第2話「彼女はこってりしたラーメンを食べない」

 

「俺、もう亜澄あずみのことが分からなくなった」

 とある朝の教室、食べてる途中でソフトクリームを地面に落としてしまった小学生みたいな情けない顔で、竹本はあたしに訴えかけてきた。

 竹本は小さい頃から何度も同じクラスになっている。高校生活も半分以上すぎた今になって、ようやく亜澄という彼女ができた。眼鏡をかけていて、おとなしく知的な雰囲気の女の子だ。バカな竹本なんかには過ぎた相手だと思う。だいたい、二次元にしか興味のなかった竹本に彼女ができたこと自体がびっくりだ。

「何? 喧嘩でもしたの?」

「それに近い。決定的な価値観の相違に気がついたんだ」

「彼女がアニメを観ないとか?」

「いや、そんなのはつき合う前から分かってたさ。多少の無理解は想定内だ。問題はラーメンだ」

「ラーメン?」

「なあ、〈鶴姫〉のラーメンって美味いよな?」

〈鶴姫〉は駅の近くに新しくできたラーメン屋だ。太めの麺と、ポタージュのようにどろっとした、こってり味のスープが売り物だ。

「ああ、美味しいよね」

「だろ? 俺、〈鶴姫〉のラーメンが大好きだからさ。いっぺん亜澄にも食べさせようと思って、昨日、誘ったんだよ。そしたら──」

 竹本は悔しそうに、顔をくしゃくしゃにした。

「食べたくないって言うんだ!」

「ラーメンが嫌いなの?」

「いや。彼女、ラーメンは薄いしょうゆ味が好きだって言うんだ。こってりしたラーメンは食べたくないって」

「ふうん、好みの問題かあ。まあ、しかたないんじゃない?」

「いやいやいや、しかたなくはないだろ!? お前も今、〈鶴姫〉のラーメンは美味いって認めただろ?」

「そりゃまあ……」

「不味いものを無理に食わそうって言うんじゃないんだ。本当に美味しいと思うからこそ、〈鶴姫〉のラーメンを亜澄にも食べてほしいと思うんじゃないか! なのに、あいつ、拒否するんだよ。こってりしたラーメンなんか食べたくないって、断固として!」

「何かアレルギーとかの関係?」

「そんなのはない。単なる好き嫌いだ。おかしいだろ? 何でそんなつまらないことにこだわるんだ? 実際に食べてみりゃあ分かるはずなんだ。〈鶴姫〉のラーメンは美味いってことが」

「でもまあ、あんまり無理強いしてもしょうがないんじゃ……」

「だって、俺は彼氏だぜ!? 亜澄が好きだからこそ、本当に美味いものを食べさせたいと思ってるんじゃないか! 〈鶴姫〉のラーメンを勧めるのは、いわば俺の愛だよ! その愛を拒絶するのかって話だよ!」

 ああ、面倒くさい。

 ほんと、何であたしの周りの人間って、こういう面倒なのばっかりなんだろ。

「だったら別れちゃえば?」

 投げやりにそう言うと、竹本は「え? あ? いや、それは困る」と、露骨に狼狽した。

「亜澄は俺の理想にドンピシャの女だからさ。手放したらあんな女、二度と見つかるか分かんないし……」

「いやあ、女なんかいっぱいいるっしょ。ほら、美嘉みかとかはどう? 今はフリーのはずだよ。当たってみれば?」

「美嘉はだめだ」と即答する。

「何で?」

「見たとこBカップだ。俺はCカップ以下は女として認めん!」

 悪かったな、Aカップで。

「じゃあ、花音かのんとかは?」あたしはもうこの会話を早く終わらせたかった。「胸はけっこう大きいよ」

「花音?」竹本は、ふんっと鼻で笑った。「話にならん」

「何で」

「いいか……」竹本は顔を近づけてきて、小声で言った。「……聞いたことがあるんだよ。あいつは前に野球部の松岡とつき合ってて……」さらに声をひそめる。「……ヤッたことがあるって」

「それが?」

 あたしの反応に、竹本はおおげさに仰天した。「いや……だって……処女じゃないんだぞ!?」

「今時の高校生じゃ、そんなに珍しくないでしょ」

「いや、珍しいとか珍しくないとかいう問題じゃないよ! 処女じゃない女なんて問題外だろ!」

「そんなに処女がいいの?」

「いいに決まってるだろ! 彼女にする女は、絶対、絶対、処女でなくちゃ! 中古品なんて願い下げだ!」

 拳を握って力説する竹本。あたしも机の下で拳を握ってた。こいつの顔面をぶん殴りたくて。

「じゃあ、秋帆あきほは?」あたしは怒りを抑えながら言った。「彼女は未経験のはずだけど」

「あれもだめだ。眼鏡かけてない」

「え? 眼鏡って必須条件?」

「当たり前だろ!? 眼鏡は女の最高のチャームポイントじゃないか! 眼鏡のない女なんてカスだ!」

 こいつ、眼鏡スキーだったか。

「あーあ」竹本はため息をついた。「やっぱり亜澄は理想の女なんだよなあ……なのに何で、あんなつまんないことにこだわるかなあ。こってりしたラーメンは食べたくないなんて」かぶりを振って、「女って理解できねえ」

「……やっぱ別れた方がいいね」

 あたしは心底からそう言った。竹本のためじゃなく、亜澄のために。 


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