エピローグ ②『月夜の訪問者』

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 次に目覚めたときには夜になっていた。窓にはレースのカーテンがかけられ、窓の向こうには液体のように真っ黒い夜の闇が満ちていた。


 時計を見ると夜中の二時。ずいぶんと寝ていたようだ。


「なんか暑いな……」


 熱が出てきたのかもしれない。窓を開けられればいいのに。そう思っても体が動かなかった。エアコンの調整もできないし、かといってこんな時間に看護士さんを呼ぶのもなんだか悪いし。


 そんなことを考えていると、ふと冷たい空気が頬をなでた。


――あー、涼しい――


 冷たい風がそよそよと入ってきている。でも窓は閉まってたはずだけど……

 窓に目をやる。


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 その窓枠に若君がいた。片足を窓枠に乗せ、ゆったりと手を伸ばし、一枚の絵画のように、ただそこにたたずんでいた。

 相変わらずの殿様の格好。長い髪を夜風に揺らし、悠然とした様子で静かに青白い月光を浴びている。


 それから若君は少し顔を傾け、あたしをじっと見つめてきた。青白く透き通るような肌、すっきりとした目元。やっぱり若君はかっこいい。とても現実とは思えない美しい光景。それともあたし、夢を見ているのかな?


「元気そうじゃな」

 若君の声が聞こえてくる。はっきりと耳に届いてくる。でもやっぱり夢みたい。そう思って、あたしは夢見心地に答える。

「はい。こんな格好だけど、元気です」

「無理をするからじゃ。あれほど申したのに……言うことを聞かぬからこうなる」

「すみません」

「ま、よい。おまえが元気そうで安心した。しっかりと養生せい」

「はい。あの若君、ひとつお聞きしたいことが……」


 そう言いかけたときには、若君の姿は消えていた。まるで最初からそこにいなかったように。


 やっぱり夢だったのかな?


 でも開いた窓からは涼しい風と、月の光が静かに流れ込んできていた。

 

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 翌日には、さらに元気が回復した。やっぱりあたしの回復力は上がってるみたいで、朝食も二人分をペロリと食べてしまった。


 昼を過ぎると、マーちゃんと神父さんがやってきた。マーちゃんも神父さんもまだ傷跡が痛々しかったけれど元気そうだった。


「なんかソーゼツだね」

 と、マーちゃん。

「まぁね。全身筋肉痛なんだって。なんか笑っちゃうよね」

「そんなことないよ。さっちゃん、すごかったもん」

「そうだった?」

「うん。大活躍だったよ。さっちゃんはこの町のヒーロー、てか、ヒロインなんだから。まぁ誰も知らないだろうけどね」

 さっちゃんはそう言ってフフフと笑った。


「町のみんなはどうなったの?あれからみんな大丈夫なの?」

 それに答えてくれたのは神父さんだった。

「それはオーケーですよ。町のほとんどの人が骨折シマシタ。ほとんどの人がマツバズエ持って、ギブスシテマス。でも病気よくなった人もいっぱいイマス。骨はいずれくっつきマス。だから全部オーケーですよ」

 そう言う神父さん自身も、なんだか表情がとても穏やかになったようだ。


「ナナちゃんのお母さんも無事だよ。しばらく入院するけど、大丈夫みたい」

「そっかぁ、ほんとよかった。あのさ、若君は?若君はどうなったか知ってる?」

 あたしはマーちゃんに聞いた。それが一番気になっていた質問だった。

「まだ聞いてないの?」

「うん誰も話してくれなかったから」


「そっか……」

 マーちゃんは少し思わせぶりな沈黙を漂わせた。それからゆっくりと話し始めた。


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「あの戦いのあとすぐね、若君さん倒れちゃったの。すごい怪我してたし、血もいっぱい流れたからね。バタッと倒れちゃったの」

「倒れたの?」

「うん……動けなくなっちゃって……」


「血が足りなかったのデス。ですが、さつきさん、あなたは倒れてしまって、命が危険な状態でした。あなたの血を吸うわけにはいかなかったのデス」

 マーちゃんはうなずいた。

「それであたし、若君さんに、あたしの血を飲ませようと思って、そう言ったんだけど……若君さんは飲まないって……自分には家臣がいるからって、そう言って……そのうち夜が明けてきて、気づいたら、若君さんと、それと一緒にいた四人のお侍さんが消えちゃったの」


 そっか……若君、マーちゃんの血を飲まなかったのか……なんか複雑な気分だ。


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「実は、若君さん、それからずっと消えたままなの。うちの教会にも来てないから、たぶんさっちゃんの家にいると思うんだけど……でもなんか心配で……」


 てことは、若君はまた赤蔵で眠ってるのかな?

 あたしは少し昔を思い出す。あの赤蔵に入った日のこと、そこで若君に初めて出会ったときのことを。そこで静かに眠っていた若君の美しい姿を。


「それなら……」

 あたしはマーちゃんに答える。

「若君はたぶん寝てるんだと思うよ。あの蔵の中の棺桶で。あそこで寝てると体力が回復するみたいだよ」

「そうだよね。さっちゃんも起きたんだから、若君さんももうすぐ起きるよね」

「うん。でも起きたらまた大変だよ。またいろいろ偉そうに命令するんだから」

「家臣は大変だね」

「家臣は大変なのよ」


 あたしたちはフフフと笑った。


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 さらにその翌日、今度は藤原君と吉永さんがお見舞いにきてくれた。


 藤原君は右手がなくなったままで、手のところに包帯を巻いていた。吉永さんもまた左手のところを包帯でぐるぐる巻きにしていた。でも二人は無事な方の手でしっかりと手をつないでいた。


「目が覚めたって聞いたからよ」

 藤原君は相変わらずぶっきらぼうなしゃべりかただ。でも昔のような凶悪な感じはすっかりなくなった。それは金髪をやめて髪をおろしたせいかもしれない。


「内羽さん、あなたにどうしてもお礼を言いたくてきたの。その、とにかく、本当にどうもありがとう」

「お礼だなんて……そんな大したことじゃ」

「ううん。藤原君からいろいろと聞いたわ。あとお兄ちゃんからも。あなたがわたしを助けてくれたって」

「でも、その手はあたしが……こっちこそあなたに謝らないといけない」


 吉永さんとこうして話すのは初めてで、なんとなくぎこちない感じだった。それになんとなく吉永さんは清楚で立派な感じがして、なんとなく気後れしてしまうのだ。


「お願いだから謝ったりしないで。あたし、本当に感謝してるんだから」


「それにしても……」

 と、藤原君が口を挟んできた。

「……おまえ、すごいカッコだな。なんかひっくり返った犬みてぇだ」


 ピキッ。この一言にあたしも吉永さんも固まってしまった。それは言ってはならない一言だったのに。でもそれから藤原君が笑いだし、なんだか本人のあたしも笑ってしまい、吉永さんまでが笑った。


 笑いというのは不思議なもので、それだけであたしたちの距離はグッと縮まった。なんか急に仲良くなれた気がした。


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 しばらくして笑いがおさまると、藤原君は涙を拭きながら言った。

「いやぁ悪かったな。なんか、どーしても言いたくてよ。でもよ、俺、感謝してんだ。こいつもすっかり元通りになったしよ」


 藤原君はチラッと吉永さんに目をやり、吉永さんも少しほほえんだ。この二人、ほんとに仲がいいんだなぁ。うらやましい。


「俺さ、町を出る。東京の兄貴のとこにいくんだ。こいつはここに残るけど。そんで一応サヨナラを言っとこうと思ったんだ」

「いつから?」

「これから。ありがとな内羽。じゃ、俺行くわ!またな」

 藤原君はそういってさっさと出ていってしまった。なんともあっさりと。


「あれ?藤原君もう行くの?」

 あわてたように吉永さん。ちらりとあたしを見たので、あたしはうなずいた。行ってあげて、って。

「ごめん。またお見舞いにくるね」

「ありがと」


 それから二人でほほえみを交わす。たぶんあたしたちはいい友達になれるだろう。笑顔の中にそんな思いを共感する。


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 それからさらに三日間入院して、あたしはようやく退院した。


 家に帰るといつも通りおばあちゃんたちが居間でテレビを見ていた。もうボタンばあちゃんも退院している。穏やかな午後、テーブルに並んだ三人の湯呑みからは、ポワワンとした湯気がまっすぐにたちのぼっていた。なんにもない平和な日常。すごく懐かしい我が家だった。


「お。やっと帰ってきたな」とじいちゃん。

「お帰りさつきちゃん」と芳子ばあちゃん。

「さつきや、よく頑張ったね」とボタンばあちゃん。ボタンばあちゃんもすっかり穏やかなおばあちゃんに戻っている。


「みんな、ただいま」

「あら、早かったのね」

 母さんが台所から手を振きながら現れる。そう言えば、居間には新しいテレビがあった。エアコンも新調されている。それは若君が目覚める前の、ごく当たり前の光景だった。


「ねぇ、母さん。若君はまだ寝てるの?」

「ええ、あれからずっとね。今晩にでもちょっと行ってみましょうか?」

「うん。ちゃんとお礼言いたいしね」


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 その日、太陽が沈んでからあたしと母さんは家を出た。あの夜と同じように庭を横切り、真っ暗な竹藪の中を歩いていった。竹藪を抜けると、目の前に赤蔵が現れた。


 赤蔵の扉には再び鎖が巻かれ、新しい錠がかけられていた。母さんが鍵を取り出して錠をあけ、ぐるぐる巻きにされた鎖をほどいて扉を開けた。


「これじゃ自分で外に出られないんじゃない?また怒られるんじゃない?」

「これはね、若君さんの御指示なのよ」


 蔵の中のホコリはすっかりきれいに掃除されていた。それからパチリとスイッチをつけると、蛍光灯がパチパチと灯って蔵の中を明るく照らした。これだけ魔術を使えば怒られそうだが、状況もずいぶん変わったらしい。


「おじいちゃんがね、新しく取り付けてくれたのよ」

 床の扉を開けると階段に蛍光灯が灯った。記憶よりもずっと狭くて、急な階段だった。


「さ、行きましょう」

「うん」

 階段を下ってゆく。そしてあたしは若君を見つけたあの部屋に戻ってきた。


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 部屋の真ん中に棺桶があった。ロウソクの仕組みははずされ、今は天井から蛍光灯が灯っている。


「若君さん、ちょっと失礼しますよ」

 母さんが棺桶の蓋をズズッとずらすと、棺の中に横たわる若君の顔が現れた。やっぱり死んだように眠っている。


「若君……」

 あたしはそっと呼びかけた。だが若君はまるで無反応だった。


 近くに顔を寄せると、若君がとてもゆっくりと呼吸しているのがわかった。その口元には穏やかな笑顔のようなものが浮かんでいた。そう、この人は不死身なんだった。あたしはそれを思い出してなんだか安心した。今はただ寝ているだけ。いずれはちゃんと目覚めてくれるはずだ。


「本当によく寝てるね……」

「ええ。ぐっすり眠ってるでしょう?」

「うん。このままもう少し寝かせておいた方がいいよね」

「この棺にはスイッチが取り付けてあるから、若君さんが起きたらすぐに分かるようになってるわ。だから今は起きるのを待ちましょう」

「そうだね」

 それから二人でそっと蓋を元に戻した。


「おやすみなさい若君。いい夢を見てくださいね」

 蓋が閉まる直前、あたしは若君にそう呼びかけた。


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 まぁ、あと一週間くらいで起きるだろう。

 その時のあたしはそう思っていた。


 そうなればまたにぎやかになるんだろう。

 そんな風に思っていた。


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 だがまたしても大はずれ。


 いつだってあたしの予想ははずれる。


 若君が次に目覚めるのは、なんとその三年後!


 ちなみにそれはあたしが十七歳の女子高生になったとき。


 そして目覚めた若君はさらにいろんな騒動を振りまくのである。


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 でもそれはまた別のお話


 またいつかどこかで語られる物語


 だから今はおやすみなさい


                              終わり

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若君は吸血鬼 関川 二尋 @runner_garden

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