小さな宝箱 4

 初めはきょとんとしていたアベルだったが、彼もこの状況に苛立ち始めている。顔つきがだんだん険しくなり、忌々しそうなな顔付きでベンチに座っている。

 あおいがゲームを放って逃げようかと思案し始めた時、あおいの腕を赤シャツが掴んだ。あおいがアベルに目で助けを求めると、アベルは射抜くような目で睨みつけていた。

 アベルは怒っている。立ち上がろうとしたアベルの前に、鼻ピアスがさっと移動してきた。アベル目の前に立ち塞がると、ニヤニヤしながら話しかける。


「君さ。そんなに怖い顔しなくてもいいじゃん。せっかくかわいいんだから」

「俺は男だ。いい加減にしろ」


 アベルは鼻ピアスを押しのけて立ち上がると、低く唸るように言った。そして鼻ピアスの胸ぐらを掴んで押さえ込むと、先程までアベルが座っていたベンチに無理やり座らせた。今にも切りかかりそうなほどの気迫で睨みつけると、鼻ピアスが縮み上がった。鼻ピアスの方がアベルよりも背が高いので、引きずられる格好ようなだ。

 赤シャツは唖然として、あおいの腕をそっと放した。更にアベルが赤シャツにもひと睨みすると、彼は一瞬で青ざめた。冷や汗をかきながら足をもつれさせて、鼻ピアスと共に一目散に逃げて行った。


 殺気立ったアベルは、手のひらサイズだった時とは比べものにならないくらいの迫力と凄みを纏っていた。あおいですら、そばに居るだけで腰も抜かしそうだ。アベルはそんなあおいの様子に気付くと、「しまった」というような顔をする。途端に張り詰めていた空気がぱっと解けた。


「あおい、ごめん」

「何で謝るの? 」

「驚かせてしまった」


 アベルは肩を落とし、下を向いてしゅんとしている。先ほどまでの殺気は嘘のように消え去って、すっかり落ち込んでいた。

 あおいは首をブンブンと横に振る。


「そんなことないわ。助けてくれてありがとう。アベルと一緒で良かったわ」


 そう言ってにっこり笑うと、アベルは「そうか」と、ほっとしたように微笑んだ。


 ボウリング場を後にし、近くの食堂で食事をした。帰宅する頃にはすっかり暗くなっていて、夜空に丸い月が浮かんでいる。

 あおい達はいつの間にか手を繋いでいた。あおいにはアベルの体温が心地よく、ごく自然に馴染んだ。また、それはアベルも同じでもあった。互いがそのことに気付いてからもずっと手を繋いだまま、二人並んで帰路につく。

 幸せな筈なのに、あおいの胸は焦燥感でいっぱいだった。手を離すと、アベルが消えてしまうのではないか。どうしてもそんなことばかり考えて、頭から離れなかった。


 玄関に入るなり、アベルはあおいを呼んだ。慈しむような、とても優しい声だ。アベルは陽だまりのように穏やかな、けれどひどく神妙な顔つきであおいを見つめている。まるで運命と取り組むかのような、真剣な表情だった。


「アベル? どうしたの? 」


 あおいが返事しても、アベルは押し黙っている。何か言いたいけれど、言い難い。そういう顔をしていた。

 あおいが再度口を開こうとした時、アベルは身に着けていた指輪の一つを外した。それをあおいにぎゅっと握らせる。

 艶のある金色の細身の指輪は、外側の全面に唐草模様に似た美しい彫刻が施されている。指輪の内側には、小さな白い石が一粒はめ込まれていた。


「あの、これ…… 」


 あおいは困惑してアベルを見上げる。アベルの顔は穏やかだった。けれど、どこか切羽詰ったようでもあった。顔を見た瞬間、あおいはアベルに抱きしめられていた。


 あおいは自分の身に起きた事を理解するのに少し時間がかかった。そして抱きしめられている事がわかった瞬間、血が逆流しそうなほどの緊張に襲われた。


「俺には返す物が何もないから……君は、あの根付けの石をむーんすとんと言ったか。イアサントにもよく似た石があって、守り石として身に付けるんだ。その指輪にも同じ石が付いている」


 アベルはあおいを抱きしめたまま話し続ける。あおいの耳元にかかる彼の息がこそばゆい。けれど、ひどく心地よかった。


「今日は初めての事ばかりで楽しかった。根付の礼だ。この指輪は君が持っていてくれ」


 抱き合ったまま、アベルはあおいの顔を覗き込む。あおいは彼の顔が目の前にあるのが照れくさくて、どこを見ていいのかわからない。おもわず目を泳がせながら、ちらりと彼の顔を伺う。


「ありがとう……ムーンストーン、ね。そんなの気にしなくても、いいのに」


 いや、とアベルは軽く首を横に振った。


「今までありがとう。君と出会って、俺が守ろうとしていた物の正体が分かった気がするんだ。幸せがどんなものかもわからずに、ただがむしゃらなだけだったから」


 抱き合ったまま、アベルはあおいの頬を自身の手のひらで撫でた。あおいが思わず彼の目を見ると、アベルは幸せそうに笑っていた。けれど、あおいには彼の優しい微笑みが却って苦しい。ぎゅっと胸を締め付けられるように、痛かった。


「けれど、俺はそろそろ帰らないといけないらしい」

「なんで分かるの」

「呼ばれているんだ」


 静かに、はっきりとアベルは言った。悟り切ったような、澄んだまっすぐな目をしている。


「そんなの、急すぎるわ」

「俺だって嫌だ。でも、俺はこの世界の人間ではない。俺たちはもともと、相容れない者同士なんだ」


 あおいいつの間にかは泣いていた。涙が頬を伝って、アベルの肩を濡らしている。彼の赤茶けた髪が揺れて、あおいの頬に張り付いた。


「きっと、これが今生の別れになるだろう。だから、今だけはこのままで居させてくれ」


 そう言って、アベルはあおいを抱く力をより一層強めた。


 どのくらいそうしていただろう。数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。暖かくて離れがたくて、大事な時間だった。


 やがてどちらからともなくそっと離れると、アベルの体が透け始めていた。

 つい先ほどまでアベルが着ていた筈のパーカーは、いつの間にか廊下に置かれている。そればかりか、脱いで立てかけてあったはずのサーベルや甲冑は、アベルが既に身に纏っている。頬のテープも消えてなくなり、傷以外は宝箱から現れた時と同じ姿になっていた。

 アベルの周りの空気がきらりと輝いた。更にホタルが飛び交うような光も舞い始め、どんどん幻想的な雰囲気に変わっていく。その間にも彼はどんどん透けていき、あおいにはもう触ることもできなくなっていた。


 やがて微かに銃や刃物がぶつかるような音が聞こえ始める。遠くに悲鳴や怒号も聞こえ、それはあまりにも生々しい。あおいはぶるりと震え上がった。

 あおいは恐ろしくなってアベルを見ると、彼は「大丈夫」と言ってふわりと笑った。それを最後に、アベルは消えてしまった。消えた瞬間から、音も悲鳴も、もう何も聞こえない。


 あおいはしばらくの間、その場から動くことができなかった。長い夢をみていたかのような気持ちで、ぼんやりとアベルに貰った指輪を見つめる。上がり框に腰掛けて、ただじっと眺め続けた。

 やっとの思いで部屋に上ると、宝箱がこたつの上にちょこんと乗っている。中を覗いても空っぽで、もう何も出てくる気配はない。

 もはや別の物だったのではないかと思うほど、すっかり何の変哲もない小箱に見える。全てが幻だったかのようだが、確かに指輪はあおいの手元に残っていた。


 あおいは鞄からアベルと2人で撮ったプリントシールを取り出した。並んで笑っていたのがつい数時間前の事なのに、既にずっと遠い昔のように感じる。「胸にぽっかり穴が空いたみたい」というのは、きっとこの事をいうのだ。あおいは思わずため息をついた。

 アベルは今もどこかで戦争している。そう思うと、どうにもやりきれなかった。


 翌日、あおいは宝箱を買ったアンティークショップのことを思い出した。アベルが現れて以来、ずっと忘れていたのに、その事にようやく気が付いたのだ。

 アンティークショップに行けば、何か手がかりが見つかるかもしれない。一縷の望みを懸けて、あおいは店へ向かった。

 しかし、アンティークショップだった筈の店は跡形も無かった。その場所には、代わりにケーキ屋が建っている。それにあったはずの奥まった路地も見当たらず、ケーキ屋は大通りに面して建っていた。

 あおいが店主に聞くと「アンティークショップなんて知らない。ここで10年前からケーキ屋をしている」と言った。


 完

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小さな宝箱 豊福 れん @rentoki24

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