エピローグ 物語は永遠に

 魔物の国と人間の国との戦争が終わり、60年の時が流れました。


「違う種族の3人が、同じとき同じことを願えば、どんな願いでも叶う」

ということわざを、もう誰も覚えていません。


 人々は種族を超えて交わり、人種差別が消えはしないものの、昔ほど単純な偏見を持つ人は少なくなりました。

 社会の問題はもっと複雑になり、ことわざは意味を失って、消えていきます。




 さて、ここはあの世界とは違う世界の、小さな町。

 町の中心から少し外れたところに、可愛らしい小さな家が建っています。

 その家の庭に、子どもたちが集まって、お婆さんの料理を楽しんでいるのです。


「お婆ちゃん、これ、なんてお料理? すっごくおいしい!」


「これはね、アルサム風のベジパイですよ。お婆ちゃんが若いころ、アルサムのコクマ村で食べたお料理を、真似してつくっているんです」


「アルサムってどこ?」


「そうね、とっても遠く。車でも、飛行機でも行けないくらい、とっても遠く」


 お婆さんは十五年ほど前まで、首都の大学で教鞭を執っていたので、町の人々からとても尊敬されています。

 でも、ときどき、町の人にはわからない土地のことを話すので、少し不思議がられてもいました。


「お婆ちゃん、お客さまだよ」


 小さな女の子が、お婆さんの杖を手に、客人の来訪を告げにやってきました。

 お婆さんは杖を受け取ると、ゆっくりと立ち上がり、玄関に向かいます。


 玄関には、映画に出てくるような古い時代の紳士服を着た、上品な老人が立っていました。


「……そんな……信じられない!」


 お婆さんは老人を見ると、驚きのあまり杖を取り落とし、目に涙を浮かべます。


「お久しぶりです、クリオ」


「ああ、エル! あなたなの? 本当に?」


 老人はにっこりと笑ってうなずきます。


「わかりますか? あのころの僕とは、だいぶ変わってしまったと思うけれど」


「いいえ、わかります。バルトルディ候にそっくり。あなたが年をとったらこうなるだろうって、思っていた通りの姿です。私こそ、こんなお婆ちゃんになってしまって……お化粧くらいじゃ、間に合いません」


「そんなことはない。あなたは今も美しい。思い描いていた通りです。この世界も」


 お婆さんは涙目のまま、老人を迎え入れ、庭の中に置かれた椅子を勧めます。

 それから二人は、いろいろなことを話しました。


 あれから間もなく、魔物の国が共和制に移行したこと。

 ワーウルフの戦士が議員になったこと。

 オークの若者が人間の女性と結婚したこと。


 そうして、老人の妻――かつて魔物たちの王だった女性――が、5年前の夏、亡くなってしまったこと。この世界に来ることができないのを、とても残念に思っていたこと。


「――僕も昨年退官し、あちらの世界でやるべきことはもうなくなりました。やり残したのは、異世界への旅だけ。残りの時間がどれだけあるかわかりませんが、あなたの世界をどうしても見てみたかった」


「エル、もしあなたさえよければ、一緒に旅をしませんか。この世界には、あなたに自慢したい、美しい場所がたくさんあります。いつまで旅ができるのか、どこまで行けるのか、わからないけれど、私たちが残りの時間を過ごすには、それがいちばんのように思うんです」




 星の運行は定められており、少なくとも彼らが生きている間に、二つの世界を繋ぐ扉が開くことはもうありません。

 ハーフエルフの老人は、きっとこちらの世界でその命を終えるでしょう。

 お婆さんも、間もなくその生涯を閉じることになります。

 この物語も、ここでおしまいです。


 けれど、彼らの最後の旅路は、きっと多くの冒険と、多くの奇跡に彩られたものになるでしょう。

 いつだって、世界は冒険に満ち、物語を紡ぎ続けます。

 人々が生き、そこに社会を築き続ける限り、永遠に。


 ほら、またあちらの世界でも、新たな迷い人が――。




『こちら魔物の国、中央銀行総裁室でございます。』 完

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こちら魔物の国、中央銀行総裁室でございます。 既読 @kidoku1984

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