第5話 奴隷商人の山荘

 “WORLD1777”を担当するようになってから、最初の休日。

 俺は今、

 ”スライム族”のスラっち先輩、

 ”幽霊族”の夕顔先輩、

 ”女郎蜘蛛”の香澄先輩、

 ”彷徨う鎧”のアーサー先輩、

 という面子で、仕事場近くの居酒屋で一杯やっているところである。


 異世界の人間が行き来するその空間では、


「だぁーかーらーさぁー! あっこで勇者役が勝ったらリアリティないんだって~!」

「そうは言うっスけどもねー。リアリティと世界の平和、どっちが大切なんス?」

「そりゃそうだけどさあ~! 私これでも、けっこー頑張って伏線張ってたんだよ? それなのに、伝説の剣使わずに勝っちゃうのは気に入らないって」

「でも、あそこはさくっと話進めた方がダレなくて良かったっスよ。わざわざ四天王を順番に倒していくって、いくらなんでも引き伸ばしが過ぎるっしょ」

「それでもぉ~、……四天王を倒さんことには、伝説の剣が……」

「いやいや。本来、客が求めてる展開ってのは……」


 ……というような、漫画家と編集者みたいな議論が繰り広げられていた。


「夕顔、香澄、――」


 そんな同僚たちに、嘆息混じりで声をかけるスラっち先輩。


「休みの日まで仕事の話してんじゃねえ」

「いやぁ。この仕事やってると、つい、ねぇ」


 と、夕顔先輩。

 半透明な彼女がビールを口に含むと、黄金色の液体が喉元を通りすぎ、光の粒となって消滅していくのが見える。


「見廻隊員なんて、休みの間もずーっと担当してる異世界のことで頭が一杯の生き物なんっスから。しゃーないっスよ」


 そう言いながらたこわさをちびちびやっているのは、香澄先輩。

 一見、俺と同じ人間族に見える彼女の正体は、女郎蜘蛛と呼ばれる妖怪の一種だという。

 昔はいい男を見つけてはエロいことして、男が満足したところを頭からガブリとやることに命をかけていたらしいが、現在はわりと穏健なタイプの見廻隊員だ。


「………………………………………おい。貴様ら」


 がやがやとやかましい居酒屋の中にいて、はっと耳に残るバリトンボイスが響く。


「………………………………………………空いたグラス、店員さんに持って行ってもらうぞ」


 全身が金属の鎧でできている、アーサー先輩だ。

 アーサー先輩は、鎧に霊魂が憑依したタイプの幽霊族。

フルフェイスの兜を外して見せてもらったことがあるが、中身ははがらんどうだった。


「忘れんなよ。今日は俺たちの後輩の昇格祝いなんだぜ」


 それに加えて、スライム族のスラっち先輩。

 この四人(人間は一人もいないが)は、“剣と魔法の世界班”の中でも、俺が特別世話になっている隊員たちである。


「お礼したいのはこっちの方なんで。俺のことは気を使わないで楽しんで下さい」


 率直に言うと、香澄先輩が妖艶な笑みを浮かべた。


「うふふふふ。ホシは時々可愛いこと言うから好きっス」


 瞬間、突如として俺の心臓がばくばくと鼓動を始める。

 淫魔サキュバスの親戚である彼女が発する甘い匂いは、雄の本能に訴えかけるという。


「……………………………………こら。後輩で遊ぶな、香澄」


 アーサー先輩が、少し強めの口調で叱りつけた。


「冗談、冗談」

「そういう絡み方は勘弁して下さい。マジで」


 言って、“WORLD1990”から仕入れた、バタービールとかいう飲み物を一口。

 どうにも俺は、酒の席における振る舞い方がよくわかっていない。アルコールを積極的に飲まないからかもしれないが。


「でも、あのホシが担当持つことになるとはね~。歳取る訳だわ」


 御年数百歳の幽霊族は、けらけらと愉快そうに笑った。


「ホシは初めて担当持ったんスよね? どうっスか、そっちの世界の勇者役は?」

「どう、と言われても……」


 俺は、あの後無事、カザハナと一緒にシュロの村を出たユーシャの姿を思い出す。

 今は恐らく、奴隷商人の住処、平和的な山荘ピースフル・ロッヂと呼ばれる場所へ向かっているところだろう。


「正直、……今も余計なことしてないか心配です」

「だよねえ? そうだよねえ? あははははっ。最初は誰だってそうだよ」


 今はモモに仕事を肩代わりしてもらっているが、数時間後にはまた“WORLD1777”に戻らなければならないだろう。状況が安定するまで、まともに休んでもいられない。


――暇になったら、三日はぶっ通しでゲームしてやる。


 などと、心中で決心しつつ。


「思い出すなぁ。私も最初に世界を担当した時はずいぶんいろいろあったから」


 すると、途端に香澄先輩が苦々しい表情になって、


「そうっスよ。この人、とんでもないことやらかしたんっスから」

「……え、そうなんですか?」


 夕顔先輩といえば、見廻隊員としてはかなり丁寧な仕事をするのに定評がある。

 彼女がミスをしたところなど、想像も出来ないレベルであった。


「夕顔ね、いざ勇者の決戦の時、魔王を祟り殺しちゃったんっス。勇者役の子、それを見てポカーンとしちゃって。無理もないっスよね。数多の冒険を越え、はるばる魔王城までやってきたのに、――倒す相手がいきなり泡吹いてるんだもん」


 そりゃまあ、そうなるよな。


「あの時は勇者役の子の力に不安があったから。そうするのが一番だと思ったんだもん」


 だもん、って、貴女……。


「ダメっスよ。勇者が魔王をやっつけてこそ、調子こいてる魔族がビビりあがるってモンなんスから……」

「んなこと、今更いちいち言われなくてもわかってるよぉ」

「でも、ほんとーにあの時は大変だったっスよ? “剣と魔法の世界”班のほとんど全員でリカバーして。なんとか勇者が魔王やっつけたってことにするために」

「んもー。人の黒歴史掘り返すの、やめてよぉ」


 夕顔先輩と香澄先輩が軽くつつき合う。

 日本産の妖怪同士、二人は気が合うらしい。


「――……………………………………ところで。今日、モモはいないのか?」


 アーサー先輩の言葉に、俺は再び自分の仕事を思い出す。


「あいつは、俺の担当してる世界に居てくれています」

「………………………………なるほど。あの娘が最近出突っ張りなのは、そういう理由か」


 がしゃん、と、鉄が擦れる音がして、彷徨う鎧は首を傾げた。


「俺はもういいと言ったんですが。一応、しばらく専属で手伝ってくれるみたいです」

「……………………………………ほう。世話焼き女房と言うわけか」


 すると俺は、苦虫を口いっぱいに含んで噛み潰した表情になる。


「そんなんじゃないっすよ」


 慌てて否定するが、遅かった。俺の知る限り、先輩と呼ばれる生き物は皆、後輩をからかって遊ぶものだからだ。

 夕顔先輩が、半透明の顔に満面の笑みを浮かべて、


「若いって良いわねぇ。ウチってたしか、社内恋愛禁止じゃなかったしぃ~」


 香澄先輩も便乗する。


「それじゃ、見廻隊員同士の子供が生まれるかもしれないってこと? それって結構珍しいパターンじゃないっスか? ウチって色んな種族が混在してるから」

「……………………………………む。そういえば、モモってフツーの人間なのか?」

「一応、本人は桃から生まれた桃人間だって言ってたっスけど」

「………………………………いちおう人間同士なら、なんとか性交も可能だろう」

「生まれるのは、ハーフの桃人間ってことっすか。何がハーフなんだろ。……カロリーとか?」


 モモ本人がこの場にいないことだけが救いだった。


「そういうの、俺ならともかく、モモの耳には入れないことです。ぶっ飛ばされますよ」


 実際、あの跳ねっ返りと付き合うくらいなら、スライム族のメスと結婚した方がマシだ。間違いなく尻に敷かれる自信がある。


「はっはっは。朴念仁はこれだから」


――……いい加減、セクハラで訴えてもいいだろうか。


「とにかく、今日はめでたい席なんだ。飲め飲め。そして酔っ払っちまえ」

「飲みはしますけど、酔っ払いませんよ。俺が飲んでるの、ノンアルだけっすから」

「なんだ? ……まさか例の、二十歳まで呑んだらいかんっていう、お前が元いた世界の法律か? 忘れちまえよ、そんなもん」


 酒に興味がない訳じゃないが、そういう訳にはいかない。

 何せ、あと数時間もすれば”WORLD1777”でモモと合流することになっているのだ。

 酒臭い状態で異世界入りなんかしたら、何を言われるかわからない。


 ところで。

 さっきから俺が飲んでるバタービール、ノンアルコールにしては少し味が変な気が……。



 ……。

 …………ぐう。

 ………………うぐぐぐぐ。

 ぐおおおっ!


 ふと目を覚ますと、ぶよぶよとしたゼリー状の物体を抱きまくらにして、自室のベッドで横になっていた。


「だぁからぁ……勇者役ってのはねぇ……正しく導かれてこそぉ……」

「でもぉ……仕事は結果が大事でぇ……」


 半分眠りながら議論を交わしているのは、夕顔先輩と香澄先輩。


「…………………………………………………………………………ZZZZZzzzzzz」


 そのすぐそばでは、身動きひとつしないでいびきをかいているアーサー先輩がいる。


「……いてて」


 頭の中をミキサーでかき混ぜたみたいな感じ。

 どうやら、知らない内にアルコールを口にしていたらしい。

 その後、俺の部屋で二次会やることになって、……今に至るってとこか。

 部屋のあちこちに、俺が決して飲まないようなアルコール度数高めの酒瓶が転がっているのが見えた。

 ……ていうか。


――いま、何時だ?


 そう思って、時計を見る。

 そして、血の気が一気に引いた。


「……げぇ!」


 その時計が指し示す時間は、“WORLD1777”にてモモと合流する予定を大幅にオーバーしていたためだ。

 慌てて《バベルフィッシュ・システム》を耳に装着し、見廻隊員用の制服を羽織る。

 自室の鍵を一緒に寝ていたスラっち先輩に投げつけて、代わりに《ゲート・キー》を掴む。


「ん~? ……なんだ?」

「あとは適当にやってて下さい俺は仕事出ますすぐに!」


 叫びながら、俺は内心で「二度と酒など飲むか」と心に決めていた。



「ハッハァーン。なるほどー」


 モモは、俺が想定していた通りの表情で、


「酒飲んでたせいで遅刻した、と」


 俺が想像した通りの優越感に浸りながら、言った。


「近年稀に見るうんちまんか? おまえ」


 さすがに返す言葉もない。


「わかってる。……何が食いたい?」

「会社の近所に、でっかいホテルあるだろ。そこのラウンジでやってるケーキバイキング」


 くそ。余計な出費を。


「……この上、何かトラブルが起こってたら、いっぱいバカにしてやろうと思ってたけど、ざんねんながらナイスタイミングだ。ちょうど例の場所に着いたところだからな」

「そりゃあ良かった」


 俺たちが話し合っている場所から少し離れたところで、ユーシャ、ナナミ、カザハナの三人が、巨大な門の前にいるが見える。

 その巨大な建物は、マシロの街で見かけたお城より、よっぽど立派な造りだった。



平和的な山荘ピースフル・ロッヂ

 奴隷商人、ビック・ディックマンと呼ばれる男によって経営される山荘。かつては粗末な木造の宿に過ぎなかったが、奴隷貿易によって得た財により大掛かりな改築が為されており、現在では強力な魔法の結界が施されていた巨大な城とも言うべき佇まいになっている。

 なお、ビック・ディックマンは通称、“顔無しディック”と呼ばれるほどに人前に出ることを嫌っており、その素顔は謎に包まれているという。



――デカチン野郎ビッグ・ディックマン、か。


 恣意的な何かを感じる名前だ。

 俺とモモは“SEP効果”の起動を確認してから、ユーシャたちに近づいていく。


「……冒険者か」


 そこでは、数人のコボルトがユーシャたちを厳しい眼で見下ろしていた。



【コボルト】

 獣人の一種。人間と共存している。人懐っこい者が多く、犬に似た顔を持ち、鼻が効く。

 コボルトとよく似た外見の魔族に“人狼”と呼ばれる種が存在するが、これとコボルトを混同することは最悪の無礼に当たるとされているので、注意が必要。



 “人懐っこい者が多く”という『手引』の説明に反して、ここのコボルトは見るからに敵意満面、といった感じだ。

 まあ、人間でも色々いるし、コボルトも色々ってことだろう。


「奴隷の取引か、……あるいは仕事を求めて来たか。どちらだ」


 少女たちは少しだけ互いの顔を合わせた後、代表者としてカザハナが応えた。


「……私とナナミが奴隷の取引。残ったユーシャが、傭兵の仕事を希望している」

「ほほう?」


 コボルトの中の一人が、ユーシャの風貌を見て、明らかに侮るように笑った。


「笑わせる。こん中じゃあ、一番細っこいお前が?」

「はい」

「痛い目をみて終わりだ。やめておけ」

「そうですか」


 ユーシャはにこやかにそう言って、ほとんど眼にも止まらぬ速度で剣を抜いた。


「――ッ!」


 そして、眼前にいるコボルトの首元に刃を当てて、ぴたりと止める。


「ほら。ひ弱でも、隙を突けば強い相手にも勝てるんですよ」


 ほとんどブラフだった。

 ユーシャの細腕では、コボルトの頑丈な毛皮で護られた首を一撃ではねることなど不可能だろう。そのまま斬りつけたところで、反撃でミンチにされてしまいだ。

 だが、得てして傭兵という連中は、そうした命知らずの振る舞いを好むらしい。


「……悪くない。資格ありと見た。お前はこっちへこい」


 コボルトはそれぞれ、「面白いおもちゃを見つけた」といった感じの笑みを浮かべて、ユーシャを招き入れた。


「では」


 別れ際、ユーシャは残ったカザハナとナナミに視線を送る。

 二人とも、心の底から不安そうな表情だ。


「お客はこちら。……しかし、入場には金が必要だ。わかっているな?」

「あ、ああ……」


 カザハナは、事前に用意していたと思しき銀貨の詰まった袋を取り出す。

 俺はというと、モモの肩を叩いて、


「俺は一応、ユーシャを」

「そんじゃ、あたしはカザハナの方だな。まかせろ」


 それぞれの道を進む。



 ユーシャは案内のコボルトに導かれ、薄暗い裏口へと入っていく。


「これからお前は、すぐに見回りの仕事に就いてもらう。問題ないな?」

「これからすぐ? ディックマン卿に挨拶したりは?」

「卿は傭兵ごときに顔合わせしたりはしない。どうせ我らは使い捨てよ」

「ふむ」


 ユーシャは神妙な顔で腕を組み、


「でも、それって危険じゃありません? もし、スパイが侵入してたりしたら……」

――こいつ、結構大胆な駆け引きをするやつだな。


 コボルトは、ぐっげっげっげっげと不吉な笑い声を発して、


「スパイ? よりによって我々に、か? もしそんなヤツがいるなら、一杯付き合ってやりたいくらいだ」

「そんな命知らずはいない、と」

「うむ。俺は、この場所ほど”平和的ピースフル”なところを知らん。……それは、我々が常に奪う側だと周囲に知らしめているためだ。天が落ちてきたとて、それが覆ることはない」

「ほへー。自信満々マンですねえ」

「そりゃあな。……ディックマン卿の力を一度でも見てみろ。誰だって震え上がる」

「ディックマンという人は、そんなに強いんですか?」

「ああ。俺たちの間じゃあ、あの”魔王”だって目じゃねえって評判だ」

「そりゃすごい」


 さすがにそれは誇張表現だろうが、それだけこのコボルトが自分の属している集団に心酔していることがわかる。


「仕事は簡単だ。邸内の指定された区域を、奴隷どもが逃げ出さないよう、武器をちらつかせながら見張るだけ」

「……それだけ? 本当にそれだけですか?」

「まあな」

「なにそれチョロい。ずっとここで働いていたい」

「言っておくが」


 コボルトが、牙をむき出しにして笑う。


「ディックマン卿は貴族しか相手にしない。労働用のものなど扱わんぞ。ほとんどは愛玩用だ。つまり、ここにいる奴隷は、宝石のように丁重に扱われている。……言っている意味、わかるか?」

「どうぞ、詳しく」

「奴隷といっても、扱いは丁重に。万一、傷一つつけてみろ。下手すればお前は一生、ここでタダ働きすることになる」

「うひぇ。黒いなぁ」

「それに、一部の奴隷は、隙あらばお前の武器を奪ってお前のことを殺そうとするだろう。なにせ、我々は奴隷に恨まれてるからな」


 その口ぶりから察するに、どうやらカザハナが言っていた“奴隷狩り”は、ここの連中も一枚噛んでいるらしい。


「……どうだ? これでも簡単な仕事か?」


 武器を奪われても終わり。護身のために反撃しても終わり。

 なるほど、危険な仕事だ。


「だが、お前の言うとおり、うまくやるかぎりは給料も多い。ここの傭兵は、下手な冒険者よりもよっぽど稼ぐぞ」

「ふむふむ」

「あとは、中にいるメイドから指示を受けろ。……いいか。間違っても、担当区域を出るなよ。そうした場合、斬り殺されても文句は言えないことになっとる」

「コワイナー」

「それと、客に失礼のないよう、旅の汚れは落としてな」

「おいっす」


 その言葉を聞いているのかいないのか、ユーシャは生返事でそう応えて、まっすぐに本館の方へ向かっていく。

 モモから事前に説明を受けていたため、彼女たちの目的は明白だった。

 カザハナとナナミは、人知れず平和的な山荘ピースフル・ロッヂに潜入しているはずのアオハナを、ユーシャは内部の人間としてリンネをそれぞれ見つけ出し、人知れず連れ出す算段のようだ。


――もちろん、そう簡単にうまくいくはずがない。


 俺の助けがなくてはな。



 俺は、平和的な山荘ピースフル・ロッヂの家事一切を取り仕切っているというメイド服のおばさんが、ユーシャに拭き掃除の基礎を説明しているのを横目で見ながら(「私、傭兵としてここに来てるんですけど……」と涙目になっているユーシャが見ものだった)、さっそく行動を始める。


――できれば、後々の遺恨を残さず、事態が丸く収まればいいのだが。


 いろいろ考えたが、手段は限られていた。

 俺はその中でも、もっとも安易な方法を取ることにする。

 そのためにはまず、リンネと接触する必要があった。

 幸い、”商品”たちの生活区域を見つけるのは難しくない。

 なにせ、『立ち入り禁止』と書かれた警戒が厳重そうな場所に進んでいけばいいだけだからな。

 道中、物騒な武器を携えた傭兵連中とすれ違う。いずれも、今のユーシャではとても太刀打ちできないレベルの猛者たちだ。

 どうやら、ダークエルフの子どもたちは、特別高い値のついた奴隷が集まっている区画にいるらしい。なんとかその場所を見つけ出した俺は、まず、軽くドアノブに手をかけてみた。


「扉……は、とうぜん鍵がかかっているな」


 “剣と魔法の世界”ではありがちな、魔法による封印が施された扉だ。これを開けるには、専用の鍵がなければいけない仕組みである。

 だが、その厳重な結界も、見廻隊員には通じない。俺たちの身体には、自分に接触する奇跡・魔法の類を全てキャンセルする力場が働いているためだ。

 俺は扉に、躊躇なく蹴りを入れる。

 数度ほど蹴っ飛ばしてやると、金具が外れて、扉が開いた。

 そして俺は、”SEP効果”を一時的にオフにする。


「きゃあっ!」


 すると、中から数人の着飾った少年少女の悲鳴が上がる。

 一見、貴族の子供のような出で立ちだが、それぞれの首には革の首輪取り付けられていた。


――奴隷、か。


 俺が元いた世界の感覚では、かなりインモラルなことになってる制度だが、“剣と魔法の世界”では珍しいことではない。この手の“不幸な出来事”に関する話も、もう心が麻痺していて、何も感じなくなっている自分がいた。


「な、……なに………?」

「ヒーローだ」


 自嘲気味に応える。その諧謔は、俺自身にしか伝わらないものだったが。


「ひー……ろー……?」

「ああ。それで、君たちを助けにきたんだが、ここから逃げ出したい子はいるか?」


 ダークエルフの少年少女は、お互いの顔を見合わせた後、


「とうさんと、かあさんのところにもどれるってこと……?」

「さあ、どうだろう? 君らの親は、とっくに亡くなってるかもしれんし、そこまで責任は持てない。外に出たところで、野垂れ死にしてしまうかもしれない。あるいは、かごの中の鳥として生きていた方が幸せかもしれない」


 俺は、率直に事実だけを伝えた。


「だがそれでも自由を望むなら、俺が手を貸す。……どうだ?」


 俺の作戦は単純である。

 暴れて暴れて、そのどさくさに紛れてユーシャたちの目的を果たさせ、安全な場所に導く。

 それだけだ。

 いまのユーシャの実力じゃ、真っ向から平和的な山荘ピースフル・ロッヂの連中と敵対するのはまずいからな。

 ユーシャたちは、俺が起こした混乱に乗じて目的を果たす訳である。


「わたし、……外に出たい、さ」


 最初に口火を切ったのは、幼いながらに毅然とした表情の娘だった。

 名前は……訊ねなくてもわかる。首輪に名札が下げられていたためだ。


――この娘がリンネか。


 母親が必死になるのもわかる、綺麗で、理知的な子だ。


「ぼくも」「お、おれも……」「あたしも!」


 それに続くように、残った子どもたちが言う。


「そうか」


 そして俺は、順番に彼女たちの首輪を引きちぎっていく。

 この首輪にもまた、何らかの魔法がかかっているためだ。

 詳しくは知らないし、興味もないが、たぶん装着した者に絶対服従を誓わせるとか、そういう類のやつだろう。


「ありがとう……ヒーローさん」


 俺は、微笑むリンネの頭を軽くなでてやりながら、


「じゃ、みんなはしばらくここで準備して待っていてくれ。合図が聞こえたら外に出るんだ」

「合図って?」

「そのうち、ここらへんがドンパチ騒がしくなる。それが合図だ」



 いったん、ダークエルフの少年少女たちが閉じ込められている部屋を出た俺は、とりあえずモモに連絡を取ることにした。


「……そんな訳で、ちょっとした騒ぎを起こすつもりでいる」


 すると、モモは少しだけ気のない返事をした。


『んー。いいと思う』

「ちなみに、そっちはどうだ?」

『それがなー……ちょっと様子がおかしいんだ』

「おかしい? 何が?」

『アオハナがどこにもいない』

「いないって……そんな馬鹿な」


 一瞬、モモが見廻隊員にとって当たり前のことも忘れてしまったのかと疑う。


「ちゃんと検索かけたのか?」

『当たり前だろ。なめとんのか』


 見廻隊員は、その世界に存在するあらゆる物体・生命体を探知することができる端末を持つ。一般に、俺たちが異世界で見つけられないものは存在しないはずだった。

 まず俺の頭によぎったのは、最悪のケース。


「検索にかけて見つからないってことは、……もう死んでるってことか?」

『そう思って、ここ最近の霊化した生命体も検索したが、違うっぽい。――しょーじき、こんなのはじめてだぞ』

「ってことは……」


 もう一つのパターン。


「”固有スキルギフト”かもしれない」

『ぎふ……? なにそれ?』

「”WORLD1777”の生き物に先天的に宿る力だそうだ。それで自分の身を隠しているなら、あるいは検索に引っかからなくてもおかしくない」

『ふーん。そんなことあるんだな』

「俺たちだって、万能の神様って訳じゃないさ」


 そもそも、自分のことを万能の神だと思っているような輩は見廻隊員失格である。


『とにかく、あたしはおおあばれするのには賛成。たのしそうだし』

「よし」


 俺は小さく頷いて、


「じゃあ、その作戦でいく」


 ……と、その時だった。


「――悪いがそれは困るな」


 想定外の返事。


「なに?」


 見ると、そこに居たのは一人の仮面をつけた男である。

 ピエロを彷彿とさせる面を見て、


――“顔なしディック”。


 その異名を思い出す。

 俺はいったん、“SEP効果”が間違いなく起動していることを確認した後、念のため周囲に人がいないか確認した。


「……お前に言ったのだ。――“造物主”の使いよ」

 さすがに、……言葉を失う。


「なんだ? 驚いているのか? あるいは、自分たちは安全圏にいて、決して異世界の住人に姿を感知されることはない、とでも?」


 数歩、その場を退く。

 四年ほどこの仕事に就いているが、……さすがにこのパターンは初めてだった。

 “顔なしディック”は、つまらなそうに鼻を鳴らした後、


「――悪いが、少し眠ってもらう」


 瞬間、手のひらから幾何学的な模様が出現する。

 まずい。

 俺は、その術に心当たりがあった。


――精神に直接影響を与える術。


 俗に、《催眠術》と呼ばれる力だ。

 視覚に訴えかけるこの力の前では、魔術を無効化する力場も働かない。


「くっ……」


 《スタン・ガン》を抜くが、明らかに遅すぎた。


「無駄だ」


 断定口調の言葉。

 俺の精神が、急速に遠のいてくる。

 身体から、力が抜けていって。


『おいっ、ホシ! 先輩! くそっ、いまいくぞ!』


 モモの呼びかける声が、急激に遠のいていく。

 僅かに残った理性で、俺はモモに向かって叫んだ。


「駄目だ、ばかっ。今すぐ逃げろ、……モモ……ッ!」

「では、おやすみ」


 焦る気持ちとは裏腹に、俺の意識は深淵へと沈んでいく。


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