エピローグ ~月夜の訪問者~
エピローグ ①『目覚めてみると』
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ふっ、とあたしは目覚めた。
最初に見えたのは弟の新兵衛の背中。その新兵衛はベッド横の丸イスに腰掛け、窓の方を見ながら、リンゴをむしゃむしゃと食べていた。
「しん……べ……え……」
言葉がうまく出てこない。口の中がからからだ。それにここは……家じゃなくて……病院?んー、たぶんそう。白い壁と白いカーテン、窓の向こうには青空が見えてる。セミの鳴く声がさかんに聞こえている。
「あれ、姉ちゃん、起きてたの?」
新兵衛は口をモゴモゴさせながら振り返った。ほんとこいつはいつも何か食べてる。あたしはうんとうなずきかけ、それだけで首に激痛が走った。
「いでで……」
「あのさーぁ、あんまし動かないほうがいいみたいだよ。ひどい筋肉痛なんだって」
「みたいね……いでで」
「おれ、母さん呼んでくるよ」
新兵衛はりんごのかけらを口に放り込むと、ててて、と病室を走って出ていった。
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「そっか……あたし死ななかったんだな……」
やっぱりホッとする。最後に意識を失ったとき、なんかこのまま死んでしまう気がしていたから。
「あたし、ちゃんと生きてるな」
よかった。それはホントによかったんだけど……あたしはひどい有様だった。全身のほとんどを包帯で巻かれていて、ミイラ男ならぬミイラ女みたいになっていた。両手と両足はギプスで固められ、さらにベルトで宙に吊り下げられ、なんか怪奇的なポーズで固定されていた。ま、顔だけは包帯がなかったけど、首元は固定されていて横も向けない。
「あー……なんかサイアク」
「あら、起きたのね」
扉が開かれ、母さんが病室に入ってきた。あたしはそれを目の隅でとらえる。今日は和服じゃなくて、いつもみたいな洋服だ。それに表情や話し方もいつもの母さんだった。そのことにすごくホッとする。
「どれどれ……うーん……」
母さんはあたしの目をグッとのぞき込み、それからにっこりとほほえんだ。
「元気そうじゃない」
「元気じゃないよぉ……見てよ、これ」
あたしは包帯でぐるぐる巻きの手をプラプラと振って見せた。
「だってあなたずいぶんひどかったのよ。それぐらいでよかったほうなんだから」
「そうかもしれないけどさぁ……やっぱりひどい格好だよ」
「ぜいたく言っちゃだめよ。お父さんだって一生懸命やったんだから」
「え……これ、お父さんがやったの?」
くぅぅ、やられた!って感じ。年頃の娘をこんなポーズで固定するなんて!文句の一つでも言ってやらねば気がすまない!
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と、今度はその父さんが現れた。
「おぉ、さつき!起きたんだって?」
白衣はよれよれだし、顔にはずいぶん無精ひげが生えている。お父さん、ずいぶんと忙しかったみたいだ……
と、父さんも母さんと同じくあたしの目をググッとのぞき込んだ。
「うん、なかなか元気そうじゃないか!」
そう言う父さんは実にうれしそうだった。あんまりうれしそうなので、怒りも急にしぼんでしまった。ホント父さんってずるい。
「いやぁ、危なかったんだぞ。骨折と肉離れと筋肉痛とまぁ、全身すごいことになってたんだから」
「ねぇ、あたし、ちゃんと直るの?」
「ああ、もちろん直るさ。父さんがばっちり治療したんだからな」
そう言って、父さんはまたあっはっはっと高らかに笑った。あたしはその笑顔にまた深く安心する。
すべて世はこともなし。
少なくともあたしのこのポーズ以外は……
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それからしばらくして、さらにじいちゃんと芳子ばあちゃんもやってきた。
「おお、さつき、やっと起きたな?」
じいちゃんも父さんと同じくヒゲがのびて、白衣もよれよれになっていた。てか、しっかり医者に復帰してる。おじいちゃんもかなり疲れてるんだろうけど、やけに元気そうだった。そしてやっぱりあたしの目をグイッと、のぞき込んだ。
「うん、順調じゃな」
「さつきちゃん、気分はどうなの?」
芳子ばあちゃんも洋服姿に戻っていた。今日は鮮やかな花柄のスーツをさっそうと着こなしている。芳子ばあちゃんはやっぱりこういう格好がよく似合う。おばあさま、って感じがする。
「まあまあ。でも、これひどい格好だと思わない?」
「仕方ないわ。なんといっても病人なんですからね。しばらく我慢なさい。ね?」
芳子ばあちゃんにそう言われると、素直にうなずくしかない。
「うん。あれ?ボタンばあちゃんは?」
そう言えば、この場にボタンばあちゃんだけがいなかった。それに答えてくれたのは父さんだった。
「ばあちゃんは貧血起こしてな、今は隣の個室で点滴を打ってる。でもま、心配するような病状じゃないから安心していいぞ」
ばあちゃんが貧血ねぇ……まぁ年だからそういうこともあるのかな?……ま、よく分かんないけど、大丈夫ならいいか。
「そっか。ならいいの」
「もう心配することはないんだから、今は自分の体のことだけを考えなさい」
母さんは優しくそう言ってくれた。
「はーい」
でもひとつだけ、あと一つだけ、気がかりなことがあった。
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それはこの場にいないもう一人のこと。もちろん若君のこと。
あたしはあれから若君がどうなったのか気になっていた。それを聞きたい気持ちもあったけど、なんとなく自分から切り出せなかった。そのうち誰かが話してくれるだろうと思っていたけど、いつまでたってもその話は出てこなかった。まるで若君が最初から存在してなかったみたいに。まるでその話題を避けてるみたいに。
でもまぁいずれ直接聞くことになるだろう。焦ることはない。どっちにしても太陽の出ている間は現れないだろうし。
……いや待てよ……
夜になったとしても、若君がわざわざ見舞いにくるとは思えないな。なにせあたしはただの家臣。となると会えるのは退院してからかな?そしたらまた吸われるのかな?てか、今回は大怪我してたから、相当飲ませないとまずいんじゃないかな?
……あたしの……
「さつき、どうしたボケッとして?」
……血を……
「なんか顔も赤くなってきたわよ」
……吸わせないと……
「熱が上がってきたんじゃないかしら?」
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「おお、いかんいかん。ワシらが騒ぎすぎたから、少し興奮したんじゃ」
「一度部屋を出た方がいいわね」
なんかみんながあたふたとしている。
「あ!あの、あたし大丈夫だよ」
「無理しちゃだめだ。意識は戻ったんだから、このままもう少し寝てなさい」
「父さん、ほんとに大丈夫だってば」
「そんな赤い顔して何言ってるんだ。いいから少し眠りなさい。さ、みんな。今日の面会はここまでにしましょう」
父さんはそう言ってみんなを部屋の外に追い出してしまった。
「おやすみ、さつき。今はとにかく寝なさい」
「はーい」
シーン……父さんが出ていってしまうと、またすごく静かになった。あたしはまたひとりぼっちになった。時計を見るとまだ十時。まだお昼前。なんか急に退屈になったけど、この格好では何もできない。
「寝るしかないかな……やっぱし……」
目を閉じると吸い込まれるように眠気が襲ってきた。フワッとあくびがでると、あたしはそのまま眠りに落ちてしまった。
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