第1話 冒険のはじまり

 まず、「ごくごく一般的な中小企業」の職場を思い浮かべてほしい。

 その屋根をいったん取っ払って、まる一年ほど雨ざらしにしてから、もう一度被せてみよう。

するとできあがるのが、いま、俺たちが働いている職場である。

 無理もない。俺の知る限り、このビルは築数百年を超えていた。まだ建っていること自体、奇跡のようなものなのである。


「ただいま戻りましたぁ」


 スラっち先輩と俺が仕事場の古びたドアをくぐると、


「おーっ! 戻ったわね!」


 ようやく息継ぎできた人みたいに、ルシフェルさんが声を上げた。


「ホシくん。……ちょっとそこに座りなさい」

「えっ、なんでしょうか」

「いいから。早く」


 神妙な表情の上司を見て、俺の脳裏に走馬灯が走る。


――なんか、やらかしたか?


 脊髄反射的に記憶を探るが、思い浮かぶのは、これまで行ってきた数々の失態ばかり。


――“薬草”と間違えて”毒消し草”を宝箱に入れたり。

――“勇者”に回復魔法を覚える巻物スクロールを渡し忘れたり。

――僧侶ヒーラーと間違えて魔法使いアタッカーを“勇者”パーティに誘ってしまったり。


 あの時は大変だったなあ。

 回復役がいないせいで、山のような薬草を抱えて旅していた”勇者”一行の姿を思い出す。


「な、何でしょう?」


 ルシフェルさんは、俺たち”剣と魔法の世界班”における班長、――要するに、この場にいる見廻隊員、全員の上司にあたる。

 今では穏やかな上司の代名詞的存在のルシフェルさんだが、昔はわりとヤンチャで、テンションの赴くまま堕天したり、悪魔の王を名乗ったり、造物主サマ相手にタイマン仕掛けたりしたこともあるという。

 最悪、腹を切るくらいの覚悟でいると、


「おめでとう♪」


 と、いつもの柔和な笑みを浮かべる。


「ホシくん、アナタ、今日から正隊員に昇進よ♪」


 俺は、その場でしばし硬直する。


「……は? せい……たいい……ん?」

「ええ♪」

「正隊員って、あの?」

「もちろん♪」


 すると、その場に居合わせた数人の先輩隊員(夕顔さん、香澄さん、アーサーさん)が、一斉にぱちぱちと手を叩いた。


「おめでとぉ~」「ついにやったっスね!」「……なかなか、やる」


 隣にいるスラっち先輩も、拍手に合わせて全身ぷるぷると震えている。


「ずいぶん長く下働きの身分だったけれど。……よくがんばったわね」


 そうか。


――あれからもう、六年か。


 これまでの仕事が認められたのだと思うと、図らずも胸がいっぱいになる。

 もちろん、嬉しい理由はそれだけじゃない。

 『異界見廻隊』の正隊員には、様々な特権が認められているのだ。

 装備一つとっても、正隊員と下働きではかなりの差がある。


「あ、ありがとうございます!」


 率直に礼を言うと、すぐ隣にいたスラっち先輩がぶよーんと身体を伸ばして、俺の肩を叩いた。


「やったな、ホシ」

「……先輩、ひょっとして『今回の仕事は昇進がかかってる』っていうのは」

「まーな。昇進がかかってたのはオイラじゃない。……ホシ、お前だったのさ」


 そういうことだったのか。


――まったく、この人は……。


 メスだったら惚れていたかも知れん。


「だが、これからはお前も単独ソロで異世界に潜ることになる。一人で”勇者役”をフォローして、魔王討伐まで導いていかにゃならんのだ。……やれるか?」

「精一杯、がんばります」

「それでいい」


 俺は、意気揚々と自分の席に着く。

 先ほどスラっち先輩と片付けた一件を、文書にしてまとめておく仕事が残っていたのだ。


――これが、下働きとして最後の仕事になるのか……。


 そんな風に考えていると、


「ルシちゃんも思い切ったことするなぁ」


 半畳を入れるような口調で、俺のすぐ隣の席の少女が呟く。


「おお、やっかみか?」

「ホシは他のみんなに比べて、ミスがおおいだろ。へーきで世界をめちゃくちゃにしちゃうんじゃないのか?」

「胸に刻んでおくよ、”下働き”のモモちゃん」


 彼女の名は、吉備津姫命きびつひめのみこと

 それだと長ったらしいので、俺たちの間では”モモ”というアダ名で通ってる。


「てきとーなことやって、仕事増やすなよな」


 跳ねっ返りの後輩は、ぷいっと横を向く。


「いつもなら小憎らしいお前の小言も、今日ばっかりは可愛く思えるぜ」

「なっ!」


 モモはほっぺたを桃色に染めて、


「ばーかッ。うんちにまみれろ」


 まるで可愛げのない口調で、舌を出すのだった。



 後日。

 俺は、“異界見廻隊”の正隊員用装備の入念なる点検を済ませた後、


「すーっ、はーっ。すーっ、はーっ」


 過呼吸かってくらい熱心に深呼吸をする。


「よし……行こう」


 そして、先ほど支給されたばかりのアイテム、《ゲートキー》を使用した。

 《ゲートキー》は、ごく一般的な鍵の形をしている。これを宙空にかざしてひねる動作をするだけで、その場所に異世界への扉ゲートが出現するのだ。

 “WORLD1777”という札が貼られた《ゲートキー》によって開かれたその先は、“異界見廻隊”が管理している異世界の一つ。

 簡単に説明すると、ファンタジー系ロールプレイングゲームのようなルールによって支配される空間だ。

 “剣と魔法の世界班”に配属された見廻隊員は、この手の世界を任されることが多い。

 俺は、息を呑んでその中へと足を踏み入れた。

 異世界に潜るのは始めてではないのに、今日はやたらと緊張している。

 やっぱり、一人だからだろうか。


――これから先は、良いことも悪いことも、全部自分の責任の上で起こる。


 そう考えると、恐ろしいような、ワクワクするような……。

 ドアの先は、ファンタジー系の世界らしく緑豊かで、空気の綺麗な場所だった。

 異世界の大気を思い切り胸に吸い込んで、大きく伸びをする。


――風に揺れる草花。

――空を自由に飛ぶ鳥達。

――草原を、……元気よく跳ねまわるゴブリン。


「……ん?」


 そこで俺は、醜悪な子鬼の群れがものすごい勢いでこちらに走ってきていることに気づいた。


――どうも見た感じ、悪意全開って感じだが。


 とりあえず、手元の分厚い資料『WORLD1777の手引』をめくって情報を参照する。

 何事も、見た目で判断してはいけない。

 大きく“剣と魔法の世界”という区切りで分けられていても、色々と細かな違いがある。魔物と人間が共存して暮らしているような世界も存在するのだ。


「えーっと……」


 歴代の見廻隊員によって書かれてきた、長ったらしい『”ゴブリン族”の起源』に関する部分をすっ飛ばし、必要な箇所だけを読む。



【ゴブリン】

 悪意ある低級な魔物。人間型の生き物のほとんど全てと対立している。

 この世界における言語を持つ知性体の中では、最下級の存在。

 個体としての戦闘力は非常に低く、寿命も短いが、「一匹見かけたら近くに百匹はいる」といわれるほどに繁殖力が高い。

 大した知能はないが、人間の嫌がる行為を本能的に熟知しており、すぐウンコとか投げてくるので注意。



 なるほど。

 ウンコ、を。

 同時に、俺の視界を茶色いものがかすめて、凍りつく。


「……なっ」

『キキキキキィー! ニンゲン、ニンゲン!』


 耳に装着している《バベルフィッシュ・システム》(俺が元いた世界で言うところの、小型ヘッドセットみたいなやつ)越しに、翻訳されたゴブリンたちの言葉が聞こえてきた。


『ミナレナイ、ニンゲン! クソクラエ!』

――どうやら、やっぱり悪意全開だったらしい。


 こうなっちまったら、やむを得ん。

 俺は、腰に吊った銃、――《スタン・ガン》を抜き、

 ドウ! ドウ! ドウ! ドウ!

 と、ゴブリンの数だけ引き金を引いた。


『ぎぃいいいいいいい……』


 甲高い悲鳴を上げて、ばたばたと倒れていくゴブリンたち。

 殺した訳じゃない。

 気絶させただけだ。


「ごめんな」


 《スタン・ガン》とは、対象を傷つけず、意識だけを奪う非殺傷兵器である。見廻隊員全員に支給されている装備品で、狙った相手によって自動的に威力を調整してくれるスグレモノ。これ一丁で、そこら辺にいるゴブリンから、僻地に住まうドラゴンまで、等しく意識を奪うことができるのが特徴だ。

 ゴブリンを仕留めた俺は、遅ればせながら”SEP効果”を起動する。

 ”SEP効果”というのは、別名“他人ごとSomebady Else's Probrem効果”ともいい、要するに周囲の人間から自分の存在を気づかれにくくする装置だ。

 本当なら、異世界に入った時点ですぐ起動しておくべきだったが……。


――まあ、これくらいならまだ、ミスってことにはならないよな。たぶん。


 内心、少しだけ苦いものを噛み締めながら、俺は今回の任務内容が書かれた書類を確認する。



【任務内容】

 ”WORLD1777”において、許容レベルを超えた”魔族(P1726参照)”の発生を確認。”魔王(P1727参照)”の勢力が強まっていることが原因と思われる。

 これにより、”光の一族(P12参照)”の中に眠る”勇者(P1555参照)”の血が活性化。一部の冒険者(P100参照)の戦闘レベル(P101参照)の向上が見られ、”真の勇者(P1556参照)”の目覚め(P1878参照)を確認。

 対象となる”勇者”の固有名は、“マシロの街(P1654参照)”に住む”ブレイブマン一族(P1879参照)”の長女、ユーシャ・ブレイブマン。

 見廻隊員はこれを補佐し、”魔王”の殺害を見届けること。



 うん、うん。

 わりとオーソドックスなやつだな。

 ……しかし、”勇者役”の名前がユーシャとは。

 なんか、まんまだな。別にいいけど。

 俺は、持ってきたこの世界の地図を頼りに、ユーシャ・ブレイブマンの家があるというマシロの街を目指すのだった。



「ユーシャ」

「朝ですよ」

「起きなさい、ユーシャ」

「今日は、貴女が十六歳になる誕生日」

「王様に旅立ちの許しをいただく日でしょう?」

「この日のために、母さんはお前を男の子のように勇敢に育てたつもりです」

「まあ、しょーじき、じゃっかん子育て失敗しちゃったところもあるけど」

「そのへん、うまくやってくれることを祈りつつ」

「さあ、目を覚まし、王様の元に向かいなさい」

「うーん。むにゅむにゅむにゅ……あと八時間だけ……」


 数秒の、間。


「ざっけんな穀潰しが! 起きろっつってるでしょーがぁ!」


 母親の金切り声が、当たりに響き渡る。

 その豹変ぶりに、(母さん、今頃何してるかな……)とか、ちょっとしんみりしていた俺は、夢から覚めるような思いになった。


「いますぐ起きろ、このクソガキ! いますぐ朝飯喰って、いますぐ出て行け! いま、すぐに!」

「やぁーだぁー。少なくともあと一年はモラトリアムを謳歌したい……」

「ダメ! 一年前に約束したでしょ、『来年には本気だす』って」

「ええええええ。……そんな話したっけ?」

「した! したわ! なんなら、その時の血判状も持ってきましょうか?」

「いやはや。ママンの執念には参るでござる。堪忍堪忍」


 ユーシャ・ブレイブマンは、ブロンド髪をもしゃもしゃと掻きながら、


「では、拙僧はこれにて失礼」


 と、再び布団の中に潜り込もうとする。

 そんな彼女に、ユーシャの母親は諭すような口調で、


「あのね、ユーシャ。……”ブレイブマン一族”は、十三歳になったら魔物退治の冒険に出るって、家訓で決まってるの。……あなた、もう十六なのよ? お友達のナナミちゃんだって、魔法学校を卒業した後もずっと待ってるのよ?」

「ンモー。しょうがないにゃあ……」

「うふ、うふふふふふふ。『しょうがない』は、こっちの台詞なの。わかる?」


 母親は、明らかに殺意のこもった笑みを浮かべて、寝起きの娘を睨んでいた。


――こ、こいつをサポートせにゃならんのか……。


 俺はというと、寝ぼけ眼の少女を目の前にして、心の底から苦い表情を作っている。

 ユーシャは……うまく言えないが、堕落した愛玩猫のような娘だった。

 小柄な体に、細い腕。締りのない顔つき。……容姿はそこそこ整っているが、“勇者”としてあまりプラスに働く要素ではない。


――まあ、それはいい。


 初期の戦闘力などというものは、案外あてにならないものだ。

 戦いの作法などというものは、旅を続けていくうちになんとなく身についてくるものである。

 だが。

 ”勇者”というものは、もう少し勇ましくあるべき、というか。

 もう少し、世界を救うための使命感に燃えているものじゃないのか。

 これではまるで、卒業後、いつまで経っても就職しないダメな大学生のようではないか。


「そんじゃ、いちおー着替えるから出て行ってよ」


 一瞬、自分に声をかけられたみたいで、ドキリとする。……が、今のはあくまで、彼女の母親に向けた言葉だった。

 服を脱ぎ始めるユーシャに慌てて背を向けて、俺はひとまず部屋を後にする。

 姿が見えないからといって、着替えを覗くのはマナー違反だ。

 “見廻隊”の規約にも反するしな。



 マシロの街の中心に位置する、とあるお城の一室にて。


「えーっ、おほん」


 立派な髭を蓄えた、ステレオタイプな王様を前に、ユーシャ(と俺)は、ありがたい話を聞く羽目になっていた。


「ブレイブマン一族の子、ユーシャよ! これよりおぬしは、長い冒険の旅に出ることじゃろう」

「はあ」

「ではまず、旅に出るために必要なことから……」

「『冒険者ギルドで仲間を集めること』、でしょう?」

「うむ。次に……」

「レベルあげて、いろんな人とコネ作って、……がんばって“”光の剣”を手に入れて“魔王”をぶっ殺せ、と。そういうことでしょう?」

「えっ。……うん、まー、そうだけど……」

「物心つく頃から何度も何度も何度も何度も聞かされて、もう覚えちゃいましたよ」

「わかっとるならいいが」


 そこで王様は、深い溜息を吐いた。


「……ユーシャ。わしは、おぬしが五つの頃から知っとるが、その時からなーんも変わらんのう」

「はあ」

「何事も面倒くさがりで、いつもぼんやりしとる」

「お年寄りの小言なれば、そろそろこの場を後にしたく存じますが……」


 老人は彼女の言葉を無視して、


「……ただ、まあ、そんなおぬしでも、あのブレイブマンの血を引いた娘じゃ。何か取り柄があると信じて、この宝箱の中身と”勇者証明証”を託す。……なくすなよ?」

「おっけー」


 気軽に言いながら、少女は宝箱の中身をがさごそする。

 そして小声で、


「うわーっ。銀貨十枚とフツーのこんぼうって。覚悟してたけど、しょっぱいなぁー」

「ん? なんかいったか?」

「いえ。子供のお小遣いレベルだな、とか、そーいうことは言っていません」

「……少しくらい本音を隠しなさい」

「前向きに検討します」

「それ、遠回しに断る時の常套句だよな?」

「気にしない気にしない」


 そしてユーシャは、王様の手から”勇者証明証”を受け取ろうとする。

 その時、


「悪用するなよ?」


 王様の視線が、きらりと品定めするように光った。


「……しませんよ」


 ユーシャが、心外そうに言う。


「この”勇者証明証”があれば、町人の持ち物を徴収することができる。タンスの中身を漁っても、文句一つ言えんようになる。これを使うかどうかは、おぬしの自由だ。が、もちろん……わかっとるな?」

「無茶な徴収はいけませんよってことでしょう? そんなの、常識の範囲でわかります。私だって街のみんなを敵に回したくありませんから」

「なら、いい」


 王様は、あんまり期待のこもっていない口調で、


「そんじゃ、せいぜいがんばりなさい」


 服にくっついた羽虫のように、ユーシャを追い払うのだった。



 王様から”勇者証明証”を受け取り、無事旅立ちの準備を済ませたユーシャ。

 彼女は、さっそく冒険の旅に、……


――出なかった。

「今日はいっぱいがんばったな。もう帰って寝よう」


 そう言いながら、帰路につく。


――こいつの”がんばった”っていう基準、いくらなんでも低いところにありすぎだろ……。


 内心そうツッコミながらも、俺はそれを見守ることしかできない。

 ……ただ、まあ。

 実を言うと、この程度の贅沢は許されてしかるべきだった。

 場合によっては、二度と母親に会えないことだってあるだろうし。

 仏心を発揮して、今夜くらいはユーシャの動向を見守るだけにしておく。


――そんなときに便利なのは……。


 俺は、ポケットから”異界見廻隊員”の装備品、《時空管理リモコン》を取り出す。

 隊員からは単純に《リモコン》と呼ばれているそのアイテム。これを使えば、ビデオの早送り機能のように自分のいる世界のスピードを調節することできるのだ。


「ってわけで早送りオン」


 すると、俺を除いた周囲の状況が、チャカチャカとスピーディに動き始める。

 ぎゅーんと目に見える速度で太陽が沈んでいき、……その代わりに、二つの月が顔を出した。


――この世界の衛星は二つなんだなぁ。


 と、頭の上をものすごい勢いで通り過ぎていく月を眺めつつ、


「はい、ストップ」


 あっという間に、次の日の朝を迎える。


「ふっ、ふふふふふ……」


 我ながら、口元に気色の悪い笑みが浮かんだ。

 時間を操作するのは、何気に初めての経験だったのである。


――なんつーか。ちょっとした神様気分ってヤツだな。


 とか思いながら。


「そんじゃ、いってきまーす」


 ユーシャが家から出てきたのは、その次の瞬間だった。


――お。今日は自主的に出てきたか。


 トントン拍子に仕事が進むことを嬉しく思いながら、俺は彼女の後に続く。



「ううううううううむ……」


 ユーシャは、すでに三時間ほど武器屋の店先で頭を悩ませていた。


「……ねえ、ユーシャちゃん。そろそろ決めちゃわない?」


 彼女の隣にいるのは、ユーシャの幼なじみで、ナナミという。

 栗色の髪を大胆に結んだ三つ編みが特徴的な女の子だ。

 どうやら彼女、ユーシャの旅に同行してくれる上、すでに”奇跡使い”の基礎を修めているらしい。


「”奇跡使い”、……ね」


 念のため『WORLD1777の手引』の文面で補足しておくと、



【奇跡使い】

 この世界においては”奇跡”とも称される、回復系の魔法を扱うジョブ。

 ”WORLD1777”において、回復役ヒーラーと言えば普通、この”奇跡使い”を指す。



 ……と、こんな感じ。


――わざわざ勧誘しなくても回復役がいるのは悪くないな。


 あとは、攻撃系の魔法や特技を持つ奴が一人いれば、冒険に出られる目算だ。


「ふーむむむむむむむ。……ぐぅ……」

「ユーシャちゃん?」


 立ったまま器用に眠りにつく幼なじみを揺さぶるナナミ。


「……ふぁっ。なに?」

「王様から貰った棍棒を下取りに出して、冒険に必要な武器を買うんでしょう?」

「ああ……ソーダッタソーダッタ」


 ユーシャは、目の前の剣を高く掲げて、


「うーん、どーにもピンと来ないなぁ。どれもすぐ刃こぼれしそう」

「失礼なこと言うねぇ、ユーシャちゃんは……」


 顔見知りらしい武器屋のおじさんは、困ったように眉をハの字にする。


「これでも、うちの武器は評判いいんだぜ? 『百匹ゴブリンを狩っても刃こぼれしない!』なんつって」

「うーん、……もっとこう、軽く振るだけでシュゴオオオオオって火が吹くようなのはないんですか?」

「魔法剣のことかい? この辺じゃ、そういうのは手に入らないなぁ」


――そりゃそうだ。そーいうのは、冒険がもっと進んでから手に入るモンだろ。


 一応、”異界見廻隊”には「”勇者役”に与えるアイテムは、なるべく必要最小限度のものを」という規定がある。あまりにも露骨に”勇者”を助けてしまうと、俺達の存在が異世界の連中に知れ渡ることにもなりかねないためだ。

 そうなると、「どーせ神様がなんとかしてくれる」的な怠惰な思想が蔓延し、結果的にその世界全体に悪影響を与えてしまう。それは良くない。


「うーん。じゃ、いいや。今日は帰ろうっと」

「えっ? でもまだ、何もしてないのに……」

「いいのいいの。いちおー、棍棒を売り払った訳だし。十分頑張ったよ」


――やっぱりこいつの”頑張った”っていう基準、あまりにも低すぎじゃ……。


「今日の冒険はここまで! 帰って寝よう」

「村から出てないから冒険じゃないし、しかもまだ昼過ぎだよ、ユーシャちゃん……」

「明日から本気だす!」



 そして、次の日。

 防具屋に顔を出したユーシャは、鋼鉄製の盾を眺めながら、


「ううううううううううむむむ……」

「まだ悩んでるの? ユーシャちゃん。そろそろ買い物を済ませて、”冒険者ギルド”に……」

「むむむぅ……ぐぅ」


 ナナミにぐらぐらと揺さぶられ、


「……うーん。ねえ、防具屋のおじさん? なんか、道具として使うだけで敵をみんなやっつけちゃうような盾は……」

「そういうのは、この辺にはないねえ……」

「ふーん、そんじゃ、もういいや。今日は帰って寝よう」



 次の日。

 道具屋に顔を出したユーシャは、


「うううううむ、」

「……まだ悩むのね、ユーシャちゃん」

「グー」


 ナナミに揺さぶられ、


「ねえ、道具屋のおじさん、使うだけで魔物を瞬殺できる系の……」


 以下略。



 次の日。

 もう一度武器屋に顔を出したユーシャは、

 以下略。



 次の日。


「よぉし! ナナミちゃん!」

「なあに、ユーシャちゃん?」

「今日は二人で、クッキーを焼こう!」


 そこらへんで、俺は絶望的な事実に気づきつつあった。


――こいつ、まさか……。


 そもそも旅に出る気、ないんじゃ。



 ”異界見廻隊 ~剣と魔法の世界班~”、デスクにて。


「……やべえ」


 俺は頭を抱えていた。


「どうした? ホシ先輩」


 声をかけてきたのは、隣席のモモ。


「なあ、“勇者”が最初の村から旅立たないケースって、聞いたことあるか?」

「はあ?」


 跳ねっ返りの後輩が、不思議そうに首を傾げる。


「”勇者”が? ……なんかそこらへんの、かんちがいした村人とかじゃなくて?」

「ああ」

「どーだろ。あたしは知らないなぁ。”勇者”って、きほんやる気マンマンの奴が多いだろ? そーいうやつの中から自動的に選ばれるモンじゃねーのか?」

「だよなぁ……」

「なんだ、ひょっとしてうまくいってない、とか?」


 モモは、少しだけ心配そうに言う。

 ちょっと前までは俺の昇進を僻むようなことを言ってきた癖に、思ったより可愛いところあるな、こいつ。

 と、そこで、


「”勇者”が幼すぎる場合、数年ほど様子を見た方がいいってパターンは聞いたことがあるぜ」


 スラっち先輩が、俺たちの間に割り込むように現れた。


「話が聞こえたんでな。……苦戦してるのか?」

「いえ、苦戦ってほどでは……」


 先輩の期待に背くのが嫌で、俺はちょっとだけ嘘をつく。

 見廻隊員は、先輩の推薦なくしては昇進することはできない。

 この人の期待に応えたい、……というのは、今の俺の率直な気持ちだった。


「何か、焦らないと不味い事態なのか?」

「……それが、『WORLD1777の手引』によると、この世界って、に、レベルの概念が存在するみたいなんです」

「全て? ……そうか、なるほど」


 そこでモモが、


「……ん? どういう意味だ?」


 首を傾げる。


「モモは“レベル”という概念について、どこまで知ってる?」

「異世界の人間の喧嘩の強さを数値化したもののことだろ。……戦えば戦うほどレベルが上がって強くなるっていう。”剣と魔法の世界”じゃ、ありがちなルールだな」

「正解。んでその、レベルってものはな、基本的に、人間や、それに近い種族のために存在するモンなのさ。”魔物”や”魔族”とされる生き物にはレベルの概念がなく、生まれつき強い状態で生まれてくる、っていうのが普通でな」

「……つまり?」

「いまホシは、『”WORLD1777”に存在する全ての生物にレベルがある』といったろ。つまりこの世界は、”魔王”ですらレベルを上げることができるって訳だ」

「なるほど」

「この場合、”勇者役”がレベル上げをサボりすぎると、”魔王”との間にレベル差が開きすぎて、手が付けられなくなる危険がある」


――そして、“勇者”が敗北し、“魔王”によって世界が征服されてしまうと、どうなるか。


 問題は、人族の消滅にとどまらない。

 基本的に”剣と魔法の世界”は、”光の一族”と”闇の一族”、――要するに、人族と魔族の魂がちょうどいいバランスにあって初めて成り立つものらしい。

 そのバランスが崩れてしまうと、世界そのものが終焉を迎えてしまうのである。

 もちろん、そうした事態を防げなかった見廻隊員は減給、降格。

 もっと悪くすれば、記憶を抹消された上、どこかの世界に放り出される羽目にもなりかねない。


「さすがにそれは、……ちょっと気の毒だな」


 何かにつけ突っかかってくるモモですら、同情の目を向けてきやがる。


――ああ、くそ。


 俺は頭を、ぐしゃぐしゃと掻きむしる。

 こうなったらもう、悠長に待ってなどいられない。

 ユーシャを無理にでも旅立たせるために、行動に出るのだ。



 これと決めたら、すぐ行動に出るのが俺の長所である。

 さっそく俺は、“WORLD1777”における、ユーシャの寝床へとお邪魔していた。

 ……ああ、わかっている。

 絵面的には、完全に夜這いのそれだ。

 たぶん、どういう世界の法律にも抵触するタイプのアレである。

 ユーシャはいま、俺の目の前で、世にも間抜けな寝顔を晒して眠りに就いていた。


「……………それにしても……」


 単独で異世界に潜るようになって、ようやくわかったのだが。

 この行為……めちゃくちゃ背徳的だな。

 夜中。

 自分が眠ってる間。

 枕元に見知らぬ男が突っ立ってるところを想像してみてほしい。

 怖いよな。うん。俺もそう思う。

 これが、妖精族とか天使族とかだと途端にメルヘンな感じで誤魔化されるから不思議だ。

 やってることは基本的に一緒なハズなんだが。

 一応、俺たち見廻隊員は、この手の仕事に私情を持ち込まないよう、精神矯正が施されている。だから、まかり間違ってもある種の欲求に支配されるようなことはないのだが……。


――って、何をいまさら、悶々と自分に言い訳をしている。


 やるべきことは明白じゃないか。

 この娘がのんびりしている間にも、多くの人間の命が危険に晒されている。

 そのことを思えば、うら若き乙女の寝床に侵入する暴挙も許されようものだ。

 バシッと自分の両頬を引っ叩き、気合を入れる。

 その後、“異界見廻隊”の装備品の一つ、《マインドコントローラー》を取り出した。


――ええと、これを額に貼っつけるんだっけか……。


 こいつは、薄っぺらいシール型の機械で、貼り付けた相手の頭の中にこっちの思考を割りこませることができるアイテムである。

 今回は、これを利用することでユーシャの夢の世界にお邪魔するつもりであった。


「……ごほん」


 咳払いを一つ。

 そして、


――あー、あー、どうも。聞こえますかー?

(……………ぐー、ぐー、むにゃ……)


 信じられねえ、こいつ。

 夢の中でまで寝てやがる。


――起きて下さい。……起きなさい!

(うーん……むにゃり)

――起きなさい! 起きろ! ほっぺた引っ張るぞ!

(……はあ?)

――起きましたか?

(……いえ。寝てますけど)


 確かに、それは間違ってないんだが。


(なんですか? 人がいい気分で熟睡しているというのに)

――ええと、……そうだ。今日は貴女に、お告げがあるのです。

(ああ、そうですか。じゃ、さっさと話してくれません? 早く寝たいので)


 寝ていることには変わりないだろ! ……と。

 いかん。

 こいつのペースに巻き込まれるな。


――貴女はいま、”勇者”であるにも関わらず、毎日をのんべんだらりと過ごしていますね?

(いやー、耳が痛いっす)

――それはいけません。貴女は”魔王”を倒すべく運命づけられた”真の勇者”なのだから。


 これは、この世界の人間にとって、そこそこ重要な意味を持つはずだった。

 ”WORLD1777”には、ユーシャの他にも、数多くの”勇者”候補が存在している。

 その中でも、”光の剣”を手に入れることができるのは、”真の勇者”とされるものだけ。その”真の勇者”こそが、……いま、俺の目の前にいる少女なのである。


(へー。ふーん)

――なに? ちょっと反応薄くない?

(そう言われましてもねえ。これ、単なる夢でしょ? 私の中に眠る自己顕示欲かなんかが見させた妄想とか、そーいう感じのアレに決まってます)

――夢ではありません。私は……なんていうか、神様的なサムシングに使わされた存在なのです。


 ちなみにこれは、嘘ではない。

 ”異界見廻隊”は、それ自体が一つの世界として成り立つくらいに巨大な組織であるが、その頂点に君臨するお方こそが、ありとあらゆる世界を創りたもうた”造物主”サマである……、というのは有名な話だ。


(アッ、ソーナンダースゴイナー)


 ……うわこいつ、ぜんぜん信用していやがらねえ。

 内心、焦りを感じながらも、


――信じなさい。……貴女は明日、旅立つのです。……信じなさい。

(まあ、気が向いたらね)


 あー、駄目だこいつ。

 あんま仲良くない奴に飲み会誘われた感じになってやがる。


(だってさー。そう言われてもさー。その話を真に受けちゃったら私、夢と現実の区別もつかない、痛い子になっちゃうじゃないですかー)

――ぐぬぬ。


 くそ、こうなったら作戦変更だ。

 俺は《マインドコントローラー》を引っぺがし、ユーシャの部屋を飛び出す。


――大丈夫。まだ手はある。


 そう自分に言い聞かせながら。



 んで、次の日。

 俺は、ユーシャがよく通る道の脇に陣取って、いかにも「占い師ですよ!」って格好をしながら座っていた。

 ユーシャに声をかけるのが目的のため、もちろん“SEP効果”はオフだ。

 彼女の一日は自由なようでいて、ある程度の決まりがある。

 朝は母親の小言で始まり、「◯◯したら本気だす」というお決まりの言い訳の後、外出。

 その後は幼なじみのナナミの家に向かい、「冒険の準備」と称して商店めぐり。

 最終的に、クッキーの生地を混ぜるのに使う木べらとか買って帰宅。

 そんな毎日。

 要するに、ナナミの家の近くで待ち伏せていれば、必ずアイツが通り掛かるという寸法だ。

 そうこうしている内に……ほうら。

 ユーシャが、いつもの間抜け面を引っさげて現れる。


「ふんふんふーん。ふんふーん♪」


 俺は、なるべく威厳のある占い師っぽい声色を出しながら、


「ちょいと、そこのお嬢さん」

「はい?」

「君はいま、何かやらなければならないことを先送りにして、悩んでいるね?」

「いいえ、別に」


 頼む。悩んでてくれ。


「……とにかく、君を占ってしんぜよう」

「あっ、そーいうの間に合ってます。お金もないことですし」

「タダでいい」

「……ん? なんで?」

「なんででも、だ」

「あなた、占い師なんでしょう?」

「いかにも」

「だったら、なぜお金を取ろうとしないんです?」

「……ええと。そりゃまあ、無料キャンペーン期間だから、とかだけど」

「バカいっちゃいけません。プロを名乗るからには、無料で仕事を受けるなどと冗談でも言ってはいけませんよ。お金のやりとりをするということは、その仕事に責任を負うということです。あなたが無料で仕事をするというのなら、その結果に責任を負わない……と、そう言っているのと同義ではありませんか?」


 うわ。

 なんか、ものすごく正々堂々と説教された。


「わ、わかった。悪かった。無料といったのは間違いだ。ええと……ううん。じゃ、銅貨5枚で」

「さっき無料でやってくれるって言ったのに、今更お金取られるっていうのもなぁ」


 どっちなんだよ! くそ!


「それに私、占いとか信じてない派閥の人なので……」

「ちょっと待て! 話を聞かないと、地獄に堕ちるぞ」

「あ、そういうスピリチュアルな話題もちょっと……」


 こ、こいつ……。


「君だって本当は、旅に出たいと思っているはずだろ? 冒険! ダンジョン! 財宝! 剣と魔法! そして信頼し合える仲間との出会い!」

「そう言われてもなぁ」


 ユーシャは、やれやれと肩をすくめつつ、


「本を読めば冒険心は満たされますし、実家には十分暮らしていける財産があります。剣も魔法も、あんまり興味ありません。信頼し合える仲間は、ナナミちゃんがいます」


 お、ごごごごご。

 まさしく暖簾に腕押しというか。

 ユーシャは俺の言葉を完全に無視して、その場を立ち去ってしまうのだった。



 もちろん俺は、その程度ではへこたれない。


――こういうのは、当たって砕けろ、下手な鉄砲数打ちゃ当たるの精神だ。男は度胸、なんでもやってみるもんだぜ。


 という、スラっち先輩の教えを守りつつ。

 俺は、次なる計画を実行に移すのだった。


――ユーシャの幼なじみ、ナナミ。


 これまでの話の流れで、二人の間には強い信頼関係が築かれていることがわかっている。ユーシャも、ナナミの言葉にはある程度従っているように見えた。

 で、あれば。


――動かすなら、ユーシャではなく、ナナミか。


 俺は時間を夜まで“早送り”して、ナナミの家に真正面から侵入していく。

 そして、彼女の枕元に立ち、額に《マインドコントローラー》を貼って……。


「……ごほん」


 咳払いを一つ。



 次の日の朝。

 そこには、ものすごい勢いでユーシャ宅の扉をノックするナナミの姿が。


「ユーシャちゃんユーシャちゃんユーシャちゃん!」

「どったん?」


 寝ぼけ眼で、朝食のパンをくわえながら応対するユーシャ。


「あたしね、昨晩ね、ご神託があったの!」

「ご神託? 何か特定の宗教に傾倒している訳でもないのに?」

「そうだけど! そうだけど! なんかとにかく、あったものはあったの!」


 どうやら、今回の作戦はうまくいったらしい。

 ナナミに対する”お告げ”は、驚くほどにスムーズにいった。

 むしろ、彼女が“勇者役”であってほしかったと思えるほどに。


「……で? そのご神託とやらは、なんて?」

「ユーシャちゃんこそが、”真の勇者”なんだって!」

「はぁー。そりゃたまげたなあ」


 ユーシャはあからさまに胡散臭そうな表情だ。


「あたしね、ずっと信じてたんだ! ユーシャちゃんがいずれ、ものすごくおっきなことをやってのけるって! ……ほら、約束したじゃない! 一緒に”魔王”をやっつけよう、って!」

「……ぐむ。そんなの、十歳の頃の約束じゃない」

「ほら」


 ナナミは満面の笑みを浮かべて、


だって、覚えてくれてるでしょ」


 ユーシャは、照れくさそうに視線を逸らす。


「まあ……ナナミがそこまで言うなら、ちょっとくらい出掛けても、」


 いいけど、……と、続くはずの言葉に割り込むように、


「それにね、うふ、うふふふふ」


 ナナミが、不気味な笑い声を上げた。


「私たち、もう引き返せないんだよねー……」


 そんな彼女の手には、”勇者証明書”が。


「あ、あれ? それ、私の……」


 ユーシャが驚くのも無理はない。

 その”証明証”は、昨晩、俺が彼女の部屋から移動させておいたものだからだ。

 一応俺、失敗から学ぶタチでね。

 ユーシャの時みたく「夢と現実の区別が」云々言われた時のため、物的証拠になる何かが必要だと思ったわけだ。


「神様が、この”証明書”を使えって言ってくれたの。……だから」

「だ、だから……?(ごくり)」

「街中のタンスと壺を漁って、その中身をぜーんぶ、冒険資金に換えてきたわ!」


 ……まあ。

 まさか俺も、ここまでやるとは思わなかったけど。


「え、ええええええええええええええええええええええええええええええええッ!」


 さすがに目を丸くするユーシャ。

 俺の“お告げ”を聞き終えるやいなや、ナナミはものすごい勢いであちこちの民家に突撃。住民を叩き起こし、“勇者証明書”を盾にして、片っ端から魔王討伐のための徴収をして回ったのである。


「たぶん、そろそろみんなが大挙して文句を言いにくるころだから。できるだけ早く“冒険者ギルド”に行ったほうが、身のためだと思うな」


 ユーシャは、突発的な頭痛に見舞われたのか、しばらく頭を抱えた後、


「……うん。そーだね」


 絞りだすように言う。


「すぐ、準備してくる……」


 そういう彼女の眼は、完全に死者のものだった。



 街外れにひっそりと佇む、薄汚れた木造の建物。

 荒くれ者たちが集う、”冒険者ギルド”だ。

 その扉がいま、ばたーん、と開かれる。


「ついにやってきたね、ユーシャちゃん!」


 ナナミが、傍らの幼なじみに声をかけた。


「はぁあああああああ~。つ、遂にここまで来てしまった」


 ユーシャは渋面を浮かべながら、


「最低でも、ひと月はかけるつもりだったのに……」


 と、聞き捨てならない台詞を言う。


――やれやれ。


 俺は、覚悟を固めていた。

 どんな覚悟かって?

 決まってる。

 命を賭ける覚悟さ。

 ……なんていうと、ちょっと大げさだけども。

 俺は今、この”WORLD1777”におけるごくごく一般的な”魔法使い”の扮装をしていた。衣装は、会社の倉庫から引っ張り出してきたものである。


「やあやあ、……そこのお嬢さん」


 俺はなるべく経験豊かな”魔法使い”っぽいオーラを発しながら、声をかけた。


「はあい?」


 きょとんとする、若い娘の二人組。


「君たち、ひょっとして冒険のお供を探しているのでは?」


 苦い表情のユーシャの代わりに、やる気満々のナナミが応える。


「はい! 駆け出しですけど!」


 俺は、”奇跡使い”専用のロザリオを(わざとらしく)見て、


「見たところ、戦闘職が足りていないようだが。……なんなら、俺が手を貸そうか?」


 そう。

 これが、見廻隊員の最終奥義。


――隊員自ら、”勇者”パーティに加わる……の術。


 一応、俺たち見廻隊員は、担当する異世界の魔法やスキルなどを任意に習得してもいい権利がある。

 もちろん、いきなり最強呪文をぶっぱしてユーシャの活躍の機会を奪う……みたいな真似はしない。それでも、彼女のそばにいればいろいろとサポートできることは多いはずだ。この“勇者役”の場合は特に、な。


「それじゃ、”冒険者カード”を見せてもらえますか?」

「”ぼうけん”……ああ」


 俺は、”手引”の内容を思い出し、



【冒険者カード】

 ”冒険者ギルド”と呼ばれる組織が発行している、その冒険者のジョブとレベルについて書かれたカード。登録された冒険者の戦闘レベルを自動的に検出する魔法がかけられており、これを見るだけでその者の実力がおおよそわかるようになっている。



 ポケットから偽装済の”冒険者カード”を取り出した。


「ほら」

「フームフム……」


 カードに記載されたレベルは8。

 強すぎも弱すぎもせず、彼女たちよりも格上の存在、という訳だ。

 ユーシャはしばらくそれを見た後、


「申し訳ありませんが、今回は採用を見送らせていただきたく。今後のご活躍を心よりお祈りしています」


 と、企業面接に失敗した時のような台詞を。

 なんでだろう。その台詞、胸がちくちくする。


「ちょっとなぁー……レベル8はなぁ……クソザコにも程がありますよねぇ」


 こ、こいつ。

 お前なんて、レベル1のくせに。


「いやいや! そんなことはないはずだ。むしろ、破格の申し出じゃないか? 俺、最初からいくつか魔法覚えてるぞ? 《火系魔法》はもちろん、《水系魔法》とか、あと敵グループをいっぺんに攻撃する魔法とかも」


 これには、ナナミも賛同してくれた。


「そうだよ、ユーシャちゃん。ただでさえ出遅れてるのに、あたしたちに味方してくれる人なんて、今後現れるかどうか……」

「ダメだなぁ、ナナミちゃん。これからずっと、冒険を共にする仲間だよ? 数々の難敵と戦い、寝食をともにする相手だよ? 慎重に決めなきゃ」


 うぐぐ。

 こればっかりは真っ当な意見なので、こちら側からは口出しできねえ。


「……じゃあ、気が変わったらまた……」


 そう言いかけた時だった。


「おィィィ! ッダァオメー?」


 ”冒険者ギルド”の奥で、騒がしい声が聴こえてくる。


「……なんだ?」

「酒場の方からみたい」


 荒くれ者が集う”ギルド”は、彼ら専用の憩いの場、――酒場も兼ねていた。

 故に、酔っぱらいの喧嘩は日常茶飯事らしい。


「ッてんじゃネーゾ? ッアアアーッ?」


 騒ぎの元へと駆けつけると、少し不自由な感じの言葉を叫んでいる長髪の冒険者が一人。

 その相手は、……ほほう。

 銀髪が目にまばゆい、”ダークエルフ”の娘だった。



【ダークエルフ】

 大陸南部の鬱蒼たる森林地帯に住まうエルフ族の一種。

 褐色の肌と長い耳を持ち、筋力、魔力共にバランスの取れた戦闘力を持つ。

 純血と秩序を重んずるエルフに対し、混血と混沌を重んずることが特徴。

 また、”混血”を重んずるという性質から、ストライクゾーンがやたら広いことでも有名。気に入った相手となら、種族を問わず誰とでも子をなすという。



 なるほど……種族を問わず……。

 はっ。

 俺は今、仕事中に何を。


「結果オメー明日の朝刊載るぞオオーン!?」


 男の怒鳴り声で我に返る。


「愚図とは組めないと言っている。それとも、猿には言葉も通じないのか?」


 対する”ダークエルフ”の娘は、これっぽっちも物怖じしている様子はない。


「ッザッケンナテメー! レベル見ろよホラ! こっちの方が上だろーが!」


 彼女の目の前に突き付けられた”冒険者カード”。


「……ふん」


 鼻で笑いながら、そのカードを……”ダークエルフ”の娘は、ビリビリに引き裂いてしまった。


「アアアアアアアアーッ! お、俺のぉー?」

「本物の”冒険者カード”は、こんな簡単に破れたりしない。……お前、偽装しただろう?」


 しん、と、酒場が静まり返る。

 長髪の冒険者の顔が、みるみる赤くなっていく。

 そして男は、――剣を抜いた。


「ヤローブッコロッシャァアアアアアアアアアアアアアッ!」


 俺はそれを、他人事のように見ている。

 もちろん、ここでかっこ良く間に入ることもできただろう。

 だが、俺たち見廻隊員は、不必要に異世界の出来事に干渉してはならないことになっているのだ。


「……きゃっ!」


 悲鳴を上げ、目を覆ったのは、ナナミ。

 ”ダークエルフ”の娘は、長髪の冒険者の剣を紙一重で躱しながら、


「……先に手を出したのはお前だぞ」


 と、笑みを浮かべながら言う。

 そして。

 ざく、と。

 ナイフが肉を裂く、嫌な音が店内に響いた。


「死んで生まれ変われ。愚図」

「…………う、ご、……」


 長髪の冒険者は、あっさりとその場に崩れ落ちる。

 俺はその様を、ぼんやりと眺めていた。


――殺しやがった。


 実力的には、殺さずに場を納めることだってできただろうに。

 凍りついた空気の酒場の床に、鮮血が広がっていく。


「……ちっ。盛り下がってしまった」


 ”ダークエルフ”の娘は、つまらなそうに席へと戻って、


「勘定だ。これを呑んだらすぐ出て行く」


 酒場の店主に、そう呟く。


「……や、やっぱり、冒険者って怖い人がいるんだねぇー」


 今までの舞い上がっていた気持ちはどこへやら。しょんぼりとうつむくナナミ。


「あたし、ちょっと怖くなってきちゃったかも」


 おいおい。

 もうこうなったら、頼りは君だけなんだから。

 頼むぜ。

 だが、ユーシャの方は、ナナミと真逆の感想だったらしい。


「決めた。あの人にしよう」

「――え?」

「あの人がいたら、絶対楽できるよ」


 それは、ナナミですら耳を疑う決断であった。


「う、嘘でしょ……?」


 応えず、ユーシャはずんずんと、静まり返った酒場へと進んでいく。

 途中、長髪の冒険者の死体と血だまりを、ぴょんと飛び越え、


「へいへーい! そこのひと!」

「……なにさ?」

「いまから冒険に出るので、仲間になってください」


 ”ダークエルフ”の娘は、少し呆れ顔で、


「……お前、度胸あるやつだな」

「いえ、別に。ただ、楽して冒険したいだけです」

「しかも、正直と来ている」


 そして、薄く笑った。


「面白い。だが条件がある」

「なんでしょう?」

「そこでうすぼんやり突っ立ってる、”奇跡使い”と”魔法使い”、いるだろ?」

「はあ」

「”奇跡使い”はいい。ただ、あの”魔法使い”は仲間にしないこと。それが条件だ」


――……なんだと?


 この場合の”魔法使い”が、俺のことを指すことは明らかだった。


「あ、ご心配なく。あの“魔法使い”さんは、たまたま話しかけられただけの他人ですから」

「ならいい」


 ”ダークエルフ”の娘は、俺に意味深な視線を向けて、


「嘘吐きと旅に出るのは危険だからね」


 俺は顔をしかめる。

何か、……心を見透かされた気がしたのだ。


「どういう意味です?」

「私の固有スキルギフトは、嘘吐きを見抜くのさ」

「ほほう。……そりゃ便利なことで」


 固有スキル?

 なんだそれ。

 俺は慌てて、”手引”を紐解く。



【固有スキル】

 ”WORLD1777”の住人に先天的に与えられる特殊能力。才能、天恵、タレント、ギフトなどとも呼称される。

 その種類は多様で、後天的な努力では身につかないものが多い。

 なお、固有スキルを知るには高度な魔術による試験が必須であるため、自分の固有スキルが何か知らずに一生を終えるケースも少なくない。

(例)

 ”経験値倍加”……通常人の倍のスピードで戦闘レベルが成長する。

 ”感情察知”……相手の抱いているストレスを、感覚的に理解する。

 ”幸運”……生死を分ける選択肢を迫られた場合、生存率の高い選択ができる。

 ”不老”……老化することがない。人間にこの固有スキルが宿ることは稀。



 はぁ。

 なるほどね。嘘を見抜く、か。

 よりによって厄介なヤツを仲間にしやがって……。


「これが私の”冒険者カード”だ。よろしくな」

「うわーい! レベル20! やったあ!」


 人の気も知らずに、ユーシャはぴょんぴょん飛び跳ねている。

 蹴りたい。

 思い切り蹴飛ばしてやりたい。あの背中を。


「見てみて! ナナミちゃん、すごく強い人が仲間になったよ! こりゃあひょっとして、人生勝ち組コースかぁ!?」

「う、うん……」


 ナナミも、笑みが引きつっている。


「ところでユーシャちゃん、その人の名前と、ジョブは?」

「カザハナさんって言って、ジョブは……うん。”盗賊”だって」

「へ、へえ。……盗賊かぁ……」


 そこで、決定的にナナミの表情に陰が差した。

 少し気になって、”手引”を開く。



【盗賊】

 年々増加していく冒険者たちによる犯罪を危惧した”冒険者ギルド”によって作られた、暫定的なジョブ。

 他人の所有物を盗んで生計を立てる人々の総称でもある。

 盗賊というと、短剣で戦う戦闘職のイメージがあるが、この世界における盗賊は、単純に犯罪者の代名詞であることに注意。

 悪事を働いた冒険者は、”冒険者ギルド”に定められたボランティア活動に参加するまで、ずっと”ジョブ:盗賊”という汚名を背負って生きていくことになる。



 な。

 ……これ。

 …………うそだろ。

 要するにあいつ、前科者を仲間に引き入れちまったってことか。

 呆れる俺をよそに、ユーシャ一行は元気よく”冒険者ギルド”を後にした。


「そんじゃ、はりきっていってみましょう! 最初の目的地は……どこだっけ?」

「シュロの村あたりがいいんじゃないか?」

「じゃあ、それで!」


 そんな彼女たちを見送りながら、俺は胃薬の注文を検討に入れる。

 どうやら、俺の受難はいま、始まったばかりのようだ。


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