくるから不思議だ。

 彼が姿を消した後、私は彼のアパートを訪ねて行った。

 其処には本来の住人が住んでいて、ドアを開けたアラブ人の男性は、自分が帰省した1カ月だけ彼にアパートを貸したと言っていた。

 その男性と彼とは異邦人としての付き合いがあり、彼の本名は三枝ではないと初めて知った。

 彼のスマホで私が見た写真は、その男性が帰省先から彼に送った写真だった。

 勿論、結婚相談所にも行った。

 だが、「弊社も被害者なんです。会社登記簿やら戸籍謄本やらで身元照会したつもりでしたが、全て偽造されていたのです。貴女からの通報を受けて、弊社も警察に告発したところです」と言われてしまった。

 警察によると、大多数の結婚詐欺師は顔写真を残さないそうだ。

 ところが、私が被害に遭った詐欺師の場合、結婚紹介所に顔写真を残している。

 1回限りの確信犯で、恐らく今頃は、偽の戸籍謄本で作ったパスポートを使って、海外に逃亡している可能性が高いと言われた。

 詐欺師の素性は知れず、自分で考えても、逮捕に至る可能性は低いという感じがする。

 でも、彼は、私の事を、こんな風に想ってくれていたのだろうか?

 彼を探し出せない限り、それを確かめようは無いのだが、男性不信に陥ったまま残りの人生を過ごすことは、少なくとも避けられそうである。

 ただ、そう感じる人間は私だけだろう。

 なにせ、私だけのために生まれてきた作品なのだから。

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筆殺仕事人~ショート・ショート~ 時織拓未 @showfun

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