秘密は動揺・2

 後輩二人の『密会』現場を、期せずしてとはいえ暴くような真似をしてしまった、翌日。

 「もう、単刀直入に聞きますけど。部長、もしかして浦上となんかありました?」

 「……ないわけじゃ、ないんだけど。あの、どうして」

 昼休みも終わり間際の、教室棟三階。その一番北の端にある、面談室の前。

 一階の保健室などと同様に、各教室とは北階段を挟んで一部屋だけ独立しているからか、それとも用途ゆえなのか、いつの時間でもぽつんと静けさに包まれている、そんな空気を割るように、私は強張った問いを投げ返していた。

 今は使われていないことを示す、『空室』の札がかかった扉を背にして立つ木原くんは、やっぱりっすか、と息をついて、短い髪に落ち着かなげに手をやると、

 「あー、なんかマジですいません、俺が口挟むのも変だよな、って思うんですけど……あいつ、今日、なんかこう、ちょっと」

 「……じゃあ、浦上くん、学校に来てはいるんだ」

 「え、それはまあ、普通に。けど、あからさまに変な感じなんすよねー」

 すぐに続いた言葉に、じわりと沸いた安堵感を吹き散らされて、思わず身を固くする。

 だいたいこんな時間に、彼がひとりで『ちょっと、浦上の件で』と私を呼び出すという、それ自体が既に、常にはないことなのだから。

 と、木原くんはどこか腑に落ちないように、わずかに眉を寄せて、

 「朝チャリ置き場で会ったんすけど、昨日どうしたんだよ、って振っても、ちょっとな、だけでなんも言わねえんで、俺、部長マジで心配してたぞー、って突っ込んでみたんすよ。そしたら、あいついきなり黙りこくって」

 その場に足を止めて、しばし動かずにいた彼は、地面に落としていた視線を上げると、珍しく迷った様子を見せたそうで。

 「『今日は行けると思う、まだ分かんねえけど』みたいに濁すわりに、『部長には俺からちゃんと話せるようにする』ってきっぱり言ってくるし、なんか微妙な態度で。そんで、さっきも昼休みに入るなり、用事あるからってどっか行っちまったんで、ひょっとして、って思って、とりあえず部長んとこに来てみたんすけど」

 そう言って、尋ねるように言葉を切った木原くんに、私はかぶりを振った。

 「私にも小鈴にもずっと連絡はないし、姿を見かけてもないの。だから、あとは……」

 詩乃ちゃん、と口に出しそうになったのを寸前で押しとどめた時、木原くんが続けて、

 「あ、さっきチカに聞いたんすけど、あいつんとこにも行ってないみたいです」

 「……そう、なんだ」

 となると、彼はどこに、という疑問の答えは、おのずと絞られてくるわけだけれど。

 くれた情報にも、さして意味のない相づちしか打てずに、私は少し考え込んでしまった。

 伝えてくれた言葉からすると、何か理由はあるけれど今は言えない、そういうことなのだろう。そしておそらく、それは昨日のことにも関係しているはずで。

 ……でも、彼はさておき、彼女が私たちに謝らなければいけないことって、なんだろう。

 同じ部室で活動を行う(といっても、先輩も彼女もほぼいないに等しいけれど)、いわば緩やかな共同体を形作っている中で、個人的に仲良くなるのは悪いことでもなんでもない。ましてや、同じ学年なら三年と長く交流が続くわけだし、と思考を巡らせていると、

 「……あー、えーっと、部長ー?」

 「は、はい!ごめん、なんかひとりで沈んじゃってて!」

 そろそろと、伺うように掛けられた声に勢いよく顔を上げると、木原くんはうおっ、と大きく一歩、身を引いて。

 それから、少しほっとしたように表情を緩めると、

 「とにかく、あいつ授業サボるようなタチじゃないですし。戻ってくんのは確実なんで、なんかあるにしても俺、それとなく見ときますよ」

 「あ、有難う。でもあの、話してくれるつもりっていうだけで安心したから、ほんとに、普通にしてくれれば」

 そう返したところで、午後の授業の始まりを知らせる、予鈴が校内に鳴り響く。途端に、木原くんが慌てたように天井を見上げると、

 「うっわやばっ、次の時間エンデンなんすよ!」

 「あっ、小テスト!?最低八割取れないと大変だよ、あの先生!」

 「もう何回かおかわり食らいましたー!」

 エンデンというのは、安直だけれど英語の塩田しおた先生のあだ名だ。校内では最も恐れられている(小崎先生はひとこと『鬼』としか言わない)、古参中の古参であるらしい女性で、別称は『日刊小テスト』というだけあって、間断なく繰り出されるレポートも怖い存在で。

 昨年度の惨憺たる日々を思い起こしながら、既に駆け出している後輩の後を追うように、七組の方へと走り出たところで、すぐに私は足を止めた。

 北階段の、手すり壁の陰。木原くんが四階へと、一段飛ばしで上がっていったのと入れ替わるように、浦上くんが立っていた。三階まであと一段、という位置でじっと動かずに、半ば前髪に隠れた瞳を、こちらに据えていて。

 「……あの、浦上くん、昨日は、ごめんなさい」

 事情を把握は出来ていない、とはいえ、二人の邪魔をしてしまったことだけは確かだ。悩んだ挙句、結局彼にも彼女にも、メールでも送れなかった言葉をどうにか口にすると、ぴくりとその肩が動いて。

 「いえ。部長が謝ることじゃないんで」

 低く言ってくるなり、私に向けて浅く頭を下げてくると、とん、と身軽に足が床を蹴る。そのまま素早く身をひるがえすと、彼は上の階へと走り去っていってしまった。


 ……もしかしたら、そういうこと、なのかもしれない。


 いくつかの言葉が寄り集まって、ようやく形を成したひとつの可能性に気付いた私は、この後をどう動いていくべきなのかを、ひたすらに考え続けていた。



 じりじりと焦りと迷いだけが先行しがちな思考のループに悩まされながら、午後からの授業も無事、なはずもなく、気が付けば何もかもが過ぎて、迎えた放課後。

 「すんません、部長。あいつ一緒に来かけてたんですけど、なんか来たメール見るなり『ちょっと、行ってくる』って、いきなりすんげー勢いでどっか行っちまって……」

 「……そう、か。仕方ないね」

 部室に入ってくるなり、申し訳なさげに飛んできた木原くんの台詞に、私は沈んだ声でそう返していた。来ないかもしれないと半ば予想していたとはいえ、それが現実のものとなってしまうと、いささかならずダメージは受けてしまうものだ。

 「……てことは、昨日と同じ理由かなー?」

 「だとしても、どっちもそんなあっさり心変わりするもん?」

 昨日と同じ席に座っている小鈴と要が、さすがに囁き声で交わした台詞に、二人も察してるんだ、と気付いて、さらにうなだれてしまう。

 と、入口傍の壁にもたれて退屈そうにしていたチカくんが、何故か大きく挙手をして、

 「はいはーい、先輩三人で何気に面白そうなネタを提供してくれるのはいいですけど、部長もそこの一寸法師いっすんぼうしも、今日は大事な話とやらがあったんじゃないんですか?」

 「げ、あいつなんであの位置で聞こえてんの」

 「きっと、遮るものが頭と耳の周りになんにもないからだよー!それにそこは最低限、性別を合わせる努力は必要だからー!!」

 「……小鈴、チカくんの言う通りだよ。ちゃんと、やらなきゃ」

 彼女に、というよりは自らに言い聞かせるために私はそう言うと、男子二人に座って、と向かいの席を勧めた。あらかたは先に伝えていたチカくんは、面白がっているように唇の端を上げて、木原くんは私の方をちらりと見てから、それぞれ奥の席から背の順に腰を下ろす。

 小鈴も要も、それぞれに姿勢を正しているのを横にしつつ、手元に並べておいた三枚の入部届をひととおり見やってから、私は口を開いた。

 「本当は三人揃って、と思ってたんだけど……今日は、活動を始める前に、二人に確認しておきたいことがあります」

 言葉を切って、やや高さの異なる二対の瞳と視線を合わせてから、先を続ける。

 「二人がうちに仮入部をしてくれてから、およそ二週間が経ちました。図書部の活動の内容も、部の雰囲気も含めて、このままやっていけるかどうか、そろそろ具体的に見えてきたんじゃないかな、と思うんだけど」

 初めて行うことだけにやはり緊張を抑えられなくて、密かに息を継いで、私は告げた。

 「ついては、図書部に本入部するか否かを決めてもらいたいの。今日か、遅くとも来週頭には、結論を出してもらうようにお願いします」

 なるべくきっぱりと言い切って、そのまま二人の反応を待っていると、しばしの静寂が辺りを覆う。

 その場の全員が、息を詰めて次の展開を待つ中、やがて、居心地悪げに身じろぎをした木原くんが、ようやく沈黙を破った。

 「えーと、部長、とりあえず俺からいいすか?」

 「あ、はいっ。どうぞ、何でも、存分に言ってください」

 慌てるあまりに、丸椅子を鳴らす勢いで彼に向き直ると、どうもっす、と彼は応じて、淀みなく話し始めた。

 「最初ん頃って、確か部長に俺、『浦上がいなかったら入んなかったかも』みたいなこと言ってましたし、なんか書くとか話作る、とかぜんぜん得意じゃねえし、どうすっかなー、とか思ってたんですけど、昨日、連載の設定ってやったじゃないすか」

 「そうだね。特に木原くん、ばんばんキャラクターの提案してくれて、面白かった」

 切り出された話題に、思わず口元がほころんでしまいながら、私はそう返した。

 昨日は、夏号から始める新しいリレー連載の設定構築がテーマで、舞台は現実に即すかそれとも幻想の世界か、ストーリーは喜劇か悲劇かはたまた冒険活劇か、などと、土台の部分から作り始める段階の、正直に言えば一番楽しい作業だ。

 そんな中、俺、魔導士まどうしとか魔法使えるキャラ憧れなんですよね!とか、すっげー能力の持ち主なんだけど、はめられて力制限されてるとか話的に盛り上がらないっすか!とか、ノリもよく場を賑やかにしてくれて。

 そう言うと、彼はぱっと顔を明るくして、

 「あ、それっす、それ。すっげえ適当っていうか、思いついたこと片っ端から言ってるだけなのに、先輩たちがちゃんとネタとして拾ってくれて、ざっくりあらすじとかも考えたりして、もしかしてこれマジで話になったりすんのか、ってだんだん実感してきて」

 ほとんど一息の内にそう言ってしまうと、頬に手をやって、それから、思い切るように、ぴしりと姿勢を正して。

 「そしたら、単純なんすけど俺にもやれることあんじゃねえかな、って思えてきたんで。だから、その、万が一ですけど、俺だけでも入部はしようって思ってます」

 耳に滑り込んできた言葉は、確かに理解出来ているはずなのに、彼の顔を見据えたまま、私はしばらく、固まってしまって。

 ……だって、言ってくれたことって、去年、私や小鈴が思ったことと、同じで。

 「真雪ー、そろそろ解凍解凍ー。はい、じゃあ木原くんこれに丸つけてねー、そしたら先生に承認印もらってくるからー」

 ぽん、と肩を叩かれて、はっと我に返った時には、小鈴が手回し良く彼の分の入部届を渡しているところだった。了解っす、と頷いて、置いていたボールペンを取り上げているのに声を掛けようとした時、すらりと長い指が、気を引くように目の前をかすめて。

 ひらりと、自らの書いたそれを小さくひるがえしたチカくんは、見せつけるように私に表を向けて示してくると、薄い笑みをひらめかせた。

 「ま、流れからすると俺、ってことにはなると思うんですけど、まずもって行動原理がここに記載してある通りなんで。興味のままに色々と聞いてもいいですかね」

 「えっと、はい。とにかく、どうぞ」

 明らかに面白がっているらしい様子に、ちょっと警戒しつつもそう言うと、彼はふうん、と声を漏らしてから、酷く端的な問いを投げつけてきた。

 「浦上ですけど、入る見込みあります?」

 「……まだ、分からないの。でも、どうするかは話してくれるとだけは、聞いてる」

 私の答えに、さっと小鈴と要の視線が頬に刺さるのを感じて、唇を結ぶ。昼休みの件を、二人にも話すべきかと悩んでいるうちに彼らがやってきて、タイミングを逸してしまっていたのだ。

 「なるほど。てことは下手を打てば、俺次第で部の運命が決まる、ってわけですか」

 より楽しげに変化した表情とからかうような台詞に、衝撃を感じるより先に、すぐ隣で椅子が派手な音を立てて、倒れて。

 「君が何を面白がろうが、勝手だけど。ただ引っかき回したいだけなら、今すぐやめて」

 本当に蹴倒す勢いで、すっくと立ち上がった小鈴が、いつにない厳しい口調で言い放つ。と、チカくんはわざとなのか、彼女の顔をじっくりと眺め渡してから、やがて小さく肩をすくめてみせた。

 「事実を指摘しただけでしょ。まあ、それはそれとして、俺は正直入るも入らないも、どっちでもいいんでさておいてもらって」

 射抜かんばかりの視線を意に介した様子もなく、そう言葉を継ぐと、すっと顔を戻してきて、

 「部長は、どうですか。頭数あたまかずとして以外に、浦上は、ここに必須なんですかね」

 

 その瞳にちらりとかすめた、挑むような光に一瞬、気圧される。

 けれど、考えるよりも先に感情が、素直なまでに結論を弾き出していて。


 「図書部としての姿を維持したい、という考えは、もちろんあります。昇格した時からずっとここにいるし、先輩方や小鈴と作り上げてきたものを壊したくない、って。だから、私の願望、というか、わがままである部分も、決してないとは言えないけど」

 初めて選んだ本を差し出してくれた時の、少しだけ照れたような、表情とか。

 何かあったら、俺に言ってください、と、静かに差し出してくれる言葉も、全部。


 「彼には、もちろんいて欲しいです。それに、他の誰でも、ではなくて、何よりもこのメンバーで、これからを作っていきたい、って思っています」


 もう遅いのかもしれない、と、かすめた気持ちを振り飛ばすように、ずっと考え続けていた言葉をぶつけてしまうと、あらためて正面から彼を見返す。

 すると、ぴくり、と瞼を震わせたチカくんは、整えるように数度、瞬きを繰り返して、

 「うーん、まあ、俺向きではないですけど。分からなくもない、ってとこですか」

 ことごとく主語を飛ばした、どう取ればいいのか不可解な答えを返してくると、指先をひねるだけの動きで、器用に入部届の裏と表をひっくり返して、机の上に戻す。

 その時、閉めておいた扉が、外に向けて大きく開かれて、

 「おーい、邪魔するよー。堤ー、日誌やっと発掘してきたから渡しとくわー」

 張り詰めた空気などまるで存在しなかったかのように、ひょっこりと戸口から顔を出すなり、今日は白のスニーカーですたすたと上がり込んできた小崎先生は、おや、と言わんばかりに部室をぐるりと見回すと、思いがけない台詞を口にした。

 「あれー?今日って、漫研と合同なのは浦上だけなの?」

 飛んできた言葉に、五つの顔がほぼ同時に先生の方を向く。さすがに驚いたらしく目を見張った姿に、すかさず立ち上がった要が尋ねた。

 「先生、漫研って、二人ともですか?」

 「うん、梶と大原と。いつも通り眼鏡コンビ」

 「うっわ、何それマジで……それで、どこでですか?」

 「特別棟の裏。なんか真剣に語り合ってるっぽかったから、おー、盛り上がってんねーって思ってたんだけど。なに、実はあの子サボり?」

 その返事に、いよいよ予想が現実に切り替わったのを感じて動けずにいると、小鈴が、ばん、と両の手を机に叩きつけて。

 「あーもー、もやもやしてないではっきりさせに行こう、真雪!先生、部存続の危機により、今から緊急出動するんで撤収願いますー!」

 「えー、来たついでにたまには顧問っぽく見物してようかと思ったのにー。いいけどー」

 唐突な小鈴の台詞にも、平然とそう返してきた小崎先生は、するすると私の傍に寄ってくると、机の上に置いていた部室の鍵を、指先に引っかけて。

 「じゃあ、一応鍵だけ掛けとくから。なんか知らないけど行ってらっしゃいー」

 「え、あの、はい!い、行ってきます!」

 促すように背中を叩かれて、何故か言われるがままに席を立った私は、先を行く小鈴の後を追って、部室から外へと飛び出した。

 目的地への最短の道は、教室棟に入り、南渡り廊下を進んで中庭へと出て、真っ直ぐに煉瓦の上を突っ切って、昇降口を出てしまうルートだ。あとは校舎沿いに回ってしまえば、すぐに彼らの姿が見えてくるはずで。

 その光景を思い浮かべて、胸がずきりと軋む。けれど、抱えっぱなしでいたところで、所詮、何がどう変わるわけでもないのだ。

 一足ごとに定まっていく心の内を確かめながら、ちらりと後ろを振り向いてきた小鈴に頷きを返すと、三歩ほど遅れて昇降口を駆け抜ける。あの時は彼から逃げていたのに、と妙に冷静に思い出しながら、同じ道のりを走り切って、コーナーを回る。

 二対一で相対していた彼らに、呼びかける必要はもうなかった。騒がしい足音とともに現れた小鈴と私に、奥に立つ梶先輩は大きく眉を上げ、その隣の詩乃ちゃんは、びくりと飛び上がらんばかりの反応を見せて。

 そして、ただ一人こちらに背を向けて立っていた浦上くんが、長い前髪が振れるほどに鋭く、振り返ってきて。

 私の姿を認めるなり、迷いながらも何か言いたげに動いた唇に、一歩、踏み出して。

 「あの、浦上くん、私、正直凄く寂しいけど、活動は同じ部室だし、編集や製本の時は一緒に作業できるし、この先出来たら秋の合同誌の企画もしたい、って考えてるし」

 隠すべき感情もあたためていた計画も、何もかもが流れ出ていくままに口にしながら、ぐっ、とお腹に力を入れると、


 「だから、浦上くんが漫研に入りたいって思ってるんなら、何も遠慮はいらないから!」


 言わなければならないことを、精一杯に張った声で放ってしまうと、震える唇を誤魔化すために、必死で横に引き結ぶ。

 と、虚をつかれたのか、しばらく無言でいた彼は、突然、いつかの如く地面を蹴って。

 ほんの数秒のうちに、私の目の前までやってくると、戸惑ったように切り出してきた。

 「部長、俺、図書部にいるつもりですけど」

 「……え、あの、でも、今って、相談、してたんじゃ」

 さまざまに積み上げた上での結論を、ただのひとことで打ち砕いてきた彼の言葉に混乱しながら、この状況の答えを求めるように首を巡らせると、苦々しげなため息が響いて。

 「見ろ、お前がこそこそと妙な真似をするからだぞ、大原。さっさとくだらない誤解を解け、この締め切り破りが」

 「あああ、すみません申し訳ありません堤先輩ー!!次の作品に『衝動に突き動かされ人を追う』シーンをどうしても入れたくて、色々浦上くんにお伺いしていてですねー!!」

 梶先輩の厳しい声音に叩かれて、悲鳴めいた声を上げた詩乃ちゃんの後を取って、浦上くんが続けた。

 「それで俺が、いいけど、部活があるから部長に断っとかねえとって言ったら、どうか部長にはご内密に!ってやたらと頭下げられたんで、木原にメール送ったんですけど」

 「お前が追われた件について、しつこくこれが迫っていただろう。固辞されたからと、標的を変えた挙句にこの有様、ということだ」


 ……だったら、元を辿れば、私にも原因がある、ということで。


 「ともかく、浦上の昨日の放課後と、今日の昼休みまで拘束したのは紛れもなくこれだ。俺からも、あらためて図書部には迷惑を掛けたことを謝罪……おい、堤、どうした」

 「あー、えーっと、ちょっとだけそっとしておいてあげてもらえると幸いです先輩ー」

 「真雪ー、かなり高低差あるけど胸貸してあげるからー。ほらーよしよしー」

 どれだけうなだれても顔を覆っても、隠しきれない暴走の結果に打ちのめされた私を、寄ってたかって、要と小鈴が慰めてくれて。

 「……なんか、ざっくり察せられた気もすんだけど。どっちにしたってありえなくね?」

 「かもねえ、あっちもこっちもタイプ似てるし」

 「……部長、気が回らなくて、すいません」

 ぼそぼそと頭上を過ぎるやりとりの合間に、気遣わしげに掛けられた彼の言葉に、私は顔も上げられないまま、力なくかぶりを振っていた。



 そうして、顔の赤みと熱と、どうしようもない恥ずかしさが時間とともに薄れるまで、図書部と漫研の全員に、かなりの時間待ってもらって。

 いつの間にか特別棟の廊下の窓から顔を出してきていた小崎先生に、はいおかえりー、と部室の鍵を渡されて、再び心にダメージを食らった、その後。

 「なんだ、あんだけぐだぐだ言ってた割にあっさり入部するとか、やっぱ小鈴目当て?」

 「要ー恐ろしいことをさらっと言わないー!強いて言うならこの子の目当てはわたしのお団子の中身だからー!!」

 「大して入ってないものに興味なんかありませんよ。だいたい地味に伸ばしたところで元は変わらないのに無駄に努力するんなら、いっそ揉んで伸ばして成形し直しますけど?」

 「チカ、さすがに毛はやめてあげて!将来的に何かと影響が出そうだから!」

 「え、ええと、すみません梶先輩、詩乃ちゃんも、お待たせしたのについてきてもらっちゃって……」

 皆で、ここまで走ってきたルートをぞろぞろと逆に戻る、その途上。

 少し前を行く四人の会話の端々を気にしながら、むっつり、と不機嫌そうに寄せた眉が戻る様子のない先輩と、その一歩後ろをとぼとぼと歩いている後輩にそう言ってみる。と、

 「ないはずの亀裂を呼びかけたことは、看過しがたいからな。入部届が出されるまでは、これとともに見届けさせてもらうつもりではあるし、それに」

 苦々しい表情は崩さないまま言葉を切って、前触れもなく後ろを振り返った梶先輩は、どんよりとうつむいている弟子の手から、ふいに小さなものをむしり取った。

 「わー!師匠、ペンはともかく創作メモはわたしの命なのでなにとぞ没収だけはご勘弁をー!!」

 「殊勝なふりをしていても、この通りだ。浦上、これにはもう答える必要はないから、一刻も早く堤を安心させてやることだな」

 「はい。そのつもりです」

 「ええっ!?そんな、まだ表層だけで根本の心情の部分にはさほど切り込めていな……ああっ、師匠無言で置いて行かないでくださいー!!」

 もはや顧みることもなく、中庭ではなく職員室の方へと足を向けた師匠の後を追って、失礼しますー!と、きちんと頭を下げてから、詩乃ちゃんもぱたぱたと走り去っていって。

 そうなると、必然的に私の傍には彼がひとり残る、ということになるわけで。

 「……あの、浦上くん、その」

 「はい」

 気まずい(と、思っているのはきっと私だけだけれど)雰囲気をなんとか打開しようと呼びかけてはみたものの、続く言葉がなかなか出てこない。謝るのが先かお礼を言うのが先か、とぐずぐずと悩んでいると、細いその姿が、すぐ隣に並んできて。

 「俺も、誰が入らなくても、入部する気ではいましたけど」

 耳に届いた、淡々とした言葉に顔を上げると、浦上くんは、行く先に顔を向けたままで。

 「さっき、後押しする言葉、もらったんで。なおさら、ちゃんとやります」


 ……今日一日受けてきた中で、これは間違いなく最大の、ダメージだ。


 全てが自業自得だとはいえ、切羽詰まって滑り出たもののひとつひとつを、巻き戻して回収したい思いにかられながら、私は熱を逃がすように、そっと頬に手をやった。

 ……明日に部活がない、そのことだけは、不幸中の幸い、なのかもしれない。

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