第4話「ダンジョンにトイレが無いのは間違っているのだろうか」


〔今回の話はかなり下品なので覚悟してお読みください──作者〕



「師匠、師匠~」

 昼休み、学食で昼食を食べていると、仁科が近寄ってきて、前の席に座った。トレイにはカレーライスを載せている。

「昨日、ネットで、すごいトリビア見つけちゃったんすよ」嬉しそうに言う。「これ、小説のネタにならないかなって」

「ほう。何だ?」あたしは上の空で返事した。どうせろくな話じゃないだろう。

「驚きますよ。実はね……」仁科は声をひそめた。「……ヴェルサイユ宮殿にはトイレが無かったそうなんすよ」

「ああ、らしいな」

 数秒の沈黙。

「えっ、驚かないんすか師匠?」

「そんなの定番のトリビアだろ。あちこちで見かけるぞ」

 あたしは前に歴史関係の雑学本で読んだ知識を披露した。ヴェルサイユに限らず、産業革命以前のヨーロッパの建物には、排便用の部屋というものが無かった。城や屋敷など、広い庭がある場合は、そこで用を済ますことも多かったらしい。

「フープスカートってあるだろ? 釣鐘形のふくらんだスカート」

「ああ、ファンタジーものじゃ定番っすね。よく王女様とか女王様とかが穿いてる」

「あれは高貴な女性が立小便するために発明されたんだそうだ。してるところを他人に気づかれないように」

「ええっ!? じゃあ王女様は庭を散歩しながら、こっそりおしっこを!?」

「らしいな」

「パンツはどうやって下ろしてたんすか?」

「あの時代だからノーパンじゃないかな」

「うわー、ノーパンの王女様が歩きながらおしっこ! 萌えるシチュエーションっすね!」

 萌えるか?

「うんちはどうしてたんす?」

「寝室なんかにが置いてあったんだよ。マリー・アントワネットの使ったおまるとかも現存してるらしい」

「中身はどうするんす?」

「毎朝、使用人が回収して、捨てに行く」

「どこに?」

「庭に」

「じゃあ、庭が大変なことに……」

「ああ、ヴェルサイユの庭園とかも、本当はすごく臭かったって言われてるな」

「もしかして、いちいちおまるのあるところまで戻らずに、庭でうんちする奴も?」

「いたかもしれない」

「へー、すごいっすねえ。マリー・アントワネットがヴェルサイユの庭で野グソしてる光景なんて想像すると」

 そう言いながらカレーをがつがつと頬張る仁科。

「……お前、よくこんな話しながらカレー食えるな」

「えっ、何がっすか?」

「念のために訊くけど、マリー・アントワネットってどういう人物か知ってんの?」

「うーんと、確か誰かの奥さんすよね?」

「そうだな」

「ナポレオンだったかな?」

「いや違う」

「ノストラダムス」

「時代が違うし王族じゃない」

「ダ・ヴィンチ」

「もはやフランス人でもないな」

「でも王宮でさえそんなだったら、一般家庭とかはどうだったんすかねえ?」

「下水道が発達する前は、かなり不潔だったらしいな。庭の無い家じゃ、おまるの中身が溜まってきたら、二階の窓から外に捨ててたって」

「え? じゃあ、通行人が窓の下を通りかかったら……」

「頭から浴びる」

「わあ」

「だからみんな、なるべく建物から離れるように歩いてたって」

「じゃあ、ファンタジーに出てくる、あの手の中世風の街なんかも……?」

「下水道が無かったら、当然、そういうことになるな」

 ちなみに、ハイヒールなんてものも、その時代に発明されたらしい。うんちが街じゅうに散乱してて、それを踏むことがしょっちゅうあったから。

「まあ、映画とかアニメとかじゃ、そういう部分は描かないけどな。実際はものすごく汚かったし、不衛生なんで、疫病なんかもよく流行したらしい」

「日本じゃ畑の肥料にしてたって言いますけどね」

「西洋でも、一般市民の尿は、壷に入れて街角に出しておいたら、業者が回収してたそうだ」

「業者?」

「洗濯職人。尿に含まれるアンモニアを利用して汚れを落としてたんだって」

「うわあ。じゃあ、ああいう中世風の異世界の人間って、おしっこで洗った服着てるんすか? すげえ」

「現実的に考えればそうなるって話だよ」

 もちろんファンタジーなら、そういう読者を幻滅させるような部分は省略していいんだろうけど。

「でもそれ、ラノベのネタになると思いません? ファンタジーものに出てくるお城とかも、ヴェルサイユみたいにトイレが無かったら──」

「どうなるんだ?」

「トラックにはねられた主人公が、異世界のお城に飛ばされて──」

「またそのパターンか」

「美しい王女様が庭で排便してる場面に出くわしちゃうんすよ」

「嫌な出会いだな!」

「恥をかかされた王女様は、怒って主人公に決闘を申しこむんす」

「結局、後の展開はいっしょかよ!」

「でも王女様は、主人公に排便を見られたことがきっかけで、やがて好意を抱くように──」

「抱かねーよ!」

「どうすか、これ? まだ誰もやってないんじゃないっすか?」

 どうなんだろうな。さすがに商業出版じゃ無理だと思うけど、スカトロ系の18禁同人誌とかで、とっくに誰かやってそうな気もする。いや、きっと誰かやってる。

「だめだめ。そんなの一発ネタじゃん。最初の衝撃が大きくても、後が続かないでしょ」

「うーん。じゃあ、どうすれば……」

「いっそ、そういうネタで全編押し切れば、面白いものになるかもしれないけどな」

 これも冗談で言ったつもりだったんだけど、仁科は真剣に受け取ったらしい。

「うーむ、確かに、お城の野グソだけじゃ、話が広がりませんねえ」

 そう言って、またカレーをひと口食べて考えこむ。

「じゃあ、ダンジョンにも話を広げましょうよ」

「ダンジョン?」

「そうすよ。だいたい、ダンジョンにトイレがないって、現実的に考えてありえないと思いません?」

「いや、モンスターがうようよいるダンジョン自体、現実にはありえないから」

「モンスターや冒険者のうんちが、ダンジョンじゅうに散乱してるはずじゃないすか。あれ、どう処理されてるんすかね?」

「排泄物を食べてるモンスターがいるんじゃないの?」

 あたしは適当に答えた。こんな話を早く切り上げたくて。

 つーか、何で昼飯食べながらこんな話せにゃならんのだ。

「スライムとかっすか?」

「あと、植物系のモンスターがいるのかもな。それの肥料になってる」

「植物系のモンスターって、どんなのがいましたっけ?」

「うーん、マンドレイクとか……」

「『ふらいんぐうぃっち』に出てきたあれっすか? かわいいじゃないすか」

「あれは幼生体じゃないのかな。成長したらもっと大きくなるのかも──ああ、トマス・バーネット・スワンの『薔薇の荘園』に出てきたマンドレイクが、そんな感じだったな。人間ぐらいのサイズで、歩き回れるし、知性もあるの」

 ちなみに一九七〇年代にハヤカワ文庫から出た小説。古本屋で見つけて、イラストが萩尾望都だから買ったのは秘密だ。仲のいい二人の少年が主人公で、二人で水浴びするシーンもあったりして、腐女子心がびんびんに刺激されたってことも。

「その小説の中に、マンドレイクがうんち食うシーンあるんすか?」

「ねーよ! トマス・バーネット・スワンけがすな!」

 もっとも、マンドレイクが裸の少年のあそこをいたぶるエッチなシーンがあって、読みながら乙女心がどきどきしちゃったのも秘密だ。

「でも、それはいけますねえ。人間の新鮮なうんちを食いたくて、冒険者たちの後をつけ回すマンドレイク」

「マンドレイクのイメージダウンだなあ! マンドレイクから名誉毀損で訴訟起こされるよ!」

「そこはそれ、〈この物語はフィクションであり、実在するマンドレイクとは関係ありません〉って入れれば」

「そりゃフィクションだけどさ! つーか、やっぱりそれじゃ話が広がらないだろ」

「ならいっそ、マンドレイクを宿敵ってことにしたら?」

「マンドレイクがボスキャラ?」

「そうすよ。巨大なマンドレイク──キングマンドレイクみたいなのがダンジョンの奥に居座ってて、マンドレイクの軍団を指揮してるんすよ。でもってそいつが部下に命じて、近くの村を襲わせて、処女をさらって来させるんす」

「なぜ処女?」

「処女のうんちは美味いんすよ!」

「あるか!」

「そうやって何百人もの処女を飼って、排便させてるんすよ!」仁科はだんだんエキサイトしてきた。「ヒロインもマンドレイクにさらわれて、排便を強要されるんす!」

「王女様、災難だな!」

「いや、王女様だけじゃなく、気位の高い女騎士とかもいいっしょ。便意を必死にこらえてるんだけど、ついに力尽きて洩らしちゃうんす。しかもそれをモンスターたちに見られて、『くっ、殺せ』って悶える姿! 想像すると萌えるっす!」

「お前、そんな性癖あったの!?」

「うん、なかなかいいじゃないすか。だいたいのプロットできましたよ」

「今ので!?」

「というわけで」

 仁科は手を伸ばしてきて、あたしの肩をぽんと叩いた。

「師匠、これ書いてください」

「はあ!? 何であたしが!? 書きたいなら自分で書けよ!」

「いやー、俺、師匠ほど文才ないですし。それに、男子高校生がこんな話書いたって、ただの変態っしょ?」

「女子が書いたって変態だよ!」

「いや、男子と女子じゃ、みんなの見る目が違いますって。男子が書いたら白い目で見られるけど、女子が書いたら、“女の子がこんなもの書くんだ、すげー”って、評判になりますよ! 話題性十分っすよ!」

「そんな話題性いらんわ!」

「人気出ますよ! ヒットしたらマンガ化やアニメ化も──」

「いや、映像化は無理だろ!」

「実写映画化──」

「もっと無理!」

「儲かりますよ! 名声も手に入ります!」

「代わりに人として大切なものを失うけどなあ!」

「あっ、印税は半々でお願いします」

「はあ!? 何それ!?」

「だってアイデア出したの俺っすよ? 原作者として半分ぐらい貰うのが当然っしょ?」

「てめー、人に恥ずかしいことさせて儲ける気か!?」

 汚い。こいつ発想だけじゃなく、根性まで汚い。

「やっぱ最大の見せ場は、マンドレイクが人間のうんちを食うシーンっすよ! そんなの書いた人、まだ誰もいないっしょ! まさにフィクションの革命っすよ! そこはもう師匠に張り切ってもらって、とにかくリアルに、微に入り細に入り──」

「『最高級有機質肥料』」あたしはぽつりと言った。

「へ?」

「筒井康隆が半世紀も前に書いてる。植物から進化した異星人が人間のうんちを美味しそうに食う小説」

「描写はどうなんっす? リアルなんすか?」

「リアルだよ! むっちゃリアルだよ! 筒井康隆舐めんな! 小説書く前に、本当に自分のうんちを皿に載せて観察したんだってよ! さすがに食いはしなかったけど、その現場を奥さんに見られて、気が狂ったと思われたって逸話があるぐらいだよ!」

「へー、リアリティ追求のためにそこまでやるんすね、作家って」

「いや、作家がみんなそこまでやるんじゃないだろうけどな。筒井康隆は別格だよ」

「じゃあ、師匠もそれを見習って、お皿に自分のう──」

「やらねーよ! 何にしても、そういう先駆者がいるってことだよ。だから、今さらやっても二番煎じ。筒井康隆を超えるなんて無理」

「でもそれ、半世紀も前の作家っしょ? 今じゃ忘れられてるんじゃ……」

「現役だよ! まだ書いてるよ! つーかお前、有川浩だけじゃなく筒井康隆も知らんの?」

「いやー、アニメになってないようなマイナーな作家は……」

「『時をかける少女』! 原作誰だと思ってんだ!?」

 ちなみに、あのアニメはあたしも大好きだ。

「ああー、あれっすか。テレビで放映したの、観たことあります」

「ようやく分かったか」

「ヒロインの真琴って子、かわいかったすよねえ。そうすか、あの子を書いたのが、その筒井さんって人すか」

「真琴はアニメ版だけのキャラっ!」

 もうツッコむのも疲れてきた。

「でも、意外っすね。『時かけ』書いた人が、うんち食う小説も書いてたなんて」

「どっちかっつーと、『時かけ』の方が筒井さんの本領じゃないんだけどな」

「でも、それを知ったら想像しちゃいますね」

「何を?」

「真琴がタイムリープしようとして、間違って異世界に飛ばされちゃうんすよ。でもってマンドレイクに捕まって、う──」

「『時かけ』けがすなああああーっ!」


 気がつくと、学食のあたしらの周囲、半径五メートルからは、人が退避していなくなっていた。

 食欲なくす単語を連呼してごめん。

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