第6話「『シン・ゴジラ』はけしからん」
(『シン・ゴジラ』のネタバレがあります。未見の方はご注意ください)
二学期に入って2日目の昼休み、あたしはクラスメートの優衣と学食の片隅でダベっていた。話題は夏休み中に観た『シン・ゴジラ』。まあ、映画自体も面白かったんだけど、あたしら二人とも腐女子なもんで、巨災対関係者で勝手にBL妄想して楽しんでいた。そう、「内閣腐」ってやつ。
「すっかりハマっちゃってさあ。最近、こんなの持ち歩いてんのよ」
そう言って優衣が見せたのは、500mlサイズのミネラルウォーターのペットボトル。ラベルは剥がしてある。
「ああ、なるほど、水ドンね」
「だって、公式グッズ、種類少ないじゃん。パンフなんて売り切れてて買えなかったし。こんなんで我慢するしかないのよ」
「まあ、まさかあんなにヒットするなんて、東宝の人も予想してなかっただろうしねえ」
そんな話題で盛り上がってるところに、
「ん? 映画の話か?」
「はい。『シン・ゴジラ』が面白かったって」
とたんに先生の顔色が変わった。
「お前らは、あの映画が面白いと思ったのか!?」
「はあ? だって面白かったでしょ?」
「ああ、嘆かわしい!」先生はあたしらの横の席にどっかと腰を下ろすと、絶望した様子でかぶりを振った。「情報操作に対して免疫のない若者は、あんな見え透いたプロパガンダに、あっさりとひっかかってしまうのだなあ……」
「観たんですか?」
「観たとも! あれは露骨な右寄りのプロパガンダ映画だぞ! 見えなかったのか? 自衛隊の戦車やヘリがいっぱい出てきただろうが!」
「怪獣映画なら自衛隊が出てくるのが当たり前だと思いますけど?」
「おまけに市民を助けて、ゴジラと戦ってた」
「そりゃ自衛隊ですから」
「けしからん!」先生は声を張り上げた。「何であんなシーンを入れるんだ!」
あたしはびっくりした。優衣もあっけにとられてる。
「けしからんのですか? 自衛隊が市民を助けるのが?」
「そうだ! ああやって怪獣映画を通して、自衛隊に対する好印象を観客に植えつけているんだ! あんなシーンを入れてはいかんのだ。偏った思想──自衛隊を肯定するような考え方をな」
あたしは反論を思いついた。
「じゃあ、たとえば怪獣映画じゃなく、実際にあった震災とかを描いた映画でも? 自衛隊の活動を描いてはいけないんですか?」
「当たり前だ! 自衛隊を好意的に描く映画はみんなけしからん!」
うわあ、反論されて詰まるかと思ったら、あっさり肯定されちゃったよ。
「米軍も出てきただろ」
「出てきましたね」
「有事の際に自衛隊や米軍が最新兵器を用いて日本を守る。そんなドラマを見せつけられたら、観客はどう感じる!? 『自衛隊、かっこいい』『米軍、頼もしい』──そう思うようになるんじゃないか?」
「いや、自衛隊も米軍もゴジラにボロボロにやられてましたけど?」
しかも、ゴジラにとどめを刺したのは最新兵器なんかじゃなく、コンクリートポンプ車と在来線だったし。
「おまけに、露骨に憲法九条を批判する内容だった」
「え? 憲法九条の話なんか出てきましたっけ?」
「何を観てたんだ!? 憲法九条のせいでゴジラを攻撃できないって言ってただろうが」
「言ってませんよ、そんなこと」
有害な鳥獣とみなして駆除するって説明はあったけど。
思い出した。『ジャングル・ブック』もそうだったけど、吉水先生はありもしない「意図」を読み取ってしまう人だったんだ。『シン・ゴジラ』を観て、そこにあるはずだと自分が思いこんだものが見えちゃったんだろう。
ああ、面倒くさい。
「いいか。初代の『ゴジラ』は反戦・反核の思想に貫かれていた」先生の演説は続く。「だが、今回の『シン・ゴジラ』はその理想を踏みにじった! 戦闘シーンをかっこよく描くことで、日本の軍国主義化を肯定しているんだ!」
「いや、最初の『ゴジラ』にも自衛隊、出てきたでしょ?」
それに今回のゴジラだって、放射性廃棄物から生まれたって設定で、放射能をばらまいてたから、十分に反核なんじゃ? 観てればそれぐらいのことは分かるはずだけど。
そうか。先生はありもしないものが見えるだけじゃなく、そこにあるものが見えない人でもあったんだ。
「とにかく『シン・ゴジラ』はけしからん! あんな映画が若者に受けるなんて、日本の未来は真っ暗だ!」
吉水先生の長広舌は続く。あたしは優衣と視線を交わした。彼女も困った顔をしている。ああ、どうやって逃げ出そうかな、これ……。
と、そこに国語の
「『シン・ゴジラ』の話ですかな?」
あたしは警戒した。だってこの先生、吉水先生以上に面倒くさいから。
「そうです」
「うむ、あの映画はけしからんですな」
「そうでしょう?」
「あれは悪質な左翼のプロパガンダ映画です!」
ほら来たーっ!
「な、何を根拠に!?」吉水先生は目を白黒させている。
「だって、そうでしょう? あのゴジラは明らかに福島第一原発をイメージしている。原発を悪役として描いてるんです。あれは明らかに原発のイメージダウンを目論む左翼勢力の陰謀です!」
「それは違うでしょう? いや、ゴジラが原発の象徴であることは認めますけどね。暴走した原発を政府の努力で冷温停止させることに成功するという、民主党政権時代の311では失敗したことが、映画の中では成功している。あれは明らかに今の日本政府、つまり安倍政権が、現実以上に有能であると宣伝するプロパガンダですよ!」
「じゃあ」とあたし。「先生は映画の中で政治家や巨災対が有能で、日本を救ったのが気に入らないと?」
「そうです! 政治家はもっと無能に描くべきだった! そしてゴジラは政治家どもをみんな焼き殺すべきだったんです!」
「じゃあ、誰がどうやってゴジラから日本を救うんですか?」
「救う必要なんかないですよ! こんな腐った日本なんて、滅ぼしてしまえばいいんです!」
いやちょっと、それは教師が言っていいことなの?
「はっ、何を言うんですか!?」草薙先生は嘲笑っていた。「『シン・ゴジラ』が右翼のプロパガンダだなどと、デタラメなで解釈もいいところだ。アメリカが日本に核を落とそうとする悪役として描かれていたことを忘れたんですか? あれが日米安保体制を批判する左翼思想でなくて何ですか? しかも核兵器や原子力を忌まわしいものとして描くという、露骨な反核思想! あれは間違いなく左翼のイデオロギーです!」
「いや、ゴジラは第一作から反核なのは当たり前でしょう?」
「失礼ですが、吉水先生、ゴジラ映画を何本ぐらいご覧になってるんですか?」
吉水先生は詰まった。「ああ、いえ……そんなに多くは……」
「はは、その程度ですか」草薙先生は勝ち誇った。「私は1954年の最初の『ゴジラ』からずっと観ている、熱烈なゴジラファンですからな。ゴジラに関して私と議論しようなんて百年早い。ははは」
あたしは違和感を抱いた。草薙先生ってそんなに濃い特撮ファンじゃなかったはずだけど? 特撮関係の話をしてるところなんて見たことないし。
「草薙先生」あたしは手を挙げた。「ゴジラにそんなに詳しいんですか?」
「ふふふ……もちろんですとも」
「アンギラスって怪獣、いますよね?」
「ええ、いますね」
「あれってどういう怪獣なんですか?」
草薙先生の顔が、ぴきっとひきつった。
「ど……どうしてそんなことを知りたいんですか?」
「いえ、ちょっとかわいい怪獣なんで、なんとなく興味がありまして。熱烈なゴジラファンの先生ならご存知かなと」
「えーと……ああ、いけない電話が入った。ちょっと失礼」
そう言うと、草薙先生はそそくさとあたしらの傍を離れ、廊下に向かった。
「うわっ、怪しいなあ」と優衣。
「うん、露骨に怪しい」
「ちょっと尾行してくる」
優衣は草薙先生を追って、廊下の方に走っていった。
そして、すぐに戻ってきた。
「先生、スマホ操作してた」
「電話かけてたの?」
「いや、何かググってたみたい」
「はあん?」
あたしはピンときた。自分でもスマホでWikipediaを検索してみる。
ほどなく、草薙先生が戻ってきた。
「何の話でしたっけ? そうそうアンギラスでしたね。第2作の『ゴジラの逆襲』に登場した怪獣ですね。キャッチフレーズは『暴龍』。1億5万年前に生息していたアンキロサウルスという恐竜が水爆実験で蘇ったもので、脳が体中に分散しているという設定で、動きが敏捷……」
「先生」あたしはスマホの画面を突きつけた。「ウィキで調べましたね」
そう、今、草薙先生が言ったことは、Wikipediaの〈アンギラス〉の項の文章とほとんど同じだったのだ。
「な、何を言うんですか!?」草薙先生はうろたえる。「私が嘘をついてるとでも?」
「でも、そっくり……」
「そんなのは偶然の一致です! わ、私は熱烈なゴジラファンですよ! そうですとも!」
「あらあら、何の話で盛り上がってらっしゃるの?」
今度は家庭科の
「はあ、『シン・ゴジラ』の話で……」
「『シン・ゴジラ』……!?」
ほーら、冬美先生のメガネが、きらっと光ったよ。何かのスイッチが入っちゃったよ。
「あれは許せません! ゴジラがかわいそうです!」
「かわいそう?」
「何もしていないゴジラを、自衛隊や米軍が寄ってたかって痛めつけて殺しちゃうんですよ!」
「……は?」
あたし、優衣、吉水先生の頭の上に、クエスチョンマークが浮かんだ。さすがにそんな難癖はみんな予想外だ。
「『何もしていない』って……」優衣は首をかしげていた。「ゴジラ、ずいぶんたくさん人殺してましたけど……?」
「攻撃されたから逆襲しただけですよ! 正当防衛じゃないですか!」
「いや、自衛隊が攻撃する前、蒲田に上陸した時点で、けっこう人死んでると思いますけど?」
「何の悪意もない野生動物が、ただ歩いてただけじゃないですか! なぜ保護しようと思わないんですか? おかしいですよ!」
「いや、クマが市街地に入ってきたりしたら、普通は射殺しますよね?」
「それが間違ってるんです! 大勢が寄ってたかって一匹の生物をいたぶる。あれが“いじめ”でなくてなんですか!? あんな話で喜ぶ人は、いじめを肯定しているんですよ! 命は大切なものです! どんな小さな命も慈しむ優しい心が必要です!」
ゴジラは「小さな命」じゃないと思うけどなあ。
「それに、あの映画はポリティカル・コレクトネス的にも間違ってます!」
「というと?」
「特に石原さとみのあのキャラクター! あれは完全にヘテロ男性の性的妄想で描かれています!」
「まあ、監督は男性ですからねえ」
「それですよ! あの映画は徹底して男性目線で作られているんです! 観客には女性もいることをまったく意識していない! 女性から見て大変に不快な映画です!」
「いえ、あたしらは楽しめましたけど?……ねえ?」
あたしは優衣に同意を求めた。優衣は「うん」とうなずく。
「その考え方がおかしいんです!」
「はあ?」
「女性ならば必ず、あの映画に秘められた古臭い男尊女卑の思想に嫌悪を示さなくてはなりません!」
「なりません、って言われましても」
そんな風に「女性はこうでなくてはならない」と決めつけることこそ差別なんじゃないのかなあ?
「だいたい、あれだけ登場人物が多いのに、主要な女性キャラクターが3人だけというのはどういうことですか? おかしいじゃないですか。ポリティカル・コレクトネスからすると、男性と同じ数だけ女性を出すべきじゃないんですか?」
うわあ、また見当違いのこと言い出したよ、この先生。だいたい、女性であるあたしからしたら、むしろ男性がいっぱい出る方が嬉しいんだけど。
「いや、それは現実がそうだからでしょ?」と吉水先生。「実際、国会議員の中に女性が占める比率は1割以下ですし……」
「それが間違ってるんです! 女性議員はもっと増やすべきなんです! 女性の声を政治に反映させるために!」
「いや、だから現実が……」
「もともとゴジラなんて非現実的なものでしょう? そんなとこで現実にこだわる必要なんかないじゃないですか!」
「いえ、さすがにそれはおかしいんじゃないですか」優衣が口をはさんだ。「だって、リアルに描かれてるのが『シン・ゴジラ』の魅力だから……」
「いいえ、 怪獣映画なんてデタラメでいいんです!」
うわあ、すごい暴論だなあ……と思っていたら。
「いいえ。もっとリアルに描くべきだったんです!」と草薙先生が反論する。「いっそ、ゴジラなんか出さない方がよかった!」
もっとすごい暴論きたーっ!
「大災害が起きた時の政府の対応をリアルに描きたいなら、台風でも大地震でもいいじゃないですか! なぜゴジラを出す必要があるんですか!?」
これはゴジラ映画だからだよ! そんな単純なことも分かんないの、この人は!?
「いや、その政府の対応の描写こそ不要でしょう」と吉水先生。「日本政府が実際以上に有能なように見せかけるのは、まさに右翼のプロパガンダ──」
「違う違う! あの映画は左翼のプロパガンダだ!」
「何を言うんですか!? デモ隊が『ゴジラを守れ』とシュプレヒコールを上げてたシーンがあったでしょう?」
「ええ、言ってましたね」と冬美先生。「あのシーンには私も感心しましたけど」
「いや、感心しちゃだめでしょ。あれは、あんな状況でもなお左翼は『ゴジラを守れ』なんて平和ボケしたことを言っていると、左翼を風刺してるシーンですよ」
「いやいや、待ちなさい」と草薙先生。「あんたら何を言ってるんですか。あそこは『ゴジラを倒せ』と言ってたんですよ」
「はあ? いや『ゴジラを守れ』でしょ?」
「違います! 巨災対の人たちが疲れて眠っているのに、右翼のデモ隊が『ゴジラを倒せ』と叫んで安眠を妨害してたんですよ。あれは左翼の露骨な──」
「いやいやいや、何を言ってるんですか! あそこは『ゴジラを守れ』って言ってましたよ!」
「私もそう聞こえましたけど」
「いや、『ゴジラを倒せ』です!」
「あのー、どっちも言ってたんですけど……」
優衣が恐る恐る先生たちの話に割って入った。そう、「ゴジラを倒せ」と「ゴジラを守れ」というシュプレヒコール、両方とも収録してステレオで流したというのは、ちょっと調べれば分かること。でも、先生たちには、一方の声しか聞こえなかったらしい。もうひとつの声は、耳に入っていても脳がスルーしたんだろう。
そして優衣の説明もスルーされた。先生たちはますますエキサイトする。
「ゴジラを守れ、です!」
「ゴジラを倒せ、だ!」
「ゴジラを守れ!」
「ゴジラを倒せ!」
「ゴジラを守れ!」
「ゴジラを倒せ!」
「それよりもヘテロ男性の性的妄想が──」
ああ、うるさい!
あたしはキレた。テーブルをばーんと叩き、「うるせえ!」と怒鳴って立ち上がる。先生たちはびっくりしてあたしを見つめた。
「くだんないこと言ってんじゃねえよ!」
あたしは怒鳴り散らした。
「スタッフはわざわざ右にも左にも偏らないように配慮して作ってんのに、その配慮を無視しやがって! そりゃ作品に欠点や問題点があるってんなら指摘してもかまわないさ! でも、あんたらの言ってる欠点は、実際にはスクリーンに映ってないものばっかりだろ! あんたらが勝手に頭の中のスクリーンに捏造映像を投影してるだけじゃないか! あんたらは自分自身の妄想に向かって罵ってるんだよ!
だいたい、娯楽映画をそんな見方して面白いか!? もっと素直に見ろよ! ストーリー展開にはらはらしたり、スペクタクル・シーンで興奮したりしろよ! それが正しい映画鑑賞ってもんだろ!? あんたらの見方は邪道もいいとこだよ!」
すると、
「
優衣が手にしたミネラルウォーターのペットボトルで、あたしの胸をぽんと叩いた。
「まずは君が落ち着け」
……ごめんなさい。
どうもあたしの周囲には面倒くさい奴が多い 山本弘 @hirorin015
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