第6話 異世界転移者

「……いてえっ、くそっ」


 意識を取り戻して、第一声。

 妙な体勢で寝かされていたせいで、ちょっと寝違えたらしい。

 窓ひとつない、格子部屋。

 たぶん地下。

 当然のように装備は奪われていて、着せられているのは麻布の粗末な服だけ。くそったれ、パンツまで脱がされてやがる。


――これってつまり、誰か知らないやつにちんこ見られたってことか。


 この屈辱たるや。


「くそっ。こんなこと初めてだ」

「だよなー」


 独り言に返事があった。

 顔を上げると、モモが俺のすぐ隣で膝を抱えている。


「なんだ。お前まで捕まったのか」


 後輩の見廻隊員は、気まずそうに視線を逸らした。


「……うん。あの仮面野郎に敗けちゃった」

「まさかお前、あの後、喧嘩ふっかけたのか? ディックマンに?」

「うん」

「――他の隊員に連絡は?」

「してない」


 俺は耳を疑った。


「してないって……お前、嘘だろ」

「ごめん」


 どうやら珍しく、しょげているようだった。


「どうした? 何があった?」

「……仇を討とうと思って。ちょっと、頭に血が上ってた」

「仇って……」

「あの時は、ホシが死んじゃったと思ったんだ」


 厳しく叱りつけてやろうと思った言葉を呑み込む。

 モモの悔しい気持ちが伝わってきたためだ。


――十分反省しているのに、これ以上責めても仕方ないか。


「……こういう時は、まず仲間に連絡してから行動しような。『報・連・相』だ」

「ほうれん草嫌い」

「違う。俺の故郷じゃ、そういうことわざ的なアレがあって……まあいい」


 どうあれ、ここでぼんやりしている理由にはなるまい。


「モモの力で、牢屋を破れないのか?」

「とっくに試した。びくともしない」

「そうか……」


 呟きながら、俺は四方を取り囲む牢の格子を注視する。


「無理もないな。これ、オリハルコンでできてやがる」

「おるはり……? って、マジ?」

「ああ」


 オルハリコンというのは、“神々の金”と呼ばれるほどに希少な金属である。

 “剣と魔法の世界”における“伝説の剣”とか“勇者の剣”とか呼ばれる武器の多くは、このオリハルコンによって作られることで有名だ。


「世界的にも稀少なはずの金属を、牢屋なんかに使うとは……」

「何者なんだ? あのディックマンとかいうの」


 俺の脳裏にはすでに、一つの答えが導き出されている。

 これだけのものを用意できる人間というと、その出自は限られていたためだ。


「たぶん、――というやつだろう」


「てんいしゃ? ……むむむ? あれがそうなのか?」


 どうやら、モモも名前くらいは聞いたことがあるらしい。

異世界転移者というのは、何らかの非合法な手段を使って、様々な世界を行き来するもののことを言う。


「いわば、俺たち見廻隊員の天敵ってやつだ」


 転移者は、様々な異世界、様々な時空を股にかける犯罪者なのだ。


「その通り!」


 瞬間、マスクでくぐもった声が、高らかに宣言する。

 牢の外をみると、仮面の男。


――“顔無しディック”。


「ようこそ、天使さま。――跪いてお祈りでも捧げたほうがいいかな?」

「俺たちは天使じゃない。単なるサラリーマンだ」


 ぐあはっはっは、と、快活だが、老齢にも聴こえる笑い声を上げるディックマン。

 《バベルフィッシュ・システム》を取り上げられたのに言葉が通じてるってことは、今はディックマンの方が《バベルフィッシュ・システム》(あるいはそれに似た翻訳システム)を利用しているってことか。


「もし、君が金のためだけに仕事をするというなら。……どうかね。今から別の人生を与えることもできるぞ」

「バカを言うなよ。俺は俺の仕事に納得してる」


 そう言わしめたのは、これまでの見廻隊員としての生活、――そして誇りのためであった。


「ほほう?」


 ディックマンは牢に顔を近づけて、俺の顔をまじまじと見る。


「どうやら、前向きな人生を歩んできたようだね? 自分の仕事が世の中と噛み合っていることを疑っていない目だ。ふふふ。懐かしい」

「別に俺は、」

「しかし、……反吐が出るなあ!」

「なんだと?」


 思わず顔をしかめる。


「言っておくが、簡単には殺さんぞ。ゆっくりと堕ちるところまで堕ちてもらってから殺してやる。覚悟しろ」


 男は、特に俺の後ろにいる少女に聴こえるよう、はっきりとそう言ってのけた。


「この……へんたいうんちまみれやろーっ!」

「おお! 天使様の御口からそのような穢れたお言葉が! 興奮して今夜は眠れそうにないなァ!」


 ディックマンの言葉の端々には、消しきれぬ憎悪が満ちている。


「……どうしてそこまで俺たちを憎む?」

「君の知ったことではない」


 それだけ言って、ディックマンは俺たちに背を向けた。


「ちょ、待て!」


 呼び止めるが、男はつかつかとそこを去っていく。



 それから、数時間。

 俺とモモは、わりと絶望的な気分に浸りながら、牢屋の中で座り込んでいた。


「――くそっ!」


 毒づき、モモが格子の一部をぶん殴る。

 ごぅーん、と音が反響して、牢屋の内部が震えた。


「ちくしょう。自由になったら、ぜったいやっつけてやる」

「その元気を残しておくためにも、今は力を温存しとけ」


 俺は、モモの頭をぽすんと撫でてやる。少女はそれを、黙って受け入れた。

 普段ならセクハラ呼ばわりされてもおかしくない行為だが、今は雰囲気的に、そういうことが許される気がしたのだ。


「うう……」


 モモの表情が、一瞬泣きそうになる。

 自分のミスでこうなったことが許せないのだろう。


「すまん……ホシ」

「いいって」


 運が良ければ、隊員の誰かが気づいてくれる。

 特に、上司のルシフェルさんは抜き打ちで隊員の素行を監視していると聞いた。だから、あるいはもう気づいているかもしれない。……さすがに期待薄だが。


「どうにか、ここを抜けられればいいんだが……」


 と、その時だった。

 牢の奥、――ディックマンが消えていった方から、


「るーらららー。~~~~~~~~♪ ~~~~~♪ ~~~~~~♪」


 覚えのある声が聞こえてきたのは。


「まさか……」


 そのまさかだった。

 メイド服で変装したユーシャ・ブレイブマンが、こちらに歩いてきている。


「そうか! リンネを探して、ここまで入りこんだのか」

「るーるるるるー♪ るららー♪」

「おいっ……おい!」


 仏が垂らした蜘蛛の糸にすがりつく盗人の想いで、俺は叫んだ。


「るーらるるー♪ ふんふんー」


 対するユーシャは、俺たちの目の前まで通りがかってから、足を止め、


「~~~? ~~~~~~~~~? ~~~~~~~~~?」


――くそ。何言ってるか検討もつかん。


 《バベルフィッシュ・システム》が奪われた結果、言葉が通じなくなってしまっているのだ。


「俺だ! マシロの街の! ギルドで会った!」


 しばらく、少女は小憎らしく思えるほどの間抜け面を晒していたが、


「~~~? ~~~~~!」


 と、ぽんと手を打つ。


「~~~~モモ~~~~~~~~~!」


 言葉はわからないが、“モモ”というワードは聞きとれた。


「ええっと、……その。へるぷ! へるぷみー!」


 モモも必死に訴えるが、残念ながらこの世界の言語は英語ではない。

 ユーシャは、言葉がわかっているのかいないのか。


「~~~~~~! ~~~~、~~!」

『奇遇ですねえ! そんじゃ、また!』って感じで、手を振って去っていってしまった。

「………………」

「………………」


 俺とモモは、しばらく無言のまま立ちすくんだあと、


「……あいつ、なんか笑ってどっか行っちゃったけど。……通じたのかな」

「すくなくとも、ぴんちだってことは伝わったんでない?」

「仮にそうだとしても。……考えてみれば、あいつが俺たちを助ける理由なんてないよな?」

「まあ、そうだけど」


 俺は一度顔を合わせただけだし、モモに到っては、チクサの森のクエストを途中でフェードアウトしている。無責任なやつだと思われていてもおかしくない。

 それから、待つこと数十分。

 俺たちの頭に再び絶望が満ちてきた時。


「るーるるるるるるー♪ るららんらー♪」


 ユーシャが、かちゃかちゃと音を立てて、夕食を運んできた。


――嘘だろ、お前。


「は、腹が減ってたんじゃねえ!」


 そして、二人分のウマそうなスープとパンを牢の隙間から差し入れて、


「ハーイ♪ ~~~~~~!」


 なんか、一仕事終えた気分で満足していやがる。


 俺とモモは、心の底から苦々しい気分に浸りながら、


「違う、出してくれ! 外に!」


 必死の形相で頼み込む。

 すると少女は、からからと魅力的な笑みを浮かべた後、


「~~~~、~~~~」


 言葉がわからなくても、「ジョーク、ジョーク」といったことがわかるニュアンスで、懐から鍵と取り出した。

 がちゃりと牢の扉が開く。

 多分俺はその時、絶望と希望が入り混じった、複雑な表情をしていたと思う。



「~~~~~~~~~~、~~~~~~~~~っ、~~~~~~♪」


 くそ。

 やっぱり何言ってるかわからん。

 だが、ユーシャは少なくとも俺たちの味方をしてくれるらしい。それだけは確かだ。


――まさか、こいつを頼りにする羽目になるとはな。


「なあ、ホシ。……できれば、何か武器が欲しい。そうすりゃ、あたしが独りでなんとか装備を取り返してくる」

「そう願いたいところだが、ディックマンは妙な術を使う。ヤツを引き付ける役が必要だ」


 俺はにべもなく否定する。


「そんなぁ! りべんじのちゃんすはぁーっ?」

「安心しろ。当然あのポコ◯ン野郎に借りは返すさ」

「ふむ……そんじゃ、ホシがディックマンの相手をする?」

「無茶言うなよ。自慢じゃないが、俺はめちゃくちゃ弱いぞ。その辺にいる呑んだくれたオッサンにもワンパンKOされるレベルだ」

「マジで自慢じゃねえな……」


 うるせえ。お前みたいな怪人と一緒にするな。


「だが、俺たちはたった二人きりじゃない」

「ふたりきりじゃない……? って、ひょっとして」


 モモは一瞬、「思っても見なかった」ことを想像したらしく、苦い顔を作る。


「いやいや。無理だろ。なんかの間違いで死んじゃったらどーする?」

「苦難を乗り越えてこその“勇者役”だ。――なあ、そうだろ?」


 声をかけると、先を進む少女が、不思議そうな表情で振り返った。


「フーム? ~~~~~~? ~~~~、~~~~~~~~~~?」


 相変わらず、何を言ってるかよくわからんが。

 きっと俺たち、うまくやれるって信じているぜ。



 人目を避けつつ進んでいくと、豪奢な造りの空間に出る。

 平和的な山荘ピースフル・ロッヂは奴隷商売で有名だが、元は山道を行く冒険者のための宿泊施設だった。ここはその名残だろう。

 さっと部屋に入ると、これまた見知った顔が二つ。

 カザハナとナナミだ。

 二人は俺たちの顔を見て、しばらく不思議そうにしていたが、


「~~~~~~~~。………! ……っ! ……………!」

「~~~」

「…………? ――――?」

「………~~! ………!(ぐっと親指を立てるユーシャ)」


ユーシャがあれこれ説明するうちに、どうにか納得してくれたようだった。

言葉はわからないが、うまいこと話してくれているのを祈る。


 俺は手頃な紙とペンを借りて、あらゆる並行世界に共通している、最も原始的な意志伝達手段を用いた。

 要するに、……絵を描いたのである。


――まず、ディックマンの仮面を描く。

――次に、それと激しくぶつかる、ユーシャたちの絵。

――そして、ディックマンの部屋に向かい、装備を取り返している俺とモモの絵。


 個人的には結構な自信作が描けたつもりだったが、


「……うわ。なんだそれ。生首が空中浮遊している絵か?」


 モモの評価は芳しくない。


「ちょっと貸せ。あたしが描く」


 そしてモモが描いた絵は……、


「……げ。なんだそれ。処刑された生首の亡霊が行ったり来たりしてる絵か?」


 よりによって二人とも、揃って絵心がないのであった。


「ってか、描きながら思ったんだが、これがそのまんま通じたとしても、ユーシャたちが従うとは思えんな」

「ぐぅ。言われてみれば、それもそうか」


 今の俺たちは、たまたま出くわした顔見知りに過ぎないのである。

 では、どうしたものかと考え込んでいると、


「~~~? ~~~~~~~~ディックマン?」


 ん?

 俺の絵を見たユーシャが、フムフムとなんだか感心したように頷いた。


「~~~~ディックマン~~~~、~~~~~~~~~~~?」


 おお。

 よくわからんが、通じている気がする。

 ユーシャがぽんと胸を叩いて、「がってんしょうち!」って感じのポーズを取っているのだ。


「……ホントかぁ?」


 疑うモモだったが、俺は自信を持って言う。


「思いが通じたのさ。優秀な見廻隊員は、時として奇跡を起こすものだからな」



 結論からいうと、俺たちはまったく理解し合えていなかった。

 これは、ずいぶん後になってから気づいたことだが、ユーシャは俺たちのことを、


「都合のいい囮」


 として仲間に紹介していたし、俺たちが必死に伝えようとしていた内容も、


「命を助けていただいてありがとうございます。いま、ちょっと混乱していて言葉が話せませんが、とにかくみなさんにお礼したいと思います。そのためであれば、襲い掛かってくる邪魔者をちぎってはなげちぎってはなげ、辺りをこの絵(生首飛び交う地獄絵図)のようにしてご覧に入れますぞ」


 という具合に解釈していたらしい。

 そういう状態で、――俺たちはいつの間にか、真っ向からディックマンとその一味を引き付けるはめになっていた。

 もちろん、その時の俺たちは知る由もないことだが。



「ぜったい通じてないって。ぜったい。賭けてもいい」

「……しつこいな」


 ユーシャが持ってきてくれた傭兵向けの武具を装備しながら(モモからはさんざん「コスプレみたい」とバカにされた)、モモが苦い顔を作る。


「仮にそうだとしても、俺たちがやることは変わらない。装備を回収して、ディックマンを捕まえる。そうだろ?」

「ぐぬぬぬぬ……」

「考えても仕方ない。――行こう」


 見送るナナミが、心なしか『かわいそうだけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』って感じの目で見ている気がするが、あまり深く考えないようにしつつ。

 俺たちは、事前の作戦会議で調べたディックマンの部屋を目指すことにする。

 部屋を出て、平和的な山荘ピースフル・ロッヂの宿泊施設を抜けて、十数人ほどの客で賑わうエントランスホールを進む。


この建物、山荘という言葉のイメージに反して、石造りの城のような作りになっている。客も、そこそこしっかりした身なりの者が多いようだ。

 数人のオーク、コボルトが護る“進入禁止エリア”の前まで来て、俺たちは一息吐く。


「……これで、騒ぎが起こるのを待つわけだが」

「どれくらい待つ?」


 いくら前向きな俺でも、さすがにいつまでもここに突っ立っていられるような胆力は持ち合わせていない。


「そうだな……」


 と、その時だった。

 警備兵の足元に、次々と金属製の球が転がっていくのを見たのは。


「……ん?」


 もちろん、俺たちの足元にも。

 次の瞬間。


――バシッ!


 球から、強力な電流と思しきものが弾き出され、周囲に居る者に襲いかかる。


「――――ッ! ~~~~~~~~~!」


 コボルトの一人があらん限りの声で叫び、仲間に危機を知らせる……が、それきり、当たりの警備兵は皆、動かなくなった。

 攻撃を受けたのは警備兵だけではないらしい。エントランスホールを振り返って見ると、たまたま居合わせた客や使用人も一緒に気絶しているようだ。

 もちろん、――俺とモモは無事である。魔法無効化の力場は、俺たちに直接かけられている呪いのようなもので、服と装備を剥がされた程度で消滅するものではないためだ。

 もちろんそれも、物理攻撃を防いでくれる訳ではないし、……なによりあのディックマン相手には役に立たなかったが。


「これは……ユーシャたちが?」

「わからん。だが、この《雷系魔法》には見覚えがあるな」


 ……アオハナか。

 このタイミングで。

 俺は顔をしかめる。このイレギュラーがどういう結果をもたらすか、見当もつかなかったためだ。


 俺たちのすぐ目の前で、一人の黒フードが駆け抜けていく。

 うまく言えんが、「ずっとそこにいた者が、急に見えるようになった」感じがした。

 そこで初めて知ったのだが、――アオハナの固有スキル、どうやら”SEP効果”に近い性能のものらしい。見廻隊の検索に引っかからない訳だ。


「……どーすんの、おいこれ、どーすんの?」

「とりあえず俺はアオハナを追う。お前は、ユーシャにアオハナが来たことを伝えた後、追ってきてくれ」

「ほいきた!」


 言うが早いか、モモは常人を遥かに上回る身体能力で駆けていく。

 ……と。

 その後に気づいたんだが。

 アオハナを追う役目って、あいつの方が適役だったよな。戦闘力的に。

 だが俺は、弱気になる心を慌てて奮い立たせる。


――……馬鹿。お前は正隊員だろ。


 あいつはあくまで、俺のフォローのために来てくれているんだ。

 この程度の仕事、俺一人で片付けなきゃ、見廻隊員の名が泣くってモンだ。



 石造りの廊下を、アオハナが駆ける。

 聞く者をぞっとさせるような、狂気に囚われた叫び声を上げながら。


「~~! ~~! ~~! ~~! ~~! ~~! ~~! ~~! ~~~~~~ッ!」


 言葉が通じなくても、彼女が何を言っているかわかった。

「どけ」とか。「消え失せろ」とか。そんな感じのアレだろう。

 だが、狂乱したダークエルフ一人に道を譲るほど、ここの守りは薄くない。


『――ゴゴッ! ズゴゴゴゴゴゴ……』


 大理石の床を踏み壊しながら、俺の身長の二倍はある人型の土塊が吠える。

 アオハナの進撃は、数体のゴーレムに道を囲まれることで停まった。


「~~~~ッ!」


 恐らく何かの汚い言葉スラングを吐き捨てて、アオハナは敢然と立ち向かう。

 子を失った母というのは、かくも恐れを知らぬ生き物なのか。

 俺はふと、……人道的な見地に立ちたくなる気持ちを押さえて(俺が出て行ったところで、足手まといにしかならない)彼女を見守っている。


「~~~~――ッ!」


 ダークエルフの女は、眼前のゴーレムめがけて《水系魔法》を解き放った。

 彼女の頭上に魔法陣が二ツ生まれて、高圧ポンプの如き水流が吹き出す。


『グ、オオオオオッ!』

――巧い。


 強烈な水の流れをその身に受けて、魔力の結合を失った土塊が、柔らかな泥の塊へと変貌していく。

 まさかアオハナがこれほどの使い手とは……と考えていると。


「ううう……ごほっ、ごほっ」


 黒いローブのその女性は、血を吐きながら、その場に崩折れるように膝をついた。

 その姿をみて、……嫌な予感がする。

 あるいは、一時的に強力な力を得る代わり、その者の生命エネルギーを消費する……とか、そういう系統のアイテムを使っているのかもしれない。

 突飛な発想に思えるかもしれないが、“剣と魔法の世界”ではその手の“呪われた”アイテムがありふれているのだ。

 カザハナによると、彼女は“ゴールデンドラゴン”を持ち逃げしたという。

 それと引き換えに、何らかの呪われたアイテムを手に入れたとしたら。


――なんという……バカな真似を。


 と、思ってしまうのは、俺が部外者だからかもしれない。

 だが、ここでアオハナが命を失ってしまったとして、残された娘はどうなる?

 自分のせいで母が死なせてしまったと、一生心に傷を残して生きていくだけだ。

 母子の繋がりというものは、かくも狂気に近い感情を生み出すものか。


「おい……っ」


 気づけば、言葉が通じないとわかっていても、手を貸してやりたくなっていた。


「―――ふうッ!」


 すると、アオハナは病の野良猫のように後ずさって、俺と距離を取る。


「しっかりしろ。……お前、そのままじゃあ死ぬぞ」

「~~~~~ッ!」


――あ、ヤバい。


 いくらなんでも、このタイミングで出てきたのは軽率だったか。

 ここで彼女と対立するのは、どう考えてもまずかった。

 ……が。

 結果論だが、それが俺の命を救うこととなる。


「~~~~~~~ッ?」


 アオハナが一瞬、怪訝な表情で俺の後ろを見た。

 そのお陰で、俺はその一撃を躱すことができたのである。


「――くっ」


 前につんのめるようにして跳ぶ。

 同時に、ぎぃん! と、金属がぶつかる音が廊下に響いた。


「おおっと惜しい!」


 仮面の男が道化じみた動きで俺のいた場所に剣を振り下ろしている。


「――ディックマン!」

「だが、当たらなくてラッキーだったなァ。簡単に終わっては、つまらない!」


 野郎の仮面の奥の笑顔が見えるような、喜色に満ちた声だ。

 思いも寄らず宿敵と巡りあい、アオハナは叫ぶ。


「~~~~~~~~~ッ! ――――!」


 だが、ディックマンの興味はそこにはないらしい。


「ふん……。どこぞのダークエルフか」


 奴の手が、奇妙な陣を描いた。


「残念ながら、……年増のダークエルフは高く売れなくてねえ……ッ!」


 まずい。……ヤツが何かするつもりだ。俺は反射的に顔をそむける。


「――?」


 だがアオハナは、魔法を熟知する身でありながら、怪訝な表情でそれを見つめていた。

 無理もない。奴の操る術は魔法の一種ではあるが、この世界の魔法ではない。


「模様を見るな! アオハナ!」


 だが、俺の忠告は通じなかった。


「ざーんねん! おやすみィ!」


 アオハナは、あっさりとその場に倒れこむ。さっきの俺と同じく《催眠術》を受けてしまったのだろう。


「――くそ!」


 これはマズい。

 奴の術は、それを見たものの精神に直接働きかける類のものだ。これは見廻隊員を保護する“魔法無効化”の力場ではフォローできない類の術である。こんど、ルシフェルさんに待遇の改善を申請せねば。

 俺は、なるべく奴を直接見ないよう、奴の足元に注意を払うようにしながら、


「……一応、もう一度聞いておくぜ。なぜ、そこまで俺たちを恨む?」

「ふん。貴様ら“天の使い”こそ、私を弄んだくせに。力を与え、保護し、……そして、特別な才能があると信じこませておいて、不要になればすぐに見放した!」


 ……なんだと?

 俺は、密かに心の中で思い続けていた疑問を口にする。


「ひょっとしてお前、……元“勇者役”か?」


 ディックマンは否定も肯定もしない。

 だが、今ので確信が持てた。


「……誰が担当した“勇者役”かは知らんが。――お前は間違っている。それだけは確かだ」

「うるさい、うるさいうるさいうるさい!」


 男は剣を構え、大上段から振り下ろす。


「――《剣技・はやぶさ斬り》!」


 それはまさしく、はやぶさのごとき連撃だった。

 俺のような常人であれば、あっさり斬り捨てられてもおかしくないレベルの。

 一瞬だけ死を覚悟したが、


――きぃん!


 ディックマンの剣を真っ向から受け止める形で、一人の少女が割り込む。

 マントをはためかせるその後ろ姿は、


「ユーシャ……」

「~~~~。~~~~~~~~~~」


 なぜだか、その時だけ、俺にはその言葉の意味がわかる気がした。


『下がって。彼は私に任せて下さい』


 と。

 今、俺にできる最善の行動は、


「ちょっとの間だけでいい! 死ぬな!」


 そう叫びながら、ディックマンの部屋へ走ることだった。


「はは! そうか! 貴様がこの世界の勇者か!」

「~~~~! ~~~~~~~~~~ッ!」

「面白いぞ! では、私はこの手で、とある世界を救い……また、別の世界を滅ぼすことにもなる……。最高の茶番だ!」



 俺がディックマンの部屋を蹴破ると、


「うわ、びっくりした!」


 モモが目を丸くしていた。

 ついでに、書類を漁るナナミ、カザハナの姿も。


「なっ、……お前ら、どうしてここに」

「それが、ユーシャのやつの作戦でな。ホシが敵の注意を惹きつけてる間に、部屋の真下あたりに穴空けて、この部屋に忍びこむ作戦だったんだそうだ」


 そういうことか。


「あたしがワンパンして、天井に穴空けてやったんだぜ」


 考えてみれば、この世界の扉は魔法で結界が張られており、専用の鍵がなければ開かない……というのが常識だ。

 わざわざ鍵を探す手間を考えれば、別に抜け道を用意しようって考えは、さほど突飛な発想ではない。

 それに気づかなかったということは……つまり、俺もまだまだ未熟ってことだな。


「とりあえず、これ。じゃーん!」


 《バベルフィッシュ・システム》。

 小型ヘッドセットのようなそれを耳に突っ込んで、人心地つく。

 これで、異世界の人間ともコミュニケーションが取れるはずだ。


「でも、他の装備はどれも壊されてるな。使えるのはこの《スタン・ガン》一丁だけっぽい」


 くそ。

 よりによって、《時空管理コントローラー》がダメだったか。

 これはつまり、今後誰かが致命傷を負っても、“巻戻し機能”が使えないということである。


「……やむを得ん。急ごう」


 そこで、少し怪訝な表情のカザハナが、不思議そうにしていた。


「そんな玩具で、リンネが救えるのか?」

「玩具に見えるが、こいつの威力は……」


 と、丁寧に説明しそうになる自分を諌めつつ。


「――とにかく、スゴいんだ」

「なるほど。スゴいのか。……ところで、さっきから急に言葉が通じるようになってるが、その理由は?」

「いろいろ……アレがアレしてな。奇跡が起こったのさ」

「なるほど、アレがアレな奇跡、か」


 カザハナがとてつもなく胡散臭そうな顔をして、


「ま、いいや。そういうこともあるだろう」


 異世界人の順応力に感謝。


「それより、ディックマンとユーシャが戦ってる。急いで戻らないと」

「ええええーっ!」


 その言葉に、ナナミが悲鳴を上げる。


「だってディックマンって、魔王と同じくらい強いって噂の人でしょ?」


 対するユーシャは、レベル1だよな。


「死んじゃう! ユーシャちゃんが死んじゃう! さくっと死んじゃう!」

「わかってる。……だから、焦っているんだ」



 正直、俺の心の中は、自分に対する絶望と怒りでいっぱいだった。


――ユーシャにディックマンを任せたのは、俺の判断ミスだったかも知れない。


 そんな思いに、心が支配されかけていたためだ。

 だが、あの場面では他に方法がなかったのも事実。

 自身の無力さに嫌気が指している。


 もしこれが、スラっち先輩だったらどうだろう?

 夕顔先輩だったら? 香澄先輩だったら? アーサー先輩だったら?

 きっとこんなことにはならなかったはずだ。


 見廻隊員にとって、無能であることは罪である。

 そいつの判断ミス一つで、一つの世界が消失してしまうことを考えればな。

 内心、ルシフェルさんに辞表を出す覚悟でユーシャの元に戻ると……。

 驚くべき光景が、目の前で繰り広げられていた。


「……ッ!?」


 ユーシャが、ディックマンと対等に剣を合わせているのである。


「なかなか、やるッ」

「あなたこそ!」


 きん、きん、と続けざまに金属がぶつかる音。


「これは……」


 カザハナですら、その剣の動きを目で追うのがやっとのようだ。


「ユーシャちゃん……」


 ナナミも、幼なじみの見知らぬ側面に驚いているようだ。


「なんだ、あの娘、けっこうやるじゃん。あたしほどじゃないけど」


 モモも感心している。

 俺は、反射的に構えた《スタン・ガン》を降ろして、その戦いを見守ることにした。


「どういうことだ……?」


 自問する。

 レベル……は、関係ないはず。

 彼女の剣技がディックマンに通じたということか?

 いや、そうは思えない。恐らくディックマンは、こことは違う世界における“勇者役”だろう。それが弱い訳がない。

 と、なると。


「何らかの固有スキル、か?」


 “WORLD1777”の人間風に考えるなら、そういうことになる。


「なあ、ナナミさん。ユーシャはどういう固有スキルなんだ?」

「え? よくは知らないですけど。……っていうか、いつの間にあたしの名前を、……ストーカー?」


 応えず、『WORLD1777の手引』を開く。

 そして、……盲点でもあった、最も基本的な項目を調べた。



【勇者】

 魔族を殺す者。

 “WORLD1777”における善の象徴であり、“光の一族”の救い主でもある。

 この世界における勇者は、多数の固有スキルを持ち、通常の冒険者とは違った強さの尺度をもつことに注意。ここに、勇者の固有スキルとして代表的なものを挙げておく。

 ”破魔の力”……あらゆる邪悪なものを払いのける。

 ”魔法耐性”……魔法攻撃の70%以上を無効化する。

 ”眠り上手”……どんな怪我を負っても一晩眠れば全快する。

 “イエスマン”……適当に相槌を打つだけでも相手がしゃべってくれる。

 “大事なもの”……後の冒険に必要なアイテムはなんとなく捨てる気にならない。

 “純潔”……ぱふぱふしてもらえない。

 ※その他の固有スキルに関する詳細は、P2000参照のこと。



 “破魔の力”……だと?

 勇者が扱う能力としては、どうとでも解釈できるタイプのものだ。

 それが、具体的にどういうものかはわからない。

 ……だが。


「本当に……やりおる! 若いころを思い出すぞ!」


 ディックマンの声は、これまでと打って変わって弾んでいた。

 まるでユーシャに“魔”を祓われたかのように。


「お年寄りなら、……さっさと降参して下さい!」

「断る!」


 それでもやはり、――戦闘経験はディックマンに分があった。


「――《剣技・丸太斬り》!」


 ディックマンが、大上段から渾身の力を込めた一撃を見舞う。


「……くう!」


 が、ぎぃん! と不快な音を立てて、少女の剣が根本から折れた。


「はぁ、はぁ、はぁ……! 久しぶりに、……運動したぞ」


 ユーシャの喉元に剣が突きつけられる。

 同時に、俺は再び《スタン・ガン》を構えた。


「ディックマン! もうやめろ!」


 仮面の男が、じろりとこちらを見て、


「……おお、天使どのではありませんか。どうやら玩具を取り戻してご満悦のようだが」

「次は油断しない。お前の魔法は効かないぞ」


 俺は、ディックマンの指先を注視する。

 奴が使った《催眠術》は、効果を発揮するまで数瞬の隙があった。

 注意しておけば躱すことは難しくない。


「見廻隊の規約に則って、お前を逮捕する。……お前も元“勇者”なら、神妙にお縄に付きやがれ」


 ディックマンは、しばらくユーシャを見つめた後、


「……ふん」


 と、つまらなそうに言って、剣を鞘に戻した。


「……本来なら、ここからもうひと暴れ……と洒落込むところだが。興が削がれた」

「では、投降するか?」

「悪いが、捕まる訳にはいかん。私をここに連れて来てくれた者の恩もある」


 俺たちが知りたいのは、……その、違法に異世界を行き来できる人物の情報、なんだがね。


「なら、……無理にでも連れて行かせてもらう」


 俺がディックマンに引き金を引いた刹那。


「――!?」


 奴の姿が、煙のように掻き消える。


「やられた! あいつ、《幻術》まで使うのか!」


 同時に、がしゃがしゃがしゃがしゃ、と、廊下の奥から大量の傭兵たちが出現した。

 コボルト、オーク、トロルにゴーレム。高位のゴブリンに加えて、マッチョな人間どもが隊列を組んでやがる。

 これまでやり過ごしてきた傭兵どものオールスター、という訳だ。


――やれやれ。ここにいるユーシャが死んだら、世界が滅びちまうってのに。


 そんなことも知らんと。

 間抜け面どもめ。


「うひゃ~、こりゃあちょっとした大ピンチですねえ!」


 へっぴり腰でこちらに寄ってくるユーシャ。


「だが、ここを乗り切らんことには、生きて帰るのは無理そうだぞ」


 と、カザハナ。


「ふええ……死んじゃうのかな? あたし死んじゃうのかな? まだ恋もしてないのに!」


 これはナナミ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお! こりゃあいっぱいあばれられるぞ!」


 モモだけが、やたらと元気そうだった。

 俺はというと、少しだけ考えこんだ後、


「……残念だが、ディックマンの逮捕は後回しだ。……いったん、雑魚どもを片付ける」


 まず鬨の声を上げたのは、俺たちの中の誰だったっけか。

 よく覚えていないが。

 まあ、とにかく。

 戦いが始まったのだった。



『ぎぃあああああああああああああああああああああおおおおおおおおおッ!』


 耳をつんざく吶喊の声。

 それが、ほとんど断末魔の声と変わって当たりに響き渡る。

 モモが突撃したのだ。

 彼女は、拳一つで襲い来るトロルの顔面を叩き潰す。


 それに続くのはカザハナ。

 傭兵どもの身体へ正確に短剣をを突き刺していく様は、まるで踊っているかのようだ。


 次に、ナナミ。

 彼女はとにかく、片っ端から《壱式閃光魔法》で敵の動きを鈍らせていく。


 そして、


「みんながんばれ~」


 スト2でダルシムが勝った時みたいなポーズでみんなを応援しているのが、ユーシャ。


「サボるなっ、ばか」


 俺は、手頃な敵を《スタン・ガン》で撃ちまくりながら、彼女に新しい剣を放った。

 さっき傭兵の装備を借りた時、ついでに腰に差していたものだ。


「ほら。お前も戦え」

「ええ~。なんか押せ押せの雰囲気ですし。私の出る幕はなさそう、というか……」

「いいから」


 無理矢理、得物を押し付けて。


「お前は勇者だろ。勇気を見せろよ」

「まったく。……なんだかお母さんみたいな人だなあ」


 俺は心の中で、似たようなものだと考えている。


「ほら、――来るぞ!」


 同時に、モモとカザハナが討ち漏らした三人のコボルトが、後衛のナナミを含む俺たちに襲いかかる。


「全く、もう」


 ユーシャは剣を鞘から抜き放ち、針に穴を通すような精緻な剣裁きでコボルトの利き腕を斬りつけていく。


『ぐ、ぐるああああああ!』


 痛みに絶叫する犬顔たち。

 俺は、作業的に連中の顔面を《スタン・ガン》で撃ちぬいていった。


「助言してやろう。……わざわざ戦闘力を奪うなら、殺した方が効率的だぞ」

「お断りします。これは私の趣味的な問題なので」


 やれやれ。

 どうやらこいつの性格は筋金入りらしい。


「おい、何を悠長にしている! どんどん新手がくるぞ!」


 カザハナの叫び声と共に、奥から奥から、次へ次へと。

 どうやらディックマンは、平和的な山荘ピースフル・ロッヂにいる全ての兵力をこの廊下に集中させているようだ。



 戦闘はその後、十数分に及んだ。

 勢いで勝る俺たちに対して、連中は圧倒的な物量で攻め込んでくる。

 死屍累々の戦場は徐々に移動していて、俺たちは今、広いエントランスホールまで来ていた。

 客と思しき、数人の貴族が怯えた表情で見守る中、


「終わった……感じ?」


 ボロボロのナナミがか細く呟く。


「信じ……られない。あたし達だけで、みんなやっつけちゃったよ……」


 もちろんそれは、俺とモモが戦線をかき回した功績がデカい。

 人前で《スタン・ガン》を撃ちまくっちまったことだし……しばらく、この国の話題は俺たちでもちきりになるだろう。


――奴隷使いの根城を殲滅した謎の魔法具使い、現る! とか、そんな風に新聞で書かれたりしてな。


 見廻隊員として、あまり目立つのは得策ではないのだが、……今回の場合はやむなし、……ということにならないかな。……ならない?


「怪我を負った人、《治癒魔法》を使いますので、こちらまで来てください」


 ナナミが仲間に声をかけていく。

 それに対して、この中ではもっとも手傷を負っているはずのカザハナが、


「私のことはいいから、アオハナを回復させてやってくれ」


 自身の姉を担いで、そっとナナミのそばに横たえた。

 もっとも、彼女に目立った外傷はない。《催眠術》の力で身動きが封じられているだけだ。


「ええと、……見たこと無い症状だけど《壱式治癒魔法》でいいのかな」

「いいや。そこまでする必要はない」


 俺は近くの部屋から持ってきた蒸留酒の蓋を抜き、黒フードのダークエルフの顔面にばしゃっと振りかける。

 反応は、すぐだった。


「……ぐ、ごほ……! ごほ……!」

「ほら、な」


 アオハナは、しばらく咳込んだあと、少しずつ意識を取り戻していく。


「……ここは……?」

平和的な山荘ピースフル・ロッヂだ」


 応えるカザハナの顔を見て、アオハナは目をむく。


「か、カザハナ……? なんでここにいる、ね……?」


 そして、よろける身体で立ち上がり、


「……くう。――《雷……」

「もうやめろ!」


 カザハナが叫んだ。

 それに、一瞬だけ躊躇してみせたアオハナだったが、


「もう、あーしは戻れない、ね。……一族の者まで見捨てて、あーしはここにいる……だから……」


 まだ少し、混乱しているようだった。


――こりゃ、いま起こしたのは失敗だったかな。


 そう思っていると、


「ママ!」


 お。

 どうやら、騒ぎを聞きつけたダークエルフの子供たちが、俺たちを見つけてくれたらしい。

 もちろん、その中にはリンネもいた。


「あ、ああ! リンネ!」


 アオハナが杖を取り落とし、我が娘の元へと駆けていく。


「ヒーローが! ヒーローが、ね! あたしたちを自由にしてくれたの!」


 母子の両目は、涙で輝いて見えた。

 俺は、それを少しだけ見守った後、その場に背を向ける。


「おい、モモ……帰るぞ」

「ええっ! もう? もうちょっとここにいようよ」

「あくまで俺たちは裏方だろ。それに、ディックマンの件で報告もしなくては」


 良いところでテレビの電源を切られたみたいなもので、モモは不満そうに唇を尖らせていたが、やがて俺の後ろに続いた。

 飛んだり跳ねたり冒険したり。

 笑ったり、泣いたり、感動したりするのは、この世界の人間の特権だ。

 俺たちはただ、それを見守るだけ。


 それが、異界見廻隊員の日常なのである。


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