第12話

「なにあの子、また一人でぶつぶつ言ってる」

「きもちわる」

 悪意むき出しのその言葉は、教室のベランダに出て一人で微笑んでいる唐草凜に向けられたものである。

 唐草凜が一ノ瀬浩太の死を明確に理解したのは「その日」の翌日の夜に流れた報道番組でだった。男子高校生が郡山幸仁を殺害、それを目撃した(正確には目撃したわけではないことを凜は知っている)恋人が男子高校生を殺害した、という簡素な内容だったが、見紛うはずもなかった。恋人の名前は、凛の聞いたこともないものだった。

 自分が利用された、という事実に関して、唐草凜はただ純粋に悲しくなった。

 どこで何がどう狂っていたのかは分からないが、自分はいつの間にか一ノ瀬浩太に利用されていた。その事実が、ひどく惨めに思えて仕方なかった。

 私の愛は救われなかった。

 やっと理解できたのに。

 それが凛の素直な気持ちだった。

 交信がうまく行ったのは、事件から三日経ってからだった。

 凛の呼びかけに対して、一ノ瀬はおずおずと返事をした。凜はそれにひどく安堵した。そして、それまでの三日間で彼のことを許せていた自分に気づいた。

 それからは毎日のように言葉を交わしている。

「幽霊というのはなってみるとわかるけど、実に面白いね。君の言っていたことは大抵当たりらしい。幽霊になると、なった瞬間にその仕組みを理解できるんだ。自分が感情、精神だけの存在になったこと。平穏にしていれば生きていた頃と同じくらいには生きられること。生きていた頃の名残があるから、漫画とかでよくあるような通り抜けや飛び回るなんてことはできないとか。記憶が残ってるから、身体はないのに、根底の部分でそれは不可能なことだと思い込んでしまうんだね。それを覆せれば何でもできるらしいけど。それから、これが本当に面白いことだと思うんだが、一つのこと、それは主に憎しみにあたるわけだけど、そこに感情が偏りすぎると、悪霊になる、つまり、呪いが可能になる、という仕組みらしい。自分の精神、この場合は記憶や感情が適切かな、それを対象に刷り込んでいくんだね。相手は不安になるし、自分の姿を見るようになる。最終的に干渉できるレベルまでになる。まあ、一回限り、それをやったら消滅するらしいけど」

 幽霊になった一ノ瀬浩太は、えらく饒舌だった。

「楽しそうですね」

「まあね、念願かなってようやく死ねたんだ。自分の死のビジョンを見てからずっと待ってた。君にこれがわかるかな。とても長い十八年だったよ。これからは他人の死に嫉妬することもないし、受験生だとあせる必要もない」

「それはなによりです」

 二人は笑った。

「しかし女子校というのは思っていたようなところではないね。残念なほど陰湿な雰囲気が漂ってる」

「ええ、まあ。そうですね」

 教室のほうを振り返った唐草凜に対して、ごみが飛んできた。

 クラスメイト(凜にしてみればそう呼ぶのも嫌悪する対象)たちは笑いながら、何度も、同じことを繰り返した。

「程度が低いな」

「そうなんです、進学校なのに。困っちゃいますよ」

 凜はそこで一ノ瀬に微笑みかけた。

 一ノ瀬はそれをきょとんと見つめた後、そこに虚ろを認めた。そして、同じように微笑んだ。

「ああ、何だ。君、やっぱり頭が良いな。本当は全部わかってたのかい、この、幽霊の仕組み。それで、熱心に交信してきてたのか。――いや、野暮なことは言わないでおこう。君にもずいぶん迷惑を掛けたからね。それで? 君が殺したいのはどいつだい?」

 一ノ瀬浩太は教室の中にいる、劣悪な人間たちを眺めた。依然ごみを放る姿は餓鬼のように見える。

「一ノ瀬さんが死んだのは本当に悲しいです。辛いです。でも、一ノ瀬さんが話の分かる人でよかった。私の救われなかった愛の分、ちゃんと返済してくださいね」

 一ノ瀬には唐草凛が何を言っているのか、よくわからなかった。

 凛は首を傾げる一ノ瀬を見て、微笑む。

「たった一度のせっかくの機会ですから、あの子達の誰かを殺すのに使うのはもったいない。一ノ瀬さんが自分の消滅を懸けてまでやってくれると言うんですから……」

「そんな大層なことでもないけどね」

 簡単に言ってのけたが、凛の表情は少し曇った。

「あの、笑わないで聞いてくださいね?」一ノ瀬にはその台詞の後、これまでの経験どおり、なにか突拍子もないことを言われる予感があった。「ここには多分いないんですけど……。一ノ瀬さんも気づいていたかもしれませんが、私、とにかくずっと気になってたんです。私たちのこと、見ている人がいるなあって」

「ああ」

 予想に反して一ノ瀬は納得したような顔になる。

 今回の話は理解できる。

「恐らく、そういう能力なんでしょうね。私はてっきり私たちを引き合わせてくれた人の視線だと思っていましたが……、そうでもなさそうなのです」

「僕も視線を感じていたよ。そのときは君と同じで、救えなかった魂の一つだと思っていた。でも能力だと言われれば、そんな気もするね」

「まだ明確にそうであると言えないので、高円寺さんに手伝ってもらってもっと詳細を詰めてから、ということになりそうですけれど、お願いできますか? 私も大概気持ち悪いけど、この人も気持ち悪い感じがすごくします。見られているって、嫌ですね」


 唐草凜は微笑を湛え、そっとその人差し指を「こちら」に伸ばした。

「神の視点」は、逃げるように、ぶつりと途絶える。

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神の視点 枕木きのこ @orange344

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