追跡は韋駄天・1
「……今更なんだけど、こうやって物陰に潜んで待ってるとか、普通に引かれるよね」
「うん、ぶっちゃけそうかも。でも、うちの部室だと遠すぎて効率悪いしねー」
銀と赤の眼鏡ユーザーの二人と、何やら微妙な形で遭遇してしまった、その日の放課後。
教室棟の三階、その南側の階段に最も近い二年二組の教室の前で、なんとなくその身を壁際に隠すようにしながら、私と小鈴はひそひそとそう囁き合っていた。
つつがなく授業も
ちょっとしたものを手掛かりに、どうやら例の彼は一年一組であるらしい、と判明したので、一番南の端に位置するクラスから帰る時には、間違いなく使うであろうこの階段の傍で待っている、というわけなのだけれど、
「それにしても、意外と遅いねー。詩乃ちゃん、上手くいったかなあ」
「どうかなあ。確かに、三年クラスに突撃するよりはハードル低いかもだけど」
動きのない状況にじわりと心配が募るのを誤魔化すように、意味もなく三つ編みの先を引っ張る。あちらから申し出てくれたとはいえ、違うクラスの女子が特定の男子を呼びに来る、それ自体がそもそも人目を引く行動だから、申し訳ないことをしちゃったかなあ、という気持ちもあって。
やっぱり、目立っても自分で行くべきだったか、と反省していると、ぱたぱた、と軽い、聞き覚えのある足音が近付いてきて、来た、と小鈴と顔を見合わせる。
ここで驚かせては元も子もないので、はやる気持ちを抑えつつ、そろそろと階段の方へ一歩踏み出した途端、詩乃ちゃんの焦った声が飛んできた。
「あっ、先輩ー!すみません、任務は微妙に失敗してしまった模様ですー!!なんだか入れ違いになってしまったみたいでー!」
「えっ!?でも、ずっとここにいたけど、それらしい子は見かけなかったよ?」
前もって決めた段取りに従って、私も小鈴もSHRが終わると同時に教室を出てきたから、余程のことがない限りは見逃さないはずだ。
そう思って返した答えに、相変わらず早くはないスピードで(鞄のあるなしは関係ないらしい)踊り場から同じ階まで下りてきた詩乃ちゃんは、困惑したように続けてきた。
「それがですねー、一組の子によると、もう終礼が終わるや否やって感じで、だーって北階段の方に走って行ったってことなんですよー、それで……」
「北!?うっわ、よりによってあっち!?」
後輩の言葉を断ち切るように、小鈴が声を上げたのも無理はなかった。南階段は一組、二組の隣というこの位置だけれど、北階段はトイレ、さらに三組から七組を挟んだ向こうにあるので、いくら校舎が南北一直線の構造だとはいえ、こんなところからそうそう姿を捉えられるはずもないからだが、
「ああ、うちのクラスにいれば、ほんとすぐ横だったのになあ……」
私と小鈴の所属しているのは、二年七組なのだ。だからいつも通りに教室を出ていれば、もしかすると上手くニアミス出来ていたかもしれなくて、余計に切なさを募らせていると、
「あの、それでですね、彼がどうやら、堤先輩を探していたみたいでー」
「……え?わ、私?なんで?」
控え目に告げられた意外過ぎる情報に、訳も分からずそう疑問を呈していると、小鈴がふいに真顔になって、
「まさかの一目惚れとか?」
「いえー、そのへんまではなんともですが、担任の先生に図書部の『三つ編みの人』のことについてあれこれと聞いていた、という証言が得られたのでー」
……それは、確かに、私で間違いないとは思うけれど。
梶先輩の六四に整えられた前髪並みに、毎日きっちりと編み込んでいる長い髪を思わず見下ろしながら、私はまるで思い当たらない(ついでに言えば、小鈴の発言はきっとない)、彼から『探される』べき理由を必死で考えていた。
「では、その特徴の、おそらく一年生男子を探されているとー……」
「そう。心当たり、ないかな」
昼休みももう終わり間際となり、そろそろ予鈴が学校中に鳴り響くのも、近い時刻。
とにかく午後からの授業に遅れるわけにもいかないので、それぞれのクラスに戻るべく、保健室を出て階段を上りながら、私は隣を歩く詩乃ちゃん(小鈴がもう当然のようにそう呼んでいるから、それでいいだろう)に、探し人のことを尋ねてみていた。
しかし、彼女はすまなさそうに眉を下げると、
「うーん、申し訳ないですがわたし、まだクラスの男子くらいしか覚えられてなくてー。なにせ、休み時間という休み時間を、ほぼ全て先輩の捜索に費やしていたものでー……」
「この鞄持ったまま?うわー、色々鍛えられそうー」
「そっか……それなら仕方ないし、他の子に聞いてみようかな」
リアルに重い白の鞄を、鉄アレイか何かの如く、試すように持ち上げてみている小鈴を横目にしながら、私はそう息を吐いた。
ただ話をしたいだけとはいうものの、二年生女子が二人がかりで一年の男子をうろうろ探し回るなどすれば、変に彼を悪目立ちさせてしまいそうだし、元々顔見知りの子伝いにそろそろと探ってみようかな、くらいのつもりだったのだ。
すると、それを聞いた詩乃ちゃんは、目に見えて焦った様子になって、
「いえっ、でしたらわたしが該当の人物を探しますー!その上で成果を上げられたら、先程の件についてご考慮いただければと!」
「えっ、それは悪いしいいよ!上手くいくかはともかく、先輩に話してみるくらいなら私でも協力できるし」
「そうそうー、なんだったらおびき出して部室に閉じ込めて急襲すればー」
「ご助力いただけますか!?でも、それならなおさら何かお役に立てないことには!」
私のごく無難な提案と、小鈴の有効ではあるもののかなり物騒なそれを聞いた後輩は、細く唸りながらしばらく何事か考え込んでいたけれど、
「堤先輩、彼の顔は、はっきりと覚えてらっしゃるんですよね?」
「うん、会ったのはつい昨日だし。何か思いついたの?」
三階への最後の段を上がり終えるなり、ふいに足を止めた彼女に聞き返す。その語尾に重なるように、耳に馴染んだ四つの音階が鳴り響いて、予鈴だ、と反射的に天を仰ぐと、
「ああっ、いったんタイムアウトですー!!あの、心当たりについては次の休み時間にでもあらためて持って参りますからー!!」
「わ、分かった!あと詩乃ちゃん何組!?うちは七組だから!」
「一年四組、出席番号三番ですー!!」
校舎ど真ん中ですー!との叫びを後に残しながら、白い鞄をしっかりと胸に抱えた彼女は、よたよたと頼りない足取りで、四階への階段を駆け上っていった。
……あれ、せめてもう少し中身、減らすべきだと思うんだけど。追い付けないの、無理ないし。
ともあれ、ネイビーの背中が踊り場を回って消えるまで見送ってから、私は疑問を口にしてみた。
「それにしても、心当たりって、なんだろ」
「んー、わかんないけど。とにかく持ってこれるような手掛かり、ってことだよね」
小鈴の言葉に頷きながら、二つある入口の北側、教卓に近い方の扉をくぐって入ると、すぐ右の壁際にあるコルクボードが目に入る。これはクラスごとに必ず設置されている、連絡事項の掲示スペースになっていて。
「あ……あれかも、小鈴!」
「へ?あー、そういや撮ったっけー。もうそんな時期かあ」
思わず声を上げて指差した先には、いつの間にか、デコレートされたフレームの中に麗々しく飾られた、クラス替え直後に撮った集合写真があって。
一年前に、入学式の後に撮ったそれよりも、ずっと砕けたポーズの群れが、思い思いの表情でこちらを見つめてきていた。
そういうわけで、彼女が担任から借りてきた、集合写真を纏めたアルバムが大活躍して。
人数が人数だから時間がかかるかと思いきや、彼が一組であったことが幸いして、短い休み時間のうちに無事発見できて、あとはすんなり事が進むだろう、と思っていたのに。
「なんだろう、この、狙ったみたいな行き違いって……」
教室棟の四階の南端、すなわち一年一組の、既にきっちりと施錠された扉の前で、私はさすがにぐったりとしてそう呟いた。
「ええと、お疲れ様ですー……でも、とにかくお互いが会いたい、と思っている以上はきっといつか会えますよ!わたしのように思いが一方通行ではないわけです、しー……」
「うん、有難う。あと、なんだかしょんぼりさせちゃってごめん」
自ら口にした言葉に思いの外ダメージを食らったらしく、次第にうなだれていく後輩をそう慰めていると、隣に立つ小鈴が小首を傾げた。
「でもさあ、ほんと何の用だろうねー。ひとり増えてるっていうのもよくわかんないし」
「友達が付き添い、とかじゃないかなあ……一応、上級生相手になるわけだしね」
素朴な疑問に、とっさに思いついた答えを返しつつも、私も内心で首をひねっていた。
あれからすぐに、詩乃ちゃんがくれた情報の意味に気付いて、人の少ない三階の廊下を三人で走って。
息を切らしながら七組に着いてみれば、堤さん、なんか一年が来てたぞー、とスマホで遊んでいた男子二人に告げられて、図書部に行くっつってた、という情報をもらって。
慌てて階段を駆け下り、今度は一階を走り抜けて裏庭へと向かってみれば、部室に誰もいない上に鍵がかかっていたせいか、すでに影も形も見えなくて。
入れ違いか、と落ち込みながらも鍵を取りに職員室に入るなり、堤が探されてたぞー、と先生方に言われて、辺りを探しまくったけれど、結局、見つけることは出来なくて。
しかも、実際に二言三言話した顧問の先生によれば、やってきたのは一年の男子二人だそうで、
『前髪の長い方が、すいません、今日は、図書部の人は、って淡々と聞いてきたけど、なんかやるはずだけどまだ来てないね、って言ったら、そうっすか、失礼します、って。それでサイドに刈り上げ入ってる方が置いてかれそうになってた』
との証言が得られたのだけれど、やはりその理由については、不明なままで。
ともかく、足跡が途絶えた以上はあてもなく探し続けるわけにもいかないので、最後に彼のクラスに寄るだけ寄ってみよう、となったものの、こういう結果を迎えた上は、
「とにかく、もうほんとへろへろだし、一旦部室に戻ろうか。詩乃ちゃん、付き合わせちゃったから、なんか好きな飲み物奢るよ」
「それもいいけどさー、お礼なら消費カロリー補充するより先輩校内出没情報、の方が喜び倍増なんじゃないー?」
「ああっ、やはり法則があるんですか!?ずっと二階や昇降口で出待ちするだけでは、なかなかデータが集まらなくてですね!」
そんなことを口々に話しながら、ぞろぞろと南階段を降り始める。ちゃっかり梶先輩をダシにしてるけど、これはこれで楽しいかも、などとちょっと不真面目なことを考えつつ、二足ほど先に三階へと降り立つ。と、
「……もっかい行くってー?いいけどさ、これでいなかったら明日にしとけよー」
仕方ないな、といった感じの、少し呆れを含んだような声が耳に届いて、私はそちらに首を巡らせた。
ロッカーなどは概ね昇降口に集中しているから、廊下には視線を遮るものが何もない。他に人影もないこともあってか、真っ直ぐに響いてきたそれを辿るように顔を向けると、だいたい五組の前辺りにふたり、こちらへと向かって歩いてくる姿が見えて。
双方ともブレザーは羽織っておらず、先に立つ短髪のひとりは、まるで知らない子だ。ただ、緩めてはいるものの青いネクタイは締めているから、すぐに一年と分かる。
そして、その数歩後ろに、わずかに俯きながら足を進めているのは、間違いなく。
「……あれ?あっ、おい、
声を上げかけた一瞬先に、私の存在に気付いたのは、顔見知りではない子の方だった。
その場で足を止めて、後ろの彼に知らせようとしてか、あっちあっち、としきりと腕を振り回しているあたり、私が探していた人物である、ということは認識しているらしい。
どうしよう、こっちから近付くべきかな、とためらっていると、つと長い前髪が揺れて。
顔を上げざまに、緩く垂らした黒が分かれて、半ば伏せていた瞼が覗く。
にわかに蘇るものに身を竦める間もなく、あの瞳が、白くぎらりと閃いて。
「……えっ、わ、うわ!?」
すっと身を低くしたかと思うと、無言のまま床を蹴ったのを目にして、悲鳴めいた妙な声が喉から漏れる。今度こそ視線ごと押し飛ばされるように数歩後ずさると、衝動というよりはきっと本能が命じるままに、自分でも意外なほど素早く、くるりと踵を返して。
「ぅえっ!?ちょ、真雪、どこ行くのー!?」
「いったい何事ですか、堤せんぱーい!!」
……それはまさしく、私が私に、聞きたいことで。
後ろに立っていた二人の間をすり抜けつつ、追ってくる声にも心に浮かんだ問いにも、振り返ることなど思いもつかず、ただあれから逃れたいがために一心に足を動かす。
もはや両の膝がどうなっているのかも分からないくらい、転げ落ちるようなスピードで階段をひたすらに駆け下りていきながら、私は何故か、彼が後を追って来るだろう、そのことだけは、欠片ほども疑うことすらしていなかった。
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