どうもあたしの周囲には面倒くさい奴が多い

山本弘

第1話「『ジャングル・ブック』はけしからん」

 どうもあたしの周囲には面倒くさい奴が多い。



 休み時間に視聴覚室の使用許可を取って、パソコンを使って調べものをしていると、社会科の吉水先生が話しかけてきた。

「なあ、御来屋みくりや。確かお前、映画に詳しいよな?」

「はあ。人より多少は、という程度ですけど」

 あたしは嫌みにならない程度に謙遜した。

「『ジャングル・ブック』って知ってるか?」

「ラドヤード・キプリングの?」

「らどや……?」

 あ、知らないのか。

 まあ、教師って言ったって、しょせん人間。すべての分野で学生以上の知識があるわけじゃない。専門教科以外の分野では、学生より無知な場合もちょくちょくある。

 ちなみにあたし、よく映画を観てるだけじゃなく、実は本もけっこうたくさん読んでいる。自慢はしないけど。

「今度、映画が公開されるんですよね。キプリングはその原作者ですよ」

「ほう、あれって原作があったのか」

「それが何か?」

「いや、この前、映画館で予告編を観たんだが……」吉水先生は急に声をひそめた。「なあ、あれ、やばくないか?」

「はあ?」

「主人公の男の子、ずうっとパンツ一丁だったぞ」

「はあ、そうですね」

「あれはいかんのじゃないか?」

「はあ」

「なぜちゃんと服を着せないんだ。あんな過度に肌を露出する必然性がどこにある?」

「必然性、と言われましても」あたしは困惑した。「モーグリは狼に育てられた少年ですから、裸なのはしかたないかと」

「なぜわざわざそんな不自然な設定にするんだ?」

「不自然?」

「不自然だろう!? 狼が人間の子供を育てるなんて、ありえないじゃないか!」

 まあ、狼や虎や豹や熊が喋ったりする時点で、ありえない話なんですけどね。

「あまりにもわざとらしい。あれは少年の肌を露出するための設定としか思えん。けしからん!」

「いや、でも、健康的な男の子ですし」

「そこだよ! 世の中には健康的な男子の裸体に欲情する変態性欲者も多いんだ。あんな映画を公開したら、そんな連中が映画館に押しかけるぞ。よだれを垂らしてにたにた笑いながら、スクリーンに映し出される少年の裸体を食い入るように見つめるんだ。ああ、想像するだにおぞましい! 映画に刺激されて、性犯罪が増えたらどうする!?」

「考えすぎだと思いますけど」あたしはあきれた。「原作者のキプリングも、映画の製作者も、そんな意図はこめてないと思いますよ」

「ああ、表面的にはな。しかし、ストレートに性的行為が表現されていなくても、それを観る観客の側には、明らかに性的なまなざしが存在する!」

「何を根拠に?」

「だって、大きな蛇が出てくるじゃないか!」

「カーですか?」

「蛇が男根のメタファーだというのは常識だ。それが裸の少年にぬるぬるとからみついてくる場面を想像してみろ。その意味は明白だろう?」

「だから考えすぎですって」

「予告編には、少年が黒豹に押し倒されるシーンもあったぞ」

「バギーラですね」

「あのシーンは明らかにレイプを連想させる!」

「いや、だから、モーグリとバギーラはそんな関係じゃないですから」

「狼が出るのもいかんな。昔から狼は性犯罪者の象徴だ」

 そんなこと勝手に決めつけられたら、狼も迷惑でしょうに。

「狼の群れの中に、裸の少年がたった一人……これがどれほど危険な状況を暗示しているか分かるか!?」

「ですから、『ジャングル・ブック』はそんな話じゃ……」

「とにかくけしからん! あんな淫らな映画を、あたかも健全なファミリー向けであるかのように宣伝するなんて」

「げんに健全ですけど」

「いや、あれは明らかに変態性欲者をターゲットにした作品だ! その意図は明白だ!」

 どうも先生の目には、普通の人間には読み取れない「意図」が「明白」に読み取れてしまうらしい。

「だからそんな意図、ありませんって」

「それなら、せめて性的な連想を避けるための配慮は必要だろう。狼や蛇を出さないようにするとか」

「それだと話が成立しませんけど」

「とにかく絶対にいかんのは、少年が常にパンツ一丁であることだ。観客によこしまな欲望を抱かせないよう、きちんと服を着せなくては!」

「モーグリが、きちんと服を……」

 ちょっと想像してみた。ものすごい原作破壊だ。

「とにかくパンツ一丁はいかん! パンツ一丁は!」

 先生がやたらに「パンツ一丁」を連呼するので、あたしはだんだんむかついてきた。

「そんなこと言ったら、原作のモーグリは全裸ですよ」

「……な!?」先生は眼を丸くした。「ぜ、ぜ、全裸!?」

「だって、狼に育てられた少年がパンツ穿いてるわけないじゃないですか。映像作品では世間のモラルに配慮して、パンツ穿かせてるだけですよ」

 あたしはパソコンで〈jungle book illustrations〉で画像検索をかけ、世界各国の絵本や児童書に描かれたモーグリの絵を表示してみせた。パンツやふんどしを身に着けている絵も一部にはあるけど、大半は全裸だ。

「ほらね。世界中のイラストレーターがすっぽんぽんのモーグリを描いてますよ」

「こ……こんなにたくさん……」先生はモニターに顔を近づけ、食い入るように見つめていた。「信じられん……少年の全裸の絵がこんなに……堂々と……」

「あたしのおすすめは、フランスのピエール・ジュベールというイラストレーターですね。この人、児童小説の挿し絵を手がけてるんだそうで、健康的な少年や少女のイラストをたくさん描いてるんですよ。この人の描くモーグリは、写実的でワイルドで、なかなかかっこいいんです」

 あたしはその絵も表示してみせた。おそらく「カーの狩り」の一場面、古代遺跡でモーグリが数匹の大きなコブラに囲まれているところだ。たいていのイラストレーターはモーグリの股間をうまく隠して描いているが、ジュベールは立ち姿のモーグリを堂々と正面から描いている。

「おおお……けしからん!」先生はカーの催眠術にかかったかのように、モニターから目が離せない様子だ。「これはけしからん……こんな写実的な裸の少年の絵……丸見えで……しかも蛇まで……なんとけしからんのだ……うむ、けしからん……」

 その瞬間、あたしは見た。だらしなくにやけた先生の口元から、よだれがひとすじ、キーボードにしたたり落ちるのを。

「う、うーむ、こういうけしからん絵を使わないよう、出版社に厳重に抗議しなくては……こ、このフランスのイラストレーターの名前、何と言ったかな?」

「ピエール・ジュベール。スペルはJoubert」

「ちょ、ちょっと待て。筆記用具はあるか?」

 先生は夢中で、紙切れにジュベールのスペルを書きこんだ。

「何かの資料にするんですか?」あたしはわざと見当違いのことを言った。

「うむ、そうだ。資料にする。家に帰ったら、ネットで調べて、出版社に抗議するために──そうだ。そうだとも。これは調べなくてはいけないことなんだ」

 先生は自分に言い聞かせるように言った。

「『ジャングル・ブック』……こんないかがわしい本は子供に見せてはいかん。断固として発禁にしなければ!」

 でも、そう言う先生の顔は、とても嬉しそうだった。



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