第2話 レベル上げ

「ナナミ、《一式光魔法》の詠唱を」

「は、はい!」


 カザハナに命ぜられ、“奇跡使い”の少女はぶつぶつと呪文の詠唱を始める。

 彼女の眼前に立ちふさがるは、一匹の“あばれブタ”。



【あばれブタ】

 元々は家畜だったブタが逃げ出し、魔族の瘴気に当てられたもの。

 人間に対して極めて好戦的で、頭から生えた二本の角を武器に突撃してくる。

 雑食で、時には人肉をも食らうが、そこのところを気にしなければ肉は豚同様に美味である。



『フゴーッ! フゴー!』


 猛る豚を前にして、カザハナは果敢に短剣を抜いた。


「光魔法と同時に斬りこむ。タイミング合わせろ! あと、――ユーシャ!」


 そこから少し後方に控えているユーシャが、


「おいっす」


 と、のんきに片手を挙げる。


「荷物番、よろしくたのんだぞ」

「おまかせあれ」


 同時に、ナナミの持つ樫の杖から、眩い光が放たれた。


『フゴ!? フゴフゴ!?』


 目を眩ませる“あばれブタ”。

 その頭部に、深々と短剣が突き刺さる。


「苦しまずに、――逝け」


 実際、その通りになった。

 一瞬にして息の根を絶たれた“あばれブタ”は、その場で倒れ、動かなくなる。


「――よし。一丁上がり、だな」

「……ほっ」

「ばんざぁーい! ばんざぁーい!」


 勝利を喜び合う少女たち。

 なお、その日のユーシャの仕事は、ほとんど荷物番に終始していた。



「ふーんふふふーん♪ ふふふー♪」


 俺の気も知れず、ユーシャは鼻歌混じりに歩を進める。

 機嫌が良いのも、当然というか。

 新しく仲間になったダークエルフの少女が、彼女の思惑以上に働いてくれているためであった。


「それにしても……カザハナさんはさすがですねえ」

「すごい? なにが?」


 ダークエルフの娘は鼻で笑って、


「お前たち、これまでどんなモンスターと戦ってきたんだ? さっきから、大した魔物と出会っていないはずだが」

「それがねえ。私、魔物を殺した経験、ないんですよ」


 はあ? と、カザハナが眉をしかめる。


「ということは、敵から経験点を吸収したことも?」

「アッハッハッハッハ。もちろんないです」

「……聞き忘れていたんだがお前ら、レベルは?」


 するとユーシャとナナミは、子供のころのおねしょを告白するみたいな表情で、


「1です」(ユーシャ)

「あたしは……5」(ナナミ)

「おいおい、ナナミはともかく……ユーシャはなんだ。曲がりなりにも冒険者を志すものが、1って」


 カザハナはやれやれと頭を振って、


「村のワルガキだって2か3はあるモンだぞ。それでよく私を誘う気になったな」

「てへへー」


 対するユーシャは、全く悪びれた様子もない。

 その様を、唯一危機感を持って見つめている男が一人。

 もちろん、俺である。


「まずいな……」


 苦い表情で彼女たちを見守りながら、悩ましい嘆息を一つ。

 手元の資料『WORLD1777の手引』を見ると、



【レベル】

 この世界においては、魂の強さがその生き物の生命力に直結している。

 そしてその魂の強さは、他の生き物の生命を奪えば奪うほどに強化される。

 魂の力を数値化したものをレベルと呼び、レベルによって冒険者は大まかにランク付けされている。

 なお、レベルが上がった際、その者の脳内で盛大なファンファーレ『女神の調べ』が鳴り響くとされている。



 ぐぬぬ。

 このまま、カザハナとかいうダークエルフに戦闘を任せっぱなしにするのはまずい。

 どう考えてもまずい。

 ”魔王”と対決するのは、あくまで”勇者”であるユーシャ・ブレイブマンでなければならないのだ。

 このまま彼女に成長しないでいられると、”魔王”に手も足も出ない可能性がある。

 どうやら俺の初担当は、かなり手間をかけてやる必要があるらしかった。



 その日の夕方。

 ちょうどいい水場の近くで、カザハナが荷物を置く。


「では、今日はこの辺で野宿にするか」

「あれ、もうですか? まだ太陽が出てますけど」

「暗くなってから準備を始めると遅すぎるからな」

「あ、そういやそっかぁ」

「……お前、本当に何も知らずに旅に出てるんだな」

「いやはや、それほどでも」


 照れてんじゃねえ!

 ……と、盛大にツッコミを入れても、こいつらには聞こえないんだったよな。


「闇夜で動く冒険者ほど長生きしない。これは旅の鉄則だぞ」

「勉強になります」

「じゃ、私は薪を作るから、ユーシャは枯れ枝を拾ってきてくれ。ナナミは私と一緒に、食事の準備をする」

「はあい」


 まったく、これじゃあ勇者というか、下働きじゃないか。どちらがリーダーかわからんぞ。

 だが、ユーシャが孤立するのは好機とも言えた。


「……よし」


 俺は素早く先回りしながら、携帯端末で支部に連絡する。


「おい、モモ」

『ん? あんだぁ?』


 デスクワーク中のモモは、つまらなそうな声で応えた。


「悪いんだが、”WORLD1777”における経験点効率の良いモンスターを調べてくれ。小柄で、持ち運びしやすいタイプのものを頼む」

『ええ~?』

「すまん、大至急だ」

『ンモー、しょうがないなあ』


――しょうがなくねえ。それがお前の仕事だろうが。


 ……と、ここで喧嘩している暇はない。

 モモからの返答はすぐだった。


『”手引”だと、225ページの……”ゴールデンドラゴン”ってやつがお手頃らしいぞ。いじょー』



【ゴールデンドラゴン】

 金色のウロコで全身を覆った小型の竜。全長は成体で20~30センチほど。主にワールドの北部、”ドラゴンの谷”と呼ばれる区域に生息している。

 巨大な力を持っていることが多いドラゴン族の中では最弱だが、逃げ足がとても早く、冒険者の間では幻の存在だと言われている。



「ふんふんふーん♪ るるるー♪」


 気楽そうに枯れ木を集めるユーシャに背を向けて、俺は《ゲート・キー》を起動する。

 といっても別に、帰社しようってんじゃない。《ゲート・キー》は、そのワールド内の移動にも使えるのだ。

 要するに、例のネコ型ロボットが使うどこにでも行けるドア的なアレと似たような感じで使える訳である。


「どーこーでーもーフフーン♪」


 似てないモノマネを虚空に向けて披露しつつ(独り言が多くなるのは見廻隊員の職業病だ)、俺は”ドラゴンの谷”とやらにワープした。

 歩きだと一年以上はかかるその場所でも、造物主さまより賜ったチートアイテムを使えば一瞬だ。

 鬱蒼と生い茂る森を抜け、草一本生えていない不毛の大地へと移動する。


『ギィー! ギギギギゴゴゴゴゴゴゴ………』

『ギィィイイイイイイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアア!』


 さっそく物騒な鳴き声が聞こえて来て、俺は空を見上げた。

 見ると、空を覆わんばかりに巨大な竜が二匹、ド派手な喧嘩を繰り広げている。


「お~、やっとるやっとる」


 とか、帰り道におでんの屋台を見かけたくらいの気分で。



【ドラゴン族】

 ウロコで全身を覆った、高位の種族。自分以外のありとあらゆる生命体と対立している。

 獰猛で誇り高く、短命なものでも数千の時を生き、知能も高い。

 なお、ドラゴンには「捨てるところがない」と言われるほどに人間にとって有益な部位が多く、種族にもよるが、一匹狩るだけで家が一軒建つ程度の稼ぎになる。

 そのため、ドラゴン族を専門に狩る、ドラゴンスレイヤーと呼ばれる冒険者も少なくない。



「……この手の設定はどこの世界でもあんま変わらんな」


 最初にドラゴンを見た時は、小便ちびりそうになるほど驚愕&興奮したものだが。

 今となっちゃあ、これも日常の光景なんだよなあ。

 それでもやっぱり、ドラゴンはカッコいいと思うけど。


「えーっと、金色のやつは、……と」


 呟きながら、あちこちの岩陰を探す。

 すると、思ったよりあっさり見つかった。


『きぃぃぃぃぃ……』


 金色の美しい鱗が、陽の光を受けてきらきらと輝いている。

 ”ゴールデンドラゴン”だ。

 俺は、さっそく腰に吊った銃、――《スタン・ガン》を引き抜き、眠っている金の竜に向けて引き金を引いた。


――ばしゅっ。

『きいいっ!』


 あっさりと気絶した”ゴールデンドラゴン”のしっぽを掴み、無造作に担ぎあげる。

 もちろん本来、竜狩りはこんなに容易くない。

 だが、”SEP効果”によって存在を認知されない俺は、この世界に生きる冒険者の何百倍もお手軽に、こういうことができる訳だ。

 再び《ゲート・キー》を起動して、


「るりらららー♪」


 ユーシャの元へ帰還。

 彼女が枯れ木を集め終える前に竜狩りを完了させた俺は、ぽいっと彼女の足元に”ゴールデンドラゴン”を投げた。


「……んむ? ややや?」


 足元の異音に鼻歌を止めた少女は、目を丸くする。

 それもそのはず。彼女の目の前にあるのは、多くのドラゴンハンターが夢見て叶わない、希少な種類のドラゴンなのだから。

 俺のいた世界に例えるなら、――そうだな。

 道を歩いてたら、一千万円の宝くじが落ちていたとか、そんな感じか。


「…………ありゃま?」


 無関係なドラゴンの命を奪うのは道徳に反する行為にも思えるが……実を言うと、異界見廻隊の仕事には、その手の倫理的な危うさが付き物だ。

 俺たちはそれを、「最大多数の最大幸福」って呼んでる。

 簡単に言うと、より多くの生き物の幸福のためであれば、少数が犠牲なるのはしゃーないって意味で、今回はその典型。

 勇者が魔王を斃さんことには、この世界の生き物のバランスがぶっ壊れちまう。そうなると、この世界に存在するありとあらゆる生命体が消滅し、世界に”終末”が訪れる羽目になっちまう。

 俺たち見廻隊員は、世界に”終末”が訪れることだけは絶対に避けなきゃならん。


「ふうむ……なんかこいつ、魔物図鑑で見たことがありますねぇ?」


 極上の餌を前にした野良猫のように、ユーシャは”ゴールデンドラゴン”を吟味している。


「これって……ひょっとして、ゴールデンだとか、ドラゴンだとか、なんかそういう感じのレアなやつじゃ……」


 ああ、そうだよ。だから、とっととトドメを刺せ。

 俺の計算では、それでユーシャのレベルは七つほど上昇するはずだった。

 カザハナのレベル二十にはまだまだ遠いが、それでもまだマシな戦闘力が身につくはず。

 ちょっとずるしてる感じもするが、それもやむなし。

 この娘は、魔王を殺す運命にあるのだから。

 仮にその戦いで力尽き、命を失うことになるとしても、その使命だけは全うしてもらうぜ。


「ふむむむむ……、よぉし!」


 そこでユーシャは、ぽんと手を叩いた。


「これ、次の村まで持って行こう。そして売ろう。きっといい金になるぞ」


 って、おい!


――低レベル縛りでもやってんのか、こいつ。

「これだけの上物……。ふひひ。これでしばらくは楽して暮らせそうだぜぇ……」


 小物臭のする笑みを浮かべながら、“ゴールデンドラゴン”をふん縛るユーシャ。

 どうやら、俺が思い描いていたのとは少し違う展開になったらしい。


「おぉーい! みんなー! とんでもない拾い物ですよ!」


 大喜びで仲間の元へと駆けて行くユーシャ。

 俺はそれを、何もできずに見つめているしかできなかった。

 少し遅れて、カザハナとナナミの歓声が聞こえる。


「すごいわユーシャちゃん。さすがぁ! 運命に導かれてる!」

「金鱗のドラゴンなんて、滅多にお目にかかれるものじゃないぞ。と、とんでもない強運だな、お前……」


 どうやら、この”勇者役”の思考回路をちゃんと分析する必要があるらしかった。

 あの娘の思考は、――どうやら基本的に、「楽して生きる」ということを前提に働いているらしい。

 恐らく、「魔王を倒す」なんて目的、本気で考えてもいないだろう。

 これは、実に憂慮すべき事態であった。

 たとえどれほど素養に優れた”勇者役”であっても、――そこに俺たち見廻隊員のフォローがあっても。……努力できない者に大業を成すことはできない。

何も俺だって、ありきたりな説教がしたい訳じゃあないぜ。ただこれは、統計的な事実なのである。

 そんだけ“魔王”って存在は、”剣と魔法の世界”において危険な存在なのだ。

 思わぬ大物を仕留めた事実に湧く少女たちを眺めながら、俺はまた、別の一手を考える必要に迫られていた。



「えーっと。……そんで、何にもできずに戻ってきたのか?」


 モモが呆れた表情で、夕食のチーズINハンバーグを口に運ぶ。ちなみに俺のおごりだ。


「まあな。ちょっと煮詰まっちまって」

「だっせえ」

「こういう時は気分転換した方が良い。……可愛い後輩と飯食ったりしてな」


 雑なお世辞を言うと、”可愛い後輩”は少しだけ頬を朱に染め、


「……ん。まあ、そこまで言うなら、ちょっとくらい話をきいてやってもいいけど?」


 ぼそぼそと呟く。

 俺がこの跳ねっ返りに相談を持ちかけたのには、二つ理由があった。

 一つ。あんまりスラっち先輩に心配かけたくない。

 二つ。この、モモと呼ばれる娘は、他でもない、元”勇者役”であったためだ。

 こいつは本名を吉備津姫命きびつひめのみことといい、……まあよーするに、俺の世界で言うところの『桃太郎』の元ネタみたいなヤツなのである。

 異世界同士は微妙に干渉しあっているので、様々な昔話や伝説上の登場人物が、当然みたいな顔して見廻隊員をやってるってパターンは少なくない。

 俺がまだ下働き身分の時、浦島太郎の元ネタだったって人としばらく一緒に働いていたこともある。――歳のせいですぐ仕事についていけなくなっちゃったけどな。


「あたしの時はどうだったかなー。……うーん。しょーじき金目当てで鬼フルボッコにしたとこあるし」

「まあ、犬と猿と雉ごときにやられる鬼だしなぁ」

「……言っとくけど、ホシが前に持ってきた子供向けの絵本みたいに、気軽にやっつけられた訳じゃないぞ。けっこうあれこれ、作戦練ったりしたんだからな」


 作戦……か。

 問題は、小手先の策略で倒せるほど、”魔王”は甘くないってことだ。

 ”WORLD1777”の手引を見ても、



【魔王】

 魔族の王。”WORLD1777”極西部に位置する”魔界”と呼ばれる地域に定期的に出現する、ヒト族を徹底的に死に至らしめるための存在。

 ”WORLD1777”には《治癒魔法》が存在するため、人間が病気や事故などで死ぬことが少ない。魔王は、人間が増えすぎるのを防ぐための安全装置でもある。

 その行動はほとんど機械的ですらあり、これまで幾度となく行われてきたヒト族との和平交渉はことごとく失敗に終わっている。

 通常の剣や魔法による攻撃を一切受け付けず(その特性上、見廻隊員の攻撃も受け付けないため注意)、唯一”勇者”が手にした”光の剣”でのみダメージを与えることが可能。



 ……と、あんまり前向きになれる情報はなく。


「問題はアレだ。”勇者”にしか”魔王”は倒せんってのに、肝心の”勇者”側に戦う気概が見られんってことだ。下手すりゃ、適当なところで冒険をやめて、どっかののどかな村に引っ込んでスローライフを満喫したいとか言い出しかねない」


 モモは、付け合せのミックスベジタブルからグリーンピースを取り除きながら、


「いいよね、スローライフ。あたしはもう飽き飽きだけど」


 こいつって確か、鬼を倒した後、おじいさんとおばあさんの家でしばらく遊び呆けていたところを見廻隊員にスカウトされたんだっけ。


「やっぱ人生にはハリがなくちゃ。……きっとこのユーシャちゃんも、退屈な日々が続けば気が変わるんでない?」

「……そうしている時間がないから、こうして相談してるんだって……」


 モモは、しばしフライドポテトを口の中でもむもむした後、……では、今からこのあたしが直々に、必勝の案を授けよう、……とばかりに勿体つけて、口を開く。


「簡単だよ。元英雄のあたしに言わせりゃね」

「ほほーう?」

「結局のところ、巨悪と戦うのに一番必要なのは、本人の強さとか、勇気とか……そーいうんじゃないんだ」

「じゃあ、なんだってんだ?」


 モモは、先輩である俺に講釈を垂れられるのがたまらなく愉しいのか、にんまりと笑みを浮かべて、


「『友情パワー』さ」



 と、言うわけで俺は、モモのアドバイス通りに作戦を練り直す。

 名づけて、『仲間のピンチだ! 戦うしかない!』作戦。

 現時点におけるユーシャの仲間、……カザハナとナナミ。

 この二人には今から、窮地に陥ってもらおうと思う。

 役に立たなくなった二人を助けるべく、ユーシャはたった一人で魔物に立ち向かう。……というシチュエーションを意図的につくり上げるのだ。

 ユーシャのレベル上げにもなる上、仲間との絆も深まる。一石二鳥の作戦という訳である。


『仲間に恩を売っとくのは大事だよ~。あたしがお供にした畜生どもも、餓死しかけてるところを食べかけの団子一つくれてやっただけで、命をかけて戦ってくれたモンだ』


 とは、モモの弁。

 今回の作戦で大事なのは、ユーシャに『自分が成長しなければ仲間を守れなくなる』という事実を認識させることにある。


『友情にしろ、主従にしろ、仲間との関係ってのは相互に作用するもんだ。こーいうイベントは時々起こしてやった方が”勇者役”のモチベにも繋がるし、いいことづくめだぜ』


 さすが元“勇者役”なだけあって、説得力があるな。

 正直、これは盲点だった。

 スラっち先輩の付き添いで担当していた”勇者”は、ソロで魔王と戦うタイプの人が多かったからな。

 俺は、さっそく必要な道具を倉庫から引っ張り出し、異世界への扉ゲートを開く。



 がちゃり、と。

 扉を開いた先は、”WORLD1777”……の、夕刻。

 ちょうど、ユーシャたちが夕飯の準備を済ませたところのようだ。

 さっきファミレスで飯食ってきたばかりだから食欲は沸かないが、いい匂いがする。

 どこかで嗅いだことのある匂いだなと思っていると、味噌の香りだった。

 この世界にもあるのか、味噌。

 ファンタジー系の世界観には合わんな、味噌。

 鍋の具は、たっぷりの豚肉。どうやら、さっき仕留めたあばれブタを食べているらしい。上手に捌かれた死骸が、近くの樹に結びつけてあった。


「まったくぅ。カザハナさんったら料理まで達者なんだから。よっ、完璧超人!」


 ユーシャのやつ、完全に太鼓持ちのポジションに収まってやがるな。


「……他人事ながら、心配になってきたぞ。悪いこといわんからお前ら、実家に帰って家業かなんか継いだほうがいい」

「いやはや。そうしたいのはやまやまなんですけどね~。あいにく私の家って、代々冒険者が家業でして。……今はもっと楽ちんな生き方を模索してるところです」


 そういうユーシャの後頭部をひっぱたきたくなる気持ちを抑えつつ。


「もー、だめだよー。ユーシャちゃんは魔王を倒す使命があるんだから」

「魔王を? ユーシャが?」


 目を丸くするカザハナ。

 それには、ユーシャ自身が苦笑する有様だった。


「……ね? ありえないでしょー?」

――本人が言ってどうする。


 だが意外にも、カザハナはその意見を真面目に受け止めたようだった。


「いいや。ありえない話ではないぞ。……なんでも、前に魔王を殺したとされる勇者はかなり精力旺盛な人間で、王族から農民、奴隷、異種族など、入れる穴さえあれば片っ端から子種を残すような男だったらしい。勇者の血が、お前みたいな田舎娘に宿っている可能性は十分にあるってことだ」

「うへぇ。……やりちんのご先祖様かぁ。嫌だなぁ」

「……? 自身の遺伝子を残すのに多くのメスと交わるのは、オスとして当然のことだと思うが」


 ごほん、と、わざとらしく咳払いをして、ナナミが言う。


「えーっと。カザハナさん、スープはそろそろかな?」

「うん。……肉がいい色になってきた」


 じゃ、そろそろ……。

 小皿に取り分けるのを確認して、俺はサーッと瓶詰めのネムリ薬を混ぜた。

 効果はてきめん。

 ナナミとカザハナは、一口スープを口に含んだ瞬間、


「……ん。これは……」「ううう、むにゃ……」


 こてっと意識を消失させる。


「えっ? え、え、え、え、え? ええええ?」


 さしものユーシャも、ぽかんとした表情だ。


「ちょっと二人とも、……ギャグ?」


 当然、返答はない。


「いくらなんでも寝るの、はやくない? 赤ちゃんじゃないんだから」


 早口でそう言いながら、とりあえずナナミの頬を叩くユーシャ。


「おきておきて! ウェイクアップ! ナナミちゃん!」


 ナナミは目を覚まさなかった。

 当然である。

 今、俺が使ったネムリ薬は、こことは違う世界で作られた、超強力な催眠作用があるものなのだから。


「なんなの? どういうこと?」


 幼なじみのほっぺたをむにーっと引っ張りながら、ユーシャはしきりに首をかしげている。

 よし。

 では、計画の第二段階だ。

 俺はポケットからサソイ草を取り出し、ライターで火をつける。

 サソイ草というのは、これまた別の世界から取り寄せた植物だ。

 そのままでは無味無臭だが、炙るととてつもなく甘い匂いを発する効果がある。

 これで、付近にいる低級の魔物を惹きつけようという算段であった。

 甘い匂いを発し始めたサソイ草をぽいっとユーシャの足元に投げると、これまた効果は即効性。さっそく周囲の草むらががさごそ音を立て始める。

 待つこと、数分。

 「こいつはもー辛抱ならん!」といった具合に現れたのは、


『キィーキキキィーッ!』


 巨大なキノコの化物だった。

 巨大といっても、サイズは人間の腰元ぐらい。

 生々しい手と足の生えたその生き物は、ぎょろりとした眼でユーシャを睨む。


『キーノキノキノキノ! ギギギィー!』


 《バベルフィッシュ・システム》越しにでも言語化されないということは、言葉をしゃべる知能もない魔物らしい。

 俺は『手引』を開く。



【マタンゴ】

 低級な魔物。同種を除く全ての生き物と対立している。

 太古の昔に、邪悪な魔法使いによって生命を宿されたキノコが繁殖したもので、暗く、じめじめしたところを好む。

 個体としての知能・戦闘力などは極めて低く、よく子供のオモチャにされていることで有名。



 なるほど。

 村の子供にイジられる程度の魔物か。

 最初の相手としては、妥当なところだろう。


「うわ、気持ち悪い、関わりたくない!」


 たじろぐユーシャ。

 だが、この状況だ。逃げるわけにもいくまい。

 その思惑通り、少女は苦い表情のまま、はじめて鉄の剣を抜いた。


「こ、……こないで!」

『キノノノノノーッ!』


 ユーシャは警告するが、興奮状態のマタンゴ君は、構わず襲い掛かってくる。

 俺は腕を組み、高みの見物感覚で少女の姿を見守っていた。

 気分はアレだ。俺が元いた世界で言うところの、女子バレー部員を見守る鬼コーチとか。たぶんそんなん。

 がんばれ、“勇者役”の少女よ。

 困難を乗り越えて強くなるのだ。……と。

 しかし。

 その後、ユーシャが取った行動は、俺の期待を遥かに下回るものだった。


「やっぱ無理! さよなら!」


 なんとこの娘、踵を返してマタンゴから逃げ出したのである。


「ば、ばかな!」


 思わず声に出してしまっていた。

 だってそうだろ?

 ここで逃げ出すってことは……幼なじみのナナミと、ここまで世話になったカザハナを見捨てるってことになるんだから。

 だが、そうした理屈とは裏腹に、ユーシャは一目散に夜道へ走り去っていく。

 正直、思ったね。


――この“勇者役”はダメだ。本格的に。


 しかし、それで諦めてもいられないのがこの仕事の辛いところ。

 この瞬間、俺は本物の鬼になった。


『キーノキノキノキノォー!』


 興奮するマタンゴは今、玩具を取り上げられた子供のように暴れている。

 その毒牙はやがて、意識を失っているナナミとカザハナに向けられるだろう。

 そして、異世界産のネムリ薬で眠っている人間は、そう簡単には目を覚まさない。

 恐らく、……致命傷を負うことになったとしても。


 “鬼になった”というのはつまり、俺はこのマタンゴの排除に手を貸さない、という意味だ。

 これでもし、俺が彼女たちを救うことがあれば、ユーシャは何も学ばないだろうからな。

 時には厳しい選択を迫られるのも、見廻隊員の仕事の内である。

 気の毒だが二人には、犠牲になってもらう。


 思えば、カザハナとナナミの二人は、ぐーたらなユーシャの仲間としてはあまり相応しくなかった。二人とも、何だかんだ言って世話焼きな側面があるためだ。

 俺は、――少しだけ歯を食いしばって、目の前にいるマタンゴの姿を見守る。

 間接的にとは言え、異世界の人間を二人、殺すのだ。

 葛藤がないかと言われれば、嘘になる。

 俺が元いた世界の倫理基準において、……命というものは、可能な限り尊ぶべきものだとされているからな。弱き者を見捨てるヒーローなど存在しない。

 ……そう。

 わかりきっていたことだ。

 俺たちはヒーローじゃない。

 異世界の平穏を守護するものだ。

 全ての見廻隊員は、自身の倫理との間で揺れるものである。


『キノォー!』


 ふざけた奇声をあげるマタンゴから少し離れて、俺はどっしりと腰掛けた。

 魔物は今、気を失った少女、――ナナミの身体を引き裂こうとしている。

 だが。

 次の瞬間。

 俺が心の奥底で望んでいた者が、再び視界に現れた。


「はあ、はあはあ……ふうっ。間に合った!」


 ユーシャである。

 一度逃げ出したくせに、どういう風の吹き回しだろうと考えていると、


「トォリャーッ!」


 意外なほど綺麗な太刀筋で、マタンゴを斬りつける。


『き、キノォーッ!』


 見事な三連撃だった。

 死なない程度に身体を傷めつけられたマタンゴは、一目散に彼女の元から逃げ去っていく。

 ……な。

 こいつ。

 思ったよりやるじゃないか。

 少なくとも、俺が知っているどの”レベル1”よりも強い。

 そこで俺は、彼女を少し誤解していることに気づいた。

 改めて『手引』を読みなおしたりして。


――考えてみれば、この世界の”レベル”って……。


 生き物を殺した数で決まるんだったよな。

 ってことは、だ。


「自分自身を鍛えたところで、レベルは変わらないってことで……」


 ユーシャの剣術の腕前と、彼女のレベルが比例しなくてもおかしくはない。


「そういうことか……」


 しかし、これほどの腕があるってのに、なんでこいつは逃げ出したりしたんだろう?

 疑問に思っていると、本人の独り言という形で、その答えを知る。


「イヤハヤ。さっきは危うくお漏らしするところでした。……アブネーアブネー」


 …………。

 ああ、そう(無関心)。



 で。

 俺はようやく、このユーシャという少女の弱点を発見する。

 ゴールデンドラゴンに、マタンゴ。

 そして、この世界の平均水準に比べて、あまりにも低すぎるレベル。

 それは、俺みたいな世界から来た人間には、とても責められないような弱点で。


――ようするに、こいつ……。


 生き物を殺せない性格なのか。

 俺が元いた世界みたいに、生き物を殺傷する行為がタブー視している社会では、そういう生き方も許されていたかもしれない。

 だがこの世界では、生き物を殺すということと自身が生きていくということは、ほとんど同一のものだ。

 そういう意味で彼女は、完全に社会不適合者だと言えた。


「おーい、二人ともー。そろそろおっきしなさぁい」


 ユーシャは気楽な表情で仲間たちに声をかける。


「う…………ん。ここは……?」

「おはようカザハナさん」

「あれ? いつの間に、私……」

「おはようナナミちゃん」


 二人の覚醒を促すと、ユーシャは新しく作りなおしたスープを味見して、


「うん。グッド。イケる。そして眠くはならない」

「……何があった?」


 尋ねるカザハナ。


「なんか二人とも、スープを飲んだらたちまち眠っちゃいましたよ。……気味が悪かったので、いま、新しいのを作り直しました」

「……むむ。眠くなる成分が入った具材など入れたつもりはなかったが」


 しきりに首を傾げるダークエルフの少女。


「しかし、”嘘”は言ってないな?」

「仲間に嘘ついてどーするんです」

「疑ってる訳じゃないが。……例えば、”ゴールデンドラゴン”の報酬を独り占するつもりだった、とか」


 ユーシャは苦笑する。


「夜に動きまわるのは危険だって、さっき教わったばかりでしょう?」

「確かに、な……」

「それじゃ、さっさと夕ごはんをいただきましょう」

「うむ……そうだな」


 少女たちは両の手を合わせ、この世を創りたもうた”造物主”に対する感謝のポーズを取る。

 そして三人は、


「いただきまーす♪」


 と、唱和するのだった。



 きゃっきゃとユーシャたちが夕食を囲んでいる間も、俺はウンウン唸りながら次の作戦を練っている。

 殺しが苦手な勇者。

 それを、いかに補佐していくかを。

 正直に言おう。

 まったくいい手が思い浮かばない。


「どうしたもんか……」


 大まかな方針すら見当もつかないまま、俺は《ゲート・キー》を使った。

 気づけば、退社時刻がとうの昔に過ぎていたためである。

 見廻隊員としての仕事は、明日以降も続いていく。

 だが、今日のところはここまでだ。


 先行きは暗い。いかにして前に進めばいいかもわからない。

 それでも。

 この仕事を、心底では嫌いになれないでいる自分も発見していた。

 嘆息混じりに、


「また明日、な。優しい勇者さん」


 そう呟く。

 遠く、”WORLD1777”に住むふくろうの鳴き声が聞こえていた。


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