小さな宝箱 3
「俺達の国は、嘗てはイアサント王国と呼ばれていた。農業と産業で栄え、美しく平和な国だったらしい」
「らしい? あ、そうか。生まれる前から」
あおいがそう言うと、アベルは残念そうに笑った。
「20年ほど前にモルトベーネという政治家が現われた。今の混乱はこいつのせいだ」
アベル曰く、モルトベーネはクーデターを起こし、有らぬ罪をでっち上げて王族を抹殺した。国を崩壊させ、モルトベーネは自身を皇帝とするモルトベーネ帝国を興す。そこから彼の恐怖政治が始まった。
「モルトベーネは民衆に法外な税を課している。誰も払えないほどさ。反抗する者は一族全員を捕えて処刑する」
アベルは手刀を作り、自身の首を切る真似をした。あおいは背筋に寒いものを感じて、思わずぶるりと震えた。
モルトベーネは、自分に近しい者や自分に追随する者には貴族の身分を与えた。そして、彼らに民衆を管理させている。町は荒れ果て貧困に喘ぐ者で溢れる一方、ごく一部の者だけが贅沢で怠惰な生活を送っているという事だ。
「ひどい体制ね。生活できないじゃない」
あおいは眉間にシワを寄せている。そんなとのは国ではないと、我が事のようにプリプリ怒った。
「ああ、酷いもんさ。だから戦う。俺には剣しかないし」
やがて耐えかねた民衆達は、反乱軍を結成した。アベルが所属するのも、もちろんそれだ。
反乱軍らは革命を起こした。しかしそれから20年経った現在も、決着は着いていない。内乱が続き、膠着し、一向に収まる気配がなかった。
アベルは剣の師匠でもあった亡き父の遺志を継いだ。その剣の腕を買われて、遊撃隊として働いている。
「この戦いがいつまで続くかわからない。今日誰が死んでもおかしくない。俺だって、もう何人の敵を斬ってきたかわからない」
アベルの中を、深い闇が覆い尽くす。アベルは深く沈んだ顔色でうつむいた。
アベルは人を斬りながら、同時に自分も深く傷ついていた。そして斬った分だけ、数多の十字架を一生背負い続ける。その罪から逃れることは、もうできない。
「人々が人間らしい生活できる国を作りたい。親父の遺志も守りたいし、帝国に虐げられてきた人達の幸せも守りたい。子や孫の世代のためになるならばと、そう思って剣を取ったつもりだった」
アベルはこれまでよりも、より暗い顔をした。手のひらサイズのアベルが、あおいには尚更に小さく見えた。
「でも、最近それもよくわからなくなっていたんだ。人間同士で、それも同じ国の者同士で殺し合っている。そうして作る平和が、本当に正しいだろうか。そんなことで、本当に守れるのか、と」
15歳の少年にはとても残酷だ。大人にすら抱えきれないものを、アベルは懸命に背負っている。必死で背伸びして、大人のフリをして、今にも潰れそうだ。それなのに、彼はさらに抱え込み、その上でさらに前へ進もうとしている。
「ここへ来た時も、砲撃されて慌てて近くの小屋に飛び込んだんだ。伏せた瞬間に兜が外れて、あたりが真っ暗になった。すると次は地震が起きて、小屋の床と天井に交互に叩きつけられた。天井が開いたから顔を上げると、君がいた」
その地震の元凶はあおいだ。彼女が宝箱を買った日、箱から音が聞こえたために耳元で振ったのだ。
「ごめん。その地震、たぶんわたしよ」
「何だって? 地震が? 」
アベルはあおいの肩に座ったまま、怪訝そうな表情で見上げる。
「そう。振ったの。あの箱を」
あおいがその時の状況を説明すると、アベルは驚いた。だが、「君に悪気がないのはわかっているから」と言って笑った。
「ここで骨休めね」
「そうだな。こんなにも穏やかな生活をしたのは、生まれて初めてだ。少なくとも、一日中鎧を着なかったことなんて、この数年で一度もなかった」
アベルは穏やで柔らかい、安堵に満ちた顔をしていた。
アベルはよく笑うようになった。顔つきも幾分優しくなった。鋭く据わっていた目も、今では優しい光を湛えている。
アベルが宝箱から出て来た時の鋭さや危うさは、鳴りを潜めつつある。
「でも、罪悪感もあるんだ」
そう言って、アベルは少し表情を曇らせた。アベルが寝室になっている深皿を見遣ふと、彼の鎧一式とサーベルが隅に寄せて置かれている。仲間や国のことは、アベルにはそう簡単に忘れられることではない。
「ここにいる間は、命の洗濯と思って休めばいいのよ。帰れないんだし。ね? 」
あおいはにっこりと微笑んだ。アベルは複雑そうな顔をする。
「そういうものなのか?」
アベルは難しい顔を市て腕を組み、すっかり黙り込んでしまった。
アベルは根がまじめだ。じっと一点を見つめて、既にあれこれ思い悩み始めている。
あおいはどう言葉をかけるのが良いか考え付かなかった。けれど、何でもいいからアベルの力になりたい。実際には何もできなくとも、放っておく事などとてもできなかった。
翌日、あおいは午前で講義が終わった。その上バイトも休みだ。こんな日は珍しい。あおいの足取りは軽く、うきうきしながら昼には家に帰った。
あおいが部屋に入ると、こたつが光っている。あおいは目を凝らすが強い光で見えにくい。それでもよく見ると、こたつの上に置きっ放しにしていた宝箱が光っている事に気が付いた。
「あおい、これ……」
困惑しきった顔のアベルが、宝箱の脇からひょいと顔を出した。そしてテーブル板を走ってあおい方へ移動する。その時彼は、近頃身に付けていなかった鎧一式を着こんでいた。
次の瞬間、アベルは急に普通サイズの人間に変化した。あっという間に小人ではなくなり、バランスを崩したアベルは走りながらこたつから転げ落ちる。
アベルはフローリングにどさりと落ちたが、咄嗟に受け身を取った。もしもそこから落ちたのがあおいなら、けがの一つもしそうなものだ。しかしアベルは無傷である。
アベルは身体を起こすと、バツの悪い顔をして立ち上がった。一連の出来事に、あおいの目は点になっている。ただひたすら驚き、持っていた鞄を床に取り落とした。その音であおいを振り向いたアベルと、互いに目を合わせる。
あおいの心臓は飛び出るのではないかと思うほど胸で大暴れしていた。信じられない思いで、ただアベルを見つめる。
だが、あおいは同時に嬉しくもあった。もう会えないと思っていた友人に、ようやく会えような感覚だ。
「アベル、意外と背が低いのね」
「放っておいてくれ」
あおいはアベルと並んで立ってみた。彼の目の高さはあおいとあまり変わらない。あおいも背の高い方ではないけれど、アベルも男性にしては小さい。骨格も華奢な方だ。筋肉はしっかりしているが、なにせ線が細い。
アベルはまたむくれた。腕組みをして目を逸らし、口をへの字に曲げる。
「まだ15歳でしょ」
アベルは視線をちらとあおいに寄越す。不機嫌そのものの顔つきで、それを隠そうともしない。
「ほら、これから伸びるかもしれないし」
あおいがニコニコしてなだめると、アベルは少し機嫌を直した。まだ少しブスッとしながらも、あおいに向き直る。
「ねえ、さっきの。何が起こったの? 」
「わからない。ただ、今朝からそわそわして、どうも落ち着かった。何かに、呼ばれている気がして」
アベルは目線を鎧に落とした。彼の瞳は鋭く光り、昨日までの穏やかさとは変わって迫力がある。
「それで宝箱が気になって見に行ったら、中から剣戟が聞こえた」
アベルは宝箱から敵が出て来るのかもしれないと思い、慌てて装備を整えた。けれど音はすぐに消えてしまった。自分で宝箱を開けても、結局何も出て来ない。
アベルが拍子抜けしていると、今度は宝箱が発光し始めたところであおいが帰宅した、ということだ。そこまで話すと、アベルは宝箱を振り返る。彼につられてあおいもそれを見た。宝箱は何事も無かったかのように、ちょこんとこたつの上に乗っている。アベルのサイズ以外はいつも通りだ。
一通りアベルの話を聞くと、あおいは急に焦りを感じ始めた。理由はわからない。けれどあおいの心は、無意識のうちに黒い靄に覆われ、火山灰が降り積もるようにじわじわと不安が広がっていく。
アベルが遠い――そんな感覚が、あおいの頭を過ぎった。不確かな、けれどどこか確信めいたその予感が、急速にあおいを支配してゆく。
深い霧を払いのけるかのように、あおいは言った。
「ねえ、せっかくだから一緒に出掛けようよ。わたし、今日はもう用事ないんだ」
あおいは無理に明るい笑顔を作り、アベルを誘った。だが、彼は未だ落ち着かない様子だ。むしろ、あおいの発言に驚いて聞き返す。
「出かけるって、どこに」
「うーん、そうねえ。街でぶらぶら買い物して、おいしいものを食べるの。一緒に写真を取ったり──とにかく、楽しそうなことは全部しましょう。たまにこういう日があったって、バチなんかあたらないわよ」
あおいはどうしてもアベルを連れ出したかった。今日を逃してしまえば、永遠にその機会を失うような気さえしていた。
激しい焦燥感をでき得る限りひた隠しにして、あおいは一方的にどんどん話を進める。
「しかし、今も同士達は戦っているんだ。俺ばかり遊んでいる訳には──」
アベルは困惑するが、あおいは二の句を継がせまいと矢継ぎ早に話しを続ける。
「今すぐ戻る方法はないんでしょ。アベルにも気晴らしになるはずだし。だから、行くわよ」
そう言って、あおいはアベルの上着をグイと引っ張った。玄関に向かって歩き始める。アベルも足をもたつかせながら、少し遅れて付いて来た。
「お、おいっ」
アベルは慌てた様子で、声が裏返っていた。けれどあおいは気にしない。されるがままのアベルを引きずるように、グイグイ引っ張った。
「あ、でも」
玄関に出る直前、あおいはアベルの服装を思い出した。アベルを掴んだままピタリと足を止める。その勢いでアベルはあおいの背中にぶつかって、後ろで恨み言を呟いていた。
あおいはくるりと彼を振り返り、アベルの出で立ちを確認する。
アベルは兜を被って鎧を着こみ、サーベルがしっかり腰に収まっている。どう見ても、現代の日本の街へ出かけられるような装いではない。
「サーベルも鎧も兜も全部外してね。変に目立っちゃうわ。警察沙汰は嫌よ」
アベルは抵抗していた割に素直に応じ、鎧を脱ぎ始めた。
アベルの鎧の下は、洋服に着物の衿に紐をを付けたような上着と、スラックスのウエスト部分に袴のような構造を持たせたような格好だ。これはこれで悪目立ちしそうなので、その上からあおいの生成のパーカーを羽織らせた。そして、頬の傷は肌色のテープを張って隠してしまう。
アベルが鎧を外している間に、あおいも簡単に身支度をすることにした。
鏡の前に立ち、髪を手櫛で手早く撫でつける。前髪を右に寄せて、ピンク色の小さなリボンが付いたバレッタで留めた。ついでに淡いピンク色のグロスを塗り、服装を確認する。
今日はチャコールグレーのミニワンピースに、えんじ色のタイツを履いていた。黒い小さなカバンを肩から掛けて、黒いショートブーツを履いて出掛けよう。あおいがそう考えたところでアベルの準備も整った。玄関の壁際にアベルの鎧兜とサーベルが立てかけてあるのが見える。
二人はは街に出た。気になる店を冷やかしながら、ぶらぶら歩く。靴屋と靴下屋、あおいのお気に入りのアパレルショップ、雑貨屋。どちらかと言わなくても、あおいの行きたい店にアベルを連れ回している。けれど、アベルもそれなりに楽しんでいた。
アベルはどこに行っても珍しそうにきょろきょろとあたりを見回して、あれはなんだこれはどうだとあおいに質問して歩く。
雑貨屋に入ると、アベルは細々としたたくさんの物に圧倒されていた。その中でアベルは1本のストラップ見つけると、じっと見つめる。思わず手を伸ばした。
「あら、ムーンストーンね。きれい」
紋章のような物をかたどったストラップだ。それをアベルが手に取って眺めていると、脇からあおいがひょこっと顔を出した。
「これは、根付か? 」
「そうね。わたしはストラップって呼ぶけど、根付だわ。気に入った? 」
アベルは素直に頷いた。
これまで「何かが欲しい」などという事は一言もいわなかったアベルだったが、ムーンストーンのストラップをいたく気に入っている。あおいはアベルの手のひらからストラップをさっと取ると、まっすぐにレジへ向かった。アベルは慌てて「買わなくていい」と、あおいを追いかけたが、あおいも引かない。せっかく出て来たのだからと、あおいはそれをアベルにプレゼントすることにした。
アベルは申し訳なさそうにしつつも喜んで、早速腰紐に括りつけている。ストラップを何度も嬉しそうに眺める姿を見ると、あおいも嬉しかった。
その後、クレープ屋の行列に並び、プリントシール機で写真を撮った。アベルはイチゴと生クリームのクレープを、あおいはチョコバナナのクレープ頬張る。
アベルは満面の笑みを浮かべて夢中で食べている。あちらの世界では甘いものを殆ど食べたことがなかったと言い、随分美味しそうに食べていた。
プリントシール機では、写真の技術にとても驚いていた。アベルの世界には写真がない。どんな顔をして撮ったらいいか分からないと言うので、あおいは撮る瞬間にアベルの脇をくすぐって笑わせた。
あおいは、何種類か撮った内の写真の一つに落書き機能を使ってアベルを女装させた。あおいは、アベルが怒るだろうなと思いながらもリボンを描き、化粧を施す。するとアベルは人形のようにとても可愛く仕上がった。アベルはまたむくれたけれど、あおいは気に入っている。
アベルは家を出る時こそ渋っていたものの、出掛けてみると実に楽しそうに、溌剌とよく笑った。こんなに遊んだことはないと言い、ずっとニコニコしている。
ただ、アベルはあおいが会計をする度にバツの悪い顔をして居心地悪そうにしていた。よその世界から来たのだから仕方がないとあおいは言っているのだが、彼は奢られ続けることが腑に落ちない。
けれど、あおいにすればアベルが現れてから今までずっと、アベルを養って来たのだ。そんなもの今更である。そんなアベルを引っ張って、今度はボウリング場に入った。
アベルの世界にもボウリングに似たスポーツがあった。アベルは初めてだと言ったが、あおいよりもずっと上手い。幾度となくガーターに泣くあおいとは大違いで、アベルはストライクやスペア、さらにターキーまで決めて高得点を叩き出す。
アベルの何度目かのストライクに手を取り合って喜んでいると、2人組の男達が声をかけてきた。
「お姉さんたち。ボウリング上手いねえ。僕らともう1ゲームしない? 」
金髪の赤いシャツを着た男が、さも親しげに話しかけてきた。その男の隣にいる色白の男は鼻ピアスを光らせて、クチャクチャとガムを噛んでいる。あおい達を見てはニヤニヤしていて薄気味悪い。
あおいが困った顔をしていると、アベルが不思議そうにあおいと2人組を見比べた。
「あいつら、あおいの知り合いか? 」
「ううん、知らない。関わりたくないから、返事しないで」
あおいがアベルにこそこそと耳打ちしていると、金髪赤シャツ男が勝手に話に割り込んできた。
「つれないなあ。いいじゃん。ちょっとくらい付き合いなよ」
鼻ピアスの方も値踏みするような目で、あおい達をじろじろ眺めている。二人は卑しい笑いを浮かべる男達に背を向けて、無視を決め込んだ。
淡々とボウリングの玉を転がして、二人組の男たちを相手にしないようにしていた。だが、しつこい。あの手この手で無理やり関わろうとする赤シャツに、あおいはだんだん怖くなってきた。けれど、2人組の男はこの場を離れる気はないらしい。ついに同じベンチに腰を下ろした。
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